団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

消せるボールペン

2015年05月18日 | Weblog

 市役所にある書類の変更手続きに行った。女性職員が親切に対応してくれた。書類が机の上に用意された。書き込んで捺印すれば終了である。カバンから筆入れを取り出した。気の利く女性職員は、ボールペンを私に差し出した。「自分のボールペンの方が書き慣れているので」と弘法筆を選ばずの逆の反応をした。たいして字がうまいわけでもないが、筆入れから自分のボールペンを出し、しっかり握りしめて書類の氏名の欄に書き込もうとしたその時、女性職員が待ったをかけた。「そのボールペン、消えるボールペンですよね」「はい、そうですが。それが何か」「ハイ、消せるというのが問題なのです。後で書き直せますから。役所の公的文書には使えない事になっています」 なるほど。重要な書類を故意に書き直したら大変である。便利は犯罪に使われる可能性もある。女性が手渡してくれた消えないボールペンで書類に書き込んだ。

 ボールペンには苦い思い出がある。日本の高校2年生でカナダの高校へ転校した。カナダの高校で最初に数学のテストを受けた。日本の高校では数学の成績は悪かった。しかしカナダの高校で数学はまだ日本の中学レベルだった。私は中学3年の11月から肝炎で入退院を繰り返し、高校受験前日まで入院していた。学力の遅れは歴然だった。それでも入試に合格してしまった。肝炎になる前までは数学も何とか授業についていけた。私はスラスラ問題を解いた。内心100点満点と自負した。

 テストが採点されて戻された。100の数字の代わりに“F”と記されていた。カナダの私が学んだ高校の試験評価や成績表はA+、A,A-、B+、B、B-、C+、C、C-と続き不合格がFだった。つまり0点ということだ。各教科の教師には採点や試験問題作成を手伝う大学部の学生の助手がいた。私のテストもその助手が採点したものだった。まだ日本から来たばかりの私は英語で尋ねたいことを聞けることはできなかった。しかし熱弁をふるう助手の説明は、鉛筆とボールペンの両方を見せ、鉛筆不可、ボールペンのみ可と雰囲気で理解した。鉛筆で書き込んだ答案用紙は採点対象にさえされなかった。日本の高校のテストでボールペンは使えなかった。日本の高校で使っていた筆箱を私はそのままカナダに持ち込んでいた。もちろん筆箱にボールペンは入っていなかった。

 所変われば品変わる。日本からカナダへと環境が激変した中、緊張しっぱなしの私はFを見て、日本でもカナダでも結局成績は変わりないとそれからの成績低迷を思い落胆した。筆箱がボールペンだけになり環境に慣れると、数学にも自信を取り戻せた。前期に4人いた数学の履修者も後期が始まった時、私一人になっていた。他の学生は及第できず選択科目を変えていた。教師と助手、教える側は2人で生徒が私一人だった。夢のような授業を受けられた。日本の三角関数で落ちこぼれ、カナダの二次方程式で自信を取り戻せた。日本では数学の追試の常連だった私が数学でA+をもらった。日本の高校の教師も同級生も絶対にこんなこと信じられないと思った。つまりある環境でダメな劣等生と決めつけられても、環境を変えれば異なる評価やチャンスが発生するかもしれない。私は日本の自信を失って肩をうな垂れている学生に言いたい。世界は広い。環境を変えることによって、思わぬ進展がありうる。日本でダメなら世界へ出てゆこう。自信を取り戻せば、人生は変えられる。

 私は日本の高校での成績を消して、カナダの高校で新たな成績に挑戦できた。消せるボールペンは素晴らしい発明である。人生において過去は消せない。しかし生きている限りやり直しは何度でもできる。友人からのメールに『今こうして人生の4分の3以上生き、我が人生を振り返ってみたら、“我が人生に悔いなし、我が青春に悔いあり。”総括して「まあ、いっか!」だね。』と書いてあった。私の人生もそうであってほしい。

 消えないボールペンを女性職員に返して書類を提出して手続きを終えた。


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