私は、決めつけられるのが嫌いだ。決めつけられているとわかるとなぜか動けなくなる。私だけぢゃないと思うけどさ。良い意味で決めつけられると「それだけの人間じゃない、どこ見てんのよー、そこぢゃないでしょ?」と反発し、悪い意味で決めつけられると「そんな人間じゃない」と心の中で反発しながら、ぐっと我慢する。もっともツライのは良いところも悪いところも、「自分の知らない、気づかない自分」だけで決めつけられることだ。たとえそうだとしても自分で受け入れられないないうちに決めつけられると消化不良な訳で・・・・。まっ良いことはありがたく受けとりゃぁ済むわけなんだけど。
先週はそういうイライラが積み重なった。長い長い毎日であった。心の中に「枠にはめるな、決めつけるな」と叫ぶ子供がいる(笑)
同時に自分自身も人を枠にはめてもいけないと思う。人のいろんな部分を静かに見ることが必要だと思う。私はいまだにエニアグラムではタイプが何か迷う余地を残している。「はるさんって、タイプ○じゃないの?」って印象付ける決定的な決め手もない。現れる行動は同じでも、行動を起こすエネルギー・動機は皆違う。エニアグラムが難しいのはここだ。人は多くの場合、行動で評価され、動機は本人以外には推測レベルでしかない。エニアグラムは、動機とじっくり向かい合い、自分のタイプは自分で決めることに意味がある。
先週は珍しくそんな心労がたたった。明日は、きちんと心を清める必要ありですな。
先週はそういうイライラが積み重なった。長い長い毎日であった。心の中に「枠にはめるな、決めつけるな」と叫ぶ子供がいる(笑)
同時に自分自身も人を枠にはめてもいけないと思う。人のいろんな部分を静かに見ることが必要だと思う。私はいまだにエニアグラムではタイプが何か迷う余地を残している。「はるさんって、タイプ○じゃないの?」って印象付ける決定的な決め手もない。現れる行動は同じでも、行動を起こすエネルギー・動機は皆違う。エニアグラムが難しいのはここだ。人は多くの場合、行動で評価され、動機は本人以外には推測レベルでしかない。エニアグラムは、動機とじっくり向かい合い、自分のタイプは自分で決めることに意味がある。
先週は珍しくそんな心労がたたった。明日は、きちんと心を清める必要ありですな。
新しい環境で、「何か決めつけられる」と感じることがあり、心がザワザワとイライラしているのですね。怒りも、感じているのですかね。
私は、今年に入ってから、いろいろ仕事や昇任の事で、今もですが、これでもか、これでもかと問題が生じます。結構、頭の中で心配事が膨らみ、夜、頭がジンジンと考え事で廻って少ししか寝れないこともありました。
いまは、少し開き直ってきているのと、鈴木先生がよく言っていはる、物事が起きるのは、すべて中立だ。そのことをどう感じどう捉えるかは、その本人の問題だ。とうことをすごく自分の中で意識するようになりました。いろいろ生じる事について、自分がどう思うのか、捉えるかで気持ちが違うことを。
これは、何もすべて前向きでなくても、自分と等身大に捉えて、苦しければ、苦しいと思えば良いと思うし、自分と気持ちのバランス
を整えるようにし、少し楽になりました。
タイプにこだわらず、エニアの知恵は、自分に等身大に向きあう事を教えてくれているのでないかと感じています。
お久しぶりです。いつも受容に満ちたコメントありがとうございます。私には眠れないことはないのですが、開き直るというのが少し難しいように感じています。やっぱり人目を気にしてしまうんですよね。
苦しければ苦しいと思えばよいというのは、私には少し難しいことなのかもしれません。なぜ、自分の中に生まれてくる感情を素直に向き合わないのか、受け止めないのか、人にも伝えないのか、こんなあたりができないのだと思います。今起きているザワザワやイライラには、きちんと向き合い、統合の方向に向かえるようになりたいと思います。いつもありがとうございます。
ご訪問とコメント、ありがとうございました。このような場で再会できるなんて、感激です。
ウエルカムパーティー出席者のなかで下関から来たというのは、わたしだけだったと思います。その名刺にへたくそなたまごの絵がついていたら、間違いなく、わたしです。
今後ともよろしくお願いいたします。
下関と聴いて、卵の名刺すぐピンと来ましたよ。下関には修学旅行で行きました。山口もいいところですよね。父の仕事で下松・光と行ったことがあります。
私の生まれは日本海側なので瀬戸内海の穏やかな海が同じ海じゃないみたいな思い出があります。私の下関の知人を紹介させていいただきますね。また遊びにいらしてくださいね!