「歩いても、歩いても」を澁谷のアミュズCQNで見てきました。
監督の是枝裕和氏については、「ワンダフルライフ」や「DISTANCE」、「誰も知らない」で知っていたので、今回の映画が公開されたら是非見たいものだと思っていました。
この映画では、実に淡々と描かれていた「ぐるりのこと」に輪をかけて何も起きません。長男の命日に両親の家に子供たちが集まった一日を、どこでも見かけるような一日として描き出しているに過ぎません(是枝監督のこれまでの作品は、どれもかなり特異な状況が設定されていましたが、今回の映画はごく普通のシチュエーションが設けられています)。
それでいて、少しも「退屈」ではなく、モットモットこの雰囲気を味わいたいと観客に思わせます。といって、ほのぼのとした楽しげな雰囲気というわけではなく、逆に、子供たちと両親との関係は、表面は取り繕われていますが、それぞれの発する言葉やしぐさの一つ一つから波乱の予感が醸し出され、緊張感に溢れているのです。
それが、重厚に練り上げられた画面の中にしっかり捉えられているので、事件が何一つ起こらず、かつ2時間近い上映時間であっても、マッタク飽きることがありません。
これに対して、前田有一氏は、「たった1日にしてはあまりに出来事、すなわち動きが多すぎる。やたらと濃厚な24時間は、リアリティに欠ける事甚だしい」と厳しい批判を浴びせます。
ですが、長男の命日(15周忌)に、長女や次男が、それぞれの連れ合いや子供まで連れて集まるわけですから、このくらい「濃厚」であっても何ら不思議ではないと思いますし、何より濃厚だとされる「出来事」にことさらなものは何もないのです。
特に、前田氏は、「「こういう家族あるよね、ね、ね?」とひっきりなしに同意を求められているようで、大変うざったい」と述べていますが、そんなことより、それぞれの登場人物が話す言葉とか仕草・身振り一つ一つに込められた意味を探ろうとしながら見ていると、是枝氏がいわゆる「ホームドラマ」(「あるある感」が重要な要素となる)を提示しようとはしていないことが分かってくるというものです。
いわゆる「ホームドラマ」というよりも、むしろ、この映画は、「死」を裏から絶えず描き出そうとしているのではと、私には思えました。一番深いところで蟠っているのは、勿論、期待されていた長男の死ですが、それだけでなく、高齢になった両親(原田芳雄と樹木希林)もそれぞれ自分の死を意識しますし、次男(阿部寛)と一緒になる女性(夏川結衣)も、連れてきた子供を見るたびに死んだ夫のことが脳裏に浮かびます。前の家の奥さんも、心筋梗塞で倒れました。でも、日常生活は、淡々と進んでいきます。
一時は興行成績がアップし洋画を追い抜いたと意気軒昂だったのが、その後乱作気味になって質が低下しのではと思っていましたら、「接吻」、「ぐるりのこと」、「休暇」、そしてこの映画と、最近また大層良質の邦画を何本も見ることが出来るようになったように思います。
監督の是枝裕和氏については、「ワンダフルライフ」や「DISTANCE」、「誰も知らない」で知っていたので、今回の映画が公開されたら是非見たいものだと思っていました。
この映画では、実に淡々と描かれていた「ぐるりのこと」に輪をかけて何も起きません。長男の命日に両親の家に子供たちが集まった一日を、どこでも見かけるような一日として描き出しているに過ぎません(是枝監督のこれまでの作品は、どれもかなり特異な状況が設定されていましたが、今回の映画はごく普通のシチュエーションが設けられています)。
それでいて、少しも「退屈」ではなく、モットモットこの雰囲気を味わいたいと観客に思わせます。といって、ほのぼのとした楽しげな雰囲気というわけではなく、逆に、子供たちと両親との関係は、表面は取り繕われていますが、それぞれの発する言葉やしぐさの一つ一つから波乱の予感が醸し出され、緊張感に溢れているのです。
それが、重厚に練り上げられた画面の中にしっかり捉えられているので、事件が何一つ起こらず、かつ2時間近い上映時間であっても、マッタク飽きることがありません。
これに対して、前田有一氏は、「たった1日にしてはあまりに出来事、すなわち動きが多すぎる。やたらと濃厚な24時間は、リアリティに欠ける事甚だしい」と厳しい批判を浴びせます。
ですが、長男の命日(15周忌)に、長女や次男が、それぞれの連れ合いや子供まで連れて集まるわけですから、このくらい「濃厚」であっても何ら不思議ではないと思いますし、何より濃厚だとされる「出来事」にことさらなものは何もないのです。
特に、前田氏は、「「こういう家族あるよね、ね、ね?」とひっきりなしに同意を求められているようで、大変うざったい」と述べていますが、そんなことより、それぞれの登場人物が話す言葉とか仕草・身振り一つ一つに込められた意味を探ろうとしながら見ていると、是枝氏がいわゆる「ホームドラマ」(「あるある感」が重要な要素となる)を提示しようとはしていないことが分かってくるというものです。
いわゆる「ホームドラマ」というよりも、むしろ、この映画は、「死」を裏から絶えず描き出そうとしているのではと、私には思えました。一番深いところで蟠っているのは、勿論、期待されていた長男の死ですが、それだけでなく、高齢になった両親(原田芳雄と樹木希林)もそれぞれ自分の死を意識しますし、次男(阿部寛)と一緒になる女性(夏川結衣)も、連れてきた子供を見るたびに死んだ夫のことが脳裏に浮かびます。前の家の奥さんも、心筋梗塞で倒れました。でも、日常生活は、淡々と進んでいきます。
一時は興行成績がアップし洋画を追い抜いたと意気軒昂だったのが、その後乱作気味になって質が低下しのではと思っていましたら、「接吻」、「ぐるりのこと」、「休暇」、そしてこの映画と、最近また大層良質の邦画を何本も見ることが出来るようになったように思います。