以前、チュニジアに暮らしていた時、チュニジア人の友人から「日本人は口うるさい」と言われたことがある。私個人を指して言ったのではなく、日本人全般に対してだった。そのチュニジア人は、チュニジア政府から日本へ派遣されていたことがあった。その時知り合った日本人女性と結婚した。チュニジアに赴任した多くの日本人は、何らかの形で、この夫婦に助けられていた。私たち夫婦も、いろいろ世話になっていた。
それぞれの国の国民には、国民性というものがあると、7カ国で暮らした私は実際の体験から学んだ。確かに私自身、中途半端な潔癖症であり、またちっとも完璧でない完璧主義者だったかもしれない。他人に厳しく、自分には甘いと気づいている。偏差値が幅を利かせ、すべてが成績順で評価される。結果、上下意識に過度に敏感となった。日本で仕事をしていた時から、頑固で他人や家族に自分の考え方やり方を無理強いすることが多かった。再婚して妻の仕事の関係で、海外勤務に同行した。赴任地は、発展途上国が多かった。日本では考えられなかったが、国によっては、運転手、メイド、門番、ガードマン、庭師などを雇うこともあった。妻は、働いていたので、家の事は、私が担当した。日本で従業員を雇っていた感覚で、外国でも雇っていた人々に接した。口は出さなくても、心の中で常にどっちが上でどっちが下か意識していた。大きな間違いだった。その国その国の国民性や、働いてくれる人達の性格を理解することなく、日本人にしか通用しないことを押し付けてしまっていた。「郷に入っては郷に従え」という。寛容でおおらかに、その地の文化伝統を受け入れることがうまくできなかった。今思えば、自分のしていたことは、なんとも恥ずかしい。
数か月前、ラジオのニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」に経営評論家の坂口孝則さんがゲスト出演した。坂口さんは、「日本人は『口うるさい客』のせいで世界のマーケットで“日本外し”の動きがある」と語った。「日本人は『口うるさい客』」に私は、痛く反応した。チュニジアで「日本人は口うるさい」と言われたことがよみがえった。あの時も決して良い気分はしなかった。今回もグサッとこたえた。
坂口さんの話が続く。「…ぶっちゃけ日本儲からないから、日本を外しちゃって韓国とか違うところに寄って、アメリカに行こうみたいな動きがすごくある。その原因のひとつに日本人の「杓子定規さ」を指摘する声が多い。…東日本大震災の仮設住宅をめぐって、最終確認の段階で「釘の色が1本違う。全部、作り直せ」と言われたという。…こんなことやらせているのに、供給難とか笑わせますね。…世界では「すごく口うるさいような消費者として日本人は映っている。日本独特の規格の細かさや融通の効かない慣習があっても、これまでは高く買い取る“上客”だったが、今では様々な分野で「買い負ける」ことが増えており、海外勢からすると日本は“避けたい面倒な客”になりつつある。」
何か日本の悪口を言われているようで気分が沈む。私も海外で暮らして、いかに日本人が自分たちの杓子定規に固執しているか実感した。キュウリの出荷の際、真っすぐでなければいけない。商品の包装紙の折り目が正しいか、などなど。
“口うるさい”ことは悪いことではない。まだ日本国に勢いがあった頃、“口うるさい”“杓子定規さ”“完璧主義”が功を奏して、“Made in Japan”は、世界に受け入れられた。今はどうだろう。私が買った車も家電製品など欠陥品が多く、故障や不具合がある。不満。信頼を欠いている。
私は、日本の勢いがそがれたのは、小中学校の農繁休業での農家支援がなくなったことと、中学卒業時の普通科、商業科、機械科、農業科などへの成績順の振り分けが原因だと思っている。日本の製品が劣化したのではなく、日本の国民が劣化したと思う。今でも政治は、変わることなく、3流いや4流だ。今こそ、日本人は、自分たち自身に“口うるさく”なるべき時である。