goo blog サービス終了のお知らせ 

団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

No spitting(唾吐き禁止)

2025年07月08日 | Weblog
  1993年から3年間ネパールで暮らした。首相の選挙があった。立候補していたコイララ氏は、演説で「ネパールをシンガポールのような国にする」と言った。コイララ氏が首相になった。いまだにネパールがシンガポールのようになった話は、聞いていない。
 シンガポールへネパールから妻の出張について行ったことがある。驚いた。地球上にこんなに綺麗で清潔な国があったのだと。ネパールは、貧しくて清潔な国ではなかった。下水などのインフラも整備されていなかった。住んだ家のトイレは、地下浸透式の水洗だったが、大雨の時は、溢れ出て庭が下水で池のようになった。町に出れば、手鼻や痰吐きする人が多かった。長野市の専門学校で教えていた時、長野駅から学校へ行く途中に『痰つば小路』と呼ばれていた道が近道だった。日本も今のように清潔や衛生面で改善される前、ネパールと大して変わらない状況も多かった。痰つば吐き、立小便、手鼻もつい30年から40年前までどこでも見られた光景だった。
 シンガポールは、早くから国民の民度向上に力を注いだ。1990年代私がシンガポールに行った時、街中に『No spitting(唾吐き禁止)』の看板があった。見つかると初犯で1000シンガポールドル(約8万円)の罰金で再犯だと公的清掃作業や刑務所に入れられることもある。シンガポール政府は、自国民外国人問わず厳しく取り締まっている。
 大谷翔平選手がアメリカの大リーグで活躍している。昨日までヒューストンのアストロズとの3試合で3連敗した。野球の試合そのものよりただ大谷選手の活躍が観たい。なかなか結果が出せない大谷選手に私も落ち込んでしまう。
   野球よりも選手の動向やあらさがしに目が行ってしまう。一番気になるのは、選手たちがフィールド内であろうが、バッターボックスの中であろうが、塁に出ていても、ベンチ内でも「ペッペ」と唾を吐く。あとガム。私は選手のガム噛みが嫌でたまらない。ヒマワリの種をなぜ皆が口にするのかも理解できない。ヒマワリの種は、ホームランを打った選手への祝福に留めておいて欲しい。
    大谷選手は、行儀が良く礼儀正しい。最初の頃は、ガムを噛むことさえなかった。最近大谷選手がガムを口にしているようになった。ベンチ内で何か食べることもある。“郷に入っては郷に従え”なのか。少し残念な気持ちである。
 アメリカにはシンガポールのような“No spitting”の規則はない。行儀などと問題視すること自体が、儒教の影響大の私のような狭義な団塊世代の特徴なのかもしれない。でもシンガポールのように“No spitting”の規則があったら、一試合でいったい幾らの罰金になるだろう。アメリカ大リーグの選手の多くが、刺青を入れているも私には受け入れがたい。選手で刺青が入っていない選手を見ると嬉しくなってしまう。
 3連敗のドジャースのベンチ。選手が全員引き上げた。ベンチの床にヒマワリの種の皮が足の踏み場もないくらい散乱している。この後、清掃作業員が清掃するのだろうが、種の他に唾も酷いに違いない。散らかすのも人、片付けるのも人。分業と言っても割り切れない。試合の熱狂中もベンチの床の散らかりが、私の心を乱す。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホルター心電図検査

2025年07月04日 | Weblog
  連日の猛暑で散歩は、早朝にするようにしている。今朝も妻と4時40分に家を出た。私はいつもの私ではなかった。腹部にホルスター心電図モニターを巻き付け、心臓近辺4カ所に電極パッチが貼り付けられている。ホタルのようにモニターから緑色の光が点滅する。ロボットになった気分で、体の動かし方もぎこちなくなった。
 昨日、東京の糖尿病の主治医からの紹介状を持って、近所の循環器内科のクリニックを受診した。妻が東京の病院勤務をやめたので、できるだけ近くの病院に替えようと思った。喜寿老(77歳)にもなると、何事も新しく始めることに抵抗がある。人見知りで恥ずかしがりの私なので、今回のかかりつけ医を替えることに関しても気が進まなかった。
 午前中だったがすでに気温は30度に迫っていた。気温の数字より喜寿老にとっては、直射日光と露出部分に痛いように鋭く指し込むような熱を感じるだけで、自分が熱中症ではという疑いを持って、眩暈を感じてしまう。まるで自作自演で悲劇の主役になりきっている。クリニックの受付に入って驚いた。待合室に人、人、人。皆患者!私は田舎の循環器関連のクリニックなので大して患者もいないだろうと高を括っていた。30人以上はいる。私は新患なので予約できなかった。私以外の患者が予約の患者なら、私の診察はいったい何時になるやら。すぐにでも家に帰りたくなった。でももう処方された薬も終わるし、今回はどうしても診察を受けなければならない。妻も同行してくれていたが、一緒に並んで座ることもできず、離ればなれ。
 案ずるより産むが泰。初めて診察を受けた医師は、人当たりが良く患者の話を聞いてくれる珍しい医師だった。長い待ち時間や新しい医師による診察で落ち込んでいたが希望が持てた。別室で血液検査を受けた。見た所ずいぶん歳の看護師が採血した。小心者の私は注射針が嫌い。採血で巧いと思った看護師は少ない。お見逸れした。その看護師実に巧かった。痛くもかゆくもなかった。尿検査レントゲン検査の後、24時間ホルター心電図検査のために検査器具を装着した。
 2001年に狭心症だと診断された。それは24時間ホルター心電計を付けて検査を受けた後だった。当時の機器は、今回のモノより十倍くらい大きくかった。それ以降ホルター心電計の検査を受けていない。検査で心臓バイパス手術が必要なほど心臓の冠動脈が閉塞していると診断された。心臓バイパス手術を受けた。結果は移植した血管がバイパスの機能を果たさず失敗。以後、ホルター心電図検査という言葉を聞くとあのバイパス手術を思い出して悲しくなる。
今回ホルター心電図モニターを付けて、日進月歩を目の当たりにした。軽薄短小。看護師がこの器具を付けたまま、風呂に入ってもいいと言った。何という進歩。ホルスター心電図モニターをつけていても、普通の生活ができる。心配したことが杞憂で終わった。
7月5日日本で大災害が起きるという預言がアジアの一部で危惧されているという。明日である。私は、預言とは偶然でしかないと思うことにしている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はびこる曖昧さ

2025年07月02日 | Weblog
  このところ毎日のように殺人事件が報道されている。男女交際のもつれ、親子関係のこじれ、中には幼い時から殺人願望があって殺したという恐ろしい事件もあった。日本でこれほど殺人事件が起こる理由がわからない。日本では拳銃やライフルなどの規制が厳しくて、銃による殺人は反社会的勢力以外にほとんどない。これで銃規制がゆるかったらどうなっていたであろうか。日本ではナイフによる事件が多い。
 私はナイフや包丁に関して思っていることがある。ナイフや包丁の扱い方を学校の家庭科で教えるべきである。家庭科で調理を習うが、包丁の扱い方は教えない。刃物を生徒に扱わせるのは危険という。調理で包丁の切れ味は重要である。包丁の切れ味は、適切な保管管理がなされなければ保てない。何より大切なのは、研ぎ方である。包丁は使っていれば、食材の油などで切れ味が悪くなる。日本は刀鍛冶の伝統のお陰で包丁天国である。海外からの旅行客にも包丁は、人気があって多くの人が日本で包丁を買い求めてゆく。包丁で食材を切る行為は、ある意味神聖でさえあると思っている。日本人の子供たちには幼い頃から包丁を大事にすることを身に付けて欲しい。自分で包丁を研ぎ、使うことによって神聖さを感じれば、包丁やナイフで人間を殺めるなどの邪心は起こらないであろう。
 殺人事件に負けないくらい、学校の教員による生徒を対象とした性犯罪も目立つ。先週、名古屋の小学校の教員が女子児童を盗撮しその画像を10人くらいの教員のグループで共有し合っていた教員が逮捕された。カナダで学んでいた時、講座に「教師教授が生徒学生に対して性衝動の押さえ方」というのがあって驚いた。当時カナダでも性犯罪は、学校でも多発していた。日本では聖域とか忖度が根強く残っている。いわゆる学校の先生は、聖人のように清く気高いと勝手に思われている。カナダのように学校の先生であろうと人が性に強い興味があるのは自然なので、それをどうコントロールするかを学ぼうとすることが必要と考えない。日本のように大事なことであっても曖昧にしている国は、子供にとって危険である。英国では、子供にカメラを向けただけで逮捕されると聞いた。アメリカでも子供誘拐は、最高刑に処されるほど重い犯罪である。
 名古屋を拠点とした中国の商社がアメリカへ合成麻薬のフェンタニルを密輸していたことが発覚した。日米で今まさに関税率をどうするかと協議中である。トランプ大統領は、フェンタニルの密輸を盾に使って交渉をしていた。中国が製造元でカナダとメキシコが中継点としてやり玉に上がった。これからアメリカは、フェンタニルが日本を中継していたことをどう交渉で使ってくるかわからない。日本の曖昧さが浮き彫りになっている。
 日本人は本来、真面目で恥ずかしがり屋だ。そんな日本人が性犯罪に走ったり、殺人を犯す。現在の日本は、一時期の右肩上がりの国力を持たない。これからの日本を憂える。教育であれ、政治であれ、現状の日本を結果とした責任は、私たち国民の責任である。私たちが曖昧だったので、こういう結果になった。いつまで曖昧でいるのか。明日公示される参議院選挙で曖昧さを一つでも断ち切れる判断が示されることを願う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑さ対策

2025年06月30日 | Weblog
   連日暑さに打ちのめされている。日課の散歩の時間は、アメリカ大リーグの大谷選手が出場する試合の時間次第で決まる。アメリカは大きな国だ。国の中に時差がある。ドジャースがホームグランドのあるロスアンジェルスでの試合なら早くても日本時間午前9時頃に試合が始まる。遅いと11時頃になる。そんな日は、朝5時に家を出て散歩でできる。しかしアウェイの試合でアメリカの中部とか東海岸の試合になると午前3時4時5時となる。どのみち夜中にトイレで1回起きるので、どんなに早くても起きて観戦する。ただ午前5時近辺の試合は散歩か観戦かのどちらかい決めなければならない。この猛暑下、日中の外出はできない。4時に散歩をしてもかまわないが、暗闇でイノシシや猿に出くわすのが恐い。やはり散歩は日の出後の明るくなってまだ気温が上がらない内がいい。野球観戦や雨の日は、散歩をやめる。足腰が弱ってきているので、毎日5千歩歩くことはどうしてもやり遂げたい。エアコンのお陰で、日中、外がどんなに暑くてもウォーキングマシンで30分間歩ける。
 私はガラス戸から外の強烈な太陽光線を見るだけで、熱中症になったような気分に襲われる。そんな窓の外の南側北側の両側にこの数日猿軍団がやって来た。その数30頭近い。日陰のコンクリートの上で寝そべったりして涼んでいる猿もいれば、子猿たちは、追いかけっこで木から木へ飛び移ったり道路を走り回っている。家のベランダに群団のボスらしき大きな猿が入って来た。私が住む集合住宅では猿が家の中に入ったという事例がある。我が家でも一回家の中に入った猿がいた。私は涼しい室内から猿の行動を観察した。猿の周りに銀バエが数多く飛び交っていたのが気になった。これほどドアや戸の開け閉めできるなら、相当な家庭が被害に遭っていることであろう。この猛暑の中、毛で被われている猿は、さぞかし暑いに違いない。猿には熱中症はないのか。大きな猿は、我が家の南側の戸を端から端まで1箇所ごとに手を使って開くかチェックし始めた。以前、妻は、エアコンの使用をできるだけしないで、網戸にして自然の風で室内の温度を下げるようにしていた。猿侵入事件以降、エアコンの使用に寛容である。すべての戸やドアをチェックして我が家への侵入をあきらめたのか、ベランダに置いてあるユーゴスラビアで特注して作ったコーヒーテーブルの上に鎮座した。あろうことかその上でマーキングのために放尿を始めた。以前町役場に猿の事で相談した。猿はマーキングした場所を気に入っているので再び訪れることが多いので、マーキングをしっかり洗って臭いを消すことだと言われた。猿が去った。
 妻が外出から戻った。猿の事を話した。二人でまだムッとするほど暑いベランダに出て、猿のマーキングに水をかけ、ブラシでゴシゴシと洗い流した。首にネッククーラーをしていたが、劣化したのかすぐ効果がなくなった。暑さ対策のための道具がいろいろ売られているらしい。電池式のファンとか結構危険だそうだ。喜寿老は、ただおとなしくエアコンの効いた涼しい部屋でただじっとして窓の外で元気に活動する猿でも眺めて息をしていれば良い。
 宅急便が来た。若い配達員は汗だくだった。この暑さの中、汗びっしょりになって働く人々がいる。私の時代は終わったが、社会を支えるために働く若い人々に感謝したい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カレー

2025年06月26日 | Weblog
  私の誕生日が近づいてきた。子供の頃、誕生日には母は必ずカレーを作ってくれた。年に数回しかカレーは食べられなかった。正月やお盆に並んで自分の誕生日は、指折り数えて待つ楽しみだった。今のように肉が簡単に買える時代ではなかった。具は大好きなジャガイモと嫌いな人参が入っていた。肉は牛、豚、鳥などそれこそ年に一回くらいで、竹輪の事が多かった。それでも私はカレーが好きだった。
 妻が病院勤めを辞めて、ずっと家に居るようになった。昼食に何を食べるかは、朝食の大事な議題である。妻は、日本に帰国してからずっと昼食は弁当を作って持って行った。弁当のオカズは、ほとんど前日の夕食の残り物だった。家に居るようになって妻は、昼食に麺類を食べたがる。私は昼食にはカレーが多い。タイの辛いグリーンカレーのレトルトを好む。妻は「どうしてカレーがそんなに好きなの?」と私に聞く。答えられない。でもカレーが好き。今の市販のカレーは、昔と違って種類が多い。ルーになっているので調理も簡単。肉だって牛、豚、チキン、魚など冷凍庫に入っている。幸せである。
 結婚前、妻は英国のロンドンに留学した。英国に彼女を訪ねた時、ホワイトシティーの『カーン』というインドカレーのレストランに連れて行ってもらった。衝撃だった。カレーがインドの食べ物だとは知っていたが、自分が子供の頃から食べていたカレーと全く違う。美味しいものを食べて満足すると、ほっぺが落ちると言うがそういう恍惚状態になった。
 結婚して妻は外務省の医務官になった。最初の任地がネパールだった。ネパールは住むには問題の多い国だったが、美味しいカレーを食べられる任地だった。衛生状態が悪く、いろいろな病気にかかった。でもカレーを食べて具合が悪くなったことはなかった。おそらくカレーに使う香辛料や熱でちゃんと調理されていたのが良かったのだと思う。暑く湿気がある気候にカレーはうってつけの食べ物だ。ネパールでカレーがますます好きになった。
 私も喜寿老(77歳)になり、味覚が鈍化してきたのか、妻が辛くて食べられないというモノでも平気で食べられる。老化の良い点のひとつだ。ラーメンにはコショウ。ピザやパスタにはタバスコ。うどんや蕎麦には善光寺の七味唐辛子。刺身には直前におろした生わさび。おでんには和からし。たっぷり使う。至福の時である。子供の頃、辛くて口にできなかったモノでも、今では抵抗なく楽しめる。歳を取ったご褒美だと感謝している。
 上田市に中村屋という馬肉ウドンの美味しい店がある。その食堂のテーブルの上に新聞の記事の切り抜きが置いてある。病気で伏しているおばあさんに介護する家族が「ばあちゃん、食いていものあるか」と尋ねると「中村屋のうどん喰いてい」と言ったという記事である。
 私が通った理髪店の奥さんが亡くなった。亡くなる前に旦那さんに「熱海のわんたんやへもう一度お父さんと行きたかった」と言ったそうだ。それぞれ人には食べ物に思い入れがある。よく人生最後に何を食べたいか、と世間で言われている。私は母ちゃんが作った本物の肉が入ったカレーを食べられるなら食べたい。不可能だとわかっている。妻に言わせれば、喜寿老の食欲はまだまだ健在だそうだ。食べたいものを食べられるのは、幸せである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バンカーバスター

2025年06月24日 | Weblog
    コロナで3年以上家の中に閉じ込められた。去年の夏は猛暑で外に出るどころか、家の中でもエアコンで生き延びることができた。使い過ぎたのが原因か、2つあるエアコンの一つが今年のはじめに壊れた。新しいエアコンに付け替えた。
 今年は、本格的な夏が来る前に、6月から猛暑日になっている。エアコンの取り替え工事を早めにやっておいて良かった。すっかり暑さに弱くなった。私は真夏の暑い時に生まれた。暑さには強いと思っていた。実際アフリカのセネガルに2年間暮らしたが、熱中症らしき症状を経験したことがなかった。今は違う。強い陽ざしを数分間でも浴びると、頭が痛くなり目がくらむ。天気予報を調べて、その日の行動を決める。散歩は朝5時に家を出て、まだ気温が上がらないうちに済ませる。それでもこのところの暑さで帰宅すると汗をかいて下着を取り替える。露出している皮膚も早朝にもかかわらず日焼けしたようにピンクになる。あとはエアコンをきかせて家の中に留まる。
  妻が退職してずっと家に居る。元気な妻は、今までできなかったからと、家の中の整理や掃除をやる。正直私は迷惑である。妻が家事をしてくれるのはありがたいが、私は切なくなる。元気な妻。やる気もなくただボーっと息だけしている私。コロナで貴重な健康寿命を3年も無駄に過ごした。今度は猛暑で熱中症を警戒して家に籠っている。コロナによる私の人生の失われた時間を誰も補償してはくれない。原因の追及もない。責任問題も出てこない。アメリカのトランプ大統領は、2度目の選挙前に中国にコロナの補償をさせると言っていたが、当選後は音沙汰なしだ。
 コロナと言う未曽有な災難からようやく出したと思ったら、ウクライナへのロシア侵攻。イスラエルのガザ侵攻、そしてイランへの攻撃、遂にアメリカがイランの核施設へのB2によるバンカーバスター14発で攻撃した。バンカーバスターでの攻撃後の衛星写真を見た。小さな穴。そこからバンカーバスターは地下60メートルまで達するという。イランの核施設は地下80メートルの所に作られているという。爆撃で核関連施設がどうなったかはわからない。アメリカは破壊したと言い、イランは爆撃前に核燃料は移動させてあると言う。
 私は旧ユーゴスラビアに1997年から2000年までの3年半住んだ。ちょうどNATOによる空爆があった時だった。爆撃開始の前日、最後の民間航空の便で着の身着のままオーストリアのウイーンへ脱出した。翌日からNATOの空爆が開始された。ウイーンから日本に一時帰国した。結局6カ月以上日本に避難していた。ベオグラードに戻った。住んでいたアパートのすぐ近くに旧共産党本部の30階建てのビルがあった。多くの政府機関や軍関係のビルや建物がミサイルで破壊されていた。共産党本部のビルは何も被害がなかったように立っていた。しかしビルの内部は、特種なミサイルで真上から突入して地下室にまで到達していた。どうやらすでにあの頃にもバンカーバスターのような爆弾はあったのだろう。
 人間は愚かだと思った。人々が苦労して建てた建物や施設を、自分たち人間が作った武器弾薬で破壊する。どんなに威力ある武器であろうが、破壊、殺戮は正しいことではない。どんなに優秀な武器であれ、人殺しのマシーンである。武器は子供のオモチャのようなもの。手に入れれば、使ってみたくなるものだ。子供のような危険人物がこぞって危険なオモチャを手に入れている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤村志保

2025年06月20日 | Weblog
  女優藤村志保が亡くなった。御年86であった。
  先日ネットのニュースで誰だかが誰々に…さんとか…氏とかの敬称を付けなかったのは失礼だとSNSで炎上したという。
  私の故郷に山本太郎という医者がいた。いつもダンディないで立ちでジープに乗りパイプをいつも口に咥えていた。田舎のことである。少しでも自分たちと違っていれば、小馬鹿にする風潮がある。出る杭は打たれる。普通に生活していても揶揄されることの多い人だった。医者としてだけでなく、国際交流とかエッセイなどで地域若者たちへの啓蒙活動も行っていた。海外に出たことはなったが、英国ロンドンの地図が頭に入っていて、場所名をいうとまるでロンドンのタクシー運転手のようにその道筋を諳(そら)んじることができるほどの博識のある人だった。ある会で若者が「先生は周りの人に太郎とか山本太郎と呼び捨てにされていますが、どう思いますか」と質問された。答えは「私は光栄に思っています。多くの偉人に敬称はつけません。アインシュタイン、野口英世、ケネディ、ガンジー。私もそのひとりだと思って気にしないことにしています」私は山本太郎から実に多くの事を学んだ。
  藤村志保と敬称なしで言わせてもらう。なぜなら私は藤村志保を尊敬しているからだ。演技もだが声が良い。藤村志保のナレーションは、最高だ。岸田今日子も素晴らしいナレーターでもあり女優だった。
私の長女が大学受験する時、突然声優の養成所に入りたいと言い出した。娘は普通の大学に行くと勝手に思い込んでいた。娘が声優を目指そうと持ったのは、どうやらアメリカの娘を預かって育ててくれた両親の影響だったらしい。アメリカの両親は、私の娘の声は、アナウンサーに向いている声だと言い続けていた。私は娘の声優養成所に入学することに猛反対した。結局娘は日本の声優養成所をあきらめて、アメリカの大学に進学して卒業した。卒業後日本に帰国した。時は日本のバブルが弾け、就職氷河期になっていた。娘は、派遣社員になって機会を待ち続けた。もしも…と考えるのは嫌だが、私の先入観や偏見に腹が立つ。
  藤村志保が私の心をとらえたのは、おそらく私は藤村志保を理想の母として見ていたからであろう。私は生みの親を4歳で亡くした。母親が焼き場で真っ赤な炎に包まれるのを焼き場のドアの小さな窓からずっと見ていた。何度も精神科に行って、幼児体験がどのように私の精神に影響したのか分析してもらおうと思ったが、今の77歳になっても実現していない。もしも幼児体験によって、どんどん理想の母親像を自分の中に作り出していたとしたならば…。私は藤村志保を映画の画面や舞台でしか観たことがない。接点がないが故に、頭の中の理想の追求がエスカレートしたのだろう。今の若者たちがゲームやAIによるアイドルに夢中になって、現実の人間対人間の恋愛や結婚に至らないのと似ている気がする。
  藤村志保が私の心の中で大きな存在だった。家庭を持ち普通の人間として生きていたことを何も知らない。ただ映画やテレビや舞台で演技していた藤村志保しか知らない。それで良かった。夢を見させてもらった。感謝する。だからこれからもずっと藤村志保と敬称をつけずに呼び続ける。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白鵬・伯王鵬

2025年06月18日 | Weblog
  友人夫妻と日曜日の夜食事をした。いろいろ話した。イスラエルのイランへの奇襲爆撃のこと。アメリカの関税のこと。レアメタルのこと。中国が台湾を併合するかもしれないこと。年金のこと。税金のこと。難しいことを持論で分かりやすく話してくれるので友人の話を聞くのが好きだ。歳をとって友人を私の家に招くのも一度に一夫妻にしている。脚が悪くなって、長時間の調理がきつくなった。料理そのものは好きだ。誰々は何が好きなのでと献立を決め、食材を集める時間が楽しい。以前は家のテーブルが6人掛けなので二組の夫婦を招待できた。毎年恒例にしていたワイン会では30人くらいの客を招いていた。客の組み合わせで何度か失敗している。私たち夫婦が良かれと一緒に招いても、客同士の相性が悪くて途中で言い争いになった。一回一組の客なら、もうそんな心配はなくなる。私は友人たちと話すのが好きだ。話すより聞く方が好き。昔教授に「君の質問はいいところをついているね」と言われた。いろいろ自分の知らないことを教えてもらうためには、質問するのが必要だ。小心者なので、相手を怒らせるようなことを言えない。
  その点私の妻は、酒が入っていないとおとなしいが、酔うとけっこう絡む。最近酒の量を自粛しているので以前より絡むことが少なくなっている。難しい話が一段落すると相撲好きな妻が、白鵬の日本相撲協会に退職願を出したことを話題にした。友人は、相撲は私たち夫婦のように熱心に観ていない。彼は持論を話してくれた。横綱たるもの一番大切なのは、品格だという。頂点に立つ横綱は、全てにおいて模範でなければならない。もともと神前での奉納が目的だった相撲。神聖な儀式でもある。白鵬の技の問題があったと彼は言う。カチアゲで白鵬は、肘を使った。カチアゲは、肘を使わず肘から下でするものだと言う。白鵬にはいろいろ問題があった。朝青龍にいたっては、もっと問題があったと彼は言う。
  相撲好きで私と同じくらい白鵬や朝青龍が好きな妻は、何か言いたいのだろうが、酒量の加勢が足りず劣勢。小心者の私はグーの音も出ない。私が自分の意見を主張できれば、言い争いになって相撲のような取っ組み合いにまでなったかもしれない。私はおとなしく拝聴するのみ。私は朝青龍も白鵬も大好きだ。私は相撲が今は、国際化への途上の中途半端な状態にあると思っている。そんな中で日本に来て、修業を積んで力士として日々努力している外国人力士を尊敬している。どの外国人力士もインタビューを受けて上手な日本語で受け答えができる。一時白鵬がNHKの相撲中継で解説者をした。実に聞くに値する解説だった。NHKが何故か多用する舞の海のタレント的コメンテイターの解説とは大違いである。
   白鵬の相撲協会からの離脱は悲しい。白鵬を慕って私の一押し力士伯王鵬は、相撲の世界に飛び込んだ。かつて貴景勝は貴乃花に憧れ力士になった。途中で自分が世話になった親方が相撲界から突然消えたら弟子たちはどうしたらよいのか。貴景勝は、あちこちと所属する部屋を変えたが引退まで持ちこたえた。伯王鵬にも貴景勝のように最後まで頑張って欲しい。それにしても相撲界も政界も魑魅魍魎の旧態依然の世界である。その下で、上の悪影響を受ける若者がいつまで我慢すればいいのか。進んでいるようでいつまでも変わらぬ世界がいまだに存在する。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日米関税交渉

2025年06月16日 | Weblog
  4月2日アメリカのトランプ大統領は、すべての国からの輸入品に10%~125%の関税をかけると発表した。4月9日に90日間関税措置を延期して10%の関税を維持すると発表した。日本とアメリカの関税措置は、合意に至っていない。赤澤経済再生大臣は4週間連続で渡米して関税措置に関してアメリカ側と交渉をしている。進展は見られない。15日からカナダのアルバータ州のカナナスキスでG7が開かれる。日本からは石破首相が参加する。石破首相とアメリカのトランプ大統領が首脳会談を持つ予定だという。期待は持てない。
 トランプ大統領は、英語を母国語としている。一方石破首相は日本語である。英語は主語の次に動詞が来る。英語の動詞は、結論を時間・数・肯定・否定を絡めている。日本語は、動詞が一番最後に来る。特に石破首相の物言いは、のらりくらりと前置き長い。YesなのかNoなのかはぐらかすのが常套手段である。トランプ大統領は、根っからの商売人である。はたして石破首相は、日本の将来の命運をかけるこの交渉で成果を上げることができるのか。心配である。
 私が小学生だった時、社会科でスイスは永世中立国だと習った。私はスイスが地上の理想的な国家だと思った。日本もスイスのような国になれたらどんなにいいだろうと思った。実際に大人になってスイスに行って見て驚いた。ヨーロッパで最も人種差別が酷いということを私自身で経験した。金融事業においても世界中の不正な資金を管理する暗い面もあると知った。理想と現実の違いを知った。
 スイスが理想的な国でなかったのなら、日本がなればいい。日本は法律で戦争を放棄している。日本国憲法第9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段と非手は、永久にこれを放棄する。陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
 日本の憲法が第二次世界大戦後、アメリカに占領されていた時に制定された。私は憲法学者でも外交専門家でも政治学者でも商人でもない。でも小学生の時から、地上で理想的な国家はスイスのような国になって欲しいと思っていた。関税交渉にしろ自動車や米がどうのと暖簾に腕押しのような交渉ばかりしている。国と国の交渉だから、自国民に支持されようと主張を繰り返す。
 私は提案したい。日本はアメリカに病院船のマーシーを売って欲しいと打診する。日本が危険溢れるこの世で世界に展開する病院船隊を持つためである。同時に病院船の建造を発注する。病院船の建造費は、マーシー級で10億ドル~15億ドルである。病院船一隻の年間運営費は、約1億ドル。1ドル=143円で計算すると予算100億ドルの事業としても1兆4300億円となる。私は夢見る。日本が軍備費でアメリカの最新鋭爆撃機やミサイルを購入するよりも、病院船隊を持つことで、憲法で謳っているように、国際平和を誠実に希求して過去の過ちを少しでも埋め合わせることができたらいい。
 今の日本に日本を牽引する頼りになる政治家がいないことを憂う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プルプルじゅんさい

2025年06月12日 | Weblog
   秋田からこの時期、楽しみにしているじゅんさいが届いた。毎年、秋田県三種町の安藤食品に注文して取り寄せる。500gで税込み3140円。じゅんさいとは、水草の一種であるスイレン目ハゴロモモ科の新芽である。水深の浅い沼に植生する。
 以前テレビでじゅんさいの収穫風景を観た。沼に長方形のひとり乗りの箱型の船を浮かべて収穫する。主に女性の仕事のようだ。新芽はゼリー状のぬめりで被われている。このぬめりがじゅんさいの醍醐味である。収穫にはこのぬめりを外さない細心の注意がいる。女性の手で優しく摘み取られる。爪を巧く使って取るらしい。
 爪は使い方によって役立つ道具になる。以前富山の鮨屋で名物の白エビの軍艦巻きを食べた。握ってくれた鮨職人が私に彼の小指を差し出した。最初その意味を私は取り違えた。でも彼が「この白エビを小指の爪を使って一匹ずつ身を取り出します。軍艦巻き一貫で平均約20~30匹うちの店では約50匹以上使う」と言った。仕込みが大変だとも言った。鮨を握る職人の手も凄いが、爪まで使って細かな仕事をする職人に感心した。
 秋田でもじゅんさいを採るために、女性たちの注意深い摘み取り作業が行われている。きつい仕事に違いない。私は不器用なので、じゅんさい採りには向いていないだろう。テレビでじゅんさいの収穫を観て、じゅんさいを食べてみたいと思った。私はゼリー状の食べ物に目がない。ゼリーを始め、プリン、杏仁豆腐、水ようかん、いくら、あんみつ、みつ豆。じゅんさいは、自然のプルプル食感である。近所のスーパーでパック入りのじゅんさいを見つけた。裏書のレシピ通りに調理した。パック入りといっても缶詰と同じ製法なので食感は思っていた物とは違った。期待した程ではなかった。
 秋田出身の人にじゅんさいが私の期待した通りでなかったと話した。その人がどういうじゅんさいを食べたか聞かれた。近くのスーパーで買ったパックのものと答えた。「そのじゅんさいはダメ。本物は取り寄せで生じゅんさいを食べてみて」と言われた。調べるとじゅんさいの旬は、4月下旬から8月下旬で6月と7月が最盛期だという。さっそく通販で安藤食品の生じゅんさいを取り寄せてみた。洗って茹でて出汁とワサビで食べた。美味い。ぬめりの食感もじゅんさいの歯ざわりもいい。
 ぬめり食品が苦手だという人が多い。でも私は子供の頃からプルプルギョトギョト食感が好き。じゅんさいや白エビの軍艦巻きは、収穫する人の、握ってくれる寿司職人の苦労を知って、なおさら応援したくなってしまう。
   今日本では令和の米騒動と言って大騒ぎである。テレビのニュースで毎日米のニュースばかりである。米は漢字では八十八を組み合わせてできている。米の栽培には苗を植えて収穫まで88日かかる。私も長野県の春と秋の農繁休業のお陰で農家の手伝いをして米作りの大変さを体験している。日頃、仕事が大変であればあるほど、収入が低いことに疑問を持っている。この世界の仕事に対する報酬は、格差と不平等に溢れている。私は米が大好き。美味しい米とじゅんさいや白エビを一緒に食べられる日本での生活に満足している。何に対しても適正価格や誰に対しても適正な報酬が忖度や偏見なしで決められる日が来ると良い。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする