団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

リフォーム

2015年04月16日 | Weblog

リフォーム

 私の老化も進んでいるが、家や備品も劣化してきた。3月に温水器、シャワーヘッド、台所の蛇口、カーテンを取り換えたばかりである。8年間乗った車もリースの小さな車に替える手続き中で20日には新車が届く。車が納車されるまでレンタカーを借りている。今年の春は次から次といろいろなモノが交換される。人生でこれだけの一度にあれこれ取り換えることは、そうあることではない。金もかかる。

  14日は朝からエアコン2台の取り付けとドアのチョウツガイや取っ手の取り換えをエアコン業者、電気工事業者、建具屋さんが来て作業してくれた。総勢5人。

 エアコンは11年前のモデルで電気ばかり喰って能力は低い。3年前の夏の猛暑の時、ダウンしてただの送風機に変わり果てた。それだけならまだ我慢できたが、室内機からの漏水にはお手上げだった。当時業者に見積もってもらったら壁をすべて剥がして工事しなければならいので百万円以上かかると言われ諦めた。今回はこの集合住宅を設計した会社に頼んだ。すると壁はそのままにしておいて既存の電気配線と排水管の空間を使って新しい配線と排水管に換えることができた。エアコン業者はエアコンが大好きというだけあって知恵と機転を働かせて難しい工事を6時間で終わらせた。“好きこそ物の上手なれ”の見本のような人だった。費用は3年前の見積もりの半分以下だった。

  建具の職人は一人だった。黙々と作業を進めた。以前違うリフォーム会社がドア全体を取り換えなければいけないと言ったドアを部品を取り換えるだけで直した。古い部品を外して、そこの凹を木片で埋めた。細かい仕事である。器用に手際よく3枚のドアを見事に修理した。洗面所の入り口の引き戸は湿気で膨張したのか相当力を入れないと動かなかった。建具屋さんは大きな引き戸を外して、いろいろ寸法を測ってから鉋で削り始めた。何回もはめたり外したりして滑り具合を点検して直してくれた。洗濯機が入っている納戸の折戸もたたみ具合がしぶく取り付けも不安定だった。しばらく考え込んでいたがねじ回し1本で洗濯機を買った電気店の人が壊す前の状態に戻してくれた。ただただ職人の巧みな腕に感服した。

  数か月前に町田に住む友人が基地の騒音対策で家中のガラスを二重ガラスにしてエアコンをつける工事を国がやってくれたと嬉しそうにその書類を見せてくれた。総額500万円を超えていた。全額国の補助金だという。我が家のリフォームは全額自己負担である。いったい国はどうこれらの費用を捻出しているのか不思議である。国の借金は1000兆円を超えると騒いでいるのに。

  それでも身の周りのモノが新しくなったり修理されると気分がよくなる。修理されたドアも直す前、ドアが外れて倒れてくるのではと、おっかなびっくり開け閉めしていたが、安定した。グラグラして抜けそうだった取っ手も新しいモノに換えられ、閉まる時「カチッ」という音が小気味よい。願わくば私の身体のあちこちに起こる不具合もリフォームできると良いのだが。人間の不具合な生きた器官部分を取り換えることはできない。せいぜいこのままの状態を医師の診断を受けながら騙し騙し長持ちさせるしかない。人間は再生できない。人生に終わりがあるのだからこそ、今、生きていることに価値がある。

  力をこめて開け閉めしていた引き戸、つい力を入れるので勢いよく滑り開く。指を挟みそうになる。習慣は恐い。それでもリフォームされた家の中のあちこちで喜びを感じる。窓の外のセコイアが芽吹き、八重桜が満開である。黄緑と濃いピンクのコントラストが美しい。自然も春の衣替え真っ盛りである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする