団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

「気持ち、下」

2012年12月20日 | Weblog

 職人気質に触れた。我が家のトイレと洗面所風呂への引き戸が途中で止まってしまう。ただ止まるだけなら我慢ができる。止まった戸に力を入れて動かそうとすると問題が起こる。特に引き戸を開けようとするときだ。食い込んだようにビクともしない戸を力任せに押しこくる。「ギャあぁーー」と声を上げる。右手の指を戸と壁に挟む。痛ぇーなんていうものではない。頭の中にカミナリが落ちたようだ。指の神経は最も敏感だそうだ。戸がシブくなって3回指を挟んだ。たまらず米屋の「スギヤマ」へ電話した。この米屋さんは、私たちがここに住むようになってからの相談所である。困ったことがあると相談する。ほとんどの問題を親身になって解決か解決への適切なアドバイスをしてくれる。今回も即知り合いの襖(フスマ)屋を紹介してくれた。11月26日のワイン会の開催を前に襖屋は応急処理をしてくれた。良くはなったが完璧ではなかった。

 
  日曜日、襖屋が建具屋と一緒に家に来てくれた。二人はゆうに70歳を超えていると思われた。二人の掛け合いが絶妙だった。きっと幼い頃からもしくは丁稚修行の仲間であったのかもしれない。最初、現場を二人に任せて書きかけの文章を終らせようと書斎に戻ろうと考えた。しかし二人に興味を持ってしまった。私は一緒にそこにいた。


  建具屋は屋号をローマ字でいれたうす緑色の作業着に5本指の白いソックス。襖屋はベージュの作業ズボンにユニクロのダウンをはおり、黒い足袋。まず仕度格好がぴったりである。仕事を進めるごとに私は驚嘆を隠せなくなった。この二人タダモノではない。職人だった私の父親の口癖は「仕事は段取り、道具は職人の命」だった。まさにこの二人はその実践者である。実に仕事の運びにリズムがある。声の掛け合いもいい。

長年の実績と経験で戸の不具合を見つけた。床に切った溝に埋め込んだ戸の車を受けるプラスチック製のレールが劣化して裂けてそこに車が沈んでしまう。裂けた所を通過して元のままの場所に来ると今度は巾が狭まり、車がはまり込んで動かなくなる。修理するにはプラスチックのレールを取り替えなければならない。取り替えるには壁際いっぱいまでに置かれた食器戸棚を移動させなければならない。中には大切な食器とワイングラスがたくさん納まっている。地震対策でご丁寧にもひとつひとつを特別な接着剤がついたシートで固定させている。これを全部はずして中から出して食器戸棚を空にして動かさなければ3人の男でも動かせない。大きな問題にぶつかった。しかしそれは素人の私が勝手にそう思っただけなのだ。二人は長さ30センチほどの角材とタオルでいとも簡単に静かに揺らすことも戸棚の中の食器が音を立てることもなく移動させてしまった。驚く私の顔を見て「テコの原理でさあ」と一言。


  戸棚の裏はほこりだらけ。私はあわててクイックルで拭き取った。そんなことを気にもせず四つんばいになって両側から二人は戸棚の裏に入り作業を進めた。レールを2本つなげることになった。長さを爪で印をして切断した。ぴったりと入った。しかし建具屋は満足しなかった。テコに使った角材にノミをあて、薄い木片を削りだした。それをレールとレールのつなぎ目に入れた。「だめだ、気持ち厚い」と独り言。また角材にノミをあてる。再び継ぎ目に入れる。満面の笑顔。「ぴったりだ」

 
  レールはいままでのプラスチックからアルミ製を薦められた。見た目は悪くなるけれど丈夫で長持ちするという。そして「この間の中央高速の笹子トンネルの天井だって、コンクリートでなくて軽くて丈夫なアルミやチタンを使えば落ちたって人が死ぬような事故にはならねえのにな」とも言った。すごい意見だ。職人だからの観点で問題をとらえている。私は書斎に行きメモをとった。


  最後にレールの下に丁寧に両面テープを貼って完成。戸をはめた。「ついでだ。戸の車も少し出しておこう」とあうんの呼吸で二人は戸を外して横にした。戸の下にある2個の車輪を外し調整してまたクギで打ちつけた。二人は時々「気持ち、下」とか「気持ち、右」とか言い合い調整をすすめた。


  この場合の「気持ち」は英語で何と言うだろうかと私は二人の脇で考えた。欧米人などは、「気持ち」とは絶対に言わない。言えば喧嘩になるかもしれない。何センチとか何ミリとか右、左、上、下とか具体的な指示以外に反応しない。「気持ち」という表現に日本人の技術水準を感じた。長くてつらい修行は、技術そのものよりこの「気持ち」を測れるためのものではないのだろうか。日本はその「気持ち」の文化を捨てて、何もかもやれ法律だ規制だ常識だという条文化、数値化された社会になってしまった。二人は持てる技術も気持ちもほとんど活用せずに社会の流れから外れてしまっていると言った。二人で2時間かかった仕事の代金は6千円だった。私は哀しいと思ったがそれに対して「ありがとうございました」という以外何もできなかった。「気持ち」に値段はつかない。しかし人の心を豊かにしてくれる。二人の存在に接し、消えゆく職人気質や伝統をモッタイナイと思った。「気持ち」と技術が融合する文化が消えかかっている。踏ん張れ、ニッポンの気持ち。

(写真:「気持ち、下」と言いながら作業する二人の職人)

 

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