以前からオランダでは、安楽死が合法化されているとうすうす知っていた。私にとって安楽死は、手の届かない別の世界の話だと思っていた。14日のネットニュースでオランダのドリス・ファン・アフト元首相が妻のユージェニー女史と5日、自宅で安楽死したという。夫妻は70年連れ添い、93歳で合法安楽死を選んだ。二人は手をつないで旅立ったという。元首相は、妻を「マイ・ガール」と常に呼んでいた。二人とも重い病気になっていた。
私は、オランダでは望めば、誰でも安楽死できると思っていた。しかしオランダは、2002年に安楽死を合法化するにあたり6つの条件をつけた。それをクリアして初めて合法的な安楽死が認められる。例えば、病気の苦痛が絶望的で耐えられない場合、合理的な他の解決策がない場合など。安楽死は、医師が薬物を投与する方法と、患者が調節自分で投与する方法がある。夫婦ともに安楽死を望む傾向が増えてきている。英国の「ガーディアン」によれば、2020年13組、2021年16組、2022年29組が共に安楽死した。
この記事を読んでいて、日本の文芸評論家江藤淳さんのことを思い出した。江藤さんは、1999年7月に自殺した。遺書に「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断する所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳」 当時、江藤さんは、奥さんを亡くされた後、悲しみ沈んで、奥さんなしでこれから生きて行けないと周りに話していたと何かの記事で読んだ。
キリスト教でもいろいろな宗教で、自殺は禁じられている。私もこの歳(76)になって終わりの日の近づいてきていることを感じる。妻も事あるごとに「絶対に私より先に死なないで」と言って私を困らせる。こればかりは、私がどうこうできることではない。年齢がひとまわり違うことも、今となっては、心配に拍車をかける。友人知人の多くが、伴侶を失っている。残された伴侶が、どれほど寂しい日々を送っているのかも知っている。オランダのように安楽死が、合法化されている国とは、日本は違う。理想として、夫婦が一緒に旅立つ、しかも手をつないだまま、まるで夢のようだ。でも忘れよう。いただいた命、自然に任せ、事切れる迄、前を向いて生きなければならない。それが私の罪深い生涯を清算できる残された唯一の方法である。
先立つ私が、妻に残せるのは、結婚以来36年間ずっと書き続けた日記、ブログだけ。妻が、私がいなくなったら、毎日、日記やブログを読んで、一緒に生きた日々に戻って欲しい。そして妻もいつか自然に息を引き取ってこの人生を終わらせてもらいたい。
去年の年末母が亡くなった。それ以来、墓じまいの話が出ている。私も長男も長野県へ戻る気がない。今AIが世界を変えようとしている。個人の頭蓋骨の3D 、望めば生前の顏が戻る、DNAの保存、声もしくは声紋、などの私が生きた証拠の個人情報を入れた記憶装置を寺などがクラウドで管理して永久保存する。遺骨は、樹木葬か集団墓地に埋葬する。今回の能登半島地震でも東日本大震災でも、墓地はもっとも被害が大きかった。壊れてしまう墓地より、電子化された私が寺の記憶装置に安置されていたほうがいい。後に残された人も余計な心配がなくなる。そしてなにより、記憶装置に後から来るであろう妻の情報が私の情報と合体されれば嬉しい。遺骨や灰になって墓に入るより電子信号として残りたい。夫婦一緒に安楽死より私は、それを望む。