団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

鮟鱇

2022年11月15日 | Weblog

  旧ユーゴスラビアに住んでいた。当時国連による経済封鎖が続いていた。私の日課は、市場での買い出しだった。市場には、密輸された品物(タバコ、菓子類、化粧品など)が数多く売られていた。ガソリンや石油は、経済封鎖の影響で入手困難だった。ガソリンスタンドは、いつも長蛇の列。闇のガソリンを1リットルのペットボトルに入れて売る人たちが、道路端によく立っていた。もともと農業国だったので、基本的な食料(小麦粉、野菜、肉類)は豊富だった。外国人は、国境を越えて、ハンガリーやオーストリアへ買い出しに行くことができた。それでも入手困難だったのは、海で獲れる新鮮な魚だった。ベオグラードには、ドナウ川とサヴァ川二つの大きな川が流れている。淡水魚の鯉が獲れる。市場の魚屋には、鯉が売られていた。現地の人々は、ドナウ川はドイツの下水路で、水が汚染されている、と言って魚を食べないと言っていた。私も一度魚屋が養殖の鯉だと言うので、買ってみた。日本で佐久鯉を食べていた私には、とても満足できる鯉ではなかった。

 ある日、市場の魚屋に珍しく地中海の魚が並んだ。そこで鮟鱇に似た魚を見た。店の人にこの魚は何?と尋ねた。「Monkfish」と答えた。確か「Monk」は、修道士。そういえば、よく映画に出てくる欧州の修道院の修道士は、裾の長い、フード付きの衣服を身に着けている。あの姿に似ているからかな、と思った。いずれにせよこの機会を逃したら、いつまた新鮮な魚を口にできるか分からない。値が張るが、経済封鎖中のベオグラードで鮟鱇鍋もいいだろうと買った。白菜とキノコ(マッシュルーム)、豆腐も買った。丸ごと買った鮟鱇。普通のウロコがある魚と違って表面はヌルヌルしている。調理したことなど一度もない。日本から持ってきた魚の調理本を参考にして調理した。鮟鱇は、捨てるところがほとんどない。ウロコ取りをしないだけでも楽である。骨で出汁を取った。ベオグラードで鮟鱇鍋。美味かった。海外にいることをしばし忘れた。

 昨日、行きつけの魚屋で鮟鱇の切り身を見つけた。きれいに下処理がされ、パックに入れられラップで覆ってある。ベオグラードの魚屋の鮟鱇とは違った。きっと相当大きな鮟鱇だったに違いない。肝が大きい。魚屋に来ると、つくづく日本は魚文化の国だと思う。

  このところ冬の気配が強まってきていて、なべ物やおでんが恋しい季節になってきた。鮟鱇鍋にしよう。鮟鱇を湯通しする。ネギは下仁田ネギ。太いネギをぶつ切りにして焼いておく。エノキ茸、豆腐。あとは鍋に入れるだけ。鮟鱇の身は、熱を入れすぎるとボソボソになるので、火加減に注意する。鮟鱇鍋に必要な物、今は、何でも手に入る。不自由な生活も悪くない。経験しておくと、何でもない普通が、いかに恵まれた境遇であるか、よく分かる。

  2023年1月、世界最高峰のフランス料理の世界大会『ボギューズ・ドール国際料理コンクール』が開かれる。そのメイン食材に選ばれたのが“鮟鱇”と“ホタテ”。付け合わせが“ムール貝”と“豆類”。いったい鮟鱇が世界最高峰の調理人たちによってどのような料理になるのか楽しみである。鮟鱇の見かけで敬遠する人もいる。人も同じ。見かけだけで判断してしまったら、その人の人間性を知ることなどできない。人を知るには、一緒に食事をするのも良い方法である。コロナは、その手段さえ私たちから奪ってしまっている。悔しい。


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