団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

セカンドライフ問題 手紙②

2007年07月08日 | Weblog
 『おじさんへ 父のお葬式にわざわざ遠い所来てくださり、本当にありがとうございました。父が心不全で突然死んだまさにあの時間、私は、おじさんへメールを書いていました。まさか父があのマラソンに参加して走って、突然倒れて救急車で病院へ運ばれたなんて。

 父は知人がマラソンに参加するので応援に行くと言って家を出たのですから。本人がマラソンに参加していたなんて夢にも思いませんでした。でも父はあういう人です。やりたいことはだれがどういってもやります。

 人間はいつどうなるかわかりませんね。父の兄の会社が倒産して、私たち一家は、逃げるようにN市へ引っ越しました。弟が8歳、私は11歳でした。生活の激変に押しつぶされそうでした。

 そんな時、おじさん夫婦は私たち二人をネパールへ連れて行ってくれました。世界で私ほど不幸な者はいないと思い込んでいました。おじさんは、いろいろな所へ案内してくれました。カカ二の丘へ向かう途中、一人の女の子が山道を、頭に水瓶を載せ、片手にバケツを持って歩いていました。「あの子は毎日、学校へも行かずに、家族のために谷底の川へ、ああして水を汲みにいっているんだ」とおじさんが言いました。女の子の家はまだずっと上の方でした。トタンと石で造った簡単な家でした。

 カトマンズでも、物乞いの子供をたくさん見ました。カーペット工場では、田舎から人身売買されて連れてこられて働く子供も見ました。パシュパテナートで焼かれた死体の流れる川で、子供が潜って、死体についている装飾品を奪い合っているのも見ました。

 私が悲しい、辛いと思っていたことは、あのネパールの子供達から見れば、なんでもないことです。私はそう思いました。生きる勇気が湧きました。

 おかげさまで弟も大学二年生です。おじさんの勧めでカナダへワーキングホリデーで一年行き、ますます逞しくなりました。二人で母を助けて、がんばります。またおじさん、おばさんの家に遊びに行かせてください』 

 これは辞世問題 『ひとつの辞世例』のきんちゃんの長女からの手紙である。私たちの周りにはいろいろな境遇の人びとがいる。たとえ金銭的に援助できなくても、家族、隣人、知人、友人への気配りを常に忘れたくない。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« セカンドライフ問題 冷凍 | トップ | セカンドライフ問題 コスタリカ »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事