猛暑が続いている。今日の天気予報でも、40℃を超える所があると言っていた。この暑さから逃げるには日の出前に散歩を終わらせるしかない。目覚まし時計を4時40分にセットしている。時計が鳴っても即ボタンを押してしまう。グズグズして散歩に出るのを遅らせる。陽が昇ってしまえば、気温はグングン上昇してしまう。朝日の陽ざしもきつい。
川沿いの道を歩く。川の水量が少ない。無理もないこのところ雨が降っていない。川の流れの中央の石の上にすくっと立っている緑色の植物が目に留まった。この川にはアオサギが川の流れの中の石にとまって魚を狙っている。目を凝らして植物を見た。石の中央がくぼんでいてそこから生えている。
植物の種は自らどこで発芽しようなどと決断することはできない。多くは自分が生えている周りに種を飛ばして目を出す。風に身を任せて飛んで行って着地して目を出す。この川の中の石に生えた植物も偶然石のくぼみに落ちて、たまたまそこに土が少しあって芽が出たのであろう。

野中の一本杉という表現を思い出した。私が住む町は山に囲まれている。森や林も多い。木が一本だけですくっと立っている光景はない。私は喜寿老+1になった。若い頃は多くの人々との接触が日常だった。終の棲家と移り住んだ町に知人はいなかった。この街を起点として元気にあちこち旅行していた。友人や家族も泊まりで招いて宴会もどきで楽しんだ。コロナだ猛暑だで交流の輪はしぼんでいった。疎遠・孤独が普通になった。今年退職した妻と年金暮らしになった。妻と二人だけになった。今は一本杉でなく二本杉だ。二人でいられることがありがたい。
川の中の一本植物は、今朝もまだすくっと立っていた。大水がくればひとたまりもないだろう。そんなことを気にもせず生きている。私もそういう風に生きていたい。