団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

世界一正確な鉄道

2022年11月11日 | Weblog

 「電車またまた遅れています。私が乗る電車だけ何で送れるのかわかりません。今15分遅れ。……」 私は、妻から“遅れるメール”がない限り、妻が乗る電車の到着5分前には、駅前に車を停めて待っている。最近、“遅れるメール”が多い。

  私は、夕方5時から夕飯の支度を始める。調理中、携帯で妻からのメールをチェックすることができない。大体の準備ができるのが、妻が乗る電車が駅に到着する20分前くらいだ。普段、私の日常は、同じ時間、同じ行動で回っている。さあ家を出ようとしている時、携帯でメールを確認する。メールがなければ、時間どうりだということになる。入っていると遅れるの合図である。毎日、何事も起こらなければいいのだが、そうは問屋が卸さない。ひとたび毎日同じ時間に同じことを続けていると、それが何らかの理由で変わると調子が狂う。たった10分15分であっても、その時間をどうするかは、私にとって大きな問題だ。時間を見計らって作った夕飯の料理も冷めるだろう。イライラの原因となる。

  日本人は時間に厳格だ。最近枝久保達也(鉄道ジャーナリスト)さんの『世界一「時間に正確な鉄道」はなぜできた?実はルーズだった日本を変えたのは…』を読んだ。鉄道の定時性が確立したのは、国鉄のお陰だという。本来、日本人も時間に鷹揚だった。何か約束しても、なかなか時間どうりにことが進まなかった。蕎麦屋の出前のようなもの。明治以降に日本全国に鉄道がどんどん普及していった。そんな中、私鉄では、従業員の遅刻を1時間超えた場合としていた。ところが国鉄は、全国に鉄道網を持ったので、列車の遅れは、全国的な混乱を起こし、営業にも大きな負の影響をもたらした。国鉄は、“遅刻”の判定を定刻以内と決めた。これが鉄道の定時性を生んだという。

  確かに日本の鉄道の正確さは大したものだ。私が学んだカナダのアルバータ州の小さな町を通っていた鉄道は、1日に1本だけ。列車が遅れるの当たり前、それも1時間なんて良い方で、3,4,5時間当たり前だった。日本の新幹線は、2,3分に1本走っているのではと思う程である。驚異である。よくこんなことができると思う。海外からの旅行客が新幹線の写真を駅で撮っている光景を目にする。頻繁に通過到着を繰り返しているので、写真が撮りやすいと評判だ。新幹線の列車そのものも彼らを喜ばせるが、少ない時間差で猛スピードで尚且つ正確に運行できる方式に驚嘆している。その方式が観光の目玉になっているというから驚きである。

  妻も新幹線通勤である。たまに遅れることもあるが、在来線ほどではない。昨日も新幹線に乗っている時間より、途中の在来線への乗り換え駅での待ち時間のほうが長いとこぼしていた。

  在来線の遅れの理由は、「線路内に人が立ち入った」「信号トラブル」「異音がしたので点検」「人身事故」が多い。よく日本人は、完璧主義者だと言われる。しかしそれも遠からずなくなるであろう。以前できていたことが、できなくなる。これは、私たち日本人の劣化なのか。それとも能力以上に無理をし過ぎている反動であるのか。警告灯が点滅している気がしてならない。


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