団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

炎天下のサッカー応援

2023年09月12日 | Weblog

9月10日日曜日、東京へ孫のサッカーの試合の応援に妻と行った。台風13号の影響で、試合ができるか心配だったが、結局台風は上陸することなく太平洋上で熱帯低気圧になった。猛暑日が続いていたが、8,9日と気温が下がった。しかし予報では、10日から再び気温が上昇して東京は33℃を超えるとあった。この夏、暑さは異常だった。私は、ずっと夏バテで家に籠っていた。不要不急の外出は、避けるようにとのテレビから注意を守っていた。長男から、「○○の高校最後の試合になるかもしれない」のメールに万難を排して、応援に出かける決心をした。妻は、猛反対だった。私のどうしても行くとの主張に負け、妻が介助で同行するという条件で行くことが決まった。東京に住む長女の家族も一緒に応援にすると言って来た。ところが試合2日前に長女の小学生の子がコロナに感染した。長女一家は、自宅待機しなければならなくなった。試合後久しぶりに皆で集まって食事の計画もダメになった。長男一家と私たち夫婦での会食となり、予約の変更をした。

 当日、猛暑対策としてアフリカで使っていた紫外線よけの上着に帽子、日傘、水に濡らして体温を下げるショッキングピンクの布、凍ったペットボトル2本を用意した。電車とバスを乗り継いで、会場に着いた。私立高校の校庭が会場だった。立派な施設で地面は、人工芝で被われていた。今の高校は、こんなにも立派なんだと感心した。まだ前の試合が行われていた。日陰の涼しそうな場所を探した。観覧席はなかった。校庭の隅のコンクリートの仕切りの上に腰を降ろした。

 いよいよ孫の高校の試合になった。校庭の周りで前の試合を応援していた人々が、帰って今度は、次の試合の応援をする人々が入って来た。どうやら私たちが座った場所は、孫の高校の対戦相手の応援する人々の場所だったようだ。気にしない。孫の学校の名前が入ったT シャツを着た生徒が私たちの座っていた前を通った。私は、その中の一人を呼び止めた。「○○○○の背番号教えてくれる?」 他の2人を呼び止め、3人で校庭の反対側の練習を始めた孫のチームの選手たちを見て探してくれた。「8番です」 校庭は広く、選手の姿は小さくしか見えない。私は、メガネをしていても、小さな背番号までは見えない。

 試合が始まった。8番の選手が、目の前にいる。私たちの場所から5メートルくらいだ。声をかければ届く。でも声はかけない。余計な邪念は禁物。孫にボールが渡った。ドリブルして相手ゴールに切り込んでいった。コート端で、相手の選手と絡む。ボールを蹴りだし、相手選手をかわした。孫がボールを勢いよくゴールに蹴り込んだ。ゴ~~~~~ル。何と開始3分で孫がゴールを決めた。試合は、4対0で孫の高校が勝った。私は、クラブ活動で正選手になったことがない。長男もスポーツクラブに所属したが、鳴かず飛ばずだった。

 コンクリートの仕切りに長時間座っていた。日陰とは言え、紫外線を浴びた。妻は、以前熱中症になった時と同じくらい顏も出ている膚が赤くなっていた。日傘もショッキングピンクの布も防暑用品のどれもこれも守ってくれなかった。約2時間会場にいた。疲れた。でも高揚感があった。

 這う這うの体で会場から、駅周辺の約束の食事会場に向かった。長男一家が来た。4年ぶりの再会。主賓の孫は、私より10センチ背が高く、顔は私の半分。日焼けして精悍。おそらく私の家系で、一番身長が高い。スポーツがまるきしダメだった私と違って孫は、50人の部員がいるチームで正選手でゴールを決めた。出来過ぎだ。でも嬉しい。


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