団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ハワイ旅行 ①空の旅編

2011年09月07日 | Weblog

 昨日無事ハワイ旅行から戻った。時差は、心配していた通り私をおおいに苦しませた。日本を出発したのが夜7時だった。飛行すること7時間あまりでハワイに到着した。現地時間が朝8時すぎだった。ボーイング777の大きな飛行機だったが、日本航空が会社更生法を適用されてからの合理化で、座席数が増え窮屈である。せまく詰め物が薄く背もたれがほぼ直角の椅子で、結局私は一睡もできなかった。足を置いた床も、たいして長くもない脚の空間も、狭かった。よせばいいのに足置きステップを下げたら、どうやっても戻らなくなった。前の席の人に迷惑かけないよう、気を使いながら何度も戻すことを試みた。結局外国人女性搭乗員を呼び止め、足置きを戻してくれと頼んだ。彼女は、前の客が飛び上がるほど激しく強く手で足置き台を戻した。

2回出た食事は、信じられないほどお粗末だった。夕食はパン2個、サラダ、ご飯にマカロニカレーをかけたもの、朝食は夕食時にビニール袋に入れられた箱入りジュースと蒸しパン1個だけというものだった。朝食は、てっきり何か盆にのったものが配膳されると思い込んで待っていた。ビニール袋のジュースと蒸しパンが朝食と知ったのは、ホノルル到着寸前だった。炭水化物ばかりの食事に驚き落胆した。かつてスイス航空が倒産した後、以前豪華な食事が売りだったのにプラスチック容器に入ったサンドイッチに替わったことを体験した。その経験を思い出し、栄枯盛衰の感傷に浸った。

 目を真っ赤にしてハワイの空港に降り立った。相変わらずアメリカ合衆国の入国検査は、厳しい。左右すべての指を一本ずつ、左右の親指、左右の親指以外の4本の指を一緒にという順に指紋読み取り器の上に置いた。寝不足の意識モウロウ状態だとなかなか複雑な動作である。最後に漫画の宇宙人の目玉だけ管の先端についたような異様なカメラで顔写真を撮られた。あんな自分の写真は、絶対に見たくない。外に出るとハワイの陽ざしは強く、太陽は「絶対にお前を眠らせないぞ」と言っているようだった。全員の入国検査が終り、バスでお決まりの免税店へ連れて行かれた。同行者のおみやげの買いっぷりに渋いマブタが、開いたまま閉じなくなってしまった。

 帰りの時差事情は来る時よりずっと楽だった。ハワイを現地時間午前10時に出発して成田に日本時間午後1時に到着した。ところが同行者のひとりが機内で体調を崩した。「乗客が急病です。皆様の中に医師もしくは看護師などの医療関係の方がいらしたら、ご協力願います」と機内放送された。なんと医師2名と看護師2名が同乗していた。それだけではない。飛行機はすでにハワイに引き返すより日本に直行したほうが近い位置だった。何が起こったかは、知る由もない。ただ医師と看護師の懸命の対応で急病人は、危険な状態を脱することができた。「急病の乗客は、回復されてきています。当機はこのまま成田に向かいます。機長はできるだけ早い到着を目指しております。尚到着の際、この飛行機の後部から患者さんを救急車で病院へ搬送するために皆様が降りるのが遅れます。どうかご協力ください」と日本語そのあと、英語で放送された。機内の全乗客に安堵の空気が拡がった。私も心配だったが、ただ無事に成田に到着して病人が無事病院に行けるよう願った。

 飛行機のような空中を飛行する密室で病気になるといかに困難なあらゆることが制約される状況であるか知らされた。添乗員も会社関係者も沈痛な面持ちで成すすべもなく見守っていた。成田に到着すると救急隊が待機していて、敏速に後部ドアから乗り込み、患者を搬送した。入国審査や税関検査はどうするのだろうという私の疑問も人の命の重大性を前にして静かに消えた。命を救うための医療の貴さを思った。そして幸運にも4名もの医療関係者が同じ飛行機便に同乗していた患者の運の強さに驚いた。この騒ぎで解団式もないまま到着して自然解散になった。この旅行で、またたくさんのことを学び、健康の大切さも痛感した。

 家の鍵を開け、中に入って、我が家のニオイを深呼吸して確かめた。妻が帰宅して土産話をどれから始めようかと迷った。「まずはお風呂に入ったら」と勧められ、風呂に給湯しようと台所の給湯遠隔操作盤の前に立った。故障していた。TOTOの24時間対応の相談室へ電話した。修理は翌日にしてもらえることになった。風呂なんてどうでもいい。無事に戻れたことを快適なウオシュレットを使ったあと、その喜びが倍増した。やはりうちが一番だ。


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