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団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

野中の一本杉

2025年08月05日 | Weblog
  猛暑が続いている。今日の天気予報でも、40℃を超える所があると言っていた。この暑さから逃げるには日の出前に散歩を終わらせるしかない。目覚まし時計を4時40分にセットしている。時計が鳴っても即ボタンを押してしまう。グズグズして散歩に出るのを遅らせる。陽が昇ってしまえば、気温はグングン上昇してしまう。朝日の陽ざしもきつい。
 川沿いの道を歩く。川の水量が少ない。無理もないこのところ雨が降っていない。川の流れの中央の石の上にすくっと立っている緑色の植物が目に留まった。この川にはアオサギが川の流れの中の石にとまって魚を狙っている。目を凝らして植物を見た。石の中央がくぼんでいてそこから生えている。植物の種は自らどこで発芽しようなどと決断することはできない。多くは自分が生えている周りに種を飛ばして目を出す。風に身を任せて飛んで行って着地して目を出す。この川の中の石に生えた植物も偶然石のくぼみに落ちて、たまたまそこに土が少しあって芽が出たのであろう。
 野中の一本杉という表現を思い出した。私が住む町は山に囲まれている。森や林も多い。木が一本だけですくっと立っている光景はない。私は喜寿老+1になった。若い頃は多くの人々との接触が日常だった。終の棲家と移り住んだ町に知人はいなかった。この街を起点として元気にあちこち旅行していた。友人や家族も泊まりで招いて宴会もどきで楽しんだ。コロナだ猛暑だで交流の輪はしぼんでいった。疎遠・孤独が普通になった。今年退職した妻と年金暮らしになった。妻と二人だけになった。今は一本杉でなく二本杉だ。二人でいられることがありがたい。
 川の中の一本植物は、今朝もまだすくっと立っていた。大水がくればひとたまりもないだろう。そんなことを気にもせず生きている。私もそういう風に生きていたい。

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動画

2025年08月01日 | Weblog
  私の78歳の誕生日に娘家族が、私たち夫婦をイタリアンレストランに招待してくれた。海が見えるレストランだった。嬉しかった。イタリア料理も美味しかった。会話も弾んだ。
娘が携帯電話の動画を見せてくれた。動画はシアトルの娘の育ての母親Mrs.Tsujiのものだった。
 携帯電話には写真を撮る機能だけでなく、動画まで撮れるとい。私は携帯電話をもう長く所持している。でも使うのは、妻との連絡に使うメール機能とヤフーのニュースを見るくらいである。妻は退職後、市の携帯電話講座に通って携帯電話の使い方を習った。妻は講座で習ったことを帰宅して私に教えようとしたが、私はハナかあら習う気がなかったので「フンフン なるほど」と聞き流した。散歩途中、狙っているカワセミやアオサギをカメラで撮影する。携帯でも撮れるが、携帯からパソコンへの転送ができない。カメラならSDカードを抜いて、パソコンに差し込めば簡単に写真を取り込めて使える。なんとか今まで携帯電話の便利であろう機能を避けて来た。携帯電話で動画を撮ったり、誰かに送るなどはやってみようと思ったこともなかった。
 娘が見せてくれたのは、シアトルのMrs.Tsujiの動画だった。70代で癌を患いステージ4だったが、奇跡的に生き延びて現在88歳になった。私自身も歳をとったが、動画に映る彼女も私の持つイメージとは違っていた。髪の毛も白く薄かった。表情は相変わらず優しい。私の目から涙が出た。胸が詰まった。彼女にも彼女の亡き夫にも私はどれだけ感謝してもしきれない。
 娘一家はシアトルに住むMrs.Tsujiの家族の薦めで近いうちに彼女に会うためにシアトルへ行く。娘が私に一緒に行こうかと尋ねる。嬉しい。行きたい。でも無理。この体調で海外へ行ったら、どうなるか心配である。娘に思い切って言った。「悪いけれどパパの動画を撮って、持ってってくれる」 私はきっとこれが最後になるであろう動画の中で、心の底から彼女に伝えたい。ありがとう、と。

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津波警報

2025年07月30日 | Weblog
  今朝午前8時25分ごろロシアのカムチャッカ半島付近を震源とするマグニュチード8.7の地震があった。ちょうど私は妻とテレビで大谷翔平選手が出場しているドジャース対レッズの試合を観ていた。最初はテロップにカムチャッカ半島でマグニュチード8.0の地震があったと出た。時間が過ぎるにつれてマグニュチードは8.9と変わり、津波警報が出された。北海道沿岸で1mの津波と表示されていた。野球中継が中断されて、津波警報だけの画面になった。女性アナウンサーの「津波が来ます。今すぐ逃げてください」という繰り返しの呼びかけが始まった。私が住む県も3mの津波が午前11時に到達すると表示された。午前10時00分に到達が予想されていた。北海道のオホーツク海沿岸に現在10時35分になっても津波は来ていない。その後津波が北海道のオホーツク海沿岸に到達した。津波は30㎝だった。
 私は疑問を持つ。別に鉄道の時刻表ではないので、津波の正確な到達時間を求めてはいない。何より大切なのは、人命の救出である。今回のように警報を発して避難を呼びかけるのは、やらなければならいことである。それでも到達時間や津波の高さを事前に知ることが出来れば、避難にも有用な情報となる。日本は気象衛星を運用している。今回のような時、衛星から津波の先頭を見つけることはできないものなのかと。東日本大震災の時の津波も衛星や飛行機による監視とか追跡の報道はなかった。衛星や飛行機による情報、そして日本の周囲を航行する船舶からの観測も役に立つはずである。それらの情報を集約してより正確な予測や警報を出して欲しい。今回津波の警報が誤報であったとしても、人々に自然災害の恐ろしさを知らしめた意義は大きい。NHKや他の放送局、気象庁、林内閣官房長官、石破総理大臣の対応にはまだまだ改善する必要がある。

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モモッカユイ

2025年07月28日 | Weblog
  暑い日が続いている。7月も下旬になった。もうずっと前から夏と思っていた。今年1週間前までセミが鳴くのを聞けなかった。やっと神社の森から元気の良いミンミンゼミが鳴くのを聞いて何故かほっとした。あまりの暑さにセミさえ地上で出てくるのをちゅうちょしているかと思っていた。
 暑いがエアコンのお陰で家の中は涼しい。汗をかくこともない。食欲もそうめんや冷やしラーメンで何とか保てている。キュウリ、トマト、ナスなどのキリギリス系の野菜も美味しく食べている。ナスを蒸かして冷蔵庫で冷やす。辛子醤油をつけて食べればご馳走である。果物もスイカ、桃が旬。
 困っているのは、痒みである。痒みの原因はダニと推測される。ダニを目で見ることは難しい。同じベッドで寝ている妻はダニに喰われることがない。妻が言うには、私は糖尿病で血が甘いのでダニは私に群がるのだと。妻はお昼寝をしない。喜寿老+oneは、昼寝を欠かさない。きっと昼寝もダニに喰われる原因かもしれない。ダニは次から次へと喰う場所を変えるので、喰われた痕が私の体からなかなか消えない。ダニの殺虫剤を散布している。電気式のダニ捕り器も常時使っている。幸い蚊に刺されることがなくなった。老人性の膚の乾燥も痒みの原因だ。痒みとは不思議な感覚である。いろいろな薬があるが即効するものは少ない。
 妻も家に居るようになって初めての夏。外に出ることもなく二人でずっとエアコンが効いた部屋に籠っている。桃の季節である。私は桃が好き。でも桃の皮を触っただけでサブサブエボが出る。昔上田ではモモッカユイと言った。どうやら方言らしい。妻は桃に触ってもサブサブエボは出ない。今年の夏は、日中に妻が冷えた桃の皮を剥いてくれる。窓から眩しい強烈な陽ざしが草木に注ぐのを見ながら、モモッカユがらずに桃を食べるしあわせ。

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「お兄ちゃん」の活躍

2025年07月24日 | Weblog
   千葉県で小学生の兄が、妹が犯罪者に団地のトイレに連れ込まれるのを助けたとニュースで読んだ。お兄ちゃんよく頑張った。私にも2人の妹がいる。子供の頃、妹たちに「お兄ちゃん」と呼ばれるといい気になっていた。兄として特段妹たちに何かをしていた記憶はない。どちらかと言えば頼りにならない泣き虫の兄だった。妹たちを守らなければという気持ちはあった。幸運にも妹たちが何らかの危険に巻き込まれる事態は起こらなかった。
 アメリカのシアトルにYellow Bomberと呼ばれた日系人ボクサーがいた。彼は妹を白人から守るためにボクシングを習った。彼の父親は、群馬県から移民していた。シアトルの郊外に養鶏場を造った。毎日馬車で取れた卵をシアトルへ売りに行った。父親が留守の間、彼は養鶏場と家族を守った。当時のアメリカは、人種差別がひどくて日本人は苦労していた。この話を直接本人から聞いた。妹を守ろうと体を鍛えてボクシングを始めた。始めるだけならだれでもできるが、シアトルでも有名な強いボクサーにまでなったのだから凄い。私も妹がいるが、日本の治安が良かったお陰で、ボクシングを習わないで済んだ。
 千葉のマンションの共有部分で兄と妹が友達と遊んでいた時、小学校低学年の妹が20歳の見知らぬ男にトイレに連れ込まれそうになった。それを見た兄は友達と勇敢にも追いかけた。他の友達は大人を呼びに行った。見事な連係プレイだった。男は駆け付けた大人に取り押さえられた。普段子供は自分が遊びに夢中になっていて他のことは目に入らないものだ。この兄は妹を見ていた。立派な兄だ。とにかく妹を事件から守った。
 小学校の教師が自分の学校の女子生徒の写真を撮ってグループで共有するという呆れたニュースもあった。幼い子供たちが大人の性欲の餌食にされる。少子化の一方、こういう性の暴走者があとを絶たない。人間社会はこうもバランスを欠く社会になってしまったのか。そんな中、千葉のお兄ちゃんの活躍で妹さんが救われたことは胸をすくニュースだった。

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どこへ連絡したらよいのか

2025年07月22日 | Weblog
  このところずっと猛暑が続いている。日課の散歩をできるだけ朝早く済ませようとしている。雨だと気温は上がらないけれど、傘をさして歩くのも大変だ。晴れていれば日の出の5時過ぎには、陽ざしがきつい。
 散歩の途中に鉄道のガード下を通り抜ける。明らかにJRの所有地と歩道の境目にススキのような植物が生い茂っている。歩道にはみ出している。暑い夏、私は半ズボンで散歩に出る。ススキのような植物の葉の両端は鋭い。喜寿老+1の私は、歩くとき足元がおぼつかない。曲がる気がないのに体が曲がろうとする。足を前方に進めているつもりなのに、前に進まない。よろめき、つまずき、急停止、急な向きの転換の常習者。ススキのような植物を避けて歩こうとしても、きちんと避けられない。私の膚はヤワなのだ。避けたつもりで避けていない。鋭い葉が私の膚を擦るように移動する。痛い。切れた。
 まだ仕事をしていた頃、紙で指や手を切ったことがある。葉で切るのも同じくらい痛い。JRのガード下の草を刈ってもらおうと思った。でもどこへ連絡して良いのか分からない。妻と散歩してその場所を通った時、葉が危険だと話した。妻があたりを見回して看板を見つけた。そこには何か異常を見かけたら連絡してほしいと電話番号が記されていた。土曜祭日だったので電話するのを先延ばししていた。次の日同じ場所を通るガード下の草むらが刈り取られていた。
 誰かが連絡してくれたのか、JRの保線区の定期的な草刈りに当たったのかはわからない。でも草を刈られたので歩道も広くなり私でも安全に歩けるようになった。猛暑日の炎天下、草刈りも大変な作業である。作業をしてくれた人々に感謝する。

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船旅

2025年07月18日 | Weblog
  友人夫妻が7月20日から初航海に出る客船『飛鳥Ⅲ』で旅に出る。私たち夫婦も以前『飛鳥Ⅱ』で函館―七尾のクルーズに参加したことがある。横浜を夕方出港して翌朝函館に着いた。函館で下船して、松前までバスで観光した。また船に戻って夜出航して翌朝石川県の七尾港に到着した。和倉温泉の旅館に一泊して新幹線で帰宅した。3泊4日の旅だった。
 船旅は船酔いさえしなければ楽しいものだ。カナダ留学を終えてバンックーバーから横浜へオーストラリア船籍のキャンベラ号で日本へ帰国した。17日間の船旅だった。途中サンフランシスコとホノルルに止まった。私は船酔いが酷くて、頭を上げると目が回ってベッドから出ることさえできなかった。もう2度と船旅はしないと決めた。しかしその後“青年の船”に講師として3回乗船することになった。キャンベラ号乗船の経験なのか船酔いすることがなかった。
 20日に出発する友人夫妻に以前船長だった人から船酔いを軽くしてよく眠ることができると教えてもらったアロマロールオンをプレゼントした。船室は密室で独特のニオイがする。アロマロールオンをこめかみや鼻の下につけると気分が落ち着いて船酔いを軽くすることができる。飛鳥Ⅲは新造船で設備も最新なので船室がディーゼル油のニオイはないだろう。船旅は船酔いしたら楽しめない。アロマロールオンの小さな瓶に「Bon voyage!」のカードを添えて渡した。

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氷結『MOTTAINAI』

2025年07月16日 | Weblog
   行きつけのスーパーの酒売り場で『MOTTAINAI』を見つけた。まずMOTTAINAIの名に注目した。手に取って詳細を読んだ。「おいしいのに訳あって捨てられてしまう予定であった、山形特産[尾花沢すいか]を使用」 驚いた。スイカの果汁(0.2%)を使ったチューハイなのだ。スイカに目がない私は即買って飲んでみることにした。
 いままでスイカのジュースにはことごとく裏切られてきた。チュニジアに住んでいた時、初めて自分でスイカのジュースを作った。地中海式気候のチュニジアは、美味しい食材が多い国だった。果物も豊富だった。夏は乾燥して気温も上がった。そんな日に冷したスイカジュースは、清涼感を与えてくれた。日本から持って行った反物のガーゼでスイカを絞った。このガーゼの反物(東京築地の場外市場の道具屋で売っている)は、海外生活に役立つ。怪我をした時などの包帯にも使える。料理でも出汁を濾す時には重宝する。大き目のボールにガーゼを敷いて、そこへスイカを入れ包み込む。ガーゼからスイカがはみ出ない様にして手で絞る。ボールにスイカのジュースを貯める。それを適当な容器に入れる。冷蔵庫で保管する。スイカの他にサボテンの実もスイカと同じ方法でジュースにして飲んだ。最高のジュースだった。
 チュニジアの自分で作ったスイカジュースの味が私のスイカジュースの基準になっている。日本に帰ってきて成城石井などでいろいろなスイカジュースを買って飲んでみた。どれも私のスイカジュースの基準を満たさなかった。結局またチュニジアでやっていたようにガーゼでスイカを絞った。喜寿老は、もうスイカを丸で買うことができない。ヨロヨロな上に物を落とすことが多い。日本にはカットスイカという喜寿老に優しい方法でスイカを売っている。
 今年の夏もすでに6月から猛暑日が続いている。外に出られない。熱中症を防ぐために水分を多く摂るようにしている。冷やしたポカリスエット、日本茶、ブラックコーヒー。凍ったネッククラ―や頭に水で濡らした特製の冷やし布を姉さんかぶりにしている。私にはスイカが猛暑日のオアシスのように感じる。
 スーパーで『氷結MOTTAINAI』を3缶買ってみた。カットスイカも買った。妻が退職して家に居るようになってから晩酌が以前より楽しみになった。妻が働いていた時は、夕方夕飯の用意を私がひとりでした。今は夫婦二人で台所に立って一緒に料理して夕飯の用意をしている。歳を取ってくると食べ物の好みが変わってくる。その日の体調で、何を食べたいかも変わる。一緒にいると献立を決めるのも早い。妻は毎晩ジントニックと決まっている。私は『氷結MOTTAINAI』を大きなグラスにカットスイカの種を外して細かくカットして入れる。氷を入れ、『氷結MOTTAINAI』を注ぐ。妻とグラスを合わす。アルコール分も4%なので私にはちょうどいい。
 妻が家に居るようになってから夕食は5時30分になった。以前は7時だった。大相撲が始まった。録画でなくライブで観られる。スイカの『氷結MOTTAINAI』を飲む。相変わらず関取への厳しい妻のツッコミは、良いツマミである。年金生活になったばかりの夫婦がようやく落ち着き始めたようだ。

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期日前投票

2025年07月14日 | Weblog
  妻と期日前投票に行って来た。妻が年金生活者になって初めての国政選挙である。今までのように妻の休日に投票に行く必要がなく平日に行ける。会場は市役所の中に設けられていた。投票所に入って驚いた。期日前だというのに投票所には10人近くの担当係員や立会人がいた。期日前投票の立会人は、日当が9600円と決まっている。国政選挙1回あたりの国費投入額は、約6000億円である。選挙のたびに思う。投票する国民の税金でこの膨大な選挙費用を負担する。疑問である。ある人が言っていた。「国会議員も馬鹿が多いが、その国会議員に投票する国民は、もっと馬鹿」 その国民のひとりである私の胸にグサッと刺さる言葉である。
 選挙でだれに投票するか決めるのに最も影響するのは何かという調査の結果を見た。上位に「知人・友人・家族・親戚」が入っていた。私たち夫婦は、選挙に関してお互いに秘密主義である。妻に誰に入れてくれと頼んだことがない。誰に入れたと尋ねたこともない。選挙の投票は、個人の大切な権利である。何人も強制できない。宗教政党や党利党略しか頭にない既成政党の支持母体のための選挙は、私の定義で選挙と呼べない。それでも馬鹿な私は、「愛妻・納税・投票」にこだわる。正直、選挙で毎回誰に投票するか迷う。でも妻と選挙の事で相談しない。結婚してからずっと選挙で「見ざる聞かざる言わざる」の夫婦関係であることを誇らしく思う。
 だれに投票するかの影響力の調査にSNSが入っていた。最近の調査でSNSの影響力が大きくなっていると記されていた。私も妻とYouTubeでいろいろな政党の動画を観る。NHKテレビの政見放送も観る。多くは演説が下手だ。聴くに堪えない。大相撲の口が回らない解説者やアナウンサー、MLB中継の饒舌でないアナウンサーや何を言いたいのかわからない解説者。どうして、こう何もかもレベルが落ちてしまったのか。悲しくなる。
 見た目でだれに投票するか絶対に決めたくない。昔晩年を長野県の丸子町に住んでいたロケット博士として有名だった糸川英夫博士が「選挙は顏」と言った。それを聞いた時、がっかりした。糸川博士でさえ、見た目なのかと。良く聞いてみると顔は、その人の持つ教養・経験・情熱などを表すというのだ。たまたま私が糸川博士を訪ねていた時、ある地方議員の立候補者が相談に来た。その人が帰った後、糸川博士が「あの人は当選できません。顔でわかる」と言った。相談に来ていた候補者は落選した。国民の多くは、糸川博士が顔でその候補者の中身を透視するかのように判断することはできない。今回の参議院議員選挙で私は歳の功か、立候補者の顏から今までとは違うものを読み取れるような気がする。
 今回の選挙で少し日本が変わるかもしれない。支持母体や組織や世襲や地域のしがらみから距離を置く若者が声を上げているように見受けられる。まだまだ日本の政治は、旧態依然で進化が見られない。そんな中で何か微かな胎動が始まっている。支持母体や組織に属していない人々が、彼等とは違った目線で候補者を探し始めた。アメリカのトランプ大統領は、信用できないが、彼のお陰で日本の政界に変動が起きつつある。世界に出ても堂々と相手と渡り合える真の政治家が近い将来出てくることを祈る。

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グラジオラス

2025年07月10日 | Weblog
  先日猛暑日の中、友人がたくさんの切り花を届けてくれた。赤いグラジオラスと薄紫のムラサキクンシラン。私は生の切り花を部屋に飾るほどの贅沢はないと思っている。枯れると分かっていても私たちは家の中に飾る。綺麗な状態は、短い。枯れた花を捨てる時、何か釈然としない気持ちになる。わざわざ生えている花を切り取った罪悪感なのか、買った花なら無駄遣いしてしまった後悔なのか。罪悪感も後悔も花が私に与えてくれる美と畏敬に敵わない。花を見て、美しいと思う気持ちが心を満たすと、時間が止まるようだ。
 全面的に信じるわけではないが、花言葉や花の名前の由来を調べるのが好きだ。グラジオラスを調べた。名前の由来は、古代ローマの剣(gladius)グラディウスだという。そう言われれば、確かにグラジオラスの葉は、剣のようだ。葉にそって上にせりあがるように花が連なるさまも古代ローマの絢爛な剣を連想させる。花の咲き方も下から順に開くので、葉と共に剣を模っているように見える。花言葉は、剣からの発想か、“勝利・用心・情熱的な恋・誠実”だという。真っ赤なグラジオラスを見て、古代ローマの人々の暮らしを想い、花言葉が私にとって納得できるものかしばし考える。
 終の棲家として今住む集合住宅に越してきて20年が過ぎた。糖尿が原因で狭心症になった。心臓バイパス手術を受けた。手術後、医者に「これからはできるだけ心臓に負担をかけない温かい所に居てください」と言われた。今住む所は、温暖である。生まれ故郷の長野県の上田市は、冬は寒い。まず散歩して12月1月2月に花を見ることはない。今住む町は、1年中散歩途中で花を見ることができる。1月日向で朝顔が咲いているくらいである。散歩を日課とする喜寿老(77歳)には、季節ごとに花を見るのが大きな楽しみとなっている。散歩の道順はほぼ決まっている。毎年どの花は、何月が見頃か20年も散歩を続けているとわかる。
 庭でいろいろな花を育てる家がある。ガーデニングは、手間や植物に関する知識や経験を必要とする。その時期による庭の見栄えを計算しているかのように綺麗な庭にしている家が5,6軒ある。秋立派な菊を並べる家。白い百合カサブランカを見事に咲かせる家、白地に薄っすらピンクを纏うアジサイ天使のほっぺ、トランペットのようなダチェラ(朝鮮朝顔)、思わず深呼吸してしまうジャスミン、セネガルを思い出すジャカランタ、書ききれないほどの多くの花。その世話をしている人たちは、名人と言っても良い。時々花壇の手入れをしているのを見かけることもあるが、ほとんどがあったこともない人々である。ここに住み始めた頃、綺麗な花壇のある家がもっとあったが、ここ数年何軒かが、花壇を取り払って、ただのコンクリートにしてしまった。たぶん家人が年齢のせいでガーデニングを続けられなくなったのだろう。寂しいが長年楽しませてもらえ、感謝している。
 グラジオラスとムラサキクンシランを届けてくれた友人も、少し前まで庭でたくさんの花を育てていた。高台の庭の目立つところにあったシャクナゲは見事だった。数年前に突然枯れてしまった。そんな庭の花壇に残ったグラジオラスとムラサキクンシランを猛暑の中切ってわざわざ届けてくれた。友人も80歳を超えた。私と同じ様に暑さで家に籠りがちになっている。花を届けてくれる友がいてくれる。嬉しい。幸せだ。

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