2日目の西田哲学館での講座を終え、いよいよ最後に向うは羽咋市にある永光寺です。
もともとは金沢市内にある大乗寺を予定していたのですが、
ツアーメンバーが20人を越えたため、通常の座禅会に合流できず
お願いしたのが、曹洞宗の聖地の1つである永光寺でした。
永光寺は、後に総持寺を開いた螢山禅師によって開かれたお寺です。
私が永光寺を知ったのは、横浜市鶴見区の総持寺を訪ねた時。
総持寺と永光寺の住職を歴任された螢山禅師と峨山禅師が大切な存在として
紹介されているのを見て目が釘付けになってしまいました。
羽咋にそんな由緒のあるお寺があったのか…その時はそんな印象でした。
しかし、その後も興味は失せることなくいろいろ調べると室町時代から保存されている
文化財の多さにただならぬお寺だということを感じずにはいられませんでした→コチラ
そして実際に門のところに立った時に、ただならぬ経験になるだろうと予感しましたが、
階段の上にそびえる山門を見た時に確信に変わりました。
座禅の説明を受け、そして僧堂へ。
参加者が、静かに心を鎮め一炷の座禅を共にします。
尊敬する先輩が、進んで警策を受けます。
僧堂に「パシッ」という音が響き渡ります。
蝉しぐれの中、印象にのこる座禅体験でした。
座禅に続いて拝観させていただきました。
今年は峨山禅師没後650年で、そのお姿の像を拝見しました。
優しい顔立ちに、なんとも言えぬ安らぎを覚えたのは私だけではないと思います。
そして、禅の思想・哲学やマインドフルネス手法に巡り会えたことへの
感謝とともに手を合わせました。
そして、江戸の幕末、西郷隆盛に一目置かれた無私の人:山岡鉄舟の書は
圧巻でした。
その昔、永光寺の修繕費用を捻出するために、求めに応じて荷車いっぱいの書を
持たせてくれたという山岡鉄舟のエピソード。
禅の実践とはどういうことかを圧倒的な迫力をもって教えてくれる大作でした。
あたたかいお茶とお菓子をいただき、この旅が終わりに近づいていくことは少し
惜しい感じもしましたが、どの一瞬一瞬も大好きなメンバーとかけがえのない時間を
過ごすことができ本当に素晴らしい旅になりました。
このような体験ができたことを心より感謝いたします。
これからも何らかの形でこのような企画を続けていきたいと思います。
もともとは金沢市内にある大乗寺を予定していたのですが、
ツアーメンバーが20人を越えたため、通常の座禅会に合流できず
お願いしたのが、曹洞宗の聖地の1つである永光寺でした。
永光寺は、後に総持寺を開いた螢山禅師によって開かれたお寺です。
私が永光寺を知ったのは、横浜市鶴見区の総持寺を訪ねた時。
総持寺と永光寺の住職を歴任された螢山禅師と峨山禅師が大切な存在として
紹介されているのを見て目が釘付けになってしまいました。
羽咋にそんな由緒のあるお寺があったのか…その時はそんな印象でした。
しかし、その後も興味は失せることなくいろいろ調べると室町時代から保存されている
文化財の多さにただならぬお寺だということを感じずにはいられませんでした→コチラ
そして実際に門のところに立った時に、ただならぬ経験になるだろうと予感しましたが、
階段の上にそびえる山門を見た時に確信に変わりました。
座禅の説明を受け、そして僧堂へ。
参加者が、静かに心を鎮め一炷の座禅を共にします。
尊敬する先輩が、進んで警策を受けます。
僧堂に「パシッ」という音が響き渡ります。
蝉しぐれの中、印象にのこる座禅体験でした。
座禅に続いて拝観させていただきました。
今年は峨山禅師没後650年で、そのお姿の像を拝見しました。
優しい顔立ちに、なんとも言えぬ安らぎを覚えたのは私だけではないと思います。
そして、禅の思想・哲学やマインドフルネス手法に巡り会えたことへの
感謝とともに手を合わせました。
そして、江戸の幕末、西郷隆盛に一目置かれた無私の人:山岡鉄舟の書は
圧巻でした。
その昔、永光寺の修繕費用を捻出するために、求めに応じて荷車いっぱいの書を
持たせてくれたという山岡鉄舟のエピソード。
禅の実践とはどういうことかを圧倒的な迫力をもって教えてくれる大作でした。
あたたかいお茶とお菓子をいただき、この旅が終わりに近づいていくことは少し
惜しい感じもしましたが、どの一瞬一瞬も大好きなメンバーとかけがえのない時間を
過ごすことができ本当に素晴らしい旅になりました。
このような体験ができたことを心より感謝いたします。
これからも何らかの形でこのような企画を続けていきたいと思います。
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