とどこの学校なのか、たぶん、運動会の開会の式なんだろうな。
遠くから聞こえてくる日曜日の朝。
こちらはこちらで、いつもとは違う、旧東海道の走りだった。
追分道。
こんな具合に走って行ったらおもしろいな。
自分の足で歴史の足跡を走る。
古来、どのくらいの方々が、どんな思いを運んで行ったのだろうか、なんてね。
途方もない話でもある。
これでさらに走りの選択肢ができた。
歴史を今に刻みつつ、なんてことになるな。
昨日は二番目のおばの葬儀がしめやかに、かつ和やかに執り行われた。
20年になる「おじおば会」で語るともなく語られたことごとを、係累の方々に知ってもらえたら、なんてね。
実の子どもたちも知らない足跡があるんだよね。
そんなことを考えるのも、僕自身の父親、昭ちゃんの葬儀の払の席だったのか、父親の妹からの話で。
あんたちお父さんは、俺の寿命は二十歳、と言っていたんだよ、とかね、聞かされて。
青春時代が戦争時代だったのだから、宜なるかな、なんだけど。
などなど、一人の死がそこここにいろんなことを残して行ってくれるわけだ。
以って瞑すべしだ。