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2つの神田川

2013-11-02 | 日々の暮らし
東京都内を流れる神田川

[ フリー百科事典から ]
東京都三鷹市井の頭恩賜公園内にある井の頭池に源を発し東へ流れ、台東区、中央区と墨田区の境界にある両国橋脇で隅田川に合流する。
流路延長24.6km、流域面積105.0km²と、東京都内における中小河川としては最大規模で、都心を流れているにも拘らず全区間にわたり開渠であることは極めて稀である。
かつては「神田上水」を取水し、江戸の水道として利用されていた。
神田川の元の名前は「平川」といい、現在の日本橋川の分流点付近から南流し、現在の丸の内・日比谷に入り込んでいた日比谷入江に注ぎ込む川であった。
当時はこの平川が豊嶋郡と荏原郡の境界となっていた。

1590年(天正18年)に江戸に入府した徳川家康は、海辺で井戸によって真水を満足に得ることができない江戸の飲料水を確保するために平川を改修し、井の頭池と善福寺池、妙正寺池を水源とする神田上水を整備した。
この改修により井の頭池を出て善福寺川、妙正寺川と合流する上流部分は現在の姿となり、神田上水は川の本流から目白で分流して小石川、本郷に水を供給した。
また、後に水害対策として平川下流の流路を隅田川に通じる道三堀と新たに開削した江戸前島を貫通する流路(外濠)に流れるよう改修した。
この内、明治以後に道三堀の西半分と外濠が埋められ、現在の日本橋川の河道が成立した。

二代将軍徳川秀忠の時代には、江戸城の東北の守りを固めるために平川を天然の堀とすることが企図され、小石川から南流していた流路を東に付け替える工事が行われた。
この工事では、水道橋から東は神田台と呼ばれる台地が本郷から伸びていたため、これを掘り割って通し、現在の御茶の水に人工の谷を造成した。
神田台の東では、元からあった川を利用して神田台から真東に浅草橋、柳橋の東で隅田川に合流するようにした。
この改修によって、平川の元の河道は切り離されて江戸城の堀となり、東に流れるようになった平川は「神田川」と呼ばれるようになる。
神田台の掘割の西には水道橋が架けられ、神田上水は日本橋まで給水できるようになった。
後に日本橋の旧平川河道と神田川は再び結び付けられ、日本橋川となっている。

高度経済成長期には生活排水の流入により水質が悪化し「死の川」と呼ばれたが、周辺部に落合水再生センターなどの下水道網、下水道処理施設の整備が進み、元々湧水が多いことなどから近年は水質が大幅に改善し、鯉や鮎、鮒などが生息するようになった。
鮎は1993年(平成5年)から毎年確認されている。
また、かつては洪水で有名という不名誉な肩書きもあったが、80年代以降の川岸整備や放水路の増設によって治水が成された(ただし今でも中野区上高田では危険水位にしばしば達する)。
この際の整備で高戸橋から江戸川橋にかけて植栽された桜が大きく育ち、花見シーズンには多くの人が訪れる。

神田川の中流域の中でも今日の都電荒川線早稲田停留場付近から飯田橋駅付近まで、東京都内の約2.1キロメートルの区間は「江戸川」と呼ばれていた。
この部分も1970年8月に「神田川」に名称が統一されることとなったため、これに由来する地名の多くは1966年までにその名を消したが、江戸川橋駅及びその由来である橋梁、文京区立江戸川公園などにその名をとどめている。
なお、明治末頃まで、石切橋から隆慶橋間の両岸は、東京市内屈指の桜の名所と言われた。



ということで、明治通りと交差する「高戸橋」付近を撮影してみました。
そこにある看板と川の氾濫を防ぐために設けられた高田馬場分水路、
神田川は多くの生物が住んでいて、直接魚影を見ることもできます。
   

ここでは都内で唯一の都電も走っていて、そこを越えると長い遊歩道の入り口に出ます。
  

水が綺麗になった神田川は、治水工事の後、魚のために「魚道」が設けられています。
  

この付近、神田川を挟んで「新宿区」と「豊島区」に別れています。
集中豪雨となれば、一瞬にして溢れんばかりの大量の水が流れますが、普段は閑静な風景です。
  


そして上記の看板の「戸田平橋」付近には、もう一つの「神田川」に関する話題があります。
それは…
南こうせつとかぐや姫が歌った「神田川」
今から丁度40年前の、1973年9月20日に発売された日本のフォークソングです。
「神田川」 クラウンレコード PW-541 (1973年8月19日 録音)
  

喜多条 忠 作詞  南 こうせつ 作曲
あなたはもう忘れたかしら 赤い手拭いマフラーにして
二人で行った横丁の風呂屋 一緒に出ようねって言ったのに
いつも私が待たされた 洗い髪が芯まで冷えて
小さな石鹸カタカタ鳴った あなたは私の体を抱いて
冷たいねって言ったのよ
若かったあの頃 何も恐くなかった
ただあなたのやさしさが 恐かった

あなたはもう捨てたのかしら 二十四色のクレパス買って
あなたが描いた私の似顔絵 うまく描いてねって言ったのに
いつもちっとも似てないの 窓の下には神田川
三畳一間の小さな下宿 あなたは私の指先見つめ
悲しいかいって訊いたのよ
若かったあの頃 何も恐くなかった
ただあなたのやさしさが 恐かった


そしてこの歌の舞台となった場所はと言うと、
喜多条忠が住んでいたという「三畳一間の小さな下宿」が、
豊島区高田3-7-17に所在した「千登世旅館」(2008年廃業)の隣りにあったそうです。
で、戸田平橋を渡ってその場所に行ってみたところ…
今ではすっかり様変わりしてしまったと思われますが、「チトセ」という表札を見つけました。
    

下は戸田平橋から見た夕暮れ時ですが、作者も当時はこのような川面を見ていたのでしょうか。
コンクリートに囲まれた神田川では、歌のイメージは湧かないでしょうね。
 

コメント (1)
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