団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

年賀状

2012年12月26日 | Weblog

  尊敬するgooブログ『山の恵み里の恵み』氏が「年賀状謝絶」と題して「Your days are numbered (出典不明)'number'とは1~9のこと。「お前さんの命(世にある日々)はあと10日ともたないぞ」「命旦夕に迫る」のを実感する今日この頃、身辺整理を開始しました。手始めは年賀状拝止。半世紀以上にわたって年賀状を交換してきた方々に「年賀状謝絶」通知を出しました。メールアドレスが判る場合はメールで、さもない場合はハガキで。早手廻し過ぎるかな。さて次は何を整理すべきか。」(要約)感無量。

 これを読んで思い出したのが、

(1)  年齢に逆らわず 無理をしない

(2)  いやなことはせず 楽しいことをする

(3)  睡いときに寝、醒めたら起きる(昼夜を問わず) 好きなものだけ食べる。但し午後8時まで

(4)  義理、面子、思惑をすてる。つまり省事で通す

(5)  友人をつくり、敵をふやさない

           『無所属の時間で生きる』城山三郎著 新潮文庫 438円

という城山三郎の言葉だ。これは城山三郎が還暦を迎えたとき、自分の老後をこう過そうと思って書いたものだ。私も参考にしたいと思っている。

  私は42歳から57歳までの10年以上に及んだ海外生活で日本の伝統的なしきたり、冠婚葬祭の付き合い、年中行事からまるで透明人間になったかのように距離を置かざるを得ない状況にいた。多少の寂しさはあったが、正直アリとキリギリスの寓話にたとえればキリギリスになったような気でいた。だから老いてきた昨今、他の団塊世代とは違い年賀状の枚数も付き合いも少ないのは当然と納得できる。

 日本に帰国して8年たった。新しく始めた日本の生活の中で年賀状が年を増すごとに増えてきた。欠礼と認めながらも私は年賀状をいただいた方々だけに返事として出す。礼儀知らずとわきまえている。『山の恵み里の恵み』氏から年賀状が来なくなるのは寂しい。しかしきっぱりと年賀状謝絶を宣言する潔さに敬服する。私もいくつか身辺整理を始めている。「明日」「明日」と先送りしてばかりいて遅遅として進まない。「明日」を「50年」と置き換えると、気が楽になる。「50年先に私は絶対に存在していない」が説得力を持って「限りある命、せめて今できることをしておこう」と身にせまる。持つべきは良き先輩である。尊敬する先輩をできるだけ真似て、自分に取り入れられることは積極的にいそがしく自分の中に取り込んで生きたい。今年もあと6日である。

 

○ホームページを開設しました。

 

 

 

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