先週テレビで台風9号が宮古島を直撃するとニュースが伝えた。画面には宮古島のマンゴー農家の温室が映し出された。農家の女性が話す「マンゴーは少しでも傷がつくと出荷できなくなる弱い果物なので台風による被害が心配です。今までの苦労が一瞬で失われてしまいます」
我が家に友人から頂いたマンゴーが3つある。宮古島と石垣島のマンゴーである。テレビのニュースでマンゴー農家がどれほど細心の注意を払って育てているか知った。友人はまず職場で宮古島のマンゴーをもらった。家に帰ると石垣島の知人からマンゴーが届いていた。物事がダブることはよくある。残念なことに友人の奥さんはマンゴーアレルギーであった。娘さんも同じくアレルギーを持つ。友人はがんばって2個食べた。そこで食いしん坊の私を思い浮かべてくれた。何という名誉であろう。「食べてもらえるか」とメールが来た合点承知の助と二つ返事で引き受けた。二人の中間地点で会うことになった。
友が「さてどうしよう」となった時、私のことを思い浮かべてもらえただけでも嬉しい。思い浮かべた後、わざわざメールで尋ねてくれた。当日奥さんに車で駅まで送ってもらい、電車で約一時間かけて来てくれる。マンゴー農家が育て出荷した手間、友人の気遣いとここまでしてくれる手間を考えると感慨もひとしおである。
私たち夫婦にとってマンゴーは特別な果物だ。結婚してまもなく妻の任地のネパール・カトマンズに暮らした。生活インフラが悪く飲料水不足、停電に悩まされた。それでも時間が経つにつれて、ネパールならではの発見が増えた。マルダハ・マンゴーとの遭遇である。市場好きの私はほぼ毎日市場へ通った。初めて緑色のマンゴーを見た時、そのうち黄色くなるだろうと買わなかった。やがてマンゴーは市場から消えた。旬が終わったのである。今でもこの半年の損失は大きいと後悔している。友人からネパールのマルダハ・マンゴーはずっと緑色だと教えてられた。初めて緑色のマンゴーを口にした時の感動!千疋屋と水信と紀伊国屋が一度に私の口の中で開店したような衝撃であった。マンゴーは2シーズン堪能できた。
妻はネパールからアフリカのセネガルへ転勤になった。ネパールを出発する日、最後のマルダハ・マンゴーを食べ、もうこんなに美味なマンゴーは食べられないと思った。ところがセネガルもフルーツ天国だった。マンゴーはもちろん、パパイヤもすばらしかった。マンゴーとパパイヤは一年を通して市場で買えた。
長野県で生まれ育ってリンゴ、柿ぐらいしか知らなかった。バナナやメロンはよほどの重い病気にならないと縁がなかった。病気の時はすりおろしたリンゴと決まっていた。それでも不満はなかった。長野県を出て、どこにもそこにしかない美味しいモノがあると知った。
友が運んでくれたマンゴーは美味だった。洗練された上品な甘さでしばし楽園に浮遊した。世の中、新聞の記事もテレビのニュースも不安と妄想を掻き立てるだけ。そんな世間に背を向けて、私はいつしか海、山、川、鳥、虫、樹木、草花を見るようになった。食べ物にも快楽を求める。野菜、魚介類、果物を口に入れ、命をいただく。宮古島のマンゴーも石垣島のマンゴーにも政治も思想もない。あるのは種の保存に他の生物に協力を要請誘惑するために全身全霊を注ぎ込んだ結果としての種を包む魅惑にあふれる果実だけである。
世の中一見難しいことばかりのようだ。ギリシャ問題、国会の安全保障関連法案、オリンピック会場となる総工費2520億円の国立競技場問題。しかしマンゴーさえできることを人間はできないでいる。それは50-50の単純な取引である。借りたら返す。何かいただいたり、してもらったら、お礼を言う。支出は収入の範囲内。
私は、種までしゃぶって完食した後、マンゴー、友人、生産者に「ありがとう」と手を合わせた。