団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ネパール飛行機事故

2023年01月19日 | Weblog

 

  ネパールは、妻が医務官として赴任した最初の任地だった。2年半ネパールに暮らした。

 私は、日本人補習校で小学3年生のクラスを受け持った。生徒は、ネパール人と結婚した日本人の子と現地で働く日本人の子だった。全部で4名。日曜日ごとに授業があった。ある日、一人の子が欠席した。その子の父親が、飛行機事故で亡くなったと連絡があった。私の妻は、墜落現場からカトマンズの空港へ届いた残がいの中から彼の父親を捜した。大変な作業だった。結局遺体は見つからず、靴下を履いたままの足首から下だけが見つかった。この後、妻は、しばらく鬱状態に陥った。

  事故から2週間後の日曜日、その子がクラスに戻って来た。私はどう声をかけて良いのか分からなかった。平静を保とうとした。その子は、とてもおとなしく勉強もできる子だった。私以上に彼が平静を保とうとしているのが、見て取れた。他の生徒もいつもは、ふざけ合って騒がしいのに、その日はおとなしかった。授業が終わるとその子が私の所に来て、「先生、僕日本に帰国します。お世話になにました。」と言った。私は、何をどう言っていいのか分からなかった。

 日本から高校の同級生のK君がネパールに来てくれた。象や犀のいるチトワンや釈迦の生まれたルンビニ―などを巡った。K君は、どうしても自分の目でエヴェレストを見たいと言った。空港からエヴェレスト観光飛行があるというので、それに乗れるよう手配した。空港で見送って、到着時間に迎えに行った。待てど暮らせど、飛行機が戻って来ない。2時間が経った。飛行機事故?ネパールは、飛行機事故が多い。1992年の7月にタイ航空の311便が墜落して日本人乗客を含む113人が犠牲になっている。私の補習校で教えていた生徒の父親が亡くなった事故で、妻が遺体捜索での悪夢のようだった語った光景が浮かぶ。私の妄想は、最悪のことばかり。パニック。何の情報も流さなかった空港アナウンスが飛行機の到着を告げた。飛行機から降りてきたK君に抱き着きたかった。

 1月15日ネパールのポカラで、イエティ航空の飛行機が墜落した。乗客乗員71名死亡1名が行方不明というニュースがあった。私は、補習校の父親を失った生徒、遺体の捜索で泥だらけになって放心状態で帰宅した妻の表情を思い出した。墜落で失われた人々が、どれほどの恐怖であったか。そして突然の事故の遺族の方々の悲しみを想う。

 私たちがネパールで暮らした2年半、10回以上タイ航空に乗った。危ないかもと思ったことも数回ある。天候が悪く、インドのカルカッタ(現コルカタ)に緊急着陸したこともある。ネパールに訪ねて来てくれた家族友人は、多かった。今更ながら、皆無事でよかったと思う。今でも、乗った飛行機が、ネパールのトリブバン空港へ着陸態勢に入って、山々の頂きスレスレに降下する光景を夢でみることがある。飛行機が、世界最高峰のエヴェレスト目指して突っ込んでいく途中で目がさめる。


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