団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

新幹線と高齢者

2015年06月03日 | Weblog

  新幹線に乗った。妻の福岡での学会に同行することになった時、妻に「飛行機と新幹線どっちにする?」と尋ねられた。「新幹線」と咄嗟に答えてしまった。

 最近臀部の肉がげっそり落ちた。そのために長く座っていることができない。かつて坐禅で鍛え、脚を坐禅式に組んだまま2,3時間座り続けることができた私がである。家で机に向かう時は、テンピュールの事務用座布団かビニール製のバランスボールを使っている。それでも臀部の骨の固さを日々感じてモジモジしている。

 妻に「新幹線」と元気よく返事してから不安になった。新幹線で行くとなると新大阪まで“ひかり”で1時間57分、新大阪で“のぞみ”に6分間の乗り換え時間があって博多まで2時間30分。家を出てからなんと5時間18分かかる。私は妻にテンピュールの座布団を持参することを提案した。「ダメ」の一言で却下された。前科があるからだ。以前持参したクッションを忘れ一回は駅の忘れ物保管所で戻ったのにすぐあとに乗った電車の中に再び忘れてきてしまった。クッションは戻ってこなかった。きっとまだ妻の臀部のお肉クッションが健全に機能していて私の苦しみが理解できないに違いない。私の気持を知ってか知らずか妻は私のぽっこり膨らんだ腹を指差し「そこの脂肪がお尻にまわせればね」とのたまう。

  「飛行機にすればよかったかも」と思いつつ新幹線に乗った。天気も良く景色を楽しみ、何よりも在来線にない新幹線列車の推進力と乗り心地を満喫できた。

 グローバル雑誌『モノクロム』が発表した世界の住みやすい都市の第10位の福岡を実感堪能できた。食べ物も美味かった。帰りの“のぞみ18号”の指定席に着いた。車内放送が始まった。「高齢者の・・・」 私は自分を高齢者と部分的に認めている。文字で読むと拒否できるが、音で聞くと服従してしまう。私は(ハイハイ、高齢者の私に何の用ですか)と内心思いながら車内放送を聴いた。「高齢者のお手洗いは15号車・・・」 (オイオイ、新幹線凄いじゃないか。今度は高齢者のためにトイレまで設置したんかい) 「高齢者の停車駅は・・・」 「高齢者のグリーン車は・・・」

  (おかしい、何か変だ) 私の空耳に違いない。隣の妻は学会でみっちり勉強してきたにもかかわらず読書中だった。私も本を持参していたが、集中力が数分も持たず、窓の外を見たり、車内前方のテロップニュースを観たりしていた。テロップニュースは2度繰り返されるが、頭の上げ下げのタイミングが合わず、気になったニュースを再度見るために苦労したりして時間をやり過ごしていた。妻に叱られるかもしれないが問うてみた。「ねえ、車内放送でさっきから高齢者って言ってるよね」妻は言葉を発せず顔で反応した。(そんな事いう訳ないでしょう) ちょうどその時また車内放送が始まった。妻が声を出して笑った。「聞こえる。高齢者って聞こえる」 すると車内放送がまた「高齢者の・・・」 妻の笑いが止まらない。

 おそらく車掌は「この列車・・・」と言っているのだろう。日本には方言がたくさんある。土地によって発声やアクセントやイントネーションが違う。車掌個人の問題なのか。とにかく私たちは新大阪までこの車内放送を楽しんだ。新大阪からJR東海の車掌になった。標準語で話す車内放送では「この列車」と私にもはっきり聞こえる。私はオリンパスのボイストレック録音機に「高齢者は・・・」をばっちり録音した。しばらく我が家に来る客はこの録音を聞かされることになる。

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