「♪サカナ サカナ サカナ サカナを食べると アタマ アタマ アタマ アタマが良くなる♪」 (作詞 井上輝彦 作曲 柴矢俊彦 歌 柴矢 裕美)と買い物に寄ったスーパーの魚売り場のテープレコーダーから元気な歌声が流れていた。販売促進のためなのだろう。最近魚を食べる人が減ってきていると言う。現在、人は肉食系男子とか肉食系女子、草食系男子と草食系女子と分類されるそうだ。魚食系がないのはどうして、と考えていたら店のテープとは違う幼い感じの声で「♪サカナ サカナ サカナ サカナを食べると アタマ アタマ アタマ アタマが良くなる♪」と歌っている女の子がいた。母親と一緒だった。雨の日だったので女の子は長靴を履いていた。
「お母さん、サカナを食べると頭良くなるの?」と女の子は母親に尋ねた。私も歌を聴いてそう思っていた。さて女の子の母親は何と答えるのだろうと耳を傾けた。女の子の母親は呆れたようにため息をついただけで買った商品でいっぱいのカートを押して行った。女の子は、ちょっと悲しそうな顔をしたけれど「♪サカナを食べると アタマ アタマ アタマ アタマが良くなる♪」と歌いスキップしながら母親を追いかけて行ってしまった。天真爛漫が弾んでいるようだった。
まだ5,6歳であろう、その女の子を見ていて私の長女の幼い姿がよみがえった。離婚した後、男手ひとつで育てているある日、長女は「パパのお嫁さんになる」と言った。私は「ありがとう」しか言えなかった。嬉しかった。そんな長女も結婚して今では3歳の男の子の母親になっている。
幼い子どもの発想は大人の意表外のことが多い。大事なのは、大人が子どもの目線まで心も体も下げて、子どもの言うことをまず聞いてあげることではないだろうか。私は離婚して初めて子育ての全てに関わった。野心も見栄もプライドもズタズタになっていた。そんな私を救ってくれたのは、二人の子どもだった。長男11歳長女8歳。私は子どもの立場になり、子どもの目線で彼らに語りかけ、彼らの目線で世の中を見ることによって、前進することができた。
我に返ると「♪サカナ サカナ サカナ サカナを食べると アタマ アタマ アタマ アタマが良くなる♪」のテープはまだ続いていた。氷の上に並べられた魚を見繕った。この近くの海で獲れたイサキ、ミズガレイ、ホウボウ、カワハギ、カマスである。ふと思った。カワハギを焼いて食べたらどんなだろう。カワハギは刺身を食べたことがあるけれど、焼いて食べたことがない。新たな挑戦である。値段が780円の小ぶりのカワハギを買った。
家に帰って、台所の流しでカワハギのエラと内臓を取り、まな板の上で包丁で切れ目を入れて、皮を剥いだ。固い皮は剥き始めると面白いように剥ぎとれた。いつしか「♪サカナ サカナ サカナ サカナを食べると アタマ アタマ アタマ アタマが良くなる♪」と歌っていた。
その夜帰宅した妻と晩酌して焼いたカワハギをスーパーで見た女の子の話をしながら食べた。淡白で白身魚が好きな私たち夫婦は気に入った。あの女の子も家族で食事しているのだろうか。魚は買わなかったようなので肉のおかずかもしれない。あの女の子に東京農大の中西載慶教授が付属中高の校長時代の入学式で述べた「人間には4種類ある。1.が良くて勉強もできる。2.頭は良いが勉強ができない。3.勉強はできるが頭が悪い。4.勉強もできないし頭も悪い。皆さんはまず頭の良い人になって欲しい。」の話をしてあげたかった。中西教授が言う“頭の良い”とは気配り目配り手配りができる人のことだと私は思う。あの女の子にも肉でもサカナでもしっかりよく噛んで食べて、アタマの良い人に育ってもらいたい。