まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

猫の襲来

2024年05月20日 | Weblog

がたぶん、あったのが二日前。

だからブログを二日休んだ、というわけでもないんだけど。

わがベランダレストランに表題の如くで、白い小さな羽がちょっと散乱していて。

そこに猫くんが鎮座していた。

鳩くんやスズメくんたちはやってこなかった。

今朝のレストランには昨日の餌が残っている。

用心深く、彼らはやってこなかったんだな。

なのだけど、手すりの上に、庭の、たぶん、オナガだろうな、つがいできていた。

すぐにいなくなってしまったけれど。

そんなわがレストランの雨の情景といったところだ。

土日とわが走りは順調ペースで推移し、気分はいい。

のだけれど、少し筋肉痛だな。

そうだ。

わがヘアーカットの大将、ショートステイだそうで。

収まるところに収まったという風情だな。

何人かでの食事会は実にいいタイミングだった。

あそこを外したら開催は無理だったんだろうな。

偶然とかたまたまとかってのはよくある話だけど、それなりの神の計らいということもできる。

介護ね、そこここで話を聞く年頃になったとでも言おうか。

大塚ひかりさんの文庫本にも、介護の話が出てきて。

江戸やら平安やら鎌倉やらの昔々の話ではあるんだけど、楢山節考なんての、深沢七郎さんが書いていたか。

ちょっとそこらあたりはまとまらないので上手く書けない。

富士宮は白糸の滝近くに、人穴、なんて物騒な名前の地名、あったりするよね。

そこへいくと、例の、木喰上人、下部温泉近くの、何村だったかの出身の、ね。

彼は、まさに木喰戒の実践者なので、火を通したものは食べず、木の実だけ、着るものも一重のなんとかで。

しかも、寝る時もそのまま、というんだから、それでよく、北海道から薩摩までを歩いたものだな。

天寿は93歳、というんだから驚きだ。

と書いてきたら、遠慮がちに二、三羽のスズメくんたちが覗きにきた。

さて、本日に出かけるとするか。

 

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嘴の白い鳩

2024年05月17日 | Weblog

尾っぽのところも白い。

カラダ全体は青灰色とでもいうのか。

そんな鳩くんがここのところ来訪しているのが我がベランダレストラン。

新参の客人というわけだ。

女子高校生のチェネラーみたいな子がYouTubeやっていて、最近、出会った。

のだけれど、彼女曰く、石とかいろんな物体も話している。

ということなんで、くだんの鳩くんとも、そんな話をしてみたいものだ。

人間の使っている言葉ということではなく瞬間に通じてしまうようなものなのかも、だけど。

テレパシーと言ったっけ、そんな類だな、きっと。

コミュニケーションと一言で言われてしまう人間の営為の一つがあるけれど、あれも、実のところ。

用心が肝腎で、言葉で伝わったという勘違いなんてのもありありでもあるんだろうからね。

言葉ね。

はじめに言葉ありき、と聖書にも残されているようだけど、なかなか、味わい深い言葉でもあるな。

言葉の向こう側、だな。

この時代、風の時代とも言われているけれど、そのあたりのことが肝腎要ということなのかもしれないな。

これこそはと信じていたものを一旦御破算にして、というのね。

枠組みとか思い込みとか、そんなものを外した時に現れるもの、ことが、実のところ、人生の醍醐味へ至る道。

なんてね。

 

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きゅうりと小蕪の糠漬け

2024年05月16日 | Weblog

今朝は朝イチ、表題の二つをつけてきた。

いつ食べるのか、ってのが、漬けるタイミングなので、スケジュール調整が必要なんだよね。

そうだ、一昨日かな、三保の灯台からの富士山がとても美しく。

息をのむ美しさ、ってのはあんな姿なのかな、と思い、iPhoneで撮った。

札幌のチャネラー女史曰くは、宇宙と繋がってます、とね。

清水港に豪華客船が数多く着岸し、なんて話題で、でも、清水滞留客は少ないよね、なんての。

彼ら、この富士山の姿、知らないんだろうな。

インフルエンサーがインスタとかでバズれば、ってことなんだろうけどね。

残念!ってなもんだ。

ところで、わが八ヶ岳のエネルギーワークの御仁、ほとんど思考してない、とFacebookに書いてたな。

その思考、ってのが、気になっていて。

たしかに、当方も余分な思考みたいなものは随分と減っているんだろうけど、だな。

ま、そのうち、何も思考してません、思考してないことも思考してません、みたいな、例の世界へ、って道が残されてもいるけれど。

そんな朝はケニアからのカラティナ。

このところ、淹れた後の残滓を乾かして灰皿へ入れ、というルーティンが増えた。

増やした、か。

消臭効果かどうか、よくわからないけれど、やってみてる。

さて、コーディネータの大役も終わったので、本日はのんびりとするか。

 

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コーディネータ役の総会

2024年05月15日 | Weblog

今日は、同友会の総会があり、その中の一コマが表題のようなもので。

シナリオを書くのが上手くないというのか、好きでないというのか、なので。

何が飛び出すやら、ということだな。

あらあらの原稿は書いたんだけど、果たしていかに、ってわけだ。

昨夜も例会があり、喫煙スペースにての会話、その若さの秘訣はいかに、なんて問いかけね。

どこか悪いところ、ないんですか、ときた。

その御仁は51歳だそうで、そろそろのロートル入りの年代、ってことになるな。

しかし、いろんな常識というのか、今まで言われてきたこと、今言われていることってのは、どんだけ真実か。

なんてのは、まるっきりわからないことだからね。

コロナ禍の、パンデミックの宣言が世界中に響き渡った後では、ほとんどのことが眉に唾して、ってことで。

自分オリジナルな、自然との交情とでも言おうか、自分自身の五感、六感との会話が大事だ、とね。

十人十色というけれど、まさに、それぞれがそれぞれの世界観、世界線を生きているのは間違いなく。

そこへ唾を飛ばして議論する、なんてのは、かったるいよね、ってことになるのかな。

ま、とにかく、そんなわけで、本日はコーディネータ役です。

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昔のほうがよかったのはなぜだろうかと言うな。

2024年05月14日 | Weblog

これ、旧約聖書の「コヘレトへの言葉」らしい。

いいねぇ。

聖書にも書いてあったんだな。

最近の若いものはしょうがない的な言葉、縄文の遺跡やらピラミッドやらそこかしこに書かれてあった。

なんて洒落、あるよね。

と言う類だな。

だいたい、昔が云々、と言い出すのは、何もしなくなった御仁の口癖だからね。

これ、大塚ひかりさんの「本当はひどかった昔の日本」と言う文庫本の第一章の巻頭にあったんだ。

この方、とにかく古典を読むのが幼い頃から大好きで、とね。

挙句に源氏物語まで訳しちゃったのかな、それも読みやすいらしい。

で、ひどかった、と言うのは、人身売買はあるわ子を捨てる母親はいるわ夜泣きをすると七里四方に害毒をもたらすと言うのでここから出ていけと言う人はいるわ、って具合だ。

現代で起こっていることとそう変わらん、と言うわけだ。

しかし、だから、そんな中から今に至るまで暮らし、生きてきた人間の凄さに感動、って感じかな。

ところで、この間、眉間に皺の御仁が持ってきてくれた本、読了。

それは、「運動脳」という書名。

とにかく、運動をすると鬱は治るし認知症にはならないし、ってやつだ。

ついでに、最近、マドモアゼル・愛さんが、長寿の秘訣は「読書」なんて発信していたな。

というわけで、今朝は久々のブラジルからのブルボン アマレロとともに次へ移行します。

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初めは不安そうだった。

2024年05月13日 | Weblog

というのが、たびたびの話題になるけれど、おばの葬儀会場での印象。

だいたい、ああした会場では目を閉じていることが多いんだけど、すると、何とも気分が思わしくなく。

なので、目を開け、視界を開けるとそれは終了。

なんてことがあったんだな。

そのうち、読経も終盤になり、というあたりか、だんだんと瞑目していても心持ち、カラダの具合も落ち着いてきた。

おばだな。

おばが最初は何が起こっているんだ、というくらいの気持ち。

その不安が読経とともに和らぎ、そうか、そういうことか、と感じてきたのか、なんてね。

勝手なこと、体感とともに感じていた次第で。

当たらずとも遠からず、ってなもんだろうな。

生と死との不可思議さとでも言おうか。

こちら側の世界からだけでは、知らないことになっているわけで。

ところで、記録的な大雨というのは、やってくるのか。

なんて気分にもなるんだけど、昨日からそんな予報があったようで。

あるいは、僕の爆睡中に起こっていたのかもしれないな。

たしかに巴川の水は少し多くなっているからね。

なんて朝、わがベランダレストランには、よく見ると、種類の違うハトくんたちもやってきている。

さて、ブレンドの珈琲とともに今日に突入していくことにするか。

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次は市会議員の誰それです

2024年05月12日 | Weblog

とどこの学校なのか、たぶん、運動会の開会の式なんだろうな。

遠くから聞こえてくる日曜日の朝。

こちらはこちらで、いつもとは違う、旧東海道の走りだった。

追分道。

こんな具合に走って行ったらおもしろいな。

自分の足で歴史の足跡を走る。

古来、どのくらいの方々が、どんな思いを運んで行ったのだろうか、なんてね。

途方もない話でもある。

これでさらに走りの選択肢ができた。

歴史を今に刻みつつ、なんてことになるな。

昨日は二番目のおばの葬儀がしめやかに、かつ和やかに執り行われた。

20年になる「おじおば会」で語るともなく語られたことごとを、係累の方々に知ってもらえたら、なんてね。

実の子どもたちも知らない足跡があるんだよね。

そんなことを考えるのも、僕自身の父親、昭ちゃんの葬儀の払の席だったのか、父親の妹からの話で。

あんたちお父さんは、俺の寿命は二十歳、と言っていたんだよ、とかね、聞かされて。

青春時代が戦争時代だったのだから、宜なるかな、なんだけど。

などなど、一人の死がそこここにいろんなことを残して行ってくれるわけだ。

以って瞑すべしだ。

 

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朝の散歩人士が増えているような

2024年05月10日 | Weblog

さすがのサツキのなせる技だろうな。

思わず歩きたくなってしまうのか。

表題のような朝だ。

このところ、隣家の瓦にカラスくんがやってきている。

今までもそうだったのかも、だけど、気が付かなかっただけか。

季節が変わり人の世も移り変わりのはずだ。

われわれを受け入れてくれている自然というもの、自然と一体なんてこともあるけれども、だな。

今晩は、おばの通夜。

家族葬ということでしめやかに執り行われるのだろうけれど、それなりに親戚衆が集まってくる。

それが面倒というのか、悲しいけれどまた新たなご縁の始まりと思えるか。

人の生きてきた心持ちの集大成みたいな具合でもあるな。

環境の、人との遭遇具合の変化が心に傷を負うということもあり、そこに花開くということもあり。

まったく、それぞれの人生っていう名前の妙味というものだ。

さて、そんなこんなの「蚯蚓出る」へ出かけるとするか。

 

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雨なのになぜか気持ちのよい朝

2024年05月09日 | Weblog

さつき雨なんての、あるのかな。

というような気分になる、表題のような朝。

このところ、朝の瞑想はハトホルとキリスト意識のエネルギーと共に、だ。

15分ずつの2回。

これはいいかな。

明らかに、って当たり前だけど、それぞれの違ったエネルギーを体感しつつのひと時。

真ん中のおばが亡くなって二日目の朝を迎えたのだけれど。

地の神様へのご挨拶には、すまちゃんがそちらへの旅の途中ですので、よろしく、と。

そんな気分なんだよね。

まだ、こちら側への思いやら何やらが残っている中での、新しい世界への旅立ちなんだからね。

たぶん、思いは繋がっているだろうと思っている。

風の時代、これからの時代は、見える世界だけでなく見えない世界ともお友達、って具合だろうな。

さらにさらに拡がりのあるところでの生き様発露だ。

これはおもしろい。

物質至上主義に彩られた街から、物心両面ありの、神もありの世界。

しかも、それぞれの人が自由に勝手気ままに感得する世界と共に、ってのが人生とかいうものに変わる。

変わる、というか、元々そういうものだったけれど、そのことを明言することが至極当然、何の衒いもなく、ということだ。

さて、そんな世界へ本日も出かけるとするか。

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マスク外れてめでたい

2024年05月08日 | Weblog

早朝にいつもお会いする御仁。

名前も知らない方だけど、さっさとお散歩。

その彼がマスクをせずに軽く頭を下げ歩き去ったのを車窓から眺めた。

めでたい。

顔を覆っているのだけれど、心も覆われているような、そんな姿からの解放、ってやつだな。

なんて朝の前日、昨夜、おばの訃報が入ってきた。

昭和一桁生まれの真ん中のおばだ。

以て瞑すべし。

とはいえ、ということでもあるな。

3週前に一番下のおばと偶然にあったお見舞いの席で、ハンドル回す仕草でまた行こうね、とおじおば会を示したら、うれし涙を流していたのをまざまざと思い浮かべている朝だ。

くどいけど、以て瞑すべし、だな。

そんな朝は、青が晴れやかに、しかし、静かに空を席巻している。

青が争うと静かなんだ。

ところで、昨日、久々の友人の来訪。

珈琲を淹れながらの会話を楽しんだのだけれど、彼が持ってきてくれた本が、走ることでうつや認知症を避けられる、予防する、みたいなもので、友達にもらったので、あなたにも、って。

4年前の走りのきっかけ、免疫力というのが当方の走りの由来だけど、スウェーデンのその学者さんがその証明の本を書いてくれてあった、という次第。

さて、そんなこんなの本日に出かけます。

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