車を変えた。1300ccを1000ccにした。私が車を使うのは、妻の駅への送迎と買い物だけである。長野県の実家に車で帰ることもない。運転にも寄る年波の影響がでてきている。老人が運転する車で若い人々の命を奪う悲惨な事故が全国で多発している。コロナも恐いが、交通事故も恐い。自分が加害者にならないよう、肝に銘じている。
とは言え、新車はいい。新車の何とも言えない独特のニオイがいい。徹夜明けに飲むコーヒーの香りのように、気分を良くしてくれる。前の車は、3年間乗った。この3年間で多くの改良と進展が加えられた。私が一番困っていた、後進する際のモニター画面が、より見やすくなった。画面中央に青い線が一本加えられただけだが、この青い線が力強く老人の後進を援護してくれる。
車の名前は、ヤリスという。以前はヴィッツだったが、欧米でヤリスとして販売していたので、世界統一名称に変えた。私は、旧ユーゴのベオグラードに住んでいた。大使館のスルジャンという現職員と知り合った。私たちは日本からシェパード犬を連れてきていた。ベオグラードでは集合住宅に住んだ。犬に集合住宅は、けっして良い環境ではなかった。ネパールでもセネガルでも一軒家で庭があった。犬は土の上が好き。ベオグラードへ移ってから、元気がなくなった。スルジャンはもと水球の選手。体が大きいだけでなく、特殊な能力を持った人だった。動物と話すが事ができるのでは思えるくらい、すぐ動物と打ち解けた。彼が私たちの犬を彼の家に預かってくれることになった。私は犬に会うために、せっせと彼の家に通った。
次の妻の任地がチュニジアに決まった頃、彼は車を買った。ヤリスだった。大きな体を小さなヤリスに押し込んでいた。真っ赤なヤリス。彼は日本の車を買えたととても喜んでいた。転勤の日、私たちは車でチュニジアへ向かった。スルジャンは犬と別れるのが辛そうだった。犬も車の中だった。スルジャンが、高速道路の脇道を、真っ赤なヤリスで手を振りながら追って来た。私はその光景が目に焼き付いている。今回車を替えるに当たって、ヤリスという名前が、決め手となった。性能、スタイルから言えば、他の車にどうしても目が行ってしまう。年齢的にもう車の運転を楽しむ年齢でもない。ここはスルジャンが乗っていたヤリスにしようと決めた。
車の色は、スルジャンと同じ真っ赤にしたかった。販売店の人と話した時、明るい青が一番目立つと言われた。暴走老人になるかもしれない私が、青い目立つ色の車を運転していれば、歩行者、対向車線を走る他の運転手にも認識してもらえそうだ。もう好き嫌いや趣味嗜好を、とやかく言っていられない。加害者にならぬなら、恥ずかしいなどと言っていられない。
これが最後の車だともう3台前から言っている。その間、アクセルとブレーキの踏み間違いも一度経験した。車庫入れでまっすぐ入れたと思っても、外に出て見てみれば、ずれて曲がっていた。脳と手と目が、それぞれの主張が食い違う。
妻に「アリスがさあ…」と言った。「アリスってなあに?」 いけね、車の名前もちゃんと言えないとは。