今朝起きると雨だった。すでに今年も梅雨に入ったようだ。最近暑くなってきたので、散歩を早朝に済ませることにしている、雨が降っていると、外に出るのが嫌になる。濡れたくない。散歩しようかしないでおくか、どうしようかと迷っていた。妻が言った。「私の長靴貸してあげる」 いくらなんでも妻の長靴が私に履けるわけがない。「長靴は大きめのサイズを買うから履けるよ」 試してみた。少しきつかったが履けた。ウォーキングシューズで雨の中を散歩すると靴の中にまで水が沁みて来る。靴下が濡れると気持ちが悪い。あの不快感を回避できるなら、妻の長靴で出かけてみようと家を出た。
歩くのに長靴がきつい感じはあったが、水たまりがあっても避けて歩くこともなく、ジャブジャブと水の中を歩けた。子供の頃、濡れる事は、気にならなかった。雨の日の近所の子供たちとの遊びは、溢れた小川や道路の側溝のそばでの肝試しだった。一面雨水が溢れて水浸しになって、どこが小川や側溝かわからない。足先で探りながら前に進む。長靴を履いていたが、深い所では長靴に水が入ってしまう。それがまた楽しかった。長靴の水の中で足がピチャピチャとしていた。長く履けるようにと、親はいつも実際のサイズより数段階大き目のものを買ってくれていた。膝から下は泥水の中。ジャボジャボの水が入った長靴のまま、水浸しになったどこに川や側溝があるか分からない中を進む。時に川や側溝にはまって、全身濡れネズミになった。親に叱られるのをわかっていても、やめられない遊びだった。
大人になって海外あちこちで暮らした。どこに国でも子供たちの遊びには、興味を持った。ネパールやセネガルでは、靴を履いている子供がほとんど見られなかった。時々ビーチサンダルを履いている子はいたが、裸足の子が多かった。私の子供頃、日本は戦争に負けて人々の生活は貧しかった。私も靴より下駄を多く履いていた。裸足の子供たちを見て、私が子供だった時、親はどれほど靴や長靴を買うのが大変だったかと思った。子供の成長は早い。大きくなるたびに合うサイズの靴や服を買うことが家計の負担になっていたに違いない。その上我が家には4人の子供だったので親はどう工面していたのかと思う。後に私自身も2人の子供を持ったが、2人だけでも大変だった。4人を育ててくれた親に頭が下がる。当時、西松屋もユニクロもなかった。
今朝妻の長靴を履いて傘杖を杖でなく傘としてさして歩いた。喜寿老になって足腰が弱くなった。雨の日は外出を避けている。傘も長靴も合羽もただの道具でしかない。
若かりし頃、フランス映画の『シェルブールの雨傘』を観た。カトリーヌ・ドヌーブ主演のミュージカルだった。冒頭のシーンは、雨が多かったが、ラストシーンは雪だった。でもいまだにどうしてもあのシーンを、私は私の気持ちの中で、雪でなくて雨にしてしまう。甘く切ない映画だったが、あの映画を観てから、雨や傘がとても私の経験とは違うものに見えた。良い映画だった。現実と違うが、雨には不思議な魔力が潜んでいる。
九州で線状降水帯が大雨を降らしている。近年の気候変動で大規模な水害の発生が多い。我が家の前の川も毎年洪水で両岸の石垣を少しずつ浸食している。ちょうどいい雨量は有り得ない。災害の無いことを祈りつつ、妻の長靴での散歩を雨が降っても続けたい。