団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

アゴひも

2013年09月09日 | Weblog

 駅のホームで電車を待っていた。電車がホームをかすめるように通過する。構内放送が録音テープでおざなりに「電車が到着いたします。危ないですから黄色い線の後でお待ちください」と注意を喚起する。「ガァーーッーー」と音を立て鉄の箱が通過しつつある。音は鉄の大きな箱の割には大したことはない。電車の体積と同じだけの空気が圧縮される。ホームと電車のわずかな隙間からホームで待つ客目がけて吹き付けられる。

 身なりのよい老婦人の帽子が飛んだ。周りの数十人の客のそれぞれの口から「アッ」と息が吐き出される。しかし誰も一歩として足を動かす者はいなかった。帽子はあっという間に鉄の箱の下でブレーキをかけられ悲鳴をあげる車輪に吸い込まれていった。「アッ」は音もなく各自の口に吸い込まれ、口は開かれたまま硬直し目が点になった。「もしあの帽子が自分だったら」を全員が想像していた。

 そして同じ日東京駅の山手線のホームで同じことが起こった。やはり老夫婦、二人共身なりが良かった。品の良さそうな婦人が夫の後を追う。電車が近づいて来る。私は駅のホームの黄色い線をはみ出して電車側や走行中の電車内であちこち行き来する人の気持ちが解らない。電車がスレスレに警笛を鳴らしながら通過。もの凄い突風。私の体が風に押され帽子のアゴひもが首に食い込み衣服が肌に密着する。婦人の帽子が空中高く舞い上がった。一人の若者が手を出した。電車に触れそうになったが、風に押し戻された。

 女性がファッションとして紫外線よけ対策として日傘や帽子を愛用することに異論はない。しかし万が一飛ばされた帽子を受け止めようと電車が通過する危険な状況で体を動かしたり手を出して、電車に体を巻き込まれる惨事が発生したら。そう思うだけで身の毛がよだつ。恐ろしい。私の目の前でそうならなくて本当によかった。

 帽子を飛ばさないようにするには、何といってもアゴひもの使用だ。それが嫌なら、危険だと思われる場所では帽子を手で持っているかカバンに入れておくことだろう。G20に参加するために政府専用機でロシアに出発した安倍首相がタラップを上がり見送る人々に手を振った。首相の脇に直立不動で立つ自衛官の制帽のあごのベルトがきちんとアゴにかかっていた。凛々しく格好よかった。ともすれば帽子のアゴひもを使っていると、ダサイとかファッショナブルでないと思われ見下げられる。安全を考えたからこそ、大切な帽子を守りたいからこそ、アゴベルトやアゴひもがずっと使われてきた。

 アゴひもやアゴベルトは気を引き締める効用もある。安保の学生デモと衝突を繰り返した警察の機動隊の隊員も災害救助に出動する自衛隊員の多くがアゴベルトやアゴひもで帽子を固定した。たかが帽子、されど帽子。身辺の小道具だが、大事故のきっかけ原因をつくる可能性もある。やはり人間としての気配り手配り目配りが必要不可欠であろう。それができる人がはじめてファッションにおいても評価されるべきだ。飛ばされた婦人の帽子を捕らえようと電車に衝突しそうになった青年のとっさの優しさと死を意識した恐怖の表情がしばらく記憶に残りそうだ。若さの内に秘められる瞬発力が故に大切な命を帽子ひとつぐらいで犠牲にさせてはいけない。危険はいつでもどこでにもあり、人をも選ばない。アゴひも、あごベルトも見た目はダサクてカッコ悪いけれど他人に迷惑をかけない。アゴひも締めて気を締める。


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