あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

美味しいお蕎麦をいただきました

2013-09-15 | グルメ
美味しいお蕎麦の紹介です。

富士山周辺には至る所で湧水が湧いていますが、これはお山の雪解け水が地下の溶岩の間でおよそ20年の歳月をかけて濾過され、地上に出てくるためです。
山梨県忍野村にある「忍野八海(おしのはっかい)」はその湧泉群として有名であり、国指定の天然記念物として名水百選にも指定されていますが、周辺にはその水を使って打った自家製蕎麦を売る店が数件あります。
その内の1軒が「三浦製麺所」で、時々購入しています。
 

お蕎麦の食べ方は色々ありますが、夏の間は薬味を沢山入れた冷たいお蕎麦が良いです。


更に、富士吉田市には馬肉が美味しい「お茶屋肉店」というお店があり、ここでは「鴨肉」も売っているので、これを使って冷たいお蕎麦に暖かい汁の「鴨南蛮蕎麦」も美味しいです。
   

鴨肉がない時は、豚小間肉を使い、キノコなどを入れても、美味しくいただけます。


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イーディ・ゴーメの2枚のアルバム

2013-09-14 | 演歌・ポップス
ポピューラー界の実力人気シンガーであり、アメリカ芸能界の大スターのアルバムを2枚紹介します。
この2枚は、数年前に何時もの中古レコード店巡りをしている時に、偶然見つけたもので、決して珍しくはないのですが、話題性に富んだものなので購入しました。
そして2枚共に棚の肥やしになることはなく、時々ターンテーブルに乗る愛聴盤となっています。

その1枚目は、1962年12月から63年1月にかけて録音された「BLAME IT ON THE BOSSA NOVA / EYDIE GORME」で、ジャケットをご覧になった方もいらっしゃると思います。
   
[ SIDE A ]
1. ワン・ノート・サンバ                                     
2. メロディー・ダモール             
3. ギフト ( リカード・ボサノバ )        
4. 甘き調べ                 
5. ダンセロ                  
6. 恋はボサノバ
[ SIDE B ]
1. デサフィナード
2. 恋のメッセージ
3. まるで恋のようだ
4. ムーン・リバー
5. コーヒー・ソング
6. アイ・リメンバー・ユー

1962年頃から新しい音楽としてのボサノバが流行したことがきっかけとなって、このアルバムも制作され、1963年に6曲目(SIDE 1)のタイトル曲である「恋はボサノバ」が全米で大ヒットしました。
今回の「お題」は3曲目 ( Side 1 ) のギフト(リカード・ボサノバ)で、20年ほど前に日本では「セブンスターEX」のCF曲として、このゴーメの唄が電波に乗り、それから有名になりました。
元々この曲は、ブラジルのルイス・アントニオ(詞)と、ジャルマ・フェイレラ(曲)が1959年に共作したボサノバで、
ポール・フランシス・ウェブスターが英訳詞を書いて「リカード・ボサノバ」として知られるようになりました。
詞の内容は「私はあなたに真珠の首飾りなどではなく、愛を贈る」というものです。

軽快なテンポで演奏されるこの曲を、他のアーティストから拾ってみました。
1) 「CANTANDO BOSSA NOVA」(1962年作品)
フィリピン出身の女性歌手(ヴァイ・ヴェラスコ)と、ズート・シムス(ts)の共演盤で、リカード・ボサノバだけはスキャットで唄われています。
 

2) ギターのバーニー・ケッセルのトリオで「ON FIRE」(1965年作品)
 
アップ・テンポで演奏されるリカード・ボサノバ、メチャ カッコ良いです。
以前国内盤LPで発売された時は、音もイマイチでしたが、マスター・テープの発見により音質は格段と向上しています。

3) ハンク・モブレーの「DIPPIN’」(1965年作品)
   
ジャズ演奏では最も有名なアルバムで、このアルバムを知らない人がいたとするなら、まだまだ修業が足りません。
このアルバムの人気の秘密は、もちろん「リカード・ボサノバ」です。
日本では「ボサ・ノバNo.1」のタイトルで発売されてヒットしたことがありました。
ボサノバというよりはボサ・ロックと呼んだほうがいいような調子のいい曲で、マイナー調の哀愁を帯びたテーマが良いです。

番外編では、セブンスターEXのCMが流行っていた頃、イノウエ・マキという歌手が唄った映像もありましたが、この時のスポンサーは「サッポロ・ビール」でした。(笑)
 


さてさて、イーディ・ゴーメさんが忘れられそうになったので、2枚目に移ります。
彼女のアルバムにはボサノバの他に、ラテンを唄ったものもあり、それが次のアルバムです。
「EYDIE GORME & THE TRIO LOS PANCHOS」 (1964年作品)
   
[ SIDE A ]               
1. ニッケ色の肌             
2. そして……             
3. 私達                
4. あなたのそばへ戻るとき
5. 本当じゃないと言っておくれ     
6. ある恋の物語 
[ SIDE B ]
1. サボール・ア・ミ
2. アモール
3. ノーチェ・デ・ロンダ
4. カミニート
5. メディア・ブエルタ
6. 最後の夜

この録音が生まれたきっかけは、62年にトリオ・ロス・パンチョスがNYのマンハッタンにあるクラブ「コパカバーナ」に出演した際に、同じステージで唄っていたゴーメの歌声に魅せられて、パンチョスのほうから共演を申し入れ、実現したものです。
トリオ・ロス・パンチョスはメキシコ人のグループですが、1944年にNYで結成されています。
この録音時は、トップ・テナーのジョニー・アルビノが在籍し、一番充実していた時期のものですが、主役はゴーメなので、パンチョスはバック・コーラスをつけ、ゴーメの唄を引き立たせています。
有名曲の「ある恋の物語」は、トリオ演奏の時と同じレキント・ギターのイントロから始まりますが、面白いのはゴーメが唄うスペイン語の徹底した巻き舌です。(ちょっと嫌味?)

ラテン音楽は私の好きなジャンルでもあり、中でもトリオ・ロス・パンチョスの歌は、昔から良く聴いていました。
当時コロンビアから発売されたレコードで、中に入っている1曲が契約の関係から発売中止となり、途中で回収されてしまったレコードを探しています。
このアルバムが入手できたら、トリオ・ロス・パンチョスを再び登場させたいと思います。

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私の愛聴盤(第22回)

2013-09-13 | 私の愛聴盤
第22回はソニー・クリスの「ジス・イズ・クリス」です。

ソニー・クリス(SONNY CRISS) 本名 WILLIAM CRIS (1927年10月23日 – 1977年11月19日)
この人もテネシー州メンフィス生まれです。
1940年代に登場したアルト・サックス奏者で、77年に亡くなるまで常に歌心溢れるプレイで、聴く人を魅了しました。
15歳でロサンジェルスに移り、高校時代にプロ活動を開始しています。
アルト・サックスがゆえに「チャーリー・パーカー派」と呼ばれましたが、そのスタイルは生涯全く変わることなく、アルトサックス1本で勝負した名手でした。
しかし、余りにもパーカーに似ていたことから「The Next Bird」と呼ばれたこともあり、パーカーという大きな存在があったため、ソニー・クリスへの注目度には限界がありました。
1949年に初めてリーダー・アルバムを録音しますが、次の吹き込みは56年までなく、その後の3年間で4枚のリーダー・アルバムがマイナー・レーベルに残されています。 
彼のアルバムはこの4枚で十分と言う人もいますが、今回取り上げたプレステッジや、晩年のザナドゥにもお勧め盤があります。

当時、西海岸ではスタジオの仕事はありましたが、アルト・サックス1本で勝負するタイプのクリスには向かず、61年には突然パリに渡ってしまいます。
下はパリに滞在中のレコーデイング・アルバムです。


そして、63年に再びアメリカに戻りますが、相変わらず彼を受け入れる状況は整っておらず、仕事も殆どなく、60年代後半にはノイローゼのため演奏を休止しています。
こうした不遇下にあったクリスに日が当たったのは、ドン・シュリッテンのプロデュースによりプレスティッジに吹き込みを行うようになってからで、66年から69年までの3年間で、7枚のアルバムを精力的に吹き込んでいます。
その後は、持ち前の真面目で多感な性格から社会に順応出来ず、病気やノーローゼに悩まされることとなり、初の日本公演を直前にして、ピストル自殺してしまいました。

今回の愛聴盤はプレスティッジにおける最初のレコーディングで、バックを務めるリズム隊もベテラン勢です。
そして取り上げられている曲目も、2曲のブルースを除くと他はスタンダード、映画主題歌などで、いずれも馴染みの曲ばかりです。

「THIS IS CRIS」 PRESTIGE PR 7511
  
1. BLACK COFFEE
2. DAYS OF WINE AND ROSES (酒とバラの日々)
3. WHEN SUNNY GETS BLUE
4. GREASY
5. SUNRISE, SUNSET (屋根の上のヴァイオリン弾き)
6. STEVE’S BLUES
7. SKYLARK
SONNY CRISS(as) WALTER DAVIS(p) PAUL CHAMBERS(b) ALAN DAWSON(ds)
録音 1966年10月21日

オープニングの曲は「ブラック・コーヒー」で、深夜のムードが漂うバラードですが、決してインスタント・コーヒーではなく、本物の苦いコーヒーの味がする名演です。
原曲の持っている雰囲気そのままのブルージーなフレージングが最高で、ピアノのウォルター・デイビスのシングル・トーンも冴えています。
以前紹介したペギー・リーの唄と完全に勝負できます。但しこちらはインストですが…
そして次のアップ・テンポの曲では、クリスの本領が発揮され、演歌でいう「こぶし」のような独特の節回しで、一聴すれば直ぐにクリスであることが分かります。
3曲目は多くのジャズメンが好んで演奏するバラードです。
LP裏面の解説書ではアイラ・ギドラーが、「歌詞を覚えるまでバラードは演奏しないこととしている。これはコード進行と同じくらい私にとって重要なことなんだ」とクリスの発言を紹介しています。
以下、いずれも聴きどころ満載の優れたアルバムで、明るい音色と時折見せる暗い陰影が「タマラン坂」です。
ちなみに録音エンジニアはRVGで、収録されている「音」にも注目です。
上記のレーベル「SIDE 1」の右下に「VANGELDER」の刻印があり、正真正銘のヴァンゲルダー・サウンドを聴くことができます。

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9月の富士山

2013-09-12 | 富士山
9月12日の富士山です。

下の4枚は午前6時30分頃撮ったもので、この時、お日様は出ていましたが、雲に遮られていたため、お山に日は当たっていませんでした。
空の雲も秋の様相で、外気温は18℃、ススキも顔をだし、本当に気持ちの良い朝でした。
      

上の写真から10分程で、雲の間から日が差しはじめ、お山の中腹がほんのり明るくなりました。
そして最初の写真からおよそ1時間で、すっかり快晴の空になりました。
その後は雲が出て来て、一度は完全に雲に隠れた富士山ですが、夕方は4枚目のようになりました。
    

今年も全く雪がないお山は、これで見納めでしょうか。
次回、写真を撮るころには、初冠雪の声も聞かれることと思います。

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アトランティックのチャールス・ロイド

2013-09-10 | JAZZ
チャールス・ロイドはアトランテック・レーベルから8枚のレコードが発売されていますが、ブートレグのCDを1枚挟み、録音順に並べてみました。

1枚目は前のコーナーで紹介しましたが、アトランテックへ移籍後の最初のアルバムで、ベースは4作目までがセシル・マクビーとなっています。 
「DREAM WEAVER」 SD - 1459  録音 1966年3月29日 NY
   

次は番外編のブートレグのCDですが、クレジットが正確なら次のアルバムの間に位置する、初めてのノルウェー・オスロと、スイス・モントルーのライブになります。
「FOREST FLOWER」 Jazz Birdie’s Of Paradise J - Bop 050 
録音1966年5月7日 (Oslo)  1967年(Montreux)
7曲目だけはProgueとなっていますが、Pragueではないかと思われ、そうであればチェコ共和国の首都のプラハとなります。
 

上記のCDのライブに続いて、再びオスロのアンティーブ・ジャズ祭に出演。
「THE FLOWERING OF THE ORIGINAL RECORDED IN CONCERT」 SD - 1586  
録音 1966年7月23日、24日 Oslo
   

モンタレー・ジャズ・フェスティバルでのライブで、大ヒット・アルバムとなりました。
このタイトル曲の初演は、コロンビア・レコードの第1作で1964年5月に録音されています。
「FOREST FLOWER」 SD - 1473  録音 1966年9月18日 CA
   

オスロのオウラエン・ホールでのライブで、キースは1曲目でピアノの弦を直接弾いています。
「IN EUROPE」 SD - 1500  録音 1966年10月29日 Oslo
   

ロックの殿堂“フィルモア・ウエスト” に、マイルス・デイビスより早く登場しています。
ここからはベースがロン・マクレアに代わっています。
「LOVE IN」 SD - 1481  録音 1967年1月27日 SF
   

上記のラブ・インの続編で、ここではキース・ジャレットがソプラノ・サックスも吹いています。
このアルバム収録曲の他に、1曲はEUのレーベルに記録があり、更に4曲が未発表となっています。
「JOURNEY WITHIN」 SD - 1493  録音 1967年1月27日 SF
   

ソビエト圏(エストニア)のジャズ祭に、西側のグループとして参加した記録で、以前国内盤で発売された時は、赤いジャケットに文字のみ書かれていました。
この時の演奏はCDでも発売されていますが、ジャケットの絵柄は、これと同じロイドのイラストです。
「IN THE SOVIET UNION」 SD - 1571  録音 1967年5月14日 Estonia
   

オリジナル・カルテットの最後のアルバムとなったニュー・ヨークのタウン・ホールでのライブです。
「SOUNDTRACK」 SD - 1519  録音 1968年11月15日 NY
   

余談ですが、当時このオリジナル・カルテットが来日するということで話題になりましたが、蓋をあけてみたらキース・ジャレットが抜け、日本公演はトリオで演奏をしていたことを思い出しました。

以上「8+1」のアルバムを紹介しましたが、この後、暫らくはジャズと離れて、トランセンデンタル・メディテーションの教師になったり、ビーチ・ボーイズのメンバーを迎えて、ロックのアルバムを作ったりしています。
その後、フランス人ピアニストのミシェル・ペトルチアーニを迎え入れて、再びカルテットでの活動が再開され、1982年7月のスイス・モントルー・ジャズ祭で完全復活を果たします。

また1985年2月22日には史上最大のジャズ・コンサートと銘打って、ニューヨークのタウン・ホールで、往年のメンバーが結集した「ワン・ナイト・ウイズ・ブルーノート」なるコンサートが開催され、この日の全貌が4枚のレコードになって発売されています。
そこでチャールス・ロイドはミシェル・ペトルチアーニ(p)、セシル・マクビー(b)、ジャック・デジョネット(ds)からなるカルテットで出演し、大絶賛を浴びたそうです。
下はその4枚組アルバムのケースと、チャールス・ロイド・カルテットの演奏を収めた4枚目です。
「ONE NIGHT WITH BLUE NOTE」 東芝BNJX - 91006 ~ 9  録音 1985年2月22日 NY
 

ロイド・カルテットの6曲と、スタンリー・ジョーダン(g)の驚異的ソロが2曲入っています。
   

そして1989年7月からはECMへの吹き込みが開始されます。
ECM以降のアルバムは、別の機会に改めて取り上げたいと思います。

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チャールス・ロイドのドリーム・ウィーヴァー

2013-09-08 | JAZZ
チャールス・ロイド CHARLES LLOYD (1938年3月15日~ )  テネシー州メンフィス生まれ

チャールス・ロイドの音楽活動は、9歳でサキソフォンを手に入れたことから始まりますが、南カリフォルニア大学(USC)で音楽学位を取得し、その間にオーネット・コールマンや、エリック・ドルフィーにも出会っています。
そして未だ現役で活躍中ですが、演奏家として彼に転記をもたらした重要な人物が数多くいます。
最初は故郷メンフィスで教えを乞うた、ピアニストのフィニアス・ニューボーンJr.。
次は西海岸で出会ったドラマーのチコ・ハミルトン。
ここではエリック・ドルフィー (as、fl) の後任として、チコのバンドに迎えられ、音楽監督を務めています。
その後、ユーゼフ・ラティーフ (ts、fl) の後任として、キャノンボール・アダレイ (as) のセクステットに加わったところで、著名なプロデューサーであるジョージ・アヴァキャンの目に留まります。
ロイドは1964年~1965年の間にコロムビアから3枚のアルバムを発表した後、キャノンボールのバンドから独立し、自己のカルテットを結成、1965年夏以降、ジョージ・アヴァキャンのマネージャー兼プロデュースにより、アトランテック・レコードに次々と録音を開始していきます。

なおロイド・カルテットで重要な位置を占めるキース・ジャレット (1945年5月8日生) ですが、彼はボストンのバークリー音楽院を中退し、ヴィレッジ・ヴァンガードのジャム・セッションでピアノを弾いていたところを、アート・ブレイキーから誘われてバンドに加わります。

そのブレイキーのバンドでの、キースを捉えた1枚です。
 

しかし4か月で退団し、そこでロイドに声を掛けたとされています。
またこの2人は、1960年代の混沌とした時代の中で、共に西海岸にいた時期があり、社会の風潮に不満を抱きながらも情熱を持ったミュージシャン達が、サンフランシスコのフィルモア通りに出て、ジャム・セッションの中で腕を磨き合っていた旧知の仲でもありました。

キースがロイドのバンドを去った後の1970年代は、ジャズの一線から離れ、ロック・ミュージシャンのアルバムにも参加しますが、80年代にミシェル・ペトルトアーニ (p) と出会ったことが転機となり、再びジャズ界に復帰しています。
そして今度はペトルチアーニがバンドを離れ、暫らくの休憩の後に、元々チャールス・ロイドのファンだったという、ECMプロデューサーのマンフレッド・アイヒヤーに誘われて、さらに多くのアルバムが生まれることになります。
そのECMでは、社会の雑踏から抜け出し、自然への回帰による精神性の強いものが多くなってきています。

本題に入る前に、1964年7月のキャノンボール・アダレイ・セクステットの西海岸でのライブと、1965年5月のコロンビアでの2作目のアルバムを紹介します。
左側のアルバムでは、テナーサックス奏者の顔が写っていませんが、恐らくチャールス・ロイドでしょう。
    

またキース・ジャレットは、チャールス・ロイド・カルテット在団中の1967年5月に、アトランテック・レコード傍系のヴォルテクス・レーベルから、ロイドと同じくジョージ・アヴァキャンのプロデュースで、ピアノ・トリオでの初レコーディングを行っています。
アルバム・タイトルは「人生の2つの扉」で、メンバーはロイド・カルテットの同僚ではなく、オーネット・コールマンのベーシストであるチャーリー・ヘイデンと、ビル・エバンス・トリオのドラマーのポール・モチアンという、いずれも個性的な実力者でした。
このアルバムの中では、オーネット・コールマン的な展開も垣間見れます。
   


前置きが長くなりましたが、今回チャールス・ロイドの「ドリーム・ウィーヴァー」を取り上げたのは、アトランテック・レコードの最初の録音で、私の愛聴盤の1枚でもあるのですが、当初から聴いていたステレオ盤に加え、最近モノラル盤を入手する機会があり、ジャケットを比較してみたら、表側のレイアウトが異なっていて面白いと思ったからです。
( 残念なことに、モノラル・ジャケットは左上にパンチ・ホールが開いています )
そしていつもこだわる「音」についてですが、ステレオ盤の方のが、音に輝きがあり良かったです。
その2枚のLPを並べてみました。
「DREAM WEAVER」 ATLANTIC 1459 (SD - 1459)
    

   
1. AUTUMN SEQUENCE
 a) AUTUMN PRELUDE
 b) AUTUMN LEAVES
 c) AUTUMN ECHO
2. DREAM WEAVER
 a) MEDITATION
 b) DERVISH DANCE
3. BIRD FLIGHT
4. LOVE SHIP
5. SOMBRERO SAM
CHARLES LLOYD(ts,fl) KEITH JARRETT(p) CECIL McBEE(b) JACK DE JOHNETTE(ds)
録音 1966年3月29日

このアルバムは、十分な準備を経て録音されただけあって、ロイドの考えが十分練られた内容となっていて、それ以前のものとは全く異なったサウンドとなっています。
発売直後から大きな反響を呼び、この奏法がジョン・コルトレーンの次を担うサックス奏者だと言われた時期もありました。
アトランティック時代のチャールス・ロイド・カルテットの活動期間は僅か2年半程ですが、このレーベルへの録音は全部で8枚あります。
その8枚は1960年代後半の音楽として、ロック、ゴスペル、フリーなどが入り混じったサウンドであり、ここではハード・バップと言われる「音」を聴くことはできません。

古いSJ誌にロイド・カルテットの4人が載っている写真がありました。
今でこそキースとデジョネットは超大物ですが、ロイドのグループに参加した当時は無名のミュージシャンでした。 
それにしても「皆さん若い!」です。
ベーシストは左側の写真がセシル・マクビー、右側がロン・マクレアです。
  

またこのメンバーでの1968年のスタジオ演奏が、アナログ・テープの時代に放映されています。
ここではピアノの中に手を入れて弦をかき回したり、ソプラノ・サックスを吹くキースの姿も捉えられていました。
   

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1953年のスタン・ゲッツ

2013-09-07 | JAZZ
スタン・ゲッツ (1927年2月2日 - 1991年6月6日) フィラデルフィア生まれ

今後も度々登場することになるスタン・ゲッツの1953年の録音からの1枚です。
1950年代前半のゲッツは、40年代後半にみせたような「鋭くクール」のイメージから脱し、独特の丸みを帯びたトーンが特徴で、この時代にもいくつかの優れたアルバムがありますが、今回は以前LAのアミーバ・ミュージックで購入した1枚です。

そのお店は「ジャズ批評」でも紹介されていましたので、まずはその記事から…
 

そしてそこで購入したレコードは下記のもので、価格は$25.00+Taxでした。
「INTERPRETATIONS BY THE STAN GETZ QUINTET」 NORGRAN MGN - 1000
  
1. LOVE AND THE WEATHER
2. SPRING IS HERE
3. POT LICK
4. WILLOW WEEP FOR ME
5. CRAZY RHYTHM
6. THE NEARNWSS OF YOU
STAN GETZ(ts) BOB BROOKMEYER(v.tb) JOHN WILLIAMS(p) TEDDY KOTICK(b) 
FRANK ISOLA(ds)  1953年7月~8月録音

このLPは、過去にジャズ評論家の岩浪洋三さんがSJ誌で取り上げたことがあり、何時かはオリジナル盤で聴いてみたいと思っていました。
レコード盤はずっしりと重く、当時の雰囲気が感じ取れます。
内容はレコードでいうB面(4~6)の方の出来が良く(と思います)、特にウイロウ・ウィープ・フォー・ミーのメロディの歌わせかたや、次のクレイジー・リズムでの早いパッセージのインプロヴィゼイションなどは、当時ドラッグ禍に悩んでいたにもかかわらず、次から次へと新しいフレーズが繰り出されてくるところなど、さすがゲッツです。

このアルバムは当初、10インチLPとして分散されて発売されましたが、上記の12インチになった後も、別な形で再発されています。
その辺の経緯については、同じ「ジャズ批評 #119」のスタン・ゲッツ特集に載っていました。
下記のA面には、上記のB面がそのまま載っています。
「MORE WEST COAST JAZZ」 NORGRAN MGN - 1088 (POJJ - 1567)
   

この当時のアルバムを全て網羅しようとすると、かなりダブった買い物をしなければなりません。

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1952年のスタン・ゲッツ

2013-09-06 | JAZZ
更に1年戻って、1952年の名盤を1枚、タイトルは「スタン・ゲッツ・プレイズ」です。

ゲッツはプロ・デビュー後、プレスティッジやルースト・レコードへ吹き込みを行いましたが、その後は、ノーマン・グランツがオーナーのクレフ、ノーグラン、ヴァーヴに次々とレコーディングしていきます。
「1953年のスタン・ゲッツ」でも触れましたが、クール・サウンドからウオームでファンキーなものへと変貌していく過程において、その境目となったのが今回のアルバムです。
アルバムの後に「ジャズ批評 #119」スタン・ゲッツ特集から関連記事を掲載しました。

「STAN GETZ PLAYS」  NORGRAN MGN -1042 (UCJU - 9014)
    
 1. STELLA BY STARRIGHT
 2. TIME ON MY HANDS
 3. ’TIS AUTUMN
 4. THE WAY YOU LOOK TONIGHT
 5. LOVER COME BACK TO ME
 6. BODY AND SOUL
 7. STARS FELL ON ALABAMA
 8. YOU TURNED THE TABLES ON ME
 9. THANKS FOR THE MEMORY
10. HYMN OF THE ORIENT
11. THESE FOOLISH THINGS
STAN GETZ(ts) DUKE JORDAN(p) JIMMY RANEY(g) BILL CROW(b) 
FRANK ISOLA(ds)   録音 1952年12月12日、22日

このアルバムは11曲中10曲が、スタンダード・ナンバーで、ミデアム・テンポとアップ・テンポのものが各2曲、残りがバラードとなっています。
前述したように、ここではクールとウォームの演奏が混在していて、正にデビュー当時のサウンドから変貌を遂げ始めるゲッツを聴くことができます。
ジャケットも「子供のジャケット」として、人気のあるアルバムです。

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近所にある遊歩道

2013-09-05 | 日々の暮らし
我が家の近くには立派な遊歩道があり、多くの人のウォーキング・コースになっています。
そのコースは途中2か所の車道を通りますが、真っ直ぐな道の長さはおよそ2㎞で、ご覧の通り道の両側にあります。
   

遊歩道の片側は一部がコンクリートの道となっています。
  

もう一方は全く手つかずのままで、こちらを歩いている人の方が断然多いです。
何時も朝夕は、多くの人が利用していますが、今朝は霧雨が降っていたため、人影はまばらでした。
   

このコースの一部では、木の根がそのままむき出しになっていたり、枯葉で出来たふかふかのジュウタンや、木屑のチップが撒かれている場所などがあり、踏みしめると心地いいです。
私は最近、この遊歩道を利用するようになりました。
      
上の左から2番目の、木の根っこのアップのところで、遊歩道は終わっています。

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ナット・キング・コールと関連音源

2013-09-02 | JAZZ
ナット・キング・コール Nat King Cole  (1919年3月17日 - 1965年2月15日)

アメリカの偉大な歌手であり、ジャズ・ピアニストです。
本名はナサニエル・アダムズ・コールズ(Nathaniel Adams Coles)で、「キング」は愛称です。

アラバマ州モンゴメリー生まれで、1930年代からピアニストとして活動し、スウィング・ジャズ時代末期の傑出したピアニストとして業績を残しています。
1939年にピアノ、ギター、ベースのシンプルな編成からなる「ナット・キング・コール・トリオ」を結成、後のミュージシャンにも影響を与え、オスカー・ピーターソンもこのドラムレス・トリオでスタートしています。
1950年代以降はジャズからポピュラー界に軸足を移し、そのソフトな歌声で大衆的な人気も得ましたが、その時代の中にあっても、ジャズ・アルバムを制作しています。
彼はヘビー・スモーカーでも知られていますが、歌手としての絶頂時に肺がんのため、45歳という若さでサンタモニカの病院で亡くなっています。

私が最初に買った彼のレコードは「NAT KING COLE DELUXE」という東芝の赤盤で、今から40年以上も前のことです。
これはポピュラー・ソングとラテンの両方がカップリングされているもので、今でも時々聴いています。
    

最近のCDは、リマスタリングされて音質も大きく改善されてきています。
下の3枚のCDは左から、
*オーケストラをバックに唄った不滅の名作
*ポピュラー界でスターとなったコールが、以前のトリオにゲストを参加させたジャズ・アルバム
*英国の人気ピアニストとの共演
     

そして1991年に父親の声をオーバー・ダビングさせ、大ヒットとなった娘のナタリー・コールと、弟のフレディ・コールのアルバム
 

ここでのフレディ・コールは、ナット・キング・コールにダブって聴こえるところもあります。
 
それからLPで、サミー・デイビス・ジュニアの「ナット・キング・コール・ソング・ブック」
   
サミーは物まねも上手ですが、このアルバムでは自らの解釈で14曲を唄っています。

最後はオスカー・ピーターソンの「ウイズ・リスペクト・トゥ・ナット」
   
ピーターソン自身の弾き語りと、オーケストラをバックに唄うものが混在していますが、ピーターソンの唄うペイパー・ムーンなどは、正にコールのそっくりさんのようです。
なお、オーケストラのピアノは、ハンク・ジョーンズが担当しています。

ナット・キング・コールは2回の来日経験があり、そのうち1963年2月には東京・赤坂の高級キャバレー「ニュー・ラテン・クォーター」でライブ・ショーを行い、TBSテレビで録画放送されました。
ニュー・ラテン・クォーターでの演奏は、最近CDで発売されています。

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