団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

殺人放火事件

2015年04月24日 | Weblog

  小心者の私はこの3日間自分の影にさえおびえている。地下駐車場、無人自転車置き場、集合住宅内の階段。鉄パイプを持った犯罪者が陰に潜んでいて襲い掛かって来るのではと気が気ではない。なぜなら私の家から近くにある町で21日に殺人放火事件が起きたからだ。犯人はまだ捕まっていない。私は事件が起こった町の住民ではないが、生活の多くを依存してお世話になっている。他人ごとではない。

 犯人が今現在(24日金曜日午前5時)逮捕されないのは、初動捜査に問題があったと私はみている。その原因は警察官の数が不足しているからである。事件が起こった町に警察署はない。あるのは交番である。警官が2名1組交代で常駐している。

 殺人との関連性は立証されていないが、20日の深夜アパートに住む61歳の男性が20代の男に後をつけられアパートの部屋に入られ鉄パイプで大けがを負わされた。男性は警察に通報した。ここで都市の警察署のように大勢の警察官が動員されていれば、おそらく別の場所での殺人は起きなかったであろう。たった数人の警察官にできることは限られる。

 犯人はこの辺の地理に明るい者だと私は推測する。なぜなら最初の男性に大けがを負わせた場所は土地に不案内な者が行きつける場所とは思えないほど入り組んでいる。JRの駅からそのアパートへ行くのは、いくら被害者男性の後をつけたとしても考えられない。そこから数百メートル離れた小さな公園で犯行に使われた金属製パイプが発見された。アパートから夜中に公園へ行って凶器を捨てた。通りすがりに偶然見た公園ではなさそうだ。その公園から一人暮らしの老女が住んでいた家に行くのも裏道伝いである。土地勘のない人が歩ける道ではない。

 私も家から歩いてそのJR駅に行くときその家の前を通る。近道であるし交通量が少ない。道すがら家々と庭を見て楽しむ。犯行現場の放火された家の窓の下にはいつも季節の花々がプランターに植えられていた。家はJRの線路のある高台の真下にある。家の駅側の空き地と土手には季節ごとに草花が繁茂する私のお気に入りの場所だ。その女性に会ったことはなかったが、花の手入れがこまめにされていたことから、人柄が偲ばれる。あのような残忍な殺され方ときれいな花々がどうしても結びつかない。むごい。

 駅のそばであることから犯人は逃走することを計算していたとも受け取れる。犯人には土地勘があり、現在はここに住んでいないがここで過去に暮らしたことがあるのではないだろうか。いずれにしても早く犯人が捕まることを願っている。

 こちらに引っ越してきてから驚いたことがある。東京や大都市では駐車違反を厳しく取り締まっている。警察官ではない駐車違反専門の交通指導員さえ多くの都市では配置されている。ところがこちらでは駐車はどこでも野放しで警察の取り締まりもない。信号にも従わない。歩行者は道路を縦横無尽に渡る。ここが法治国家日本なのかと首をかしげる。

 殺人事件以来町全体が変わった。警察官が多い。警察車両があちこち走り回っている。マスコミ関係者や中継車が来ていてニュースで町の名前が頻繁に出る。スーパーへ行けば客が少なく売れ残り商品に割引シールがペタペタ。夕方の駅の出迎えは普段の4,5倍で大渋滞。夜になれば人影が消える。我が家の隣の寺の駐車場で車上生活していた女性も事件以来いなくなった。

 26日投票の町長と議員補欠選挙の選挙カーもボリュームを下げている。あらゆる都市機能がマヒしている。事件がきっかけで人々の危機管理が高まっているようだ。首相官邸さえ屋上に1週間もドロンが落ちていたのを発見できない。自分の身は自分で守るしかない。それにも限界がある。効能はともかく、昨日私は防犯用サンサーライトが古くなっていたので、新しくものに付け替えた。


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