銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

千葉景子法相(?)の、落選の真因は、小沢一郎氏にあり、

2010-07-13 13:28:51 | Weblog

 ・・・・・国民は賢明な選択をした。が、菅首相に責任があるわけではなくて、消費税のぶれ、云々論は、責任転嫁の一典型だ・・・・・

 本日もツィッター方式で、書けたもの順に上げさせてくださいませ。終わりには、ここで、終わります。というしるしを必ず入れます。

第1章

アエラと朝日新聞

 選挙が終わった一夜が明けました。今ざっと朝日新聞を見たところですが、静かです。政権与党の敗北に対して、熱情ある目次は踊っていない。38面下段のAERAの広告を見ます。そこに
*菅首相、追い込まれ解散
*自民が信頼回復をしたわけではない(佐藤哲也)
*小沢一郎が、息を吹き返した
 という四つの記事があります。

 つまり、朝日新聞は、この選挙結果の本当に意味するものを研究する気がないのです。新聞と週刊誌を使って、国民を洗脳し、教導することへ必死です。その行き着く先は小沢元民主党幹事長の政治力の復権であり、この選挙結果は、それを容易にしたということで、かえって安堵しているという向きさえ感じられます。

2、今、妨害を受けましたが、はい、めげずに、消えてしまった15行を復活させましょう。

 別に夕刊フジやら、日刊現代のごとく、民主惨敗という大活字を期待はしないが、結果が出た後で、三時間程度で、頁編成が済んでしまうアエラの姿勢は、相変わらず、国民の本音とは遠いので、ここで小さなことを羅列しながら、今現在の日本で何が起きているか、これからにとって何が大切なのかを考えて行きましょう。

3、民主党敗北の真因は小沢元幹事長にあります。技術的には、無理な二人・立候補で、力が分散して、落選が続きました。あとで、ニュースの記事を、採録して検証をしなければなりませんが、候補を選定しても、彼らに前の職を辞し、人生を変える決意をしてもらう時間は必要ですので、これら新人候補の擁立は、例の習近平・中国・副主席とのごり押し会談のころ企画されたことでしょう。あのころの小沢幹事長のすさまじい傲慢ぶりは、反吐がでるほどですが、・・・・・

 その傲慢が日本国民にひどく嫌われているという自覚がまったくなくて、自分は強いのだと、ただ単純に考え、小泉さんを真似して、大いに、チルドレンを増やそうとした、氏の判断ミスが大きいのです。民主党敗北の真因は小沢氏にあります。
 
 心理的なポイントで、言えば、そのニュース近辺の小沢氏の態度や手法を含めて、国民は小沢氏に大いなる危機感を抱いたのです。その危惧の念が、全国的な規模で展開をしたのが、この選挙結果でした。

第2章。

 小沢氏という字を、このぶろぐのタイトルにつけるととたんに読者が減ります。小沢氏がどれほど、国民に嫌われていて、その字を見るのもいやだと思われているかを、私は肌身離さず、感じています。

 ところで、今回の民主党の敗北の象徴的存在である、千葉景子(?元?)法相ですが、
新人ではなくて、現職候補でしたから、この落選の意味するところは重要です。ここは、

*民主党の人気が衰えている、
*国民の審判がノーと言っている・・・・・ことの象徴でもあるから、それは、きちんと検証をしなければなりません。

 ところが、小沢氏の脳みその中には、そういう側面の働きは一切ありません。これは、物事を自分自身で、きちんと論理的に考えたことのない人の特徴であり、彼の発案は、背後に誰かから、大基本方針を指示されており、その中で、個人的な感情を入れながら、動いているというのが真相だと感じています。

 だから、政治家としては、二流、もしくは三流以下の人間です。それがこれほど、もてはやされている(朝日新聞やAERAに特にですが、また、最近はNHKも、巻き込まれていますが)のは、ひとえに、日本という国の主体者が、国民にも政府にもなくて、国際的軍産共同体にあることを示しているのです。

 これが私が常日頃、繰り返し発言をしている、日本とは巧妙に支配を受けている、実質植民地国であると言うことの、傍証であります。

 小沢氏は、中国訪問に当たり、100人以上のチルドレンを引き連れていったといわれています。つまり、数で押せばよいのだという幼稚な発想です。立派な政治家(家、一個人としても礼儀知らずで、魅力はまったくない人間です)ではないから、そういう単純な発想がでてきます。

 で、全国的に命令を下します。特に選挙に強いといわれていますからね。

 その強引さは、一年ほど前の鎌倉市長選挙の時に、すさまじい音量として、現れました。本当に人間性無視ということ極まりない騒音でした。

 今回はそれと同じ程度のものを都庁周辺(石原都知事は、最近、薬を盛られて失墜させられた中川元経済産業相と同じ政治グループに、過去いたわけですから)にも再現をしたので、石原都知事が、「これは、たまらないなあ」と、文句を言ったそうです。

 が、私なんかは、有名人でもなく、権力もないので、鎌倉市内で、じっと騒音に耐えたわけです。他の、市民も、耐えたわけです。特に、八幡宮や、大仏を中心とした山の内側の盆地に住む人たちは、数丁はなれたところの騒音も山が壁になってこもるので、遠くも近くも、同時に自分のところまで聞こえますので、十二時間連続の騒音ですが、それも、じっと耐えたわけです。が、結果として、候補者は落選しました。みんなが、本音を票という形で示したのです。はっきりと、自分の意見を投票という形で、外へ表したのです。

 よく、ウエブニュースで、人権蹂躙が何とか、かんとか、というニュースが出ますが、あれも、井上ひさし他の発案による、人心操作であり、実質的には、もっとも、市民、特に無辜の市民を傷つける政党は、民主党なのです。そして、そのトップにいるといわれている小沢元幹事長が、一番大きな、悪の根源です。相撲壊滅作戦が、彼本人の発案かどうかはわからず、もっと上のレベルからの指令だったかもしれませんが、このニュースと一連の動きは、国際的軍産共同体とは切っても切れないニュースです。

 で、そのときの鎌倉市長選の結果については、私はパソコンの中に書きました。私のパソコンは、いわゆるCIA、それから、公安警察、等のハッキングを受けていると思います。これは、個人の好事家のできるレベルではないし、二十四時間体制で相手が、監視していますので、組織が行っているのは間違いがありません。で、その組織の下部の実際の担当者は、上の人間に上げるわけですが、私の文章は長いですから、要約してくれと、上の人間がいったとしましょう。たとえば警察庁長官で、もしくは警視庁長官がす。「こんな長いの、読むのが面倒くさいよ。簡単に言ってくれ」と部下にですね。
 この推定ですが、あながち、的外れでもないのですよ。もっと表に表れた現象を、未発表メモとか、そのほかで書くと、突然にその二つの部署の人員交代がありました。私がもし、つめの段階まで書いたら、責任がそちらにあると、組織全体では逃げるつもりだったのでしょう。は、はーんと、こころで、納得をしましたが、その時点では、そこまで公表する必要がなかったのです。

 ところが、私の文章を要約したら、まったく違ったものになる可能性はあるのです。二転、三転しますし、結論は、非常にささやかに目立たない形で入れ込んでありますので・・・・・

 ここで、挿入ですが、それゆえに電子書籍が、改悪されるのも容易だと考えているわけです。もしあなた様が、今日始めてこのブログへ入ったとか、または、ときどきタイトルを見て、好きなものを読むだけだという方だったら、どうか、左側のカレンダーの7月10日を、まず、クリックしていただき、次に下へ向かってスクロールをしていただくと、四番目にこの問題に触れた、電子書籍化の危険性ー1が出てきます。

 また、7月11日について、クリック後、次に下へ向かってスクロールをしていただくと、電子書籍化の危険性ー2が出てきます。

 元に戻ると、上奏が、正しい要約で花買ったか、もしくは中間管理職が、自分の失敗の部分を伏せたかのどちらかですが、私が警告している、ことはほとんど無視して、事態は推移します。朝日新聞や、テレビ朝日の論調のおぞましさについては、2003年ごろから、繰り返して公言しているのに、ちっとも改変が見られませんので、国民の真実(私なんか典型的な一国民です)が、大もとの決定者に伝わっていない可能性は大きいです。

 ここで、いう大もとの決定者とは、日本人ではないでしょう。日本の国政は外国人に握られています。それが金髪の人間か、黒髪の人間かは、今のところ、いえませんが・・・・・
~~~~~~~~~~
 黒髪といえば、小沢一郎氏は、副島隆彦氏に言わせると日本の王だそうです。しかし、私に言わせればもっと上がある・・・・・となります。ともかくのこととして、鎌倉市長選の失敗は、今回の参議院選挙では、ちっとも生かされていませんでした。

 つまり、民主党は徹底的な危機感を持って対処しなければならなかったのです。朝日新聞やテレビ朝日が味方をしてくれることなど、何の役にも立ちませんでした。私自信、驚いたほど、国民は賢かったわけです。いや、私も一国民です。別に突出しているわけでもありません。民主党は、これは、他の政党にもいえますが、国民にとって、本当に役立つ政治をしなければなりません。

 つまり、小沢シナリオを、徹底的に払拭し、元へ戻し、国民を安心させるという方針を明らかにしない限り、勝ち目はないのです。

・・・・・*経団連と距離を置く、それから、*稲盛和夫という、奥様の接点から韓国よりの人へ、ナショナルフラッグを、まる投げで預けた態度、*トヨタが、アメリカで、苦しんでいるのに一切外交交渉を展開しなかった態度、

 そして、*陳情を、小沢元、幹事長へ一本化するなどという、方針、それから、それから、と、数多い、恐ろしい政策を、小沢氏は豪腕を理由に、あらゆる存在を煙に巻いて、強行をしてきたわけですが、・・・・・

 ここで、菅政権は、「それらを放棄し、国民の側に立ちま」すということを名言しなければならなかったのです。 

 それを実行する政党がいないと、思っていたから、国民は消沈していたわけです。それは、アエラの仲の一項目、換算中がいく『ベタなぎの仲の選挙難民』という記事にもあらわ得ているわけですが、

 それでも、ちゃんと投票をした選挙民の部分だけでも、『民主党を拒否する』と言う傾向は現れたわけです。特に田舎ではない、市街地中の市街地である、湘南地方を、基盤にした千葉景子さんの落選は大きいです。これは、民主党の将来を占う大きな問題です。菅首相は、本腰を入れて、自分の政治姿勢をどこにおくかを考えないとだめです。

 私は、小沢復権のシナリオは、また、また、責任転嫁の典型です。彼はいつも、責任転嫁をします。本当は弱くて、しっかりと、ものも考えられず、心で引き受けることもできない人間です。豪腕とは、鼻白む表現です。彼を復権させるシナリオは、国民を馬鹿に仕切った、例の国際軍産教導体の安易きわまるものであります。

 ゾンビのように、またまた、あらわれてしまった、論です。お金や名誉で、馴致されきってしまっている、大マスコミ・セレブたちが頭脳停止状態で、鸚鵡返しに言っている、論だと感じており、嫌悪感いっぱいですが、国民は賢くて、それには踊らされないだろうと信じています。が、ただ、相手は悪の権化ですからね。どう流れていきますか?  
   ここで、この章は終わります。

ブログパーツ、ケーキの写真を、添えましたので、この章は本当にここで、終わらせていただきます。ツィッター方式であげさせていただきましたが、あとで、誤変換チェックも行いますし、遂行もいたします。今日はそれが、可能な長さです。
           では、2010年7月13日             雨宮 舜

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ほとんど、誰も読まなかったかな?、今日は十二行で終わります。

2010-07-13 00:21:41 | Weblog
 いやあ、参りました。前回の文章は、自分でも書くのに、疲れたし、あとで、読み直すのがいやでした。
 で、前回の文章を短くまとめますと、===民主党の、特に小沢幹事長は、人間の精神部分を支配する恐ろしいところがあるということです。どうして、そんな恐ろしいことができるかというと、国際的軍産共同体の寵児であるからです。どうして彼が寵児であるかが、私にわかるかは、神奈川県知事の悪政を身近に感じているからだ===と言うことでした。
 
 それを延々と、しかも妨害を受けながら、必死で、一万字以上かかって証明して行ったのです。昔の炭鉱にあったカナリア風に、繊細に機敏に生きているからわかるのですよ。
 ただ、人々より5歩でも、・・・・・そうです。たった五歩でも、・・・・・先を歩くのは大変です。苦労をします。
 ただ、みっか後ぐらいまでに、誤変換を直して、推敲をして、テーマごとに、分離しておきましょう。明日はまだできませんが。 では、短く。今日は12行で、終わります。
                           2010年7月16日 雨宮舜
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神奈川県(鎌倉)民として、特にわかる、民主党の悪政

2010-07-12 11:20:27 | Weblog
 今日はツィッター方式で書かせてくださいませ。私が「ここで、終わります」と書き、最後に日付と、署名を入れられなかったら、この国には言論の弾圧があると、皆様もぜひご承知くださいませ。民主党に対しては朝日新聞を中心として、絶大なマスコミ支援があるわけですが、神奈川県住民は知事・松沢茂文氏が、民主党ですから、その施政を先取りして、観察するわけです。

 2009年の秋に、民主党小沢・鳩山政権が誕生したわけですが、それよりもずっと前から、肌身に感じるところがあるわけです。一年ぐらい前に、鎌倉市長選があって、一日、14時間ぐらい、選挙カーが走りずめで、すさまじい騒音でした。この一事をもってしても、けっして、国民というか、普通の市民を大切にしないことはわかるのですが、結果、民主党推薦の市長候補は落選しました。

 《そのときに元フジテレビのアナウンス室にいたという長島一由という(逗子市長などをしていた)衆議院議員が一日に、三十回ぐらい大音響で街宣したのですが、今回は千葉景子法相の応援でした。さすがに、前回ほど、うるさくはしませんでしが、千葉さんは落選しましたね。鎌倉市民だけの間でも
もし、心から支援をされていたら、当選したと思います。でも、最も先端的(市民の年齢層は、若くはないが、ものを考える人は多いだろう)》

 この《 》内の部分は、後から、追加したのですが、そのとき二回目として英語の妨害画面がでて、ブログを書くのを妨害されました。しかも、後ろで、NHKのお昼のニュースが朝青龍が再逮捕(?)されたと伝えています。まさしく、【私の観察しているとおりに、ニュースと警察庁、が動きますので、警察が国際的軍産共同体の、手下となっていることが証明されています。】

 【 】内は、下を書いた後で追加したのですが、またまた、英語の妨害画面が入り、仕事が中断されました。だから、警察が国際的軍産共同体の支配下にあるのは、本当に確かです。

 その鎌倉市長選の結果がでたとき、『あ、そうか。普通の市民の感覚は確かだな」といったん思ったのですが、本日民主党の参議院選敗北の結果を受けて、『なるほど日本国内、もっと、広い範囲で、民主党の悪政を認識している人が多いのだ』と痛感しています。松沢茂文知事は、すさまじい悪政を敷いていますが、
 
 今、まず、一回目の妨害がパソコンへ入りました。それも、民主党が、国際的軍産共同体の支援を得ていることの証明に当たります。英語での妨害画面ですから、そういえるでしょう。原因は
 悪政という言葉を入れたからです。

 神奈川県知事の悪政の、もっとも顕著なものは、禁煙運動の、めちゃくちゃにヒステリックな、推進活動です。商店街を歩いていると、それに対する深い反発が市民の間にあるのを感じます。

 ところで、この松沢茂文知事は、県のお金をある一個人を守るためにも使っているのです。一応表向きは、公共工事ですが、その真相(深層)は、結局は個人を守ることにつながります。で、私は驚き入っているのですが、丁寧に観察をすると、その・かばわれている・個人が、例の国際的軍産共同体の、最先端のエージェントとして、活動している可能性すら感じ始めました。でないと、『いくらなんでも、県議会等が、予算配分を監視をしているはずですから、こんな工事はできないでしょう』というような工事を堂々と、しかも平気でやっています。

 その保護されている個人とは、伊藤玄二郎・鎌倉春秋社(出版社)社長です。この人が鎌倉の文化人を糾合する立場を持ち、したがって、顔が利くわけで、銀座のガレリア・グラフィカのオーナー等をこれまた、動かしています。もちろん、文芸春秋社等も動かしています。NHKにも顔が利くらしくて、ガレリア・グラフィカ、専属の版画家、山本容子さんの、露出は、2007年にNHKで特に激しかったです。ミステリー作家、アガサクリスティの解説番組(ハイビジョン)にさえ、専門家でもない彼女が出演しました。しかも彼女は「イタリアの個展から帰国したばかりだから、時差があるので、もう無理です」といって途中で引っ込みました。そのわがままぶり、・・・・・これが、国際的軍産共同体に愛でられている人たちに共通する一大・特徴です。すべて、わがままいっぱいで、それが、通ると思っています。

 一方で、現在の名古屋場所の相撲取りなどのように、攻め立てられ、責め立てられて惨めな思いをしている人もいるわけです。翻って、山本容子さんの私生活など、かばわれきっているわけです。山本容子さんは、アーチストの間では大変評判の悪い人です。特にその私生活において。だから、今の相撲界みたいに、徹底的に調査されたらNHKのハイビジョン番組に文化人として出演することなど不可能でしょう。視聴者としての普通の市民が反発しますからね。

 伊藤げんじろう氏は、鎌倉在住の文化人(つまり、今現在でも日本を代表する文化人が多い)に顔が利くというころで、国際的軍産共同体に、重用をされているわけですが、ちょうど引っ越してきた井上ひさし氏と結びつきました。

 鎌倉春秋社が、ヒット作として、『天国の本屋』という新書版の小さな小説を出しましたが、その著者は、きっと井上ひさし、伊藤げんじろうのふたりです。一種の覆面作家として、発表をされていますが、ヒットしたのに、その作家たち二人が顔を見せません。だから、二人で、作り上げた本だと思います。特に仙台の書店のポップから火がついてヒットしたとの新聞記事が大量に出ましたが、これも、二人が考え出した一種の演出でしょう。目的は伊藤げんじろう身の格をあげることです。全国的な知名度を上げ、彼が、いろいろ依頼をする際に、顔が利き、相手がいうことを聞いてくれやすくなることが目的です。

 その二人は結託をして、いろいろ、アイデアを練っていますが、その過程で警察と密接に結びついています。この禁煙運動も二人が思いついたものでしょう。これが、始まった時期を考えると、わかります。さらに、私のご近所に、伊藤げんじろう直属の人間がいるので、すべて、わかってきます。

 直属の人間とは、自ら『過去に愛人であったことがある』と名乗った石川和子女史と彼女と親しい四つの家族です。私の住んでいる山には、住宅としては、二十戸ぐらいありますが、実際に人が暮らしている人は、16軒ぐらいです。そのうちの2軒になんと、警察官たちよりところという、ブルーのエナメルで書いた、看板がかかっています。これって、おかしいですよ。私が巣立った日吉なんて、住民が日本近代史を知っているから、こんな看板は商店にしかかかっていません。(と、ここで、書くと国際軍産共同体は、日吉にもこの看板を氾濫させることとなるでしょう。私が書いたことはすべて否定するように事実をあとから組み立てていきますから)

 ところで、その石川和子女史はもちろん、私に直接それを言ったわけではなくて、鎌倉駅の線路沿いにあった名物喫茶店『映画館』というところで「愛人だった」と言ったのです。すると、この問題が紛糾してきたとたんに、喫茶店は移転をさせられました。これが、例の国際的軍産共同体がよくとる手なのです。今はそれは、大船に移転をしています。その紛糾ですが、石川和子女史の超がつくわがままが原因です。

 この種の国際的軍産共同体に支援、保護されている人間は、すべてふんぞり返っています。国民を睥睨する目線で、記者会見を繰り返した小沢一郎もと、民主党幹事長もおんなじです。どうしてかというと、フリーメーソン組織として、絶対の保護が与えられていると信じているから安心しきってわがままを通すのです。それも、普通の場合にはいいのですが、

 この大相撲壊滅作戦のようなこととか、禁煙運動の行き過ぎで、普通の市民やら、小さなレストランや喫茶店が大変苦しんでいるのを見ると、本当に国民に、大被害を与える党なのです。それは菅首相の派閥が持っている特徴ではなくて、小沢元民主党、幹事長の持っている特長です。

 さて、石川(または、柳沢)和子女史は、私の猫を大変かわいがっていました。それで、返してくれないので、一家中が困っていました。猫って頭がよくて、自分の言うことを利く家来になる人間の方が、好きです。で、石川和子女史は、割とのんびりしたタイプで、私より言うことを利くと思っていて、そこで、のんびりするのは好きだったもようです。かつ、そちらは陶芸教室【鎌倉春秋釜】を経営しているので、人がたくさん来ます。うちの猫はにぎやかなことが大好きで、特に子供時代は活発で、大勢の人にちやほやされるのが、大好きでした。

 で、この結果警察を呼ぶ騒ぎに発展したのです。それが、今の警察のめちゃくちゃな、相撲壊滅作戦にまでつながっていますので、どうか、個人的なごたごたの、ようですが、聞いてください。

 石川和子女史は、猫を返してくれず、しかも迎えにいっても、呼び鈴を押しても五分も冬の寒い空気の中で、待たせるほどのわがままぶりで、とうとう我が家ではおこって、猫を出さないことにしたのです。すると、時々ですが、珍しいところへ行きたくて、行ってしまうわけです。とても、好奇心の旺盛な、元気な猫なのです。しかもかわいそうなことに、普段は、我が家の庭にしか出さないようにしたわけですから余計に冒険はしたいわけですね。それで、迎えにいきますと嘘をついて、いないといって返してくれないのです。

 しかもだんな【現在は伊藤源次郎氏ではない別の人と、彼女は結婚をしている】が私を大声で怒鳴るのです。私は窮地に追い詰められて恫喝のきわみを受けているのです。石川和子女史もだんなも決してい上品ではないし、教養のあるタイプでもありません。自分のほうが猫を隠しているのに、猫を探そうとすると、住居侵入で訴えるというのです。法律用語を引っ張り出すと、私が引っ込むというか、へしゃげると思っているみたいですが、私は、瀬島隆三氏とも過去に対決して勝ったほどの、法律通ですから、すぐ、彼に、下品な幼稚さには気がついて、一歩も引きません。それによく考えてみると、相手はこちらが嫌がっているのに、猫を入れて返してくれないわけですから、それはこのように大げさに法律用語を引っ張りまわすのをまねすれば、一種の窃盗となります。それも断ってからも入れ続けているわけですから、三年にわたり、500回以上の窃盗を繰り返したことになります。が、私の方が警官を呼んだわけではありませんよ。私はそんな馬鹿ではない。彼のほうが景観を呼んだのです。

 それはね。彼が逆上をしたからです。何に逆上をしたかというと猫になのです。猫は、この騒動の最中に、私を心配してその、石川和子女子の家から出てきました。そして、道で、私を呼んで鳴くのです。つまり、我が家の猫は、彼らの信条に反して、私たち家族を大好きなのです。特に私には同じ猫族として、対等に接してくれます。いや、私の方が彼女に対峙するときは猫になっているわけですが・・・・・、

 いやね。このことが松沢茂文・神奈川県知事が、個人的に、この夫婦を守るための県の工費を出費し、しかも何年にもわたって、出し続けることへと、つながっていくのですから、ぜひ、続けて聞いてください。

 出ね、私は猫を抱いて帰りたいのですが、石川和子女史の夫が鬼のような形相で目の前に立っていて、背中を見せたら殴りかかりそうなので。彼の正面を見続けて実を動かすことができないのです。か弱い女性を大男が声でも、かつ肉体的にも脅しぬくのです。これで、こういう下劣な連中を、自らの過去の下半身の付き合いがあるから、大切にして、鎌倉市の施設を使い放題にさせ、(それは、歴代の市長たちに伊藤げんじろうが、若い日に取り入って作り上げたシステムですが)名誉を構築させて甘やかし放題にした結果、醸成された人格です。

 このこう着状態に助け舟を出してくれたのが、石井夫人という方です。私を助ける目的ではなくて、石川和子女史の夫を助けることにあったのです。彼は振り上げたこぶしが下ろせなくて、困りきっていたのです。で、石井婦人は私の猫をつかんで抱き上げ、「ほら、つれてお帰りなさい」といったのですね。それが、きっかけとなって、私も収集がついて、猫を抱いて帰ったのです。
 このときに、石川和子女史の夫は一回助けてもらったのですよ。それに感謝すればよいのに、猫が私のほうを慕ったことに逆上しきってしまい、警官を呼んだのです。

 しかもそのときに、自分を正当化するために、自分は鎌倉の有力者、伊藤げんじろうと知り合い出るから、「彼女を、その夫に叱ってもらってくれ」と頼みました。

 仰天するわがまま振りです。私は何にも悪くありません。だから、私を叱る動機も何もないのです。だけど、私の夫は温和なタイプで、争いごとを好まないタイプなのであいてが悪いと思っていても、謝罪という形で、事態を収めることはあるので、その性格を利用して、柳の下の二匹目のどじょうを狙ったわけです。

 さて、二人の警官が我が家にやってきました。彼らも大変なへまをしたのです。おばかさん振りを最大限に発揮してしまいました。このことが、遠因になって、現在の警察の横暴が、生起していますので、丁寧に、書かせてくださいませ。我が家に泥棒が入るのも、彼らの失敗が大本にあり、それを起因させたのは石川和子女史夫妻の超がつくわがままぶりにあり、そのわがままが醸成されたのは、鎌倉春秋社・社長伊藤げんじろうを、瀬島隆三氏が、釣り上げて利用をしようと養成して、格をあげてあげ続けた結果ですから。

 あまりにも横柄な態度ですから、私は彼ら二人を泳がせたのです。自由に言いたい放題を言わせて、自由にやりたい放題をやらせました。すると、若い方の警官が、長所を取るという形で脅かしてきたので、それを弁護士に見せる必要があるといって、とりあげたのです。

 そのときに二人ははじめて、私が教養が高くて、容易ならざる相手であることを知って、あわて手引っ込めたので、それは千切れました。が、私はコピーにかけたら返すつもりでしたので、玄関に出てみると、彼ら二人は逐電したあとだったのでう。

 私はまったく悪くないのに、警官から脅かされて、調書を取られそうになって、しかもそれは、交通事故の調書だったそうです。私の家は鎌倉八幡宮のすぐ西側にある山で、川喜多記念館の真後ろで、石段を百以上がらなければならないので、絶対に交通事故など起こりようがないところなのです。すさまじい暴力ぶりです。で、その交通事故の調書がまず、盗まれました。
 だから、数々の泥棒の侵入は警察が行っている可能性はあります。

 しかも私がメモとして、これらの事実をパソコンの中に書くものですから、彼らはパソコンを壊したり盗んだりするのです。私はこの11年間に新旧あわせて、パソコンは12台買っています。石川和子女史と彼女の番町グループがやったことはこれにはとどまりません。

 私が引っ越してくる前にここは、蜂の巣をつついたような大騒ぎをしている町内会でした。そのわがまま主婦たちが道路占拠して、うるさい形で井戸端会議を開いているので、それを嫌う主婦が、彼女らを、やっつけるために、道路に自分宅のフェンスを作ると言い出していたのです。そのフェンスができると、引越しやら、改築ができなくなるので、引っ越してきたばかりの我が家の、土地を提供して、道路を広くするように頼まれたのですが、これが、それこそ、詐欺でしたね。

 申し出でてきたのは、息子さんが東大の教授さえしている中谷さんという方でしたが、明々白々たる証拠を残す形で、我が家が大損をしていることが誰にでも見える現象となっています。経済的に言えば、25年間の積み重ねですから、500万円を超える損害でしょう。

 私が例のおばかさんの警官二人を自由に泳がせたといいましたね。そうはしながらも年長の法の警官に、この現象を説明したのです。そちらはすぐ、事情を飲み込んで、『実は、自分たちは大変なへまをしている」と気がついたわけです。で、彼らは、私がコピーをしている間に逃げ帰ったわけですが、彼らから事情を聞いた警察署長、もしくは鎌倉春秋社・社長の伊藤げんじろう、もしくは、瀬島隆三、が、手を打って、神奈川県の水道工事という名目で、その証拠を一切つぶしたのですよ。

 しかも、それが、いかにもまっとうな事のように見せるために、小町通の共同溝工事というのをはじめたのです。それが、三年たつのにまだ終わりません。あるとき現場監督に、今日はなにをやっているの? と聞いたら、土を掘り起こして、ごみ【石)を取っているのですって。何度も何度も、同じことをやっていますので、何の石も、もうでないでしょうが。

 この無駄な工事がなぜ、行われ続けているかというと、ひとつには、「あんたより、石川和子女史一派、すなわち、鎌倉春秋社・社長伊藤げんじろう一派の方が、味方が多いのだよ」と、知らせることにあるのでしょう。で、無駄なお金が大量に浪費されています。

 通行人でさえ、美しい敷石が回復していないので、「行政の怠慢よねえ」と大声を上げて通るぐらいです。つまり、基本中の基本は、石川和子女史【しかし、一応ですががんで死亡したこととなっている)のわがままから発達していて、その結果、国民の楽しみである、大相撲が壊滅的打撃を受けたわけです。風が吹けば桶屋が儲かるの類で、

 神奈川県知事、松沢茂文氏が、小沢幹事長または伊藤げんじろうまたは、ほかのフリーメーソン級エージェントから頼まれて、禁煙運動を起こし、それが、成功した【家ね、今回の千葉景子さんの落選によって、決して成功していない)と私にはわかりましたが)ので、次から次へと新しい手を打ってきたというの野ひとつが、相撲界へのいじめ作戦です。、

 貴乃花が急に理事になったとかも解説できますが、今日はやめておきましょう。

 ともかく、日本のマスコミ界も警察も非常に軽く動くのです。誰がアイデアを出しているかといえば、井上ひさし氏(これは、篠山紀信氏宅、の家宅捜索までは、彼のアイデアだと思います)、と、伊藤げんじろう、【小町通の共同溝工事は彼が発案した可能性があります)の二人が大いに貢献しているでしょう。私が、それを、紙の本の形で出版する可能性を非常に恐れていて、

 それを、恫喝によって差し止めるために、大相撲の壊滅作戦等は、タイミングとしては、引き起こされています。私が大物であるというよりは、伊藤げんじろうが自分を守りたいがためのすべての作戦です。

 つまり、石川和子女史のほうが上なんだよと言うことを常に示したいがために、すべての発案だ生まれているのですよ。警察の横暴についてはもっともっと、語るべきことがあります。

 私のパソコンへのハッキング等も、警察が行っている可能性はあります。日本国民一億人を守るべき存在の警察が、何も悪いことをしていない、私を尾行したり、(GPS機能をつかって、息先々で工事が行われています。それが、脅しに役立つと考えられているのです。その工事社ですが、緊急工事出動者と、脇に書かれているのを見たことがあって、私hが銀座に現れれば銀座で工事が行われ、横須賀に行けばよこすかで工事が行われます。母の見舞いへ行けば、その老人ホームのそばで水道工事が行われます。たっているガードマンに、この工事は今日だけですよね』と聞くと、『ええ』と答えます。笑っちゃいます。こういう予算はどこから出ているのでしょうか。

 自民党も悪いところはあったでしょう。だけど、これほど、ばかげた、かつ恐ろしい・・・・・(?)私は別に怖がっていませんが、相撲取りたちは怖がっていると思います。・・・・・政策を進行させるのは、民主党、が、トップを担っている神奈川県だから、さらに、自由自在に行いうるとも思われるのです。だって、工事は我が家の山で行われたのをすべての短所としてるのです。歯医者によっても、山の上で急に工事が行われています。

 繰り返しますが、鎌倉春秋社社長の伊藤げんじろうしのもと愛人を名乗る、石川和子女子と、その夫が猫ごときことで、自分の面子をつぶされたと思い込んで、警官を呼んだことを短所にしているのですよ。信じられますか? 私だって信じられなくて、ほぼ、25年以上もここで、我慢をしながらじっと彼女らの横暴似た絵、かつ観察を続けた結果、ここまで来ては、はっきりと明らかにしないとだめだと感じています、

 我が家は鎌倉市、雪ノ下、2-3-7という番地となります。それから、私が過去に横須賀に住んでいた場所は、横須賀市根岸2-103-13となります。

 その近辺に、伊藤忠商事株式会社の子会社、三社が共有する土地があるはずです。最近では、その名義人が変更されたかもしれませんが、2008年までは確かに、その名前が残っていたはずです。
これは私が登記所等で調べたわけではなくて、瀬島隆三氏側から、接触があって知りました。

 もちろん、瀬島氏は身長というか、臆病なひとでしょう。エージェントとか、フリーメーソンとなる人は日本国民を裏切っていることは自覚しているので、臆病です。デ、もちろん、代理人がやってくるわけです。そのときは電話でしたが、東工大卒の測量士という話でした。一種の恫喝として、その土地が伊藤忠商事何とか、という大会社めいた名前を共有していると告げることが目的だったみたいです。だけど、私は盗聴されていることを含めて恫喝なんかにひるむ人間ではないです。
 だから、一種の情報集めとしても利用をしましたら、この事件がおきたときに、横須賀市の土木課長をしていた【奥様が私の友人】杉本さんが、市の副市長をしているとも伝えられました。その杉本夫人のラインから、何かが友人たちに伝わっているのか、どうも、横須賀時代の友人たちの様子が変です。

 これは、この瀬島隆三で代表をされる諜報機関が、繰り返し使ってくる手であって、横須賀の土地詐欺事件時代にも、子供が仲良くしていてご近所の佐藤さんという方が突然に引っ越すことになって、行き先を教えてくれませんでした。この鎌倉でも、猫騒動【警官が来た日)に猫を抱いて、私と、石川和子女史の夫の両方の窮地を救った石井夫人の一家は、引越しをされて、しかも行き先を告げてもらえません。

 私は、それらのことで、相手が思うほど、悲しんではいなくて、こういう現象を通じて、日本が、被、植民地化していることをしり、それを、国民に知らせる義務を天から与えられたと信じているのです。ですから、いろいろ政治的なことを分析いたします。

 ここで、やっとひとまずの終止符を打つことができます。これ以外にもすさまじい割るが、行われています。それも、お知らせするチャンスが来るでしょう。もしでき中たら、それほど、今の日本は悪くなっているといえます。
 なお、誤変換等が、残っていると思いますが、ちょっと、そのままにしておきます。あとで、紙のほんにでもなおすときになおしましょう。

 最後に結論としてまとめます。日本は、国際的軍産共同体の、被。植民地国家でありますが、それを、直接に国民に知られては反乱を招くと思っている主体側は、日本人を、使います。普通の人をエージェント化します。そして、あらゆる手段を使って、あたかもそれが、正当なことであるかのごとくしつらえながら、支配をしています。で、炭鉱に昔吊り下げられていたカナリアのように、先に真実に気がつく人間は、いじめという形でつぶしていきます。ご近所からいじめられたり、仕事先の人間からいじめられたりします。それは、法的に戦いにくい形ですが、それが有効だと信じているのです。私は30年、もしくは40年にわたって、いじめを受けるという不都合を経験してきましたが、その結果、気がつく人として、さらに進化したのです。ですから、その特質を生かさないという手はありません。で、ここで


 

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従容として、受容する・・・・・下村修(ノーベル賞・受賞者)

2010-07-12 00:43:55 | Weblog
 連載小説を休んで申し訳ございませんが、日経新聞連載中の、下村修氏の私の履歴書の、名古屋大学へ内地留学する話がとても面白いので、それについて述べさせてくださいませ。

* まず、就職試験に落ちたというエピソードが語られます。その際、勉強の成績は、卒業時トップですから、落ち度はないわけですが、何が原因だろうと考えると、先輩が内々に、
「あなたは会社勤めが向いていません」と指摘してくれたこともあって、どこか、(生意気・・・・・これは、私の翻訳です。下村氏は、別の表現をなさっておられる)なところがあるように見えるのだろう。じゃあ、会社勤めはやめようと、なるのです。これがまず驚きです。じたばたしないという点で。

* その次に、母校の助手になるのですが、これが、助教授になれない立場での助手です。それを五年続けるのですが、それもびっくり。普通の人ならあせってしまうところでしょう。ただ立派な研究をすでになさっているから、それが楽しかったのかもしれませんね。それで、満足感や達成感があったかな?

* で、その無欲な下村氏を心配してくださった上司である、安永峻五教授が、親切で、内地留学を勧めてくださるのです。これはよくあった制度で、おじも内地留学で一ツ橋で学んでいます。旧制の専門学校(現在の国立大学)を出た人は、旧制の帝国大学(一ツ橋は違うが)で、学ぶことが一種の箔をつけることにあたりました。下村先生も長崎大学の出身ですが、入学字はまだ、医学専門学校・薬学部だったのです。だから、名古屋大学の方が格が上となり、内地留学の意味がそこに生まれます。

 特に職業上の身分を失わないまま、内地留学できる制度があったのです。だから、給料をもらいながら勉強ができるわけです。でも、その間安永先生のほうは労働力が減るわけですから、ポケットマネーで女子卒業生などを助手にお雇いになるわけです。だから、本当に親切だというわけですが・・・・・

* また、驚くのが、勉強先の選定方法です。電話が発達していない時代に、アポも取らずに有名教授であった江上不二夫先生のもとへ二人は出向きます。しかし、江上教授は東京へ出張中でした。安永先生と江上先生との間のえにしは、同郷だというだけだそうです。でも、安永先生は山口県同士だから、大丈夫とおっしゃるそうです。それに下村先生は驚くのですが・・・・・

 ここはほほえましくも、理解できます。うちの父が山口県出身だから。今、90歳以上の山口県人は結束が固くて助け合います。父の時代まではそうです。今は知りません。

* しかし、江上先生は不在でした。安永先生は、何も疑いにならないで、もう一回来るつもりだったそうです。だけど、私はここで、かんぐります。一応東大で助手をしていたことがあるから、講座の中の雰囲気等は知っています。有名な教授にはこの手の依頼がいっぱい来るでしょう。だから、江上先生は、『全部引き受けていたら大変だ』というお気持ちもあって、一種の断りとしてすっぽかしたかもしれないのです。だって安永先生はお手紙くらい事前に出しておられると思いますよ。それもやらないで訪問をされるわけはないです。

* でも、幸運というか、なんというか、平田義正教授のところもついでに訪問をされます。これも、山口県の同郷のよしみでした。平田先生は、話を聞いて、「僕の所に来ませんか」とおっしゃるのです。耳を疑うとはこのことかと思ったと、下村先生は書いておられます。

* 帰りの汽車の車中では、安永先生は、出直すつもりでいらっしゃったようですが、下村先生は、後日「平田先生のところへ行きたい」と安永先生に願い出ます。ここらあたりを下村先生は、非常に淡々とお書きになっておられますが、私には、さまざまな裏が読めます。

 安永先生はかわいい弟子に箔をつけさせたいわけですから、超有名教授の下で修行をさせたいわけです。平田先生は当時はまだ若くて、マスコミ的に、有名な教授では、ありませんでした。

 でもね。ここが天運というか、なんというかなのですが、有名な教授の下についても幸せとは限らないのです。相性が合わなかったりしたら悲惨なのです。大学の講座って、教授を頂点とする一種のたこ部屋でもあるのですから、いったん入ったはいいが、教授と性格が合わなくて疎まれたりしたら、地獄なのです。

 下村先生は、後年アメリカへいらっしゃることでもわかるように、ぶっきらぼうというか、無愛想というか、個性があるというか、の類の人物なのです。だから、もしかしたら、江上先生の気に入らなかったかもしれないのです。天才同士の確執というわけで。

 しかも二回出向いても、二回目に、江上先生が引き受けてくださるという保障はなかったわけですし、この下村先生の選択は、最上のものだったと、結果としてなります。

 でね、さらに幸運なことには、平田先生は、大変オープンな誠実な方だったのです。民主的というのかな。で、

* 「あなたに任せる研究は、非常に成功率が低いのです。だから、博士号を取る学生には任せられない。で、あなたがやってほしい」とおっしゃるのです。つまり、下村先生の立場は研究員で、それは、はっきり言うと、大学院生より、心理的な身分としては、低いのです。それを、はっきり告げられた平田先生もすごいが、それを告げられたときに、ひがんだり、うらんだりしないで、『そうか、これをがんばろう』と思った下村先生も、非常に偉いです。

 つまり、大学院生というのは本学の下から上がってきた学生で、入試を受けて入っていて、しかも授業料を払っています。研究員のほうは他大学(たいていは本学より、偏差値的に低いとみなされる大学)の出身者で、かつ授業料は、払っていないはずです。その代わり講義も受けられないはずです。

 だから、一日のほとんどの時間は、教授の研究のお手伝いをするという任務もあるのです。無給の助手という雰囲気もあるが、一方では立派な研究をすれば博士号も取れるという立場です。お手伝いが、すなわち、勉強でもあり、研究でもあるから、成功すれば、教授との共著の論文が書けるわけですが、この場合は、ほかの院生に比べて、成功しにくい研究課題を与えられたわけですから、ぐっと不利になっています。

 これは、よくあるケースだと思いますが、それをはっきりと、かつ、研究の、着手前に、説明をされた平田先生は本当に偉いし、それを、従容として受けて、さらに平田先生を尊敬し、『勇敢にがんばろう、難しいからこそ、覚悟を決めてがんばろう』と思った下村先生もえらいです。

 下村先生は性格的には、不器用な方みたいですが、恩師に恵まれていらっしゃいます。私ももしかしたら同じです。師の恩というのは、常に感じています。下村先生は中学時代からの恩師の名前を挙げておられますが、私にも、小さいころから、恩師と呼べる先生はいます。では、  2010年7月12日    雨宮舜
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名古屋場所初日に当たって、誰が壊滅作戦の戦略を練ったか?

2010-07-11 15:14:42 | Weblog

 さて、今朝あげた一度アップした初稿を、分断し推敲したものの、第三本目です。

 なぜ、大相撲、壊滅作戦が起きたかというと、それは、私にはわかっておりますが、今は申し上げられません。ちょっと説明をしやすい確証があげられませんので。ただ、絵図を描いた人間はわかっております。驚くべきことにそれは、最近亡くなったとされている某有名作家でしょう。

 死亡ということを隠れ蓑にして、地下潜行し、アイデアを練る人となった模様です。対人関係が少なくなりますね。それで、思考に集中ができるというわけです。特に2010年6月26日に突然、なんとか、委員会というのができて、その座長が、伊藤滋という伊藤整氏の息子だということを知って、すぐぴんと来ました。発案者が文学畑の人間だから、氏を担ぎ出すことを考えついたわけです。

 ところが私が怒って、この仕組みを批判しました。6月29日の「ご老公の印籠としての、伊藤滋座長」という文です。すると、すぐ伊藤滋氏の実行力を、引き上げ、村山弘義氏という、元高等検事(肩書きはもっとほかにもあるはずの人です)を理事長代行にして、どんどんどんどん、悪いほうへ流れていき、NHKは中継しないとか、天皇賜杯は返上するとか、いうほうに流れていきました。

 私は鎌倉に住んでいるので、このアイデアマンから多大な損失を直接に、しかもすでに、与えられていますので、緊急に戦うことも考えましたが、その人物を長年にわたって観察してきた結果、おっちょこちょいで、短絡的思考の人間だと判断していますので、しょうめんきってたたかうのを、そのとき、つまり、6月29日以降は、一応ですが、やめたのです。
 上の相撲協会に関する、動きでも、伊藤滋氏が引っ張り出されたり、引っ込められたりする過程が非常に安直です。皆様も見てのとおりです。で、あまり、正面きって、戦うべきではないと判断をして、それ以降相撲に関する文章をあげておりません。

 でね、相手方は、おっちょこちょいですから『勝ったー』と思って、さらにこの大相撲・破壊工作を進めました。私は流れをわかっておりましたが、ニューヨークものとか、単発もので逃げて(?)いたのです。いや、逃げていたのではなくて、じっと観察をしていたのです。向こうは大喜びで、はしゃいでいましたね。

 それは、クローズアップ現代で、映画『コーヴ』の上映問題が取り上げられ、吉岡忍氏が出てきたことでも証明をされます。その番組ですが、私は見ておりません。見られなかったのです。我が家は鎌倉ケーブルテレビを経由してテレビを見ますが、衛星放送も地上波もときとき、「アンテナが不具合で、今は見られません(eroor code E202) 」と言うサインがでて、番組が見られずかつ、録画もできません。これは、はじめてのことではなくて、浅田真央ちゃんのフリー演技の際のオリンピックでも、見られませんでしたので、影で、国際的軍産共同体が関与している件が、このように見られなくなると、推定しています。で、その吉岡忍さんが司会をした番組ですが、『映画コーヴを上映禁止するのはいけない』という方向で結論を付けられたと推定をしています。

 つまり、国民を教唆訓導する目的で機能したでしょう。クローズアップ現代は、最近しこたまそういう方向で利用をされています。「国谷さん、しっかりして。ご自分の判断も利かせてください」といいたいですけれど。

 吉岡忍さんがどうして問題なのかというと、彼は、ちょうど今現在、ブックフェアーで、日本ペンクラブ主催のセミナーがあり、そこの司会をしているはずです。そのご案内もめーるで来信しましたが、申し込もうとするとパソコンが動かないので、『は、はーん。これは、一種のおちょくりですね』と判断をして、三週間ほど、放っておいて、別の仕組みでパソコンを働かせて、別のセミナーを申し込みました。それは、国際的軍産共同体の意思や意向を調べるためです。特にその有名作家(実は隠れた、フリーメーソンもしくは、インテリジェンス、もしくは戦略家)がどう考えているかを知るための行動です。そちらは有料で、8000円も取られましたが、一種の調査費と考えました。・・・・・ふ、ふ、ふ。大笑い。ですよ。苦笑のみぎりです。

 そこで、今日は、本人の名前こそ、挙げませんが、その驚異的なほどに、おっちょこちょいで、かつ、悪の要素の強い作家について、分析をいたします。

 四月に死亡が発表されました。肺がんとのことです。で、その直後の二週間にマスメディアに大量の露出がありました。しかし、死亡時の担当医の発表もなければ奥様のコメントもない。デスマスクの発表もない。それは、不思議ですし、葬式もなかったのです。

 しかも、この六月の末から、7月の今日まで、彼は死亡直後の二週間以来、二度目のこととして、すさまじい分量でマスメディアに露出をいたしました。しのぶ会も東京會舘で、開かれました。朝日新聞に大きな記事、NHK(これは、私が知っている限りでも、四本放映されました。新作もありましたし、旧作の再放映もありました)も。でね、その露出ですが、一種のご褒美というか、バーター取引として、行われたというのが一案です。つまり、大相撲という日本固有の文化を壊滅させるのに役立ったということで。
 
 しかし、ことはそう単純ではなくて、彼本来の発案である可能性もあるのです。

 彼は、自分が頭がよいと過信をしていますので、自分自身の大宣伝に役立つ発案はする可能性はあります。フリーメーソンは、NHKにも新聞社内にも、政治家の中にも根を張っていますので、自分が電話をかけないでも、アイデアを相当な人物に提示すれば、みんなが協力して動く可能性はあります。
 死んでいる人間が、まさかそんな手配をするはずがないと、言うのが普通の日本人の考えです。、彼は、そういう誠実な性向をもつ、大衆を利用して、自分の利益を図っているわけです。4月の11日、私の個展の最終日の翌日に、その死亡が発表をされて、すぐ、その次の13日に週刊文春と週刊新潮が追悼の記事を載せました。どんなに今はDTP化が進んでいるといっても、広告の印刷やら、頁編集の面で、これは、早すぎるでしょう。普通なら不可能です。これは、事前に、周到に、計画的されている措置でしょう

 私は非常に注目をしているので、未発表の遺稿というものも出てきたのにも注目をしました。それは、死亡が発表をされた日以来十分に予想をしていた出来事だからです。パソコンで文章を書くと書いた日が消えません。でも、手書きだったらいかようにもできます。

 これからは、ミステリー小説の読みすぎだといわれてしまうかもしれませんが、原稿に、噴霧器で薄いコーフィー溶液を書ければよいのです。溶液がアルコール30%だったら、すぐ乾きます。そして、四隅を、ちょっと、ぐしゃぐしゃにすれば、古い紙のごとく見えます。
 これから、注目をしていきましょう。ぜひ。引き続いて未発表の遺稿が出てくるはずです。つまり、作家魂は、生きている限り残っているはずです。だから、書く。特に対人関係がないので、集中して書けるということもあります。ところで、奥様ですが、二度目の方の、最近の露出では写真だけは公開されましたね。すこし、演技ができる状態になったのでしょう。一回目は、演劇に関与する、お嬢さんが一切の手配をしていました。
 この人が生きているとか、国際的軍産共同体の、戦略家であると言うポイントについてはさらに、一冊の本が書けるほどの、傍証がありますが、本日はこれが三本目でもあり、かつ、またも長くなりますので、ここで、それはとぎります。
 
 で、彼が今回やったことは、国民を悲しませることです。相撲に対して壊滅的、悪評を与えた人間は、国民大多数を悲しませる存在です。

 どうしてこういう人間が生まれるかですが、多分、若いときからの仕事上の人間関係を利用して、一本釣りをされるのだと思います。急に要請されたりするわけではなくて、じょじょにじょじょに関係をそちら側へと養成をされていくわけです。その人間にとってのメリットは、現世での名誉や金銭的な報酬が保証されることと、同時に、死後の安全も保障をされることにあるでしょう。

 軍産共同体のトップはフリーメーソンと、連動していますので、モーツァルトの時代から、システムは確立しており、その大作家が、遺産を確保するために、美術館とか、博物館を建立するとしたら、その将来の発展まで保障してあげるという形で、確約を与えるのです。
  ということまでを書いて、いったん、この件は終わります。

  傍証は、音によるものが多いです。鎌倉に住んでいると、鎌倉防犯協会の広報とか、鶴が岡八幡宮の催し物の案内放送が耳に入ります。それが私の書くもの、特にその大作家について書いたものと、ものの見事に連動をしているのです。公開したものもあれば、非公開のメモもあります。どちらとも連動をしているのです。

 鎌倉防犯協会とは、警察の外部団体ですよね。だから、この件からも警察は国際的軍産共同体の支配下にあると、断言できます。しかも、かれは、2009年、か、2008年か、どちらかの、6月2(?)日(?)放映のクローズアップ現代の中で、太宰治に事寄せて、警察の秋葉原殺傷事件における対応(つまり、朝の五時から携帯で、犯人が犯行を予告していたのに、防衛をできなかったこと)を擁護しています。驚くべき矛盾です。左翼系の作家だといわれていて、昭和天皇の戦争責任に触れたといって称揚をされていますが、一方では、警察協力者です。矛盾の塊です。大学は卒業しているはずですが、日本近代史ひとつ勉強をしていないと見えます。浅草のストリップでも通いつめていたのではないですか?

 ところで、私は左翼でも、右翼でもありません。昭和天皇にも国民にも責任があるということはずっと前からいってもいます。それに、出版社を後ろ盾にしているわけでもないし警察を後ろ盾にしているわけでもないし、政党を後ろ盾にしているわけでもありません。何も後ろ盾にしていない独立独歩の人間です。だから、超といってよいほど、弱くもあるが、超といってよいほど、強くもあるのです。現代の最大のタブーだったかもしれませんが、国際的軍産共同体の、日本弱体化作戦は、こういう人間によってその素案、および実行案が練られているということを明らかにいたしました。

 彼の実物には、鎌倉駅のホームで二度ほど出会ったことがあります。一度は昔存在した喫茶店内で、となりにいて、三分ほど話しました。二度目は、ホームの対面から、15メートルぐらい離れて目が合ったのです。両方の場合とも、『私のことを、すでに、知っているな』と感じました。そして、おびえていると感じました。相当に、私は、有名らしいですよ。その筋の人たちには。(ふ、ふ、ふ)。この場合のその筋とはやくざではなくて、国際的軍産共同体の、手下たちという意味です。

 でも、つくづくの悪人だと感じます。国民が大切にしているものをずたずたにして、一方では、何億円もの広告料を抜きで、自分の宣伝をしている人間です。恐るべき存在です。さもしいという言葉は、まさに、彼のために在る。
~~~~~~~~~~~
 この論をおっちょこちょいなものにさせないために、もう一点付け加えるべき点があります。それは二人羽織のように、この作家が一緒に行動する人間B氏がいるのです。そちらの方が、実際の発案者であり、有名作家は、死んでいるのだという可能性もあります。また、B氏がNHKなどを動かした可能性は高いです。有名作家が死んでいる場合もそうであり、生存の場合も、作家本人がNHKを動かす可能性はないので、B氏の暗躍はあるでしょう。特に、この手の軍産共同体が関与する件では、B氏は、非常に緊密に動きます。特にその有名作家と一緒に組みます。

 が、今回、B氏について、詳述を避けたのは、かれは、別に直接のメリットがありません。まあ、通低には、ほんの出版について、私の出版を妨害したいと言う意向は持っていると思います。というのもそちらの悪人ぶりについても、私はすでに、詳細に把握していますので、私のことを、怖いという思いはあるでしょう。まあ、そちらも何か顕著なことが、把握ができれば、ご報告いたします。上手に。ところで、このペアーが発案したことで、国民に迷惑をかけることは、もっとほかにあるのですよ。

 それも、天が「書け」と命令を下されたときには書きましょう。
                           では、2010年7月11日雨宮舜
追伸、今、最後の一節を加えたとたん、パソコンが猛烈といってよいほど荒れました。で、B氏について(今ここではあまり詳述をしていませんが)、彼も相当なレベルで、国際的軍産共同体に奉仕していることが明らかです。それは前から承知しておりました。ただ、ここで、有名作家であり、故人である人を、主に取り上げたのは、そちらも、上に上げた程度のことと似たようなことを過去にやっているので、それから考えても、国民大多数を悲しませる方向で動いていることは確かなのです。

それと、そちらのほうが大衆的知名度の高い人なので、説明をしやすいです。ただし、B氏も引き続いて観察する必要があると、今回、思いを新たにしました。ちょっと、そちらはテレビ番組がないので、観察しにくいですが、観察を続けましょう。

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電子書籍化の危険性ー2、改稿篇

2010-07-11 12:37:57 | Weblog
 先ほど三時間かかって、一本アップをさせていただきましたが、あまりにも長いので、分離させていただきました。どうか、よろしく。

 さて、昨日の崖っぷちのエリーという単語で始まる文章ですが、それは読者に対するサービス精神もまるでないものです。ある程度以上に失礼をいたしました。が、67才の身としては渾身の力を込めたもので、一見すると、個人的な自慢に見えて、すこぶる政治的な問題に触れています。特に、私が近年大問題としているのが、巧妙に行われる言論弾圧の仕組みです。

 それが、一般の人にも周知の事実であるかどうかが心配で、すべての文章、特に長いものについては、そこを主題として書いているのです。そこへ向かって収斂していくこととなるでしょう。それを、下世話なエピソードの中で、わかりやすく書きたいと思うのが私の望みです。

 昨日の文章で一般の方に向けて、特に大切な問題だったのは、第五節以下です。電子書籍がはやると、言論弾圧が容易になるということです。戦時中には、伏字のニュースが多かったことが知られています。また、戦後すぐには、数多くの書物に、墨を塗るように学校等で命令をされたといわれています。ナチスは、焚書ということを宣伝をかねて誇示しつつ行いました。

 土曜日の文章内では、連載小説における重要な人物である鹿島泰三氏の名前は出てきませんが、国立国会図書館のマイクロフィルム化で、データを削除したのは、もちろん鹿島泰三氏自身、および氏を(そのころは)頂点とした、国際的軍産共同体の日本における戦略(諜報)部門だったと確信をしています。

 あの文章内で最も重要なことは、電子書籍では、容易に言論弾圧ができるということです。皆様もパソコンで文書を作ると削除と挿入が紙で書く場合より、容易だということには気がついておられると思います。それが、電子書籍の場合も容易に行われるのです。

 皆様はまさか、公のものが変更になるはずがないとお考えでしょう。しかし、技術的には可能です。特に紙の本ではなくて、IT的データだと可能なのです。

 私は過去、六冊の本を作ってきたのですが、データ(IT的なもの)は、破壊されることが容易だと感じています。実際の作業がどう行われるかですが、ピンポイントで破壊されます。全部が削除されたりすると、すぐ、気がつきますね。それを避けるためにピンポイントで、誤変換とか、抜かすということが、行われます。

 一冊の本で、字数にして、10万字以上ありますので、点検は大変で、死に物狂いです。で、気がついて直しても、ちょっと目を放した隙に、すぐ元通りになっています。

 私のケースから類推して考えるのですが、たとえば、思想的な書物で、著者が回りくどい方法で論を述べたとします。あっちこっち対立する論を述べた後で、やっと著者独特の論を展開した。しかもそれがたった一行だったと仮定をします。その一行を削除されてしまうと、本の独自性がまったく失われる事となります。

 また、非常に緊急になった場合は、純粋な文学(たとえば、ノーベル賞作家川端康成のもの)でさえ、改変をされる可能性はあります。日本文ではなくて、英文や仏文の方です。改変後、格が低くなるように、単語を入れ替えたりされる可能性はあるのです。よく川端文学を知っている人でも、英文までいちいち読みませんので、見落としてしまい海外の人に誤解を与える可能性さえあるのです。

 著者と編集者には、たいていの場合は次の仕事が入っていますので、電子書籍の内容を、点検しないと感じます。特に一週間に一度点検するなどということはやらないでしょう。
 すると、誰も気がつかないうちに、巧妙なる言論弾圧が行われてしまいます。

 サービスが大発展しているようですが、意外と、文化面で損失の多いものとなるかもしれません。数千年にわたって続いてきた紙の本という文化(といっても、今の形式の本はグーテンベルグ以来ですけれど)を大切にしないとだめだと感じます。


 で、元の私個人のケースに戻ると、その実情をよく知っている私は、他人様から、本を作ってほしいと頼まれるときに、一切を断っています。主人の本さえ断っています。「本の作り方はお教えします。ワンレッスン五千円で引き受けます」と、申しておりますが、他者のデータを受け取って処理することはいたしません。というのも自分のデータだけで、これほど、苦労をするのに、他人のデータが破壊されたら、その苦労たるや、目も当てられないということになるからです。

 それほどの、裏を知らない一般の人が、「あなたは、個展一回分で本が一冊できるとよくいっているから、三十万円で、一冊作ってください」なんていってきたりすると、怒り心頭に達します。印刷代だけなら、それ相応の値段(ただし、私の場合は印刷製本代だけでも、五十万円は超えるが)ですが、それ以外の部分で結構お金がかかるものなのです。

 しかもその依頼方法が、電話だったりすると、相手の安易さに腹が立ってしまいます。人ってそれぞれ抱えている条件が違うので、交渉する際は丁寧さが必要だと信じています。顔を見ながら話せば、誤解も少量になります。大切なことは必ず訪問して、対面で話し合うこと。まあ、非常に下世話な話で、申し訳ございませんが、私も人間なので、ここまでいうのをご容赦くださいませ。

 私は今は盗聴を懸念して、電話も使いませんので、出版社としては、自分の本を作るだけです。となると、技術はあるのに、ビジネスとして発展できないわけですから、それも、逸失利益となります。

 しかも、よい本を作ろうとすると、より、大変です。しかも内容が、まともであればあるほど大変です。
 現在の日本では、まともなことが忌避されています。人々がまっすぐで、元気であることは国際的軍産共同体にとっては困ることだからです。だから、エンターテインメントは称揚されますが、・・・・・あれは、・・・・・これから先は、口にチャックといたしましょう。

   で、ここで、いったん切らせていただきます。下に、二時間程度で、こちらをアップしてしまって隠れてしまった、蒼穹の昴(NHKハイビジョン放映)に対する感想が載っていますので、それにご興味のある方はどうぞ。初稿より少し、改良してあります。

 2010年7月11日     雨宮舜
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蒼穹の昴が終わってしまった。改稿・短縮・篇

2010-07-11 11:08:35 | Weblog
 本日は日曜日です。このブログの読者の皆様もご自宅にいらっしゃるケースがおおいでしょう。選挙カーの連呼も終わって町は静かです。それで私もちょっとした休憩を入れましょう。

 ところで、NHKハイビジョンで放映をされていた蒼穹の昴が昨日終わってしまいました。私はこのドラマの原作を読んでいません。だから、語ることが的をはずしているかもしれませんが、

 ちょっと、進行がとろとろしていましたね。それは、若手の俳優に魅力がなくて、彼、彼女らが登場すると、すべてが想定内で進行するので、それで、とろいと感じたのでしょう。これは、脚本が悪いのか、彼、彼女らの演技が平板なのか、どちらに原因があるのかが、今のところわかりません。
 ひとつ、原因として想像をされることは、中国の若い人は一人っ子政策の影響で、親から大切にして育てられています。しかも俳優になるためには、大変な競争があるそうです。日本で言えば東大に合格するよりも難しい穴を通らないと、世に出られない模様です。

 それゆえに、優等生としての殻を破ることができないのかな。マダムチャンを演じた女優さんなど、「あなたって、実家がよくて、お嬢様なのでしょう」という感じを受けるだけで、その役が内包している複雑さが、まったく出ていなかったです。主人公、春児、文しゅうを演じた二人の青年もそうですし、彼らを囲む奥様役や、妹やくも、そして、光緒帝の最愛の人珍妃を演じた女優さんも同じです。

 唯一、若手の中で輝いていたのは、光緒帝役の俳優でした。やりがいのある脚本だったと思いますし、本人の人物造詣もすばらしかったです。

 ほかには、中年俳優、特に悪役連中がすばらしかったです。宦官の鬱屈を表現する俳優たちは上手だと感じました。見ていて面白かったです。翻って繰り返しになりますが、中年、若手両方とも、善玉役はつまらなかったです。

 さあて、最後に主役の田中裕子さん。今いえることは、「ごくろうさまでした。よくまっとうなさった。それはえらいです」ということです。「あの重いかつらと衣装をまとうだけでも、大変だったでしょう」と、申し上げたいです。

 その重いかつらと、衣装ということですが、それに惹かれて、見続けました。ドラマ部分がつまらなくても、そこと、装置が立派でしたね。セットとも思われない宮殿でした。私は韓国ドラマをあまり見ていないので、比較ができないのですが、こういう史劇は、衣装と装置が、楽しみなのです。では、                           2010年7月11日、雨宮 舜
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がけっぷちのエリーを見ながら(14)電子書籍化の危険性に気がつく

2010-07-10 16:06:43 | Weblog
 本日は土曜日です。で、休日であり、パソコンを自宅でお開きになっている方が多いと仮定して、津リッター方式で文章を書かせてくださいませ。はじめは10行程度、途中で、5行単位で、同じこの第15章という文章の終わりの方に、追加を加えていくつもりです。どうかよろしく。

小説『ジョーイの出立』
  第一部、タイムズスクエアーの家、
     第15章『崖っぷちのエリーを見ながら 』

・・・[前号までのあらすじ]、2010年現在、1999年のNY滞在時の思い出を書いている百合子には、日本での普通の日常生活もあり、テレビを夫と一緒に見たりするときもある・・・

(第一節) 百合子は、2010年の7月8日から9日にかけて、重い課題について書くことをこなしぬき、ほっとして、自宅でテレビを真正面を向いて見ることとした。普段はパソコンを打ちながら背中で見ている。パソコンが居間においてあるので、夫がテレビをつけると、そうなる。昼間はもちろんつけないのだけれど。

 夫婦二人で選んだ番組は、『崖っぷちのエリー』という新作で、有名な漫画家の一種の自伝だ。百合子は主演俳優(男性も女性も)に、やや、原作者夫婦と雰囲気(その人間としての持ち味のこと)が違うなあと言う不満と、進行がやや、騒々しいという不満を持った。だが、二人の演技が下手ということではない。この番組に出てきている人たちは、脇役も含めて、大変上手だ。ただし、漫画チックで誇張が多いが。
 主人は一般の人には「これでいいんだろう」と、いう。そういえば、新聞にも紹介記事がたくさん出ていたし。

 やや、不満げに見ていた百合子が、ある画面で、釘付けになった。美大の実習室でのこと。ヒロインのエリーは教授にいじめられることになるが、原因は貧乏だからだ。
 そこが、私の思い出を強烈に呼び覚ましたのだ。
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(第二節)百合子は美大卒ではないが、画面に出てくる規模の制作室で、ほかの人と絵を描いたことはいっぱい会って、特に、この教授みたいに、貧乏を、キーワードとしていじめる存在には出会ったことがある。

 ただ、ちょっと、エリーとは違うところもあるので、その詳細を述べさせていただきたい。百合子は59歳ごろから突然に貧乏になるのだけれど、10代から50代までほとんど経済的に苦労をしたことがなかった。大学入学時には、成績上奨学金がもらえるはずだったが、事務室で、「お父様の納税額が、上から6%以内ですので、奨学金は上げられません』といわれたほどだ。

 でも、一種の士族のたしなみとして、他人に対して、見せびらかすように、おしゃれをすることははしたないという教育を受けていた。ただ、ママともから、「いつも、スカート(ウール)を履いているでしょう。それは、感心しちゃう』といわれていた。今から30年前の百合子は、クリーニング代を気にすることなど、考えられもしなかった。

 ところが、海外をさまよい、版画修行に明け暮れ、そして、そこで学んだことを紙の本にして出版をすることを始めてから、貧乏になった。『唐様で売り家と書く三代目』の典型であり、宮沢賢治に似ているといえば、似ている。

 そして、お金が心配になったということだけではなくて、別の原因で、家にも戻った。重くて耐えられないほど痛い病気になってしまって、その病気をそのとき、東洋医へ、転職をしていた夫に治してもらって、『ああ、この家で、主婦として、過ごすことを神様はお命じになっているのかな』と感じたからだ。それ以来、大空を翔る鷲としての自分の翼はたたんでしまい、鶏として、地を這う暮らしをしている。本当につつましい生活者(つまり、普通の年金生活者)として日常を暮らしながら、唯一、(さまざまな援助が肉親からもらえるからこそ、それを生かして)、紙の本だけは作り続けようと、考えている存在だ。

 で、金持ちの生活も理解できれば、貧乏人の生活も理解できる。

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(第三節)1970年代に、友達に誘われた会で、百合子は、この『崖っぷちのエリー』のヒロインと同じ扱いを先生から受けた。理由は絵の具が古いことと、洋服がラフすぎたことだ。場所は高級公務員用住宅街の集会所。海外赴任なども多い奥様がたが、生徒である。
みんなワンピース姿であり、その上に、ひらひらしたレースのついた、エプロンをつけている。あとで、打ち上げパーティもあったが、おご馳走は皆様の持ち寄りで、見掛けもよくて味もよいもの。あらゆる意味でエリートママたちの集まりだった。
 一方の百合子の方は、ジーンズにトレーナー。油絵を描くのだから、汚れるからこれが当然だと思っている。
 しかし、浮き上がっているのは、感じて、誘ってくれた、高級官僚の夫人である旧友に悪いかなとは、思いつつ、絵を描き始める。

 先生が、生徒の間を回って、ほめたり注意するのはテレビの映像と同じ。先生はちくちくと百合子にいやみを言い始めた。理由はすぐわかった。服装もさることながら、画材を嫌がっているのだ。百合子はその日、絵の具箱に道具を詰めて出かけたが、その絵の具箱が超がつくほど古いもの(戦前のもの)で、肩紐がついていないタイプだ。部品として肩紐だけを買えば、二千円ぐらいかな? だけど、皮のベルトはやせた肩に食い込むので、好みではなくて、自分であり切れを使って、作っていた。

 その上、絵の具箱の中身も問題にしているのがわかった。「貧乏な絵の具を使っていて、いやだな。おまえはこの絵画教室のメンバーとして、いるべきではない」と先生が考ええているのはびんびんとわかった。普通の場合だと、ドラマ内のエリーよりはるかに繊細な百合子は逃げ出したであろう。

 しかし、絵を描くのが大好きなことと、先生を内心で、軽蔑し始めたので、いじめに対してまったく平気で悠々と絵を描き続けた。その貧乏な絵の具とは銘柄はフランスのルフランだったり、日本のクサカベだったりするので、ランクが低いものではない。ただ、戦前もしくは戦中のもので、当時は工業生産的に、攪拌技術が現在より劣っていたと見られ、油だけが、口やら、尻尾から滲み出していて、それがラベルを世としていたので、より汚く見えたのと、テレビと同じく、新品ではないので、すべて、チューブのおなかがへこんでいたりするわけだ。

(第四節)
 だけど、百合子の方では、『この先生って、なんて、人格の軽い人なんだろう。一流の人物ではないか』と思うだけで、淡々と絵を描き続けていた。一時間経過すると、先生の態度がガラッと変わった。いじめの言葉はまったくなくなった。

 百合子は察していた。自分がこの教室で圧倒的に、ほかの人とレベルが違うことが先生にわかり始めたのを。どこが違うかというと、まず、色の使い方が違う。

 画題は、三つおいてあったが、百合子のイーゼルから見えるのは、ピンクのカーネーションだけ。ピンクのカーネーションが10本ぐらい花瓶に生けてあるという画題。『なんてつまらないんだろう』と最初から思った百合子は、赤い絵の具を使ってカーネーションを描き始めた。形の方はあまりデフォルメはしない。この教室の生徒さんたちとか、先生には、ピカソ風の絵は受け入れられないのは、はっきりとわかっていた。

 百合子は色盲ではない。花はちゃんとしたピンクに見えている。だけど、絵というものは、対象を、そっくりに描けば結果としてよい絵になるというものでもないのだ。よい絵とか、傑作とは何かという定義は非常に難しいけれど、その総勢50人ぐらいのお教室で先生と、百合子だけは、その赤いカーネーションの絵は、成功したものであり、ほかの生徒さんとは、百合子自身が画家として、まったく別格の存在だということが、わかっていた。

 上のことを、先生自ら、着席パーティの席で解説してくださった。後は、百合子はヒロイン扱いだ。ほとんど口を利かないとよく言っているが、信頼する場所ではおおは謝儀でしゃべる百合子だ。そのパーティの主役として牛耳ってしまった。で、かえって、その一回きりで、二度といかれなくなってしまった。

 別に断られたわけではないが、場の雰囲気を乱したというのは、自分でもわかっていて、しかもお教室全体のカラーから考えると、そこで花を描き続けていって、最終的に日展に入選することになるのだろうとわかったが、そういう、将来像にも、何の魅力を感じなかった。先生は日展系の下部団体の会員だとのこと。百合子は小さいころから父に連れられてたくさんの団体点を見ていたが、日展系は、自分にはあわないなあと、ほんの小さいころから感じていたからだ。

(第5節)今、百合子はパソコン内に、上の赤いカーネーションのデータを探したがない。『あ、また、やられちゃった』と思う。でも、個人的なことより、この日本社会にとって、非常に困る、悪辣なデータ削除が行われているので、これから先はそれについて述べたい。
最終的な完成まで二時間以上かかると思うが、ツィッター方式で書くのでよろしくお願いしたい。

 百合子が先生の攻撃に、なんとも、揺るがなかったのは、これらの古い絵の具が、父の絵の具箱から譲ってもらったものであり、その父が、たいそう高いレベルで、戦時中画伯として尊敬されていた過去があったからだ。素人だった。満鉄のサラリーマン、しかも技術や。だが石油を専攻していたので、優遇をされていた。で、戦争に行っても割りと早く返されていて週末は中国国内の遺跡をスケッチ、兼、油絵を描きに旅行を重ねていた。その絵は、ラストエンペラーの宮廷やら、満鉄総裁室、そして、例の甘粕大尉自殺の部屋、理事長室などの壁面を飾っていた。

 それが、新聞記事の切り抜きとして百合子の実家には、10枚程度あった。今にして思えば残念だったが、それを、現代風のコピーにうつしておかなかったり、スキャンしてIT用データ化しておかなかったりしたのは、大、大、の失敗だった。全部資料が盗まれてしまったのだ。父の写真も母の写真も、記事の切り抜きさえ盗まれている。

 百合子宅では、ほかにもパソコン、も、ACアダプターの類も盗まれている。住所録の類も。USBなども。それから、パソコンが壊されたり、保存用のハードディスクが壊されたりするのも現物は残っているが、使えないわけだから、一種の盗みだと考えられる。
 だけど、とっさには騒がないのは、さまざまな理由がある。

 第一に、相手が、例の国際的軍産共同体だとすれば、きちがいじみた集団なので、騒いでもどうしようもないと、いうことがある。上があったり道徳観があったり、反省したりする団体ではない。よく素人の方が、警察に訴えればとおっしゃるが、百合子の見るところ、警察も、その軍産共同体には、しっかりと、支配されている。

 今回の大相撲騒動でも、いつのまにか、天皇賜杯(また、首相からのもの?とか、門グ大臣からのもの)さえ返上するとなっていて、壊滅的打撃を受けているが、それは、村山弘義、理事長代行になってから決められたことのようで、氏が高等検察官であったことを考えると、非常に暗示的でもある。

 だから、百合子は、この三年間、莫大な損失をこうむっているが、何も騒がなかった。めるまが等でも、ひとにいわないし、ブログでも公開をしなかった。
 それで、大切だと思われるものは、すべて身に着けて出るようにしていて、大荷物をキャリーバッグに積んで銀座でも歩いている。

(第6節)しかし、35坪の家に住んでいるのだ。しかも膨大なものがある。家族に捨てなさいといわれているが、お金で買えない、代替品がないものばかりだから、捨てられない。で、その膨大なアイテムが、あるかないかなど、普段は点検をしない。

 で、何がなくなった課など、それさえもわからないのが普通だ。だが、あるとき、知人から電話がかかってきて、「このお父様の写真、これが、残っているだけでも価値があるわね』といわれた。それは、三冊目のほんの中に挿入した、父、20代の写真で白いスーツを着て伊勢崎町のスタジオで撮ったものだ。

 その友人の言葉になんとなく不安になって、普段使っていない部屋に飾っていたその原版を探しに行くと、すでにない。洋服ダンスの脇板にかけられていた、小さな皮製の額に入れていたが、ないのだ。あっと思って、別の写真類を探したが、それらもない。

 別の写真類は、別の部屋のチェスとのにだんめの引き出しに入れていた。それもない。
 だけど、百合子はまたも、騒がない。黙ってじっと耐えていた。
 騒がないほうがよいのは、最終的な探索先を、奪われかねないので、最終的な探索先を保護するためだった。

(第7節) 最終的な探索先がどこかというと、国立国会図書館である。そこに新聞がおいてあるはずだ。その大元の資料から、再び探し出せばよい。そう考えていた。で、その大元の資料が消されないためには、騒がないほうがよいのだ。

 しかし驚愕したことには、国立国会図書館からは、新聞の類が消えていたのである。紙の形では消えていた。国立国会図書館側の説明によると、満州で発行された新聞はマイクロフィルム化してあるとのこと。で、マイクロフィルムを扱うのは初めてだったが、必死だかr、マスターして一頁ずつ検索をしていった。

 時期としては、父の思い出話を頼りにする。大勢の新聞記者が、家にやってきて、その普段とは違う様子に、赤ちゃんだった百合子が、大泣きをしたのに、「令嬢百合子ちゃんはニコニコしていたなどと、連中は書くんだよ。新聞記者なんて嘘を書くのだねと、まんざらでもない顔で、父がいっていたのを頼りにする。昭和十八年か、19年の秋だ。

 ところが、十紙以上に取り上げられたはずなのに、どこにもない。で、ためつすがめつしたら、文化面だけ、マイクロフィルム化していなかったのだ。しかも満州時代の新聞は二紙のみマイクロフィルムとして保存をされているが、両方とも文化面だけ、削除した形で、マイクロフィルムができていた。

 百合子はぴんと来る。そういえば、何年か前、マイクロフィルム化は、一面まで使った大ニュースとして報道されたが、あれも、自分に対する脅かしだったのだと、悟ってくる。もちろん、青地の記事が出たときは、同時進行的にそれが、自分に対する脅かしであることは察していたが、このマイクロフィルム化も同じ目的で行われるとは、同時進行的には気がつかなかった。

(第八節)、映画アフタースクールを見たときに携帯には、GPS機能というのがついていて、それで追跡をされるので、使わないこととしていた。追跡されるといやな事は電車が送らされるのだ。東京へ行くときは、北鎌倉とか、保土ヶ谷などの、乗り換えのきかない駅で、5分から30分程度待たされる。誰かと待ち合わせをしていたら大変だ。

 しかし、持ち歩いているパソコンにGPS機能が入れられているのにも気がついた。前の古いものには、FINDERという小さなファイルが入れられていて、どこで、仕事をしても把握をされるのにも気がついていたが、パソコンそのものにGPS機能がある。

 すべての方向と目的は脅すこと。それによって、気鬱になり、文章がかけなくすること、それによって、自分たちの悪事が、外に漏れないようにすることにあるだろう。

 で、百合子が国会図書館で、物を調べたころに、さらに脅かすために、NHK一チャンネルで、『爆問、学問』が国立国会図書館を訪問する企画が立てられた。別に脅かされもしないけれど、『あんた、調べてお父さんの資料がなくなっていることに気がついているけれど、手も足も出ないじゃあない』とあざ笑われていることは感じた。で、館長が登場したが、この館長の時代に、そのマイクロフィルム化が行われたわけでもない。
 ともかく、爆問学問を好きでよく見ているから、かれらに国立国会図書館へ行かせると言う企画を立てた。それを見ても、失われた資料を回復させる運動を百合子が起こせる分けもないと見くびっての嘲笑の企画である

(第九節)

 以前書いたが、土地台帳の原簿が閲覧できないことはあにひとり、百合子だけが困ることではない。新しく土地を買おうとする人が、二代前の地主について調べられないのは、困ることだ。それに、一枚の謄本(コピー)を取る金額が莫大に高くなっている

 そして、このように当たり前だった権利が奪われることが、最近、続いています。禁煙運動を許していたら、名古屋場所で、相撲が壊滅的打撃を受けました。

 ここで、今日は一応の終点を打たせていただきます。2010-7-10 雨宮舜
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とんびに油揚げ(高級マンションインNY)をさらわれる

2010-07-10 14:20:09 | Weblog
小説『ジョーイの出立』
  第一部、タイムズスクエアーの家、
     第14章『とんびに油揚げをさらわれる。しかも目の前で』

・・・・・[前号までのあらすじ]、百合子はときどき日本のことも思い出すが、今はニューヨークでがんばっている。やっと、適宜なマンションが見つかった・・・・・


 今回は六ヶ月契約とするつもりだった。三ヶ月と言う本音を言ってしまうと信用が無いのを、知ったからだ。実際には三ヶ月で帰るが、この不動産やが、人気のあるところなので、すぐ次の借り手が見つかる事は信じていた。だから、罪の意識はまるでない。次のお客が見つかるまでの十分に余裕ある日時に、「やはり、就労ビザが取れなかったので、三ヶ月で帰ります」と言えば、日本で言う敷金と言うのを、相手方はまる取り出来るのだから、実損は、掛けていないという判断もあった。
 
 しかし、今回は異常に待たされた。でも、不満は無かった。例の錦ちゃん張りに明るい青年のところに先客があったからだ。それが、なんと日本人の二人連れ。お嬢さんたちだ。細身で小柄で美形。二十代前半、多分学生。百合子はその話し合いが終わるまで、何の不安も持たずに待った。ところが、30分程度経過して、社長が、「ちょっとお話を聞きたいから奥の部屋で」という。『あ、やっと、正式な契約が始まるのか』と思ったが、社長は、他愛ない世間話をするだけだ。しかもどことなく暗い顔で。『変だな』とは直感的に思った。それは、当たりで、社長が百合子を隔離した本当の理由は、外のオフィスで、例の白い絨毯の敷いてある上等な部屋を、先客の二人の若い日本人女性に貸し付けるためだった。その、契約場面を、百合子に見せたくないということだった。

 やっとその奥の部屋から開放をされて、ナンバー2と思しき青年のデスク傍に座って、「今日、例の物件を契約したいのですが」というと、「それはすでに、借り手が付いています」と言う。愕然とする。その店に到着をしたときは、誰も、それを、告げなかったわけだから、すれ違いで先に来た、あの二人の若い人が契約をしたのだと察する。二日前に「借ります」と宣言していたのに、現金を入金しない限り契約が成立したとはみなされないのだと、初めて、ニューヨーク社会の冷淡さと、おきてのきびしさにも気がついた。

 百合子がもし、30分前に、ここについていたら、百合子のものと、あの白いインテリアの部屋はなっていたはずだ。こう言う場合、「口約束を守りなさい」と喧嘩を吹っかけるか、それとも、黙っているか、どちらが得策かを、一瞬で考えて、悔しさを黙って飲み込む。
 二人で借りれば、一人当たり、5万円となる。それなら、親掛かりの若い女性でも出せるのだろう。でも、あの部屋は、見せてもらえなかった寝室と、居間のふたましかないので、二人で使えるとは思っても見なかった。居間は一種の廊下もかねているので、寝室をつかう人との差が付く。その差は長い時間を掛けると必ず、損をしているほうの不満を招く。だから、あそこを、二人で共有するというのは、想像が出来なかったのだ。

 だけど、そちらの方が、ニューヨークの世情に、より通じていることは確かだった。来店したばかりのに、値段等を判断して、すぐ契約をしてしまう。勇敢と言うか、なんと言うか、物件の価値が見抜けるからの、急ぎ足だと思った。百合子は、その家捜しの数日間、自分では相当に苦労をしたつもりであったが、まだ、足りなかったのだ。緊張感も知識も足りなかった。
 百合子はすぐ、「もし、別の物件があったら、教えてください」と、言った。自分の本心を悟られないように苦労をしたが、その事務所の六人ぐらいのみんなが、百合子の悔しくて残念に思う気持ちは察していたはずだ。社長がわざわざ奥の部屋に入れ込んで隔離をしたのは、普通の人だったら、怒り出したり、恨むであろうとかんがえたからだ。この、小さな裏切りは、社員、みんなが阿吽の呼吸で協力して、演技をしていたからの成功であり、真実を言えば、たった15分の差で、百合子が現れたときに、全員が震撼したのだと思われる。一番前列のただただ、かわいいだけと見えた、女の子だって、百合子が、ヒアリングとしゃべるのと両方で、英語が出来るのを知っているから、奥の机の話が、入り口近辺まで漏れてくるのを、心配したはずだった。

 だけど、後の祭りとはまさにこのことである。また、『とんびに、油揚げをさらわれる』と言うことわざも、まさに、この場合は当てはまった。しかも目の前でさらわれてしまったのだ。別に地団太は踏まないけれど、残念で悔しい事は限りが無かった。

 しかし、奇跡は起きる。この60日ぐらいのち、百合子はまったくの偶然から、意趣返しみたいな事が出来てしまうのだ。そして、その結果、社長がこの件をいささか以上に気にしていた事がわかった。いや、もっとはっきり言えば、『まずい事をしちゃったかもしれないなあ』と思っているのが、百合子の目に、分かってしまったのだ。これも、こう言うエピソードから、小説を組み立てようと考える動機となっている。
 
 しかし、読者の皆様にはお待ちいただきたい。時制の推移とともに、新たな展開があり、その偶然にも、新しい家の大家の性格と言う問題が絡んでくるのだ。だから、そちらを先に書かないことには文脈が成り立たない。

 こちらの大家は赤ちゃんではない。大の大人だ。だから、性格やら人格と言うものがある。それが、思いがけないことに、風が吹けば桶屋が儲かるの類で、縁が切れたはずの、不動産屋の社長の方の、謝罪の意識を呼び覚ました。それは言葉で表現されたものではなく、彼の顔つきだけで百合子が察したわけだけれど。とても面白いエピソードだった。それも語りたいが、どうか、30回分ぐらいの、後をお待ちいただき



・・・・・ここで、平易な言葉で、作者としての、ひとつの思いを述べさせてくださいませ。一種の知り合いであるメルマガの読者に比べると、ブログの方は誰が読んで下さっているかがわかりません。それで、客引きをかねたタイトルをつけるほうがよいかなあと思うときがあります。キャッチコピー的なタイトルです。『この回などとんびに油揚げをさらわれる。しかも目の前で』とじっさいにつけています。7、章など『アエラがニューヨークの露店で売っていた』などがより耳目を引くと思います。特にブログの場合は固有名詞をタイトルにつけた方がよいと感じています。しかし、私が望んでいることは、最終的には心理学的な到達ですから、あまり下品に落としたくないのです。で、宣伝という意味では、ほとんど、何もやっていません。しかも、今、トラックバック機能が効きません。で、よかったら、この頁をご友人、知人にご紹介くださると幸いです。よろしくお願いをいたします。・・・・・

なお、下に12時間程度で、更新をしてしまった文章がありますので、それもごらんになっていただければ幸いです。昨日の昼からの24時間以内に、これらの長い文章をこれも混ぜれば4本アップしえています。        
 また、私の個人的なメールアドレスは、AtelierCK@aol.com です。

   では、どうかよろしく。2010年7月10日           雨宮 舜
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白い絨毯とソファのある、イタリア人の持ち家(インNY)

2010-07-10 00:52:13 | Weblog
 最初に申し上げます。下に上げる文章を書いたあとのことです。突然に日本に舞台を移した思い出が心によみがえりました。それは作品順序としては、本当はもっと後におくべき章です。急に挟み込んで申し訳ございませんでした。私の場合、文章は大体、最後までアイデアを持ってはじめます。特に小説と銘打てば、そうです。順序についても、大体はそのとおりに進みます。

 ただ、マドレーヌひとつから膨大な記憶を呼び覚ましたプルーストを真似していうのではありませんが、ほんの小さなきっかけで、膨大なことを思い出すことがあるのです。この際は、エレベーターの件で、あの日本での詐欺話を思い出したのでした。予告的にいってしまうと、ニューヨークで引越しの当日に、エレベーターが動かなくなって、八階ですから百合子は、大きな困惑を感じるのです。

 その故障ですが、今にして思えば偶然ではなくて、日本にいる鹿島泰三が手配をして、意図的に故障をさせたのだと確信します。で、あの日本での事件を思い出したわけです。八章から12章までを使っていますが、本当は、今からの連載の数章あとに、入れるべき文章です。

 普通の作家なら、まず、下書きとして、それらを書き、保存をしておいたのちに、エレベーターの故障が重要なこととして登場したときに、それを挿入すればよいのです。それは、わかっておりますが、私の場合は特殊な条件があるのです。それは、書くこと自体を妨害されていると言う事情です。

 特に、日本での思い出部分に登場した、鹿島泰三氏について、または、氏が持っているとうわさをされている機関、に触れた部分あたりは、下書きとしてパソコン内で書くことも,ブログやメルマガとして発表することも、妨害されやすい部分です。で、それらは、たいていは、さっとアップすることにしています。そうすると妨害されにくいのです。実際に今回、さっと、アップしてしまいました。お許しくださいませ。

 実は以下の文章内に、登場する不動産やで、これも予告になってしまいますが、社員全体からだまし討ちにされるという部分があるのです。

 こちらは、日本での経験に比較するとずっと、軽い、日常茶飯事的な出来事です。が、その部分を書いた後で、強烈なる思い出だった、日本で、だまされた日々を思い出したのでした。

 で、それを防衛上先に書き、アップさせていただいた後に、ゆったりと、ニューヨークに戻らせていただきます。高級住宅街をあきらめて、庶民の町で、探し始めた話へ入っていきます。どうか、よろしく。


小説『ジョーイの出立』
  第一部、タイムズスクエアーの家、
     第13章『白い絨毯と、ソファのある、イタリア人の持ち家』

・・・・・[前号までのあらすじ]、百合子(57)は、高級住宅街をあきらめて、家捜しの場を、庶民の町アストリアへ移動する。途中で日本での困難な思い出が急に心に浮かんだりするが、・・・・・

 やっと百合子が対応してもらえる時間がやってきた。向かって左側奥の社員が対応してくれる。その青年は多分、ナンバー2だから、百合子は満足だ。自分は賃貸の物件をお願いするわけだから、売買を望むお客さんに比べれば儲けの少ないお客だ。だから、社長に対応してもらえるわけも無い。その青年はいかにも明るく、日本で言えば、一心太助といったところ。または、それをよく演じた中村錦之助と言ったところだ。若い日の錦之助とご夫婦だった、有馬稲子さんが「錦之助さんはまことに素直で明るかった」といっている。その通り。
 
 二人で歩いて物件に向かう。それは、駅から至近距離だということだから、それもうれしい。その五分間に百合子はその青年に向かって、「あなたって南欧の人でしょう? イタリア人、それともスペイン人?」と話しかける。彼はちょっと戸惑った感じで、返事を急がず、暫時置いて、「そうです」といった。後で、思えば、彼は多分、ギリシャ人、もしくは東欧の出身者だったのだ。このアストリアと言うところは、その地名がアで終わることで示されるように、ギリシャ人が多い場所だった。マリアカラスも、この場所で育ったのだ。だから、人々はオペラが大好きだ。

 そして、マリアカラスも、ジャックリーン(ケネディ大統領の未亡人)に夫オナシスを奪われた時に、静かに身を引いたように、人々は気がよく優しいのだ。その町へ少数だが、アフリカンの若者とか、後からきた移民である、ロシアを含む東欧からの人間が、混入し始めている一帯だ。もちろん、日本人も三十人以上は、いたと思う。柴犬を連れた若奥さんにも出会ったし。

 ただ、その陽気でよく気がつく、不動産やの若い社員が、「南欧の人でしょう」という質問に暫時でも、答えなかったのは、さまざまな意味があるのだろう。百合子はもちろん、深追いはしなかった。

 物件はやや、小さい、ビルの中にあった。エレベーターの無いマンションの三階。しかし入室した途端、百合子は大満足をした。持ち主はイタリア人だそうで、今はイタリアへ帰国しているそうだ。さすがイタリア人と、納得をする美しいインテリア。数日前、フォレストヒルズで、見せてもらったグレーのインテリアの、日本人のオタクと比べるとずっと狭い。
 応接間兼、居間があちらでは、20畳はあったが、こちらでは6畳かな、と言う感じ。だから、ソファーセットではなくて、二人掛け用の、ソファーが一つだけ、置いてある。しかし、そのソファーはくるんであるのが、白くて柔らかい皮で、座ったときに気持ちがよさそうだ。

 その二人掛けのソファーから三メートルも離れていない向かい側に大型の液晶型テレビが置いてあった。持ち主はそれなりに、お金持ちか、若い人であろう。この1999年ごろは、百合子は自宅にも、アトリエ(それは、海外に自由に行くために、家族から離れた、一種の別居用の家だったが)にも、14インチのテレ・ビデオしか置いていない時期だったので、そのモダンなテレビには、驚いた。今ではすっかり消えてしまったが、テレ・ビデオとは、テレビと一体化したビデオ録画装置の付いた、コンパクトなしかし、奥行きの長い、ブラウン管式テレビである。

 ともかく、持ち主はおしゃれ極まりない人だ。つい口がほころんでしまった。『私ね。アーチストだから、この白い絨毯を汚さないようにするために、新聞など厚く敷くわ』とも口をすべらせた。大馬鹿だった。不動産やとしては、『あれ、汚されるかも』と心配するではないか。でも、若くて陽気な社員は、そんな不安はおくびにも出さなかったので、百合子は、ちっとも、気がつかず、ゆっくりと窓辺によって、外の景色を眺めた。

 フォレストヒルズの個人住宅も、マンションも庭というのが広く取ってある。しかし、こちらのビルではほとんど庭がなさそうだ。隣の家がたくさん目に入る。しかし、高台にあるので、遠く、北側の海が見えた。飛行機が飛んでいく。ラガーディアと言う、地方向けの飛行機が発着する空港が近くにあった。日本でたとえてみれば、蒲田といった地域だろうか。日本で吉祥寺と蒲田と言えば、ぐっとカラーが違う。フォレストヒルズと,アストリアの違いは、それと似ている。だけど、ここはニューヨークの中でも、気分が陽気で、しかも治安上安全だ。本当にいいマンションだ。ここを借りようと100%の決意する。

 しかし、そのとき、百合子は、すぐペーパー上の契約をすることに思い至らなかった。口では借りますといったのだが、最後の詰めを怠った。理由はシティバンクのカードは盗難を恐れて、身に着けていなかったし、現金も持っていなかったからだ。それでは、契約はできないと思いこんでいた。

 現金を多量に持ち歩くのが危険だという事は、学費用に一センチ近い厚さの20ドル紙幣を持って、シティバンクのブースを出た日に、ガラスを通して外でそれを見ていたホームレスのアフリカンに、「奥さん、お金を恵んでください」と言われた時に、しこたま感じた。とても、紙幣一枚あげたのではすまないだろうと感じて、走って逃げた。それいらい、自覚をしていたからだ。また、クレジットカードというものにも慣れていなかった。今では時々使うが、それをまだ、一切使ったことがない時期だったので、それも、災いをしたといえばいえる。もし、クレジットカードでもよいですか?」という言葉を出せば、本気度が相手に伝わったであろう。だが、世間知智が少ない百合子は、「借ります」という口約束だけで大丈夫だと思い込んでしまったのだ。
~~~~~~~~~~

 で、安心しきっていたので、間を二日開けて、不動産やを、再訪をした。この項続く

なお、この下に、たった4時間で更新してしまった、第12章があります。重い内容ですが、それ相応の面白さのある文章とはいえましょう。よかったら、そちらもどうかよろしく。              2010年7月10日  雨宮舜
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親友は時として、大敵となる(元参謀の苦悩)(連載小説の12)

2010-07-09 16:25:17 | Weblog
小説『ジョーイの出立』
  第一部、タイムズスクエアーの家、
     第12章『親友は時として、大敵となる』

・・・[前号までのあらすじ]、NYで1999年に不動産を探している百合子は、15年前に日本で経験した詐欺事件を思い出す。そのとき危うく殺されそうになったが・・・


 盗聴の結果は、当然のこと、山崎氏宅に届くシステムになっていただろう。で、もしかしたら、弁護士事務所さえ盗聴の対象になっていたかもしれない。鹿島泰三と、それと連動している組織のやり方を、後年熟知してきた百合子から見ると、この事件の際には、すでに、そこまでの高度な盗聴は、あったとも思われる。

 で、山崎氏は、二重に、おくさんの狂人ぶりを聞かせられることとなった。
~~~~~~~~~~

 ここから先の解釈は、非常に難しいのだが、お人よしの百合子が願っている解釈をまず一番のものとして、先に述べよう、あの殺意が、奥様の出来心だったという案で、ご主人がその事実を知って驚愕をしたという案だ。

 ご主人が、『ああ。そこまで、愛する家内を追い詰めてしまったのか。自分の人生は失敗だった』と考えて、用意の短刀で割腹自殺をしたという案だ。もし、武家の出なら、この程度の結末はありえる。特に奥様が外出中に、簡単な遺書を書いて、事を行った。

 もし、懐剣を戦後の、苦しい時期に売ってしまったとしたら、首吊り自殺だったかもしれない。特に次の日に、葬儀屋が来ていて、社員たちは、平服だったが、ぴんと来た百合子は彼らをとらえて、「山崎さんで、誰か亡くなった」と聞いたら、「ええ、」と答えたので、割腹自殺ではないと思われる。

 山崎邸はあまり大きくなく、百合子の家のインテリアを模していた。そちらのほうが6か月後で着工だから、建築途中で内部を見て、まねをしたのだろう。この件は割と重要だ。百合子は美術に造詣が深く、かつ、父も建築がすきなので、神奈川県下随一と思われる大工さんにお願いして、装坪数としては小さいものの、内部は、質もデザインもよいうちを建てていた。それと、庭というか、敷地が近所の二倍あったのも影響して『若いのに、どうしてあんなに恵まれているのかしら?』とは思われていた。

 だから、ご近所から情報を集めた、山崎氏は、勘が狂ったのだ。嫉妬しているご近所は、百合子をけなす情報しか言わないから。

 内部が百合子宅に似ていて、坪数はさらに小さかったあの、老後の夫婦二人だけが、静かに住むための20坪ていどの平屋で、割腹自殺があったら、その後始末は大変だろう。家族としては奥様だけだから特に。でも、葬儀屋の社員たちが、こんなにゆったりとかつのんびりと、構えているから、割腹自殺ではなかったのだと、百合子はひとまず、安心した。

 後年、『おくりびと』という映画ができて、評判になった。あの中では遺体を棺におさめる前に、さまざまな死に化粧をほどこす。だから、葬儀屋が何の防衛心も示さないことから見ると、不審なところがないのだろうと、百合子は判断をした。と、いうことは自殺ではなくて、急病死か? それにしては前夜救急車等の出入りがなかった。このご近所は大変静かなところで、救急車がサイレンを鳴らさないで、来ても、その雰囲気はわかる。

 あらゆる意味で百合子は、なぞを感じたが、死亡原因などは、鹿島泰三が、どうにでも処置できるのだから、一晩、奥様は騒がないようにと、彼から、忠告を受けていたのは、間違いないと考えた。
~~~~~~~~~~

 しかし、あれから、30年を過ぎて、二度ほど、『これは、暗殺だな』と感じる危険な目にあった後では、解釈がまったく異なってきた。30年前のあの山崎夫人の急発進も、計画された暗殺だったと、考え直すようになった。つまり、夫もその親友鹿島泰三も、了承の上の、計画だったのだ。

 「結果が怪我ていどなら、それでもOKだし、たとえ、相手が死んでも、奥様が、罪にならないように手配してあげます」と鹿島泰三が山崎氏に請合っていたと、今では考え直している。
 しかし、奥様は見事にはずしてしまった。しかも百合子はすぐ、その運転の不自然さを感じ取り、殺意があったと弁護士さんに告げた。しかも弁護士さんの事務所が盗聴をされていたら、二度違った形でそれを知らせた百合子の頭のよさが、よりいっそう、相手方に、わかったはずなのだ。

 山崎氏は、初めて、自分が容易ならざる巨魁を相手にしていることを感じ取ったであろう。そして、百合子が将来どのように動くかをも心配したはずだ。また、二人の弁護士がこの事実を知ってしまったことも、不安であったろう。特に殺意まで抱いたことを知ってしまったのも、大きな不安だったと思われる
 その二人とも弁護士としては、最上級のレベルの人でもあった。

 だから、山崎氏は妻の寝入った真夜中に起きて(または前夜から寝ないでいて)遺書を書き、鹿島泰三氏に後を託して、軍人用の自殺薬を飲んだと、考える。終戦時、ある程度以上のランクの将校は、みんな砒素を手に入れていたはずだ。甘粕大尉の自殺が有名だが、山崎氏にも、『ここが、死に時だ。それによって、自分の名誉も守られるし、親友の鹿島君にも迷惑をかけることはない』との判断があったと思われる。
~~~~~~~~~~

 さて、その当時は、百合子は当然のごとく悩んだ。そして、その二十年後にそれを、『元参謀の陰謀』という未発表の小説にまとめて、一回文学界の新人賞に応募した。のに、そのころはライターとしての覚悟がまだ定まっておらず、引き上げてしまった。文芸春秋社に対するその「どうか、返してください」という電話連絡も、盗聴をされていたとすれば、鹿島泰三は、『あいつは、脅かせば、どうにでもなる』と思い込んだはずだ。で、百合子には、引き続いて、あらゆる意味で、嫌がらせとか、脅迫が行われている。

 だけど、百合子側に損ばかりあるかというと、そうでもないのだ。百合子はある意味でぐいぐいというほど、強くなっている。それは、この攻撃を浴びていることもひとつの原因だ。そして、その個人的な攻撃を分析すればするほど、社会の諸相も連動して分析できるようになる。そして、今では、日本と、それを支配しようとする国際的軍産共同体との関係は、瞬間的といってよいほど、分析できる。

 そして、『人間とは何だ』という設問に対しても深い分析ができるようになった。

 ここで、この上の地籍変更届に関する詐欺の件で、はっきりわかっていることは、盗聴とは、ある意味で勝つための手段であるのだけれど、それによって自らの首をも絞めるということだ。山崎氏の死は、百合子が弁護士に、二つの電話で、おくさんの殺意を告げたことで起因したのは疑いがない。その前にも、大騒ぎはなんどもあって、百合子は彼にものすごい勢いで怒鳴られたりしていた。だけど、まったく、恐ろしくないので、堂々としていた日もあった。そういう日とか、内容証明が法務局に届いた日の方が、客観的にみれば、より意味の深い決定的なポイントでもあるのだ。

 だけど、彼が自死、もしくはショック死に至ったのは、*1人を殺そうとして、しかも*2それが失敗して、*3相手に、その事実を握られたということを、*4彼が知った日だったという順序を踏んでいる。そして、*4が決定的な引き金だったと思われる。ということは、盗聴というものの、悪魔的な作業の悪魔的な結果に他ならない。

 山崎氏は、ひそかにおとなしく生活していた、夫婦でもあった。あの二人だけの力では、盗聴までは、できないし、手をそめなかったであろう。それなりに、品があり、道徳観もあったはずである。だけど、鹿島泰三という、現在も情報活動の最先端にいる、人物が親友だったということがこういう結果を引き起こした。
 今日の文章はここで、終わりたい。最後の結論を、解説する必要もないと思うから。
    

本日は、午前1,00、午後、15時、に一本ずつアップしてあり、これは三本目です。ちょっと、送りすぎるようですが、それはどうかご容赦いただきたいと思っております。

 主人公が殺されるか、どうかという瀬戸際で、それを、計画した方が死んだというある意味で劇的なエピソードだったので、最後まで書き抜くほかはなかったのです。
   では、2010年7月9日                雨宮 舜
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追い詰められた女性が、狂うとき(+大相撲、問題・#11)

2010-07-09 11:55:41 | Weblog
小説『ジョーイの出立』
  第一部、タイムズスクエアーの家、
     第11章『追い詰められた女性が、狂うとき。』

・・・[前号までのあらすじ]、NYで住まいを探す百合子は、その15年前日本で、不動産・詐欺に出あった過去を持つ。相手の親友として、日本の・大・黒幕がいて、百合子の家を盗聴する・・・

 法務局と財務局(後注10)、そして、その上級の役所へ、内容証明を出し、自分を守った百合子は、その後、自分の土地の安全性確認のために訪れた法務局で、全体の雰囲気ががらりと変わり、民主主義国家、日本の役所がもつべき本来の建前を、取り戻しているのを知り、やや安心をした。

 その直前など、敵側からの饗応があるのか、または、鹿島泰三が乗り出して、法務省のトップあたりを動かして、そこから下流へと命令が流れているのか、『江戸時代でも、ここまでの悪代官はいなかったでしょうね』と、おもうほど、所全体が、百合子に対して、意地悪だったのだ。謄本(コピー)など、順番を遅らせて、出てきたりして。待たされるので当然のこと、こちらはいらいらする。それを、楽しむかのように窓口おばさんは、じろじろこちらを眺めていた。

 だけど、あの窓口おばさんは、それによって大失敗をしたのである。内容証明を書きおろすきっかけは、あのおばさん吏員の、生意気さにあったのだから。彼女の下品きわまりない顔つきこそ、私の心が、『ここで、もう、ゴー発信ですよ。誰に遠慮をすることもない』と決意したダイナモだったのだから。教養のない下っ端人間が、小さな脳みそで工夫をした忠誠心を発揮しても、大きな損失を上司に与える結果になることの、典型だった。そして、これは今でも繰り返されている敵方の(幼稚)な発想のひとつではある。

 だけど、粘着気質的な鹿島退蔵は、復讐を、忘れてはいなかった。2009年母のもつ、地所のことで、法務局を訪ねた百合子は仰天する。土地台帳の原簿閲覧ができなくなっているとのことを知った。

 その決定がいつ、どういう法律(または、条例)のもとに行われ、どういう形で新聞社がそれを伝えたかは調べる必要がある。百合子自身は、こんな改悪が行われていることは寡聞にして知らなかった。そして、法曹界、特に弁護士団体は、これに対してどういう判断を示しているのかは、絶対に調査する必要はある。

 このブログを読んで、誰かがアイデアを盗んで、先に調査し、発表してくれるのは歓迎だ。オリジナリティは私にあるが、私も全能の神ではないし、スタッフを20人も抱えている松岡正剛でも、立花隆でもないのだから、時間がない。この件は、週刊誌を三週間にぎわわすことができるほどのネタとなるであろう。

 少し、地味だと考えられるのなら、月刊誌で取り上げてほしい。ところが、ここで、鹿島泰三、(もしくは彼という記号で代表される、国際的軍産共同体の意思を呈する団体)の関与で、雑誌類が廃刊されることが続いた。これも、日本の文化を破壊する動きなのだ。そういう前段を経て、今回の大相撲騒ぎに至る。横綱白鵬が、「大相撲をつぶす気か?」とうめているが、そのとおり、国際的、軍産共同体の意思は、そこへあるのだ。
~~~~~~~~~~~~

 さて、余談が過ぎた。地籍変更届で、莫大な利益をあげる相手と、戦っていた時期に戻ろう。ある夕方、百合子が三鷹にある母校から戻ってきた日だった。

 曲がったとたん目の前、40メートル先に、不自然な場所として、山崎夫人の車が停まっていた。その時点では、それだけだったが、相手が百合子を確認したとたんに急発進して、しかも急角度で、ターンしたので『轢き殺そうとしている』ということがわかった。

 で、百合子は、くの字型に曲がっている、道路を横っ飛びに逃げた。天が味方してくださったと思うのは、その引っ込みがあったことだ。その引っ込みがなかったら、防げなかったと思う。そのくの字の角度がまた、適宜だった。120度ぐらいの緩やかさだったが、そこに、引っ込んだ百合子を轢くためには、自分が石垣にぶつからないと不可能で、それでは、殺意があったことが、明瞭に、証明されてしまう。
~~~~~~~~~

 こんな恐ろしい目にあっても、百合子はやや、冷静であった。すぐ家に入り、子供たちが無事でいることを確かめた後、電話番号を持って、公衆電話へ走った。夕方五時を過ぎていたので、男性弁護士はつかまらないことを知っていた、ご自宅は知っていたが、彼は自宅で、これらの案件が出ることは好まない人だった。それは、既知のことだった。しかも話題が女性固有の問題でもあった。

 百合子は直感として、山崎夫人が強度のヒステリーを前から隠し持っていて、この瞬間は、その強烈な発作がおき、瞬間だけだろうが、狂人になってしまったと感じたのだ。で、この手の問題を相談するのは相手が女性のほうがよい。

 女性弁護士は、声もなく、聞いていてくれた。で、続けて「一番心配なのは、こどもなの。子供を守るためなら、大学へ通うのは、あきらめてもいいわ。新しい資格を取って再就職へ挑戦したかったけれど、ともかく、今はこどもの方が大切です。

 でもね。これは瞬間的な発作かもしれないの。ずっと以前平和だったころに話し合ったことがあるのですが、彼女は、戦時中男性が払底したので、男性の代わりに、工学部建築学科に通ったのね。その際に、かかとのやけどの跡が、人に見られて悲しかったわなどと、いう思い出を語ったひとだから、根は純真なの。今日のことは、瞬間的な出来心だと思うわ。

 それにご主人は、もと海軍参謀です。今は落ちぶれて、だれも尊敬しないといっても、その当時ではエリートだったのだから、70過ぎた今でも、ほかの同年齢の人間に比べれば、ノブレス・オブリッジの観点はわかる人だと思うの。だから、ご主人にこれを聞かせる必要はあるわ。

 もちろん、今、玄関を訪ねていったとしても、内容証明を法務局に出してしまった後だから、門を開けないでしょう。それに、対面としていうのも、非常にいいにくいことです。彼は途中でさえぎって、終わりまで聞こうとはしないでしょう。

 だから、盗聴システムを利用します。もう一回我が家の電話から、同じことを話します。で、どうか、あら、さっき、それは、聞いたでしょうとは、おっしゃらないでください」と頼んで、我が家へ帰り、自宅の電話で、委細を、違う言い方で告げた。

 つまり、・・・・・どんなに、ハイ・スピードだったか、(普段は幼児も遊んでいる場所なので、超スローで流していく下り坂なのだ)、走る方向角度のこと、それらを勘案すると、これは、偶然ではなくて、明瞭に殺意があったということを、中心に・・・・・

  さあ、その後はどうなったか。それは、続くとさせていただきたい。これは小説なのだ。新聞連載や、週刊誌の連載の様式を継ごう。ただ、書ければ、一日一回以上の更新をしたい。読者は、紙の本に比べれば、簡単に読める字数であるとお感じになるでもあろうから。  
(後注10)、この詐欺事件の最大の特徴は青地と言う江戸時代には、無所属の土地であり、今は、国有地と言うものを利用したところにあった。その技術語が入っているので、あたかも、権威があり、正しいことのように見えるのだった。この件に関しても、詳細を述べることはできるが、そうすると、小説としての、前後の脈絡が相当に断たれるので、ここでは、そのテクニカルワードと、それを利用した敵との攻防については触れない。当時の新聞一面に青地が何とか、という記事が出た。が、それについても、ゆりこは、は、はーん、鹿島泰三が、この記事を作らせたのですねと思っただけであり、その1982年以降、新聞の記事がまったく信頼性がないことに気がついてしまった。
 右顧左眄の典型で、真実を報道するより、強者の意のままに動く。そうなってきている。
ただ、青地が国有地と現在はなっているので、法務局だけでなく、財務局も相手にしなくてはならなかったというわけだ。
 まあ、青地というのを簡単に説明をすると、農民と、森林所有者がけんかをしないようにと、設定されたベルト地帯で、野菜が日陰にならないように、農民を守るシステムである。昔は山林地主はお金持ちが多かったと見える。または、お殿様のものだったのだ。で、農民の側の実情に合わせた温情ある措置というわけだ。

 ただ、山崎氏の書類では、角、角と曲がっていて、本当の青地で花井ことが明瞭だった。彼がこの、テクニカルワードを使って、自分の悪巧みをあたかも正当なものであるかのごとき、演出をしたのは明瞭だった。そんなことが読めない百合子でもない。また、昔から、山崎氏とけんかをしていた人々は、この山の旧来の地主たちだった。農民側でもあるが、山崎氏が、うそをついていることを直感として、知っていたグループである)       2010年7月9日   雨宮 舜
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土地台帳が閲覧できないと、庶民は自分を守れなくなる(小説#10)

2010-07-09 01:06:21 | Weblog
小説『ジョーイの出立』
  第一部、タイムズスクエアーの家、
     第10章『土地台帳が閲覧できないと、庶民は自分を守れなくなる』

・・・・・[前号までのあらすじ]、1999年、NYで家さがしをする百合子は、そういえば、私は1982年に、土地をめぐる詐欺事件に出会ったのだと思い出す・・・・


 盗聴は、この事件が起きる前に始まっていたと思う。その第一の理由は、その書類が来た日が、夫と子供たちが、広島へ夏休みの帰省をしていて、百合子が一人だけで、家に残っていた夜だったからだ。あまり、ご近所づきあいをしない山崎夫人は、昼間だって車だけ使って、ご近所を歩くなんていうことはしない。それなのに、そんな夜に他人の家にくるのが、第一おかしい。

 そのころ、百合子宅の居間では、「あのね、私、秋から母校へ再び、通学するつもりなの。その準備で超がつくほど、忙しいの。それに、お姑さんって、なんとなく、私を毛嫌いしていらっしゃるみたいだから、煙ったいしね。だから、今年はあなたと子供たちだけで帰省してくださる」といって頼み、夫が、「じゃあ、そうしよう」といってくれたのだ。それを知って「あそこのご主人は頭がよいから、彼がいないうちに、奥さんを丸め込んでしまおう」と、山崎夫妻は、言いあっていたと考えられる。そんなところまで、家庭の秘密を、聞かれていたと思うと、本当に悔しい。

 実際のところ、お人よしの百合子は、すでに、夫の実印を彼らに貸してあげて、その書類上に、押してしまっていたのである。その一回目の理由が何だったかは、今では何も覚えていない。だけど、彼ら夫妻が、もう一回来宅したのは、別の理由があったからだ。実は、母の実印も必要だった。と、いうことに、後から、彼らは気がついたのだった。土地の一部分が、母の名義だったからだった。購入資金を援助してもらっていたからそうなる。

 母の実印は、百合子の家には置いていない。それでそれを押してもらうために、彼らは、、今までは、見せなかった、地籍変更届の正本を、百合子に手渡さなければならなくなり、その内容に目を通してもらいたくないからこそ、『私道を市に寄付するなど』という、いかにもおいしい口実を持ってきたのだった。

 この、ある意味では、こっけいなる話の最終的な局面では、結局のところ、彼らは、道路の、三十センチ幅だけは、実際に市の名義としたのである。最後には、百合子から実印をもらえないと判断をして、百合子の家をそっくり囲む形で、私有地を公有地にしたのだった。だが、それは、長さ二十三メートル・幅三十センチというミミズにも似た奇妙奇天烈な形のもので、公図にも描き切れない形であったが、自分の土地を実際に、市に寄贈することはやった。(これは、1982年時の話)

 さあて、時制や、事の成り行きを元に戻そう。百合子は彼らの想像通り、実家に電話をかけて、「おかあさん、こんど実家に行くから、実印を頂戴ね」といった。すると、母が「変ね。普通は、寄付ぐらいでは、実印なんか押さないものよ。実印を押す場合は、こちらが損をする可能性を考えないとだめよ」という。あとで考えると、母の方が一日の長があった。百合子は、最初は「まさか、あの人たちは、夫婦ともインテリで、しかもご主人は元参謀なのよ」と答えたが、母が「どうしても、その話はおかしいわ」というので初めて書類をめくって眺めたのだ。

 まず、もともと、2.73平米しかない土地がどうして、4270平米になるのかが不思議極まりなかった。その上、どこにも寄付の文字がなかった。で、その日から謎解きを始める。すると、最初は、500平米買った土地を、次々に建売住宅として売り払い、残りが一坪にも満たなくなったのだけれど、公有地を開拓して、それを自分のものであると主張すれば、簡単に土地は、自分のものになるのであった。単に、書類上だけでも、法務局に認めてもらえば、それで、自分の土地が格段に増えるのだった。

 ただし、その際、重要な条件があって、地境を接する地主、すべての承諾を得なくてはならず、その承諾のしるしが、実印を押すことなのだった。

 もちろん、百合子よりも前に、この疑惑の書類に異議を唱えた人はあって、そういうお宅では、百合子の家に後日施されたのと同じ措置を施した。さらに意地悪なことは、そのお宅が、旧来使用していた、門から出入りできない形にしたりしたのだった。だから、百合子だけが被害者でもなかった。別に被害者同士の、連帯はしなかったが、被害者が一人だけではないのも事実だった。ある程度以上に、頭のよくて、かつ旧来の地形を覚えていた人たちは、みんなこの悪だくみに、すでに、気がついていた。

 当時は土地が高い時代で、一平米、10万円はした。だから、四億円を濡れ手で粟でつかめることとなる。

 それで、これは、法的な種類のものだから、弁護士さんに相談すべきだと考えた。二人心当たりの弁護士さんがいたが、親友に当たると思っていた人は、女性で、しかもこういう件を扱ったことがないといわれるので、皆目方針が立たず、失礼だったが、もうひとりベテランの領域に達しておられる。経済問題専門の男性の弁護士に相談をした。ただ、女性弁護士にも調査の際、やってよいことといけないことについては丁寧に教えを乞うた。そして、その二人の弁護士は、ぽっとオフィスを訪ねたわけではなくて、すべて、友人関係を通しての依頼だった。だが、ふたりとも「お金を取らない」とおっしゃるので、調査、それから、内容証明の発送等も、全部、自分でやった。

 男性の方の弁護士さんは、「これは、簡単です。相手方が、嘘をついているので、その嘘を、欺罔という法律用語(専門語)を使って、委細を説明した、内容証明を、一本、法務局へ送っておけばよいのですよ」といわれる。

 これらの相談をかねる電話は、アポも含めてすべて盗聴をされていたのだった。
 でも、百合子だって、素人だし、それ以前は、単なる善意の人たちに囲まれて生きてきたわけだから、実行には迷いに迷った。そのうち、盗聴をしていることをわざと誇示するがごとく、百合子が昼間の時間を、ほとんどそこですごす居間の、まん前の電柱で、電話線をあれこれ、工事をし始めた。いかにもそれらしく大げさに。

 この===電話局に盗聴を命令する===などということは現在の山崎氏には、できることではなくて、鹿島泰三氏の命令であったと思う。しかし、この盗聴こそ、山崎氏、本人の命を縮めたのだった。それはあとで語ろう。今は内容証明の発送に限る。
 百合子は内容証明を送ることには、本当に、迷いに迷ったが、法務局の受付のおばさんの態度がおかしくなって、非常に不親切だと感じて帰ってきた夜に、明け方までかかって、とうとう、五通の内容証明書を書き上げた。それは、まだ、パソコンが普及していないときで、赤の原稿用紙型、罫線が入った美濃紙に、手書きである。

 普通は三通でよいが、握りつぶされることを恐れて、上級のお役所にも送るべく、あて先同列で、五通作った。このことと、内容、を、弁護士さんは、大変にほめてくださった。「あなたは、とてもか弱そうで、いわゆる、被害者像(すぐ、人から脅迫されたり、だまされたりするタイプをさす)かと、思っていたが、実際は、しっかりしていて頭がよいんですね」といわれた。文章は、普通の会話体で、どこにも角ばったところも、どこにも理論的なところは見えないが、やわらかいなりに、理路整然としていたのである。

 それが法務局に届いたことは、決定的な、メルクマールとなった。それ以前の横柄な受付のおばさんの態度も、そのほかも、何もかもが、変わった。しかも、百合子が、法務局内で、原本を閲覧をしている最中にこの件の相手方の、測量士が呼ばれていて、所長から、たっぷりと、油を絞られていた。『うわあ、くさい田舎芝居をやっている。もう間に合わないわよ。内容証明を出しちゃったのですし』と思ったが、そういう手配をとることで、法務局は『自分たちが、一方(特にこの件では、山崎氏側は悪人である)に、肩入れをしているのではない』と言う姿勢を示したかったのだろう。

 しかし、2010年現在、法務局では土地台帳の原本の閲覧ができなくなっている。これは、鹿島泰三が手を打って、悪人たち、頭脳犯たちの証拠を調べられないようにしているのだ。
 こういうことは本当に困る。お金があって、どんな場合にも大金を積んで、弁護士を依頼して、自分を守ることのできる人は大丈夫だが、百合子のように、晴天の霹靂と言った類で、被害を与えられる人間が、自分の力で、自分を守ることができなくなるのだ。

 この一時から類推しても、百合子は、規制強化の動きには、神経質なほど、目配りを忘れないこととなった。禁煙を過剰に訴える運動。こういうものも、明日の、別の規制を招き、庶民は、がんじがらめになるであろう。唯一得をしてぬくぬくと生き抜くのは、鹿島泰三一派、もしくは、彼と連動している、国際的軍産共同体などの、意向を呈した、人物たち、つまり、今の社会で羽振りのきく、セレブ、特にマスコミ・セレブといわれている人々たちだ・・・・・彼らを除いて、ぐんぐんと被害が重なるであろう。百合子は、盗聴ハッキング以外にも、さまざまな被害に、すでに、あっているが、ただ、自分を強化する以外には、防ぎようがないと思っている。だから、ぐんぐんと強くなる。し、今の社会にみなぎる悪弊については、引き続いて、心を注ぎたいと思っている。

 今、まさしく、この国では、人権にもとる蹂躙行為が、頻繁に行われているのだ。
               2010年7月9日   雨宮舜
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大嵐の次の日に、すべては始まった・・・元・参謀の悲哀・・・

2010-07-08 15:33:10 | Weblog
小説『ジョーイの出立』
  第一部、タイムズスクエアーの家、
     第9章『大嵐の次の日に、すべては始まった・・・元・参謀の悲哀・・・』

・・・・・[前号までのあらすじ]、いよいよ、引越しの日が近づいてくる。それにつれて、書く人でもある、百合子は、潜在意識の中に深く秘められていた、不可解な現象の裏にある、真実に近づき、それを、今、分析したくなるのだった。・・・・・


 百合子が元・海軍参謀と、心からの出会いとして、出会ったのは、大嵐の次の日であった。普通ならありえない交流が自然現象の不思議さに誘発されて、起きたのだ。その日、朝の五時ごろ起きてくると、庭の先の方で、浴衣姿の山崎氏が興味深そうに右手を見ている。

 百合子の家からは見えない谷底が、そこからは見えるのだ。『なにか、非常に興味を引くことがあそこに、あるんだわ』と考えた百合子は、家からサンダルを履いて出て、彼に近づいていった。すると右手の谷底が冠水していた。街があるはずのところが一面の湖になっていた。「あ、すごい」と百合子は声を上げた。走っている車も見えなければ、通行している人も見えない。その百合子の無邪気さに感応して、そのとき、70を越す山崎氏の心が開いた。それで、そちらの家族との交流が始まった。これは、珍しいことだった。その人は固く門を閉ざしていて、町内の誰とも付き合わない人だったからだ。

 あとで、事件がおきてから、真実がわかったのだけれど、その人は敗戦で深く傷ついた人だった。海軍参謀として、横須賀一帯で人々の尊敬を集める立場であったが、戦後は一転して、無職となった。自分は原爆にあってしまった人のように、被害者として声を上げることもできない。しかし、加害者として訴追されたわけでもない。A 級戦犯として、裁判を、受けたわけでもない。外地で、捕虜としてつかまった、友人の鹿島泰三氏ほどの、苦労もない。中途半端な立場で、無為徒労の日々を送る。収入はない。で、奥様が働きに出た。

 場所は、昔自分が、悦楽の日々を送った、海軍将校クラブである。しかし、現在は米軍の支配を受けている場所だった。そこで、奥様は輝かしい米軍将校と恋に落ちて、アメリカへ去ってしまった。特にご主人が、陰鬱な時代だったし、奥様は当時はまだ30代であったから、それも、ありうる現象だった。だけど、静かに苦難を受容した山崎氏には、後刻、美人で性格のよい若い部下が、愛を注いできて再婚となった。
(結局は仕事を始めたのだ)

 で、二人は絶対にご近所様とは付き合わず、ただ、静かに家庭菜園にせいを出していた。後妻は上品で知的で、戦時中に大学を卒業した純真な人だった。二人は、30歳以上の年の差があったが、仲良く静かに犬とともに、暮らしていた。その嵐の日まで、百合子も、ほとんど姿を見たことがなかった。自動車を駆使して遠くへお買い物に行く姿を瞥見しただけだった。

 ただ、ここでは、矛盾をするような書き方だけど、事件がおきてから、特に『百合子が、真実を知覚し得るほど、賢い』とわかってからは阿修羅のように変化していったのも事実だったが。

 収入は不動産業で得ていた。ただし、氏は特別なビジネス才覚のある人ではない。山崎氏が事業をうまく進められ得たのは、氏一流の頭脳作戦が功を奏していたからだ。

 しかし、夫妻は、ご近所づきあいをしないがために、人のこころや、能力を見抜く目を持っていなかった。で、自分たちの収入を得るための方策として、ご近所全部の実印をもらわなければならないのだけれど、百合子には特別なうそをついた。つまり、特別に軽く見て、「市に自分の私道を寄付するから、お宅も地境地主として、この書類に実印を押してください」といったのだ。だけど、百合子は書類を詳細に見て、まったく、違う目的に利用をされることを知り、激怒したのだった。ほかの人は「あなたが協力してくれたら土地を15坪あげます」とか、言われていた。

 まず、百合子の自宅に損害を与える可能性があった。少しだけでも、家の土地を盗られ、しかもその結果、台所等を狭くする可能性さえ出てきた。これは、絶対に承服できない。書類は地籍変更届というもので、山崎氏は、1200坪(=4760平米)ほどの土地をこの書類が正式に登記できれば、これから、得られるのだけれど、元の面積は、2、73平米しかなかった。変だ。おかしい。と、感じて、百合子は調べ始めたのだった。

 すると、4週間以内に、氏の過去の生活、と、何でこういう企みがおきてくるかが一切わかってしまった。氏にとって、敗戦のショックは大きく、その時点で、国とか、法律というものを守る気はうせてしまったのだ。うまくやって生きるのは、別に悪いことではないと、いう居直りの思想が氏の頭の中に芽生えていた。

 土地の所有者なんて、いい加減なものだと、言う観点が氏にあった。特に国有地や公有地について、それがあった。それが、氏の歴史観だったのだ。そういえば、明治維新によって旧幕藩側の諸侯は、いろいろなものを奪われた。中国では私有地の発想さえない。特に1980年代はそう伝わっていた。

 で、氏は人家のない、公有地の隣に、自分の家を建て、高い塀を建てて、中を見えないようにしては、公有地をあたかも自分の屋敷内庭園のごとく、変身をさせ、そのようにして生み出した土地を、販売をするために、登記をしてマネーロンダリングしては、建売住宅を建てて、お金を得ていた人だった。つまり、ありえない幽霊土地が、地籍変更届という公の仕組みを通して、私有地となるのである。

 そんな仕組みがあっという間に百合子には、わかってしまった。山崎氏が子ども扱いをしたうそをつかなければ、百合子はあれほど、怒らなかったであろう。百合子は実はプライドが高い。近所の人よりも、馬鹿にされているというのは、絶対に許されないことだったのだ。だから弁護士さんの指導の下に登記所に、内容証明を出して、自分の土地は守った。それだけの処理だったが、なんと、その後、二週間以内に、山崎氏は急死したのである。
 
 もちろん、その後、百合子はしばらく悩んだ。切腹とか、首くくりとかの自死であろうかとか、心臓病や脳溢血などの、急病であろうかとか。だけど、自分の欲望に奉仕させるために他人を、利用して、苦しめてはいけない。特にわなにかけるようなことをしてはいけない。ご本人が戦争で、どんな、苦しみを得ようが、近所の人間である、私にはその心理部分は関係がないし・・・・・と思って、結局は、その死を、忘れることとした。ともかく、参謀というほどの人だったら、自分が相手にしている人間の頭脳レベルなど、きちんと見抜くべきだった。百合子は法律の専門家ではないが、ちょっと調べればたいていのことは理解ができた。

 そして、人とは、研究し勉強するタイプほど、低姿勢なものなのだ。それを見くびってはいけない。研究する人間、努力をする人間は、自分より上の存在があることを知っている。上には上があることを知っている。だから、普段謙虚なのだ。それに、のしかかって、わなをかけるような馬鹿なこと、または安直なことは、してはいけない。それが、ここで、唯一いえることだ。
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 その後である。百合子の身辺がおかしくなったのは。山崎氏自身から、あの嵐の次の日に、「僕は元海軍参謀で、鹿島泰三とは、親友なのですよ」と聞いていた。「あ、そうですか」と軽く答えておいたが、百合子も鹿島泰三の名前はもちろん知っていた。元陸軍参謀でシベリア抑留を経験していて、その際、何ごとかの密約を結んで帰国をしたといわれている人物だった。戦後は日本国を動かす黒幕だとか、言われていた。表向きの仕事は、大商社の重役。

 百合子はそういう言葉を聴いても、『別に』とか、『ふん』と思うだけだった。どこかひどく強靭なところを秘めていて、『人間なんて、虚栄で、持っているものではない。最後は、その人の実力だから、毀誉褒貶のうち、社会的な名誉が高い人間ほど、実際には、弱い可能性があると』いうのが、他者には言わないものの、自分の心底からの信念であり、『自分は、現代日本で、最大の権力を持っている偉い人と、友人だ』と、自慢する山崎氏を、『へーっ』という驚きと、『縁って思いがけないものだなあ。こんな地味な生活をしているひとと、あんな派手な立場にいる人と、親友だなんて』と思っただけだった。

 だけど、だけど、なのだ。その際、電話が盗聴をされているのには、気がついていた。そして、それは、ニューヨークでも同じだったのだ。大家の電話はすでに盗聴をされていた。山崎氏は死んでしまったので、この作業ができるはずはなく、親友だという鹿島泰三がやっている。それが65歳を過ぎてニューヨークから帰国して、のち、10年が経過してはっきりわかった。最近でも同じことが続いている。鹿島泰三は、すでに死んだはずだったが、依然として、続いているので、かれが、鹿島機関という部下を持っているという、巷のうわさは本当だと思う。

 ところで、百合子は、この小説の舞台である1999年という時期には、そんなことには一切を気がつかなかった。ただ、パリで、最初の5日目にバスティーユで拉致されそうになった。それが後で思えば、『やってやれ、好機だ』と考えた鹿島泰三の企画だったとわかるのだけれど、そのときは『変だな』とは思ったものの、それ以上の謎解きにはいたらなかったのだ。それほどの危険なことは、ニューヨークでは起こらなかった。が、この不動産探しと、引越しの際に、ついにそれが顔を出スこととなった。だけど、それを語る前に、アストリアの陽気な不動産やに、戻ろう。目に見える現象は、たいていの場合は、普通のものだったから。それを丁寧に、追いかけていこう。

 そして、そのニューヨークでは、15年ぐらい前に起きた海軍参謀とのいきさつは、すべて忘れていたのである。百合子は元気いっぱいであった。

 なお、本日は午前零時ごろ、午後二時ごろ、そして、午後7時ごろと散会更新しています。それは、夜ご自宅でパソコンをお開きになる方には、ご迷惑だったかも知れませんが、お許しくださいませ。            2010年7月8日  雨宮舜
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交詢社、水交社、(銀座)、偕行社、(新連載小説の8)

2010-07-08 12:35:38 | Weblog
小説『ジョーイの出立』
  第一部、タイムズスクエアーの家、
     第8章『交詢社、水交社(銀座)、偕行社』

・・・・・[前号までのあらすじ]、・・・・・百合子(57歳)はニューヨークで家さがしを始める。今は、高級住宅街を諦めたところだが・・・・・

 銀座五丁目に交詢社ビルというものがある。最近では建て直されて一階はバーニーズというニューヨークブランドが入店している。そのオープニングパーティの夜に、当時首相だった、名泉さんが、颯爽と乗りつけたのを、百合子はたまたま目撃した。首相になっても、SPも秘書も伴わず、飄々と軽く出歩く人だ。百合子は選挙区の関係から名泉さんとは、なんども建物の内部で、またはパーティで、近傍で出会っているが、この新・交詢社ビルのオープニングなどには、自分はお呼びでないことに、改めて、自分のポジションを確認して、名泉さんと比べて、苦笑をした。

 この改築には非常に時間がかかったが、百合子には、そのビルの昔の、静かで古風な風情が今でも忘れがたく残っている。そのビルの南面に、水交社という看板がかかっていた。それも忘れがたい。

 交詢社は、福沢諭吉の創設した社交クラブであるそうで、慶応の卒業生で、ある一定以上のお金持ちであり、社会的地位が高ければ入会できるシステムに、なっていると想像する。しかし、水交社に入るのには、ある特定の資格が要る。旧日本軍の将校用・社交クラブだからだ。現在は自衛隊幹部にも入会を誘っている模様だが、往年の勢いはまるで影も形もない。

 で、旧日本陸軍の同じような社交クラブが、その名を、偕行社といい、こちらも今では影も形もないに等しい。一般の日本人はその名前をほとんど知らないであろう。インターネットで、検索すると、右翼的な頁と見まごう体裁で、そのホーム頁が表出する。しかし、戦前、戦中にはそこは、エリートたちの集う、当代の鹿鳴館であり、華やかさが横溢していたはずだ。

 特に海軍にその華やかさが横溢していたはずだった。その芝白金三光町にあった、本部の建物は一時期アメリカ軍に利用されていたが、その後、そこを占拠していたフリーメーソン所属グループと訴訟が起こり、和解に達したとwikipedia (2010-7-8 検索済み)にでていて、なんとなく、歴史の符号を感じる百合子だった。このフリーメーソンという言葉は今ではほとんど死滅している模様だが、実際には地下深く潜行して、存在していると、百合子は考えている。

 あの古い時代の交詢社ビルの横手に張り付いていた、水交社の看板を思い出すたびに、『ああ、今現在の夜の銀座での、クラブという名前の社交場は、すべて、ここら辺りの雰囲気の真似事である』と感じるのだ。その内部にはバー等があり、それ相応の接待をする、戦前には女給と呼ばれる女性たちがいたと想像をされる。その贅沢な感じを再現したのが、現代の金持ちたちが、酒代を出すことで、真似事としてその同じ雰囲気を、味わっているその名もクラブというところだ。
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 聞いている所によると、旧日本軍内部では、海軍と陸軍は仲が悪かったそうである。しかし、そのトップレベルでは、結構親密であったとも、推定をされる。たとえば、参謀という役職である。これらの人々は、日本という国家を総括して、戦略を立てなくてはならないので、小数で会議を行ったと考えられるので、海軍と陸軍の境を越えて、仲がよくなったと推定される。

 その会議に出席をしていた、参謀たちは、当時の年齢を、20代から、40代であったと推定をされる。50代以上になると引退して、しかるべき別の役職に代わって行ったであろう。その参謀の幾人かと偶然にもバッティングしてしまった。1980年代のことだった。それは、新聞記事にもならず、ひそやかに終焉して、百合子の方が法的には勝った。そして、ゆりこの方はそれが、長続きするとは夢にも思っていなかったが、相手はしつこくも復讐を繰り返したのである。それが、百合子の私生活に、40年近くにわたる、困難と不運を招き寄せることとなった。

 しかし、彼らは、情報操作のプロであり、諜略行動のプロである。だから、百合子は、2007年の12月27日、横浜の大きなネットカフェで、パソコンがフリーズした日までは、そのことには気がつかなかった。『おかしいなあ。自宅のパソコンの変調は自然ではないぞ、ウィルスでもない』とは、気がついていたが、

 非常に上等なる操作を施されていたので、『ある個人から恨みを買って、一種のストーカー行為として、こういうことがおきている』と、一年ぐらいの間、思いこんでいたが、『そうではなかった。もっと大きな組織から狙われているのだ』と、最初に気がついたのが、この場面である。

 今(2007年の12月27日)使っているのは、自宅のパソコンではない。しかも内容は別にアルカイダに関するものでも、9.11に関するものでもない。単なる芸術のことである。『エシュロンの検索が激しくて、何も自由にかけない』とヨーロッパの知識人の間で、大問題に発展したインターネットの事実上のハッキング問題に、自分の文章は引っかからないはずだ。問題はないはずだ。それなのに、自宅ではない外部のパソコンがフリーズする。

 これは、マイクロソフト社が一枚絡んでいるぞ。私固有の検索ワードが敵側の手中にあって、インターネットでそれを、感知すると、一種の意地悪として、『何もさせないぞ』となる。これがこのフリーズ現象だ。仕事をやらせない。社会に対して発言をさせない。

 それが、彼らの目的だ。そのために、たとえば、一版多色摺り(これは百合子がやっている特殊な版画技法で、世界で実際に携わっている人数は、50人に満たないはずだ)という言葉が検索ワードに設定されているとする。または、個人的な筆者名、が検索に引っかかるように設定をしておく。当時は『風狂の歌い手』を使っていたが、それが、検索ワードとして、登録されているとする。そうしたら、こういう現象がおきる。

 自宅のプリンターが、無効になっていて、仕方がなくて、外のパソコンを使うのだけれど、プリントするためには、大手のネットカフェでは、必ず、インターネットに接続をしなければならず、本を作るためには、必ず、インターネットに接続をしなければならないから、こうなる。

 なるほど。なるほど。と、その夜に気がついた。その日以降、百合子は彼らの思惑とは別に、どんどん、どんどん大胆になっていく。そして、国際関係に対して、独自の分析を世に披露することと、なって行く。かれらは、意地悪を重ねることで、百合子を黙らせたかったのであろうが、結果は反対方向へ進んだのである。

 その遠因は、1980年代初頭に百合子と旧日本軍の参謀たち二人の間で、闘争が起こり、百合子が法的に勝ったことにある。そこから、ここまでの敷衍があると気がついたのだ。

 しかも、『参謀の中には、アメリカに通じているものがいる。だから、マイクロソフト社のワードが、これほど、使いにくくなる』と、推定した。旧日本軍のトップレベルの人々の中に、戦後の世界を生き抜くために、180度、その忠誠心の対象を変えた人物がいるのだ。そこから、この仕事のやりにくさは発生をしていると、百合子は、やっと気がついたのだった。

 それは、その後、アドビ関連ソフトが、めちゃめちゃに使いにくくなっていくことでも傍証をされていく。

 でも、決定的に自覚をしたのは、その2007年以降であり、それ以前には、百合子は、まったく、その構造に気がつかなかった。この小説に登場する、1999年のニューヨークでも、そのことにはまったく気がつかなかった。
 元気いっぱいで、当時の集中の対象であった、版画修行がうまくいくことだけを願っていた。そのための宿探しを、必死で行っていたのだ。

    2010年7月8日       雨宮 舜

 なお、この小説に今日はじめて、気がついて下さった方には、開始日が、7月4日ですので、左側のカレンダーをクリックしていただけますと助かります。その後、七回連載を果たしております。なお、連続して読んでいただいている方には、「したに、13時間以内で更新した、#7がございます」と伝えたいです。では。
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