団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

魚の骨

2022年06月10日 | Weblog

  入院中、病院食に魚の煮つけが出た。骨に気をつけようと箸で探った。そうでなくても誤嚥が多くなった。骨が喉に刺されば大ごとだ。子供の頃、魚の骨が喉に引っかかると、親は、ご飯を丸めて噛まずに飲み込めと言った。確かにこれは効果があった。しかし今、私の年齢でこれをするのは、大変危険である。念には念を入れて骨を探る。ない!骨がない。

 

 病院に入院すると、保険請求額を増すためか、いろいろな“指導”が入る。歯医者で歯磨きの仕方の指導のように。数十年前と比べて、入院日数が短くなった。これは良いことでもあるが、弊害もある。私のように別々の治療のために間をあけて、入退院を繰り返すと、そのたびに指導が入る。薬剤師、栄養士。同じことを短期間で繰り返されると気がのらない。3回目の入院時、栄養士が来たので、こちらから質問をした。栄養士も話すことに事欠いていたのか、嬉しそうな反応を示した。「どうしてここの病院で出される魚に骨がないのですか?」 栄養士「入院患者にはお年寄りもおられるので、もともと骨を抜く処理をした魚を使っています」

 

 以前、京都の料亭の経営者の話をテレビで聞いた。「私どもの料亭には、魚の骨を抜く専門の調理人がいます。お客様に骨があるまま料理をお出しすることは絶対避けなければならないからです。その調理人は、魚のことを熟知していて、どこにどういう骨があるかまで知っています……。」 感心した。そこまで気を使う。さすが京都の高級料亭だ。

 

 ということは、病院も京都の高級料亭と同じ事をしているということか。栄養士の話を聞いていて、高級料亭の客になった気分がした。なぜなら私は、新鮮な魚をその都度、丸ごと買う。調理寸前にウロコを落とし、エラや内臓を処理する。これは面倒くさい。面倒くさいが、魚を美味しく食べるためには仕方がない。でも骨の処理は、しない。しないというより出来ない。きっとテレビによく出ている“サカナくん”なら上手くできるだろう。食べる時、自分で骨を取り除くしかない。

 

 私の父は、魚の骨を取り除く名人だった。焼いた鮎や焼いたサンマの骨抜きは、手品のように見事だった。箸で頭をおさえて、全てのヒレを除き、尾をちぎり取って、そのまま頭から骨を抜き取った。サンマも同じ要領できれいに食べられるところだけ残してくれた。1年に数回婚礼でもらった焼いた鯛の骨は、もっとも危険と言って、子供たちの分も、きれいに骨を取り除いてくれた。鯛の骨は、美味いと言って、コンガリ焼いて、晩酌のおつまみとしてボリボリ食べていた。私も鮎やサンマの骨抜きに挑戦しているが、74歳になっても父のように、きれいに骨抜きができない。

 

 留学したカナダの全寮制の学校の学食では、毎週金曜日、魚が出た。箱に詰められた皮も骨も内蔵も処理された冷凍品を調理したものだった。生徒の多くは、魚を食べたことがなかった。魚は箱に入った四角い食べ物だと思っていたと冗談のような話もあった。肉しか食べないと多くの生徒が言っていた。そういう生徒たちは、魚を馬鹿にしていた。

 

 現在、日本での魚の消費は、減る一方だという。そこで“骨抜き”加工された魚が多く流通している。問題なのは、日本で獲った魚を冷凍して、タイなどの外国に送って、安い労働力を使って、処理加工していることだ。魚の骨は、確かに喉に刺されば危険だ。特に年寄りには、命に関わる問題である。子供の頃から、魚の骨を上手に取り除けるようにするしか方法はない。危険を避けるには、骨を取り除く自信がなくなったら、刺身や魚肉ソーセージや蒲鉾やさつま揚げなどの代用食品にするのも手である。

 

 私は、まず目で骨を見つけようとする。次に箸で骨を探る。あれば箸や指で取り除く。できるだけ小さくして口に運ぶ。まず上下の唇を魚に押し当てて、骨の存在の有無を確かめる。これは一番効果的な方法だと思っている。口の中に入れたらよく噛む。舌や歯は、結構敏感に骨を感じる。まだ食い意地だけは、残っている。生意気にも、食材そのものの味わいや食感を楽しもうとまで思っている。もうしばらく、骨がついたままの魚を食べていたい。

 


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