高校の同級生、吉村君からの年賀状が1月1日元旦に届いた。新年の挨拶の隅に「昨年は3年ぶりにフルマラソンを走り何とか完走を果たしました(5時間代)今年も頑張ります(東京マラソン予定)」
私はすでに年賀状じまいをした。今では、受け取った賀状にだけ返事を書いている。こうして毎年律儀に年賀状をくれるということは、吉村君が達者である証拠であろう。
翌2日、今年も箱根駅伝がスタートした。正月は、このところスポーツ観戦するのが楽しみである。
テレビの正月番組は、同じ顔触れのつまらないおふざけものばかりなので観ない。漫才、コントなどは、正月特番で楽しむものだった。ところが今では、年がら年中お笑いタレントが出まくっている。これでは正月気分になれない。
スポーツは違う。実業団駅伝、箱根駅伝、高校男子サッカー、高校女子サッカー、高校ラグビー、高校男子バレーボール、高校女子バレーボールなどなど。熱戦が続く。
今年の箱根駅伝、いつもと沿道の応援が変わった。沿道にあれほどあった三色旗がない。昨年の統一教会の問題の影響かなと思った。実際は、主催者による「応援に関するお願い」と題した注意喚起によるものだった。「本連盟が認めた出場校公認応援団の活動以外での大学名の掲出はご遠慮ください。のぼり、横断幕、小旗、タオルの掲出、法被など統一した衣類などを対象とします」 私は、いいことだと思った。続けて欲しい。
箱根駅伝の見どころは、何と言っても小田原中継所から芦ノ湖のゴールまでの峠である。私の体から“走る”という機能が外されてしまった。私は歩くのさえ不自由を感じる。坂道など急に足首に重りを付けられたように感じる。階段も手すりがなければ登れない。箱根の峠の傾斜を凄いスピードで駆け上がる駅伝選手を見ていると、「これが私と同じ人間か!」と感動する。そして今年は、選手が皆吉村君に見えた。いくら吉村君でも、大学の駅伝選手のように坂を駆け上がることはできないであろう。しかし私と同じ歳の吉村君が42,195㎞をたとえ5時間代であろうと完走できることを実に羨ましく思う。
私は、毎年正月に1年の誓いとして「嫉妬・羨望・妄想からの離脱」と唱えてきた。もう何年続けていることか。抑え込んでも、じきに顔を出す。今、私が生きていること自体が奇跡だと思う。心臓バイパス手術の後、執刀医師が「10年前なら助かっていませんでしたよ。これから与えられた命を大切に生きてください」と言ってくれた。どうしようもない感謝しらずの私だが、正月のたびに心を入れ替えようとしている。