「飲食業をしている友達が、なかなか売り上げが伸びず、悩んでいるのを慰めようとして、マコさまは、何か気の利いたたとえ話をしようと『いい、今は長い上り坂を登っているようなものよ。ね、苦しくてもさ、その坂を登り切れば、あとはコロゲおちるだけだからさ(山梨県 ソラシ堂さんの投稿)』」(11月8日ラジオ ニッポン放送 三宅裕司のサンデーヒットパレード うちのマコさま) 三宅裕司のツッコミ:「ちっとも慰めになっていないよ。」
このところ散歩には、うってつけの天気が続いている。雨さえ降らなければ、毎日最低5千歩を達成するために外に出る。悪化する脚の動脈硬化をくい止める最後の砦なのだ。何としても脚の切断だけは避けなければならない。とは言いながら、私のズル精神は、衰え知らずに健在している。
私が在籍した高校では、年一回市内を全校生徒が走るマラソン大会のような催しがあった。私は、走ることが大嫌いだった。短距離も長距離もまったくダメだった。父も姉も脚が早かった。姉は、県記録を出したほどだった。私には何故かその血が入らなかった。走ると必ず脇腹が痛くなった。高校の同じ組に、私と同じように走ることを嫌う者が少数いた。走る会で、先頭からすでに相当遅れた集団にいた私たちは、ここで暗黙の了解のもと、ズルをした。勝手知ったる市内である。抜け道、近道は、しっかり皆の頭に入っていた。コースから離れて、相当な距離を挽回して成功かと思われた。自転車で見回っていた担任に見つかった。酷い言葉で罵倒され、こっぴどく叱られた。ますます走ることが嫌いになった。
コキゾウになった私は、すでに走るということとは無縁である。散歩でもできるだけ歩きやすい道を頭ではじき出している。最近気に入っている道順は、最初避けている坂道を少し登る。息が荒くなり、心臓が音をあげる。脇を車がスーッと通り抜ける。歩いている人にも抜かれる。中には走って私を抜いてゆく人もいる。心が乱れる。でも我慢。「♪何だ坂こんな坂♪」と唱える。折り返し点と決めた場所に出る。そこからは下りが長く続く。これがたまらない。
歩きながら、高校の同級生の今は亡きD君を思い出す。D君は、往復4時間かけて通学していた。とても優秀で成績が良かった。難関大学にも合格して進学した。毎日電車の中で予習復習をしたという。それなのに通学時間5分だった私は、彼の10分の1の勉強もしなかった。坂のない平坦なところでノホホンと暮らしていた。彼の話は、面白かった。話し上手だった。家から駅までは、数十分で帰りの坂道は、1時間ほど自転車を押して帰ると、身振り手振りで話した。自転車のブレーキは、1カ月もたないほど急速に減ってしまう。時々ゴムがなくなり、煙と火花が出ると。そのD君も若くして鬼籍に入ってしまった。
ズルしながらもまだ私は生きている。感謝なことである。散歩しながらいろいろなことを考える。D君をはじめ、私より早く逝った人々が浮かんでは消える。時々坂道をふらつきながら登り、下る。同じことの繰り返しに不平を言い、コロナに悪態つく。私の人生、峠はとっくに過ぎた。あとはコロゲ落ちるだけ。それでも、コロゲながら、身の回りのやり残したあれこれに手を伸ばし、ブレーキのゴムのような人生の残り時間を減らしながら掴もうともがく毎日である。