団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

集団暴行と少年と川

2015年06月09日 | Weblog

  6月6日深夜、愛知県刈谷市の逢妻川で集団暴行を受け「向う岸まで泳いで戻ってこい」と言われ川に入った高校生(15歳)が行方不明になった。9日朝の時点ではまだ発見されていない。このニュースで昨年の2月神奈川県川崎市で上村遼大君(当時13歳)が多摩川で殺された事件を思い出した。(2014年3月05日投稿ブログ参照)

 昨日散歩途中で川が海に流れ込む場所に中学生たちが遊んでいるのを見た。しばらく様子を見ていた。石を水に投げ込んだりテトラポットの上を渡り歩いたりしていた。今回の愛知県で行方不明になっている高校生、そして川崎の事件の犠牲者の上村遼大君と同じ歳ごろであろう。どのようないきさつで近くの中学校から川に来ていたのかはわからない。はたして学校が川や海で遊ぶことを許しているのかも知らない。

 日本人は水に対しての恐怖心が少ないと私は感じている。それは小中学校での水泳の授業が原因であろう。日本全国津々浦々すべての公立の小中学校にはプールが設置されていると何かで読んだことがある。何らかの理由で設置されていなくても、それに準ずる形で水泳の授業が実施されている。私自身の小中学校時代にも小学校にも中学校にも学校内にプールがあった。高校では近くの公園にあった市営プールで体育の授業が行われた。高校にもプールがあったが25メートルのプールだったために市営の50メートルプールをわざわざ使ったと思われる。

 日本では戦後70年一貫して小中学校で水泳の授業が受けられる。私が高校からカナダの学校に移ったがカナダの学校の授業に水泳は含まれていなかった。家族旅行や友人たちと湖、川、海で水遊びの一環として泳ぐぐらいらしかった。学生たちの話題に水泳がのぼることもなかった。

 1993年から2005年まで妻の海外勤務に同行した。赴任したネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジア、ロシアどこの国にも学校で授業の一貫として水泳が教えられていた国はなかった。日本の全小中学校で当たり前のようにプールがあって水泳の授業があるのは世界の中でも稀なことである。多くの国の人々は水に対して恐怖心を持っている。理由は泳げないからだと推測する。今回の中国長江での観光船の転覆で多くの犠牲者が出たのは、泳げないゆえに水を恐怖ととらえる人々が多く乗船していたからではないだろうか。海と違って川の場合、泳いで助かる率はずっと高いと考える。中国の小中学校に日本並にプールが普及していて水泳の授業がなされているとは思われない。

 川崎の事件にしても愛知県刈谷の事件にしても不良の若者たちが起こした残酷で許しがたい事件である。泳げと命令した時点で、その命令が死につながるととは考えてもいなかったのだろう。その思慮のなさ、水に対する恐怖心のなさが仇となった。日本には恵まれた教育内容や環境がありながら、それを享受できなければ宝の持ち腐れとなる。散歩途中に見た中学生たちは、川遊びを純粋に楽しんでいたようだ。自然に対する畏敬とともにその恐ろしさも十分認識してほしい。リスク管理を高めるには、臆病になることも必要だ。臆病を克服するには、人間として生きる術である気配り目配り手配りをフル活用しなけらばならない。人はひとりでは生きられない。無駄な命はひとつもない。防げたであろう若者の無念の死は、老人の私に痛恨と懺悔の槍を刺し込む。


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