5月29日から2泊3日で九州の福岡へ妻の学会出席に同行した。妻はいまだにこうして学会に出席しては勉強。一方私は学会を口実に遊び歩く。今回は以前当時福岡に住んでいた友人夫妻に誘われたが生憎行くことができなかった柳川市へ行こうと決めていた。友人一家はすでに大阪に引っ越した。観光で乗船した柳川船下りで北原白秋の住んでいた家、いくつかの石碑を巡った。船頭兼ガイドの男性が「待ちぼうけ」を唄ってくれた。上手だった。水面の音の反響、石のトンネルの反響を上手く使い、持ち前の美声で唄った。北原白秋の歌詞の優しさが染み入った。ガイドは日中韓英の4ヶ国語でガイドできるという。そして北原白秋の童謡は日本語で唄ってもどこの国の客にも評判が良いと結んだ。
柳川のガイドには敵わないが、妻も私も機嫌が良いと鼻歌を唄う。妻は大抵童謡である。私は「♪しらけどり飛んでいった、東の空へ~♪」などふざけた曲が多い。
一昨年の2月にハワイのカウアイ島へ行った時のことだった。島内での移動はもっぱらミセス・T運転のレンタカーだった。料金節約のためにミセス・Tは、借主本人以外運転できない契約を結んでいた。私がレンタカーを借り直す、と直訴したが却下された。
ミセス・Tは決して運転が上手な人ではない。高齢のため運転していても、とっさの反応が遅れ気味だった。道も間違えてばかりいた。気がきではない。速度をださせないために道路上に造られた突起した段差もブレーキをかけることなく強行突破する。何度私たちは衝撃で飛び上がり、シートベルトに締め上げられたことか。それでも私は遠慮して何もなかったようにふるまった。ゴルフ場からホテルに戻ってくる途中だった。私はミセス・Tが運転しながら眠っているのを発見した。
私は後部座席にいた妻に日本語で「ねえ、彼女さっきから眠気と闘っているから、歌でも唄ってあげて」と要請した。ノリの良い妻である。「何がいい?」「元気がよく眠気を吹き飛ばすような曲」妻は“証城寺の狸囃子”を元気よく歌い始めた。ミセス・Tは「知ってる、知ってる。私の祖父母がよく歌ってくれました」と言って一緒に歌い出した。しっかり歌詞を覚えていた。人間の脳の記憶力畏るべし。ミセス・Tの日頃の数独の成果であろう。
最近のミセス・TからのメールにI also remembered how sleepy I was driving back from the other golf course at Kalaheo, and how you all had to sing really loud to keep me awake ....Japanese children' songs. (^^) ! ! (訳:カラヘオの別のゴルフ場から戻る運転中、私がどれほど眠かったかも思い出しました。私を眠らせないように日本の童謡を二人が大きな声で歌わななければならなかったかということも思い出しました)とあった。本人も自覚していたのだ。
一緒に歌を唄うこと一緒に笑うことは良いことだ。人は怒っている時歌わない。海外に住んでいた時、ほとんど毎晩のように客を夕食に招いていた。食事が終わるとカラオケが定番だった。妻も私もよく歌った。しかし帰国してからは何故かカラオケをしなくなった。歌うことは健康に良いそうだ。大きく息を吸って力をこめて吐き出し唄い笑いたい。
昨日、今年初めてのミソサザイの美しい鳴き声を聴けた。相変わらず唄うように上手に鳴く。ウグイスはいつの間にか唄わなくなった。今度はミソサザイの出番である。30日には大きな地震があった。自然は恐いが、時に童謡のようにミソサザイの鳴き声のように優しい。だから前に進める。