団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

4月12日大地震の予言

2015年04月14日 | Weblog

  4月10日テレビのニュースで茨城県鉾田市に多数のイルカが打ち上げられたことを知った。いろいろな専門家がイルカの不可解な行動を論じた。私が彼らの話を聞いていて思ったのは、まだまだ解明できないことが多いのだなということだった。その夜ネットでイルカのニュースに進展があったか検索していた。「地震の前兆か?」の見出しに誘われてそこをクリックした。

  つぎのようなことが書いてあった。ゲーリー・ボーネルなるアメリカ人が4月12日に静岡県伊東市近辺で震度9の大地震が起き、数日後東京で直下型地震が起き甚大な被害が出ると予言したとあった。ずいぶん具体的に地震が起こる時間、場所、地震の規模を言っているな、と不信感が湧いた。伊東市にそれほどの規模の地震が起これば、同じ相模湾に面した海の近くに住む私たち夫婦も地震と津波の影響を受けるのは必然である。しかし心配させるといけないので妻にはその予言のことは言わなかった。

  妻は10日から3日間、横浜で開かれていた所属する学会に日帰りで参加していた。どこで知ったのか地震の予言のことを知っていた。土曜日の夕方5時半から友人宅のシャクナゲの花見に招待された。奥さんと娘さんの手料理で楽しい時間を過ごした。伊東と東京の地震の予言の話が出た。やはりネットで知ったという。東京に嫁いだもう一人の娘さんに絶対に地下鉄に乗らないよう電話したそうだ。これが最後の酒盛りになるかもしれないとみな心の片隅で考えていたようだ。妻は「明日は学会に出席しない」と帰宅すると言った。「3・11の時、私は病院。貴方は家だったでしょう。あの時死ぬなら一緒にいたかったと思った。予言が当たろうが外れようが構わない。後で後悔したくないから」 

  12日、私たちは午後友人から「タケノコ採って来て茹でたから届けに行く」と電話がきた。届けてもらうのは悪いと思い、車でいただきに伺った。まだ温かかった。タケノコご飯と筑前煮を二人仲良く台所でつくった。電気釜で2回炊いた。冷凍しておけばしばらくタケノコご飯が楽しめると思った。「でも地震が来れば・・」 そんなこと言うのを止めた。人間いつかは死ぬ。二人で一緒に死ねるなんて、そうだれでもできることではない。タケノコご飯も煮物も美味かった。すでに12日は18時間過ぎていた。結局就寝するまで何も起こらなかった。

  予言は人間社会に溢れている。私が7,8歳の頃、近くの橋の下に住みついたホームレスのおじさんは「じきに地震が来て地面が割れてみんな呑みこまれる」とブツクサ独り言を言っていた。あれだって予言の一つ。もうあれから60年が過ぎた。人は誰だって恐怖、心配、不安を抱えて生きている。不思議なこと未知なことはたくさんあるが、自分という存在と妻の存在は事実である。二人が出逢えて夫婦という関係になれたことを感謝している。私が存在した意義はそれで充たされる。予言のおかげで再認識できた。貴重な日になった。12日の日曜日は妻と一日中一緒にいた。今日、14日の朝も目が覚めた。隣に妻がいた。まだ二人とも生きている。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする