団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

甲子園 応援席のユニフォーム

2022年08月17日 | Weblog

  コロナ第7波の影響で自粛生活が続いている。散歩と買い物以外は、家にこもっている。そんな生活を可能にしてくれているものがある。テレビのスポーツ中継とYouTubeである。大谷翔平選手が出場するアメリカ大リーグの中継は、コロナ禍にあることを忘れさせてくれる。時差の関係で、早い日は、午前3時頃から、普通はだいたい9時か10時に始まる。加えて甲子園の高校野球が始まっているので、テレビの前に釘付け状態である。

 大谷翔平選手の活躍は、本当に素晴らしい。アメリカで暮らしたことがある日本人は、みな多かれ少なかれ人種差別を経験していると思う。私は、カナダにいたが、アメリカ人の多い学校だったので、差別された経験がある。大谷翔平選手もきっとイチロー選手や松井秀喜選手のようにいろいろな差別を受けているに違いない。しかし結果が全てである。前人未到の投手と打者の2刀流で、活躍している。そして彼の評価は、高まる一方である。コロナへの恐怖、ウクライナへのロシアの侵略、中国の台湾への武力による併合の動きなどを、私から一時的に払拭させてくれる。カナダで受けた差別さえ帳消しにしても良いと思わせる。

 大リーグの中継が終わると、高校野球にチャンネルを替える。かつて大谷翔平選手も春夏2度甲子園に出場している。今年、高校球児の中から大谷翔平選手のような逸材がいるか探すのも楽しい。ただスタンドの出場校の応援席の映像を見ると、物悲しくなる。各校ベンチ入りできる選手は、20名だけである。応援席には、ユニフォーム姿の野球部の部員がいる。例えば大阪桐蔭高校の野球部には、61名の部員がいる。ベンチに20人入れば、スタンドには41名いることになる。私が中学校の野球部に入った時、最初90名くらいいた。団塊世代の走りで、人数は多く、競争が激しかった。時間がたつにつれ、部員は、減っていった。私も2年生で家族に黙って野球部を辞めた。

 先日ネットのニュースでこのスタンドの応援席にいるユニフォームの部員に関する記事を読んだ。ライターの広尾晃さんは「学校の部活が試合に出られない選手を大量に生み出している。こんな光景を美談としているのは日本だけだろう。だから野球離れも止まらない」と書いている。私は、カナダの高校へ留学した時、学校のスポーツチームが、シーズンごとに編成されるのを知って驚いた。クラブ活動でなかった。優秀な選手は、バスケット、フットボール、アイスホッケーと学校代表選手として活躍していた。日本では学校の部に所属して、そのスポーツだけに専念しなければならない。日本のスポーツは、“道”なのである。「一度決めたらどこまでも」が尊ばれる。融通が利かない世界になっている。途中で止めれば、そこで多くの場合、道は絶たれる。

 日本の慣習を改めるのは、難しい。私は、高校野球を3部制にしたらどうかと考える。プロ野球にもサッカーにも1部2部がある。甲子園の高校野球を朝日新聞主催なら、他の主催者が2部3部を設けて、甲子園に登録されなかった部員のチームで闘う。登録されなかった選手は、甲子園のスタンドにいる必要はない。日本に野球場はたくさんある。観客も応援団もいなくても、野球はできる。野球をするために努力したのだから、野球をして部活動を終了させる。もしかしたら、2部3部から大谷級の選手が出てくるかもしれない。多くの才能が、見つけられないまま、日本では、消えていく気がしてならない。


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