銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

アリとビュッフェ(特にパーキンソン氏病において)

2009-06-12 13:00:23 | Weblog
 火曜日は、私が結構楽しみにしている番組が多い日ですが、ハイビジョンの時空探偵と言うのはすばらしかったです。その番組の元ダネとなったアメリカ側・制作の、『アリ対フレージャー』と言うドキュメンタリー番組が、近々、NHKのどこかで観られるそうですので、そちらも楽しみにしてみるつもりです。80%は同じ映像が使ってあるのだろうけれど、もう一回みたいです。

 しかし、夜の八時にチャンネルをそちらに合わせる前には、主人が反対しました。我が家にはテレビは一台しかないので、久しぶりのチャンネル争いです。しかし、主人は別に他のものを見たいわけではなく、ボクシングそのものを嫌いなのでした。私もスポーツとしてのボクシングは確かに嫌いです。観たいとは思わない。しかし、「この番組には、きっと別の問題が隠されているのよ。それが重要なんだと思うわ」と主張して、二人で一緒に見ました。

~~~~~~~~~~

 深い感動を与えられました。特に、貧乏くじを引いているフレージャーが、美しい顔をしていることに。フレージャーのお子さん方は、ともかく、ちゃんとした生活をしている模様です。だけど、フレージャー自身は、ジム(三階建て)の上階で、寝泊りしているのです。言ってみれば今放映されているNHKの朝ドラ『つばさ』の真奈瀬・社長みたいな生活です。

 あ、ここで、ちょっとわき道にそれますが、『つばさ』の方は視聴者側で、賛否両論だそうです。サンバ・ダンスの挿入他、けたたましすぎる演出があって、そこに拒否感を抱く人が多いらしい。しかし、毎週クライマックスがあって、毎週涙がこぼれるような設定なので、出演者たちは、このドラマにほれ込んで熱演している模様です。脚本家も、演出家も、もう、過剰なサービスをしなくても、良いのではないかなあ。返って、その方が視聴者はついてくるでしょう。「視聴者の鑑賞力を、信じなさい」といいたいです。特によく観ていると、決して前衛劇ではなくて、古いタイプの人情劇であり、一般の大衆が「それ、それ」と頷くような解決策が毎回示されるので、もっと人気が上がっても良いと思います。

 元に戻ります。ジョー・フレージャーと、モハメッド・アリ(旧名・カシアス・クレイ)と小泉さんはなんと、1942年の一月に相前後して生まれています。だから、彼らが生きた時代は現代史・そのものです。アメリカ現代史、そのものを語ることとなっています。

 その中で、試合中では、ほとんど勝っていながら、大スターのアリと比べれば、呆れるほどの貧乏の中に、今現在住んでいるフレージャーの私生活、これが先ず劇的です。その人生はさることながら、現在の生活そのものが劇的なのです。

そして、彼が言う「アリは、(パーキンソン氏病にかかったことにより)神様につけを払っているのではないかなあ。天国に行く前に、神様は、アリのやったことの支払いを求めている(概要)」と言うのですが、それが全くいやみなく、受け取れます。つまり、仏教の世界で、わたくしたちがよく言う、例の因果応報が目の前で現れていると、テレビ画面内で、フレージャーが言うのですが、それが、頷けるのです。そのように、番組とその映像の数々は進行しますが、無論、過剰な演出があるわけでもなく、やらせがあるわけでもありません。

 登場人物は、ジョー・フレージャー自身、その長男と次男、当時のスポーツライターが三人ぐらい、当時のフレージャーの付き人が、二人、アリ側の主治医、および誰かが一人、全部で10人の人が肉声で語り、映像として、ちょっと前のモハメッド・アリの映像が出ます。

うちの父がパーキンソン氏病にかかったときに当時の名医と仰る方が、これは、「帝王病と言って、思うが侭に生きた人がかかる病気です」と仰ったのです。その裏に、噂としてですが、昭和天皇もこれをわずらっておられると、聞いて「なるほど、おミ足の運びが鈍いし・・・・・」と思い、翻って父に関しても「ある意味で当たっているわね」と母と子どもたちが話し合ったのです。父は白身の魚が好きで、ゲテモノを一切口にしませんでした。それが、原因だったと私は考えています。で、今の子の鎌倉の我が家では、牛筋とか、鳥のレバーや砂肝とか、鳥一羽丸ごとのスープとか、豚の足(アイスバインを我が家で作る)などの、ジェラチン質を含むゲテモノ類を、意識して、多くとっています。

モハメッド・アリも贅沢なものを食べ、自分の思い通りの発言をし、やりたい放題の事をして、回りを振り回したということで、一種の帝王でした。

 同じ週に、私は録画で、日曜美術館を見て、主役のビュッフェがパーキンソン氏病にかかり、結局七十二才で自殺をした事を知ります。そのとき、妻・アナベルの文章が、朗読として、後ろにかかり、「彼は、誰の世話にもなりたくなかったのでしょう」と言っていました。しみじみとした声でした。中島朋子さんです。『北の国』からの蛍ちゃんが大人になって、ナレーションをよくやっていますが、よい声であり、よい表現力です。
 さて、ビュッフェがなぜ自殺をしたかと言うと、パーキンソン氏病は、手が震えるのです。だから、絵描きとしてのもっとも大切な道具が使えなくなったわけです。その上、足、そのほか、さまざまな機能が衰えてくるから、苦しいわけで、ビュッフェが自殺をされたのもアナベルの言うとおりでしょう。

 うちの父が自殺をしないで済んだのは、たまたま、転んで脳挫傷を、二重の重荷として、発症してしまい、考える能力が衰えて、かつ寝たきりになってしまって、自殺など実行を出来なくなったので、幸いでした。そして、意外と病気の進行が早くて、寝たきりが始まって五年後ぐらいに、まだ、体がやみ衰えていない姿で、顔も普通の段階で、多臓器不全で亡くなったので、比較的に苦しみが少なかったと思われます。

最近の日本では食事がよくなったせいか、帝王と言われるほどお金持ちではない人もパーキンソン氏病にかかるようになって来ました。実は以前、詩の朗読を生で聞いた伊藤比呂美さんも、父上がパーキンソン氏病だと仰っていたのです。
伊藤比呂美さんが、「母の相続問題で、どうしても父の署名が必要だったが、ぎりぎりのレベルで、署名が本人自身が、書くことができた」と仰いました。うちは、父自身が遺言書相続(長男偏重)を望んでいたのですが、その署名が出来るかできないかも、まさにぎりぎりのところだったそうです。ミミズがのたくりまわったような字ですが、ともかく、読めるということで、伊藤比呂美さんと全く同じ状況だったのです。伊藤博美さんが促すにそって、私もそのとき同席していた聴衆と一緒になって、笑いました。が、内心では相当複雑なものがありました。

現在ではパーキンソン氏病が多いので、伊藤比呂美さんは、結構あかるい態度で、物事を仰ったわけです。そこから類推して、父君自身がそれほど、深くは悩んでおられないのを知りました。同類が多ければ、それが一種の普通のこととなるからです。

だけど、罹った本人にとっては、紛れも無く、厳しい病気です。可逆性がないのです。治るということがないのです。特に、肉体を使う職業だった人ほど、その機能の衰えは心に響くはずです。父はプロではないが、相当なレベルで、集中して絵を描いていました。毎晩、十時から十二時まで二時間ぐらい。だから、自分の腕や指先が思い通りには動かないのを、知っていて、悩んでいました。特に当時は患者数が少なかったので、自分だけ天罰が当たったがごとく考えた可能性もあります。・・・・・

さて、アリ自身の言葉は、その番組内では出てきませんでした。だけど、フレージャーが、冒涜の言葉を吐いたとは思えません。なぜ、そう思えるのかを、次報で語らせてくださいませ。

  2009年6月10日       雨宮 舜
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大逆事件(系列?)の、2009年現在の、神奈川県内での報道

2009-06-11 13:33:35 | Weblog
 さきほど、神奈川県で現在進行している嫌煙運動は、言論弾圧に繋がり、それを、過剰に支援している朝日新聞は一党一派に偏向していると書きました。

 しかし、ここで、神奈川県在住者から、もしかしたら、反論を頂くかもしれません。それは、戦時中の思想犯の名誉回復のための裁判が行われていて、戦時中に特高の弾圧を受けた人々の子孫が名誉回復を果たしていることへ、報道が詳しく、特に神奈川版で行われていますから、それを見ると、朝日新聞はことさら、平和志向、民主主義志向に見えるからです。その裁判が横浜で行われているからでもありますが。
 
 その記事を読むと、日本が素晴しいレベルで、あかるい民主主義国家であるように見えます。
 しかし、私は懐疑的です。その件は過去のものです。今現在の日本は、戦争をしておらず特高もいないはずです。となると、その裁判に関して何を報道しても記者、および新聞社に害が及びません。安全圏内のシゴトです。だから、きちんと報道をされます。

 しかし、そうではない分野。・・・・・今、現在進行中のことで、アメリカの批判を展開すると大変です。一番の好例は、小泉首相の靖国参拝です。あれは、どう考えても東京裁判を、後ろめたく思っている連合国側を刺激します。小泉さんの意思はもっと、素直なものだけれど、連合国側の良心に、深い矢を突き刺す可能性があります。だから、彼はめためたに、叩かれるし、今なお、報道において、からかい気分で、取り上げられます。

 麻生総理大臣は、小泉さんを批判することに確信犯的な目的があり、それはアメリカ側からの好意を得ると信じて行っていることでしょう。しかし、私が麻生総理を批判しないのは、なぜかと言うと、ともかく、日本国総理大臣と言うのは、難しい任務ですし、言ってみればお人形さんであるしかない存在ですから、それを、全うしてくださって、特に悪い事をされなければ、それでよしと言うぐらいの期待しか抱いていないからです。だから、批判をしません。

 一方で、もし、民主党が政権をとり、黒幕としての小沢氏の活躍があったら、日本は精神的に息が詰まる状況が出来すると思っています。それで、麻生さんに対して「はい、どうか、首相をお続けくださいませ」と思っているわけですが、日本国首相としてのタマではないかもしれません。閣僚の選び方が、国民の意思と希望を一切無視しています。小渕首相の次女が閣僚であり、赤ちゃんを任命中に出産なさる・・・・・ちょっと、これは、いけないですね。

 野田聖子大臣も似たような問題を感じる任命です。

 税金を大切にしなくてはいけない総理大臣という意味では、とんでもない裏切りです。小渕首相ご本人は立派な方でした。そして、なくなった原因が小沢一郎氏のその当時の政治的な態度にあったことも、今では、カミングアウトされているでしょう。だから、対・小沢一郎氏、けん制の意味で任命されたとも想像は致しますが、日本国の閣僚がこんなに若くて軽い存在では駄目です。いくら日本国政府は、アメリカの傀儡である・・・・・ふ、ふ、ふ、この言葉は学生運動華やかなりしころに、学生たちが叫んでいた言葉ですが、・・・・・・とは言っても、国民を馬鹿にしている政府が人気が出るわけが無いです。

 それに自民党内部でも、真面目に努力をした男性陣ががっかりしているでしょうし、国民の中の中年男性もがっかりしているでしょう。

 だから、私は今まで、麻生内閣のやることに対して一言も発言をしませんでした。呆れているだけだから・・・・・ただ、麻生さんは明るいし、その明るさをアエラなど、封じ込めるがごとく、汚い表情の写真を利用し、しかもバックが黒でしたから、・・・・・『なるほどねえ、朝日新聞系列にきらわれているのなら、・・・・・・そう、悪くはない人でしょう』と、思っただけであります。

 大金持ちで育ちがいい人は、それだけ、固執がなく、かつ、ノブレス・オブリッジの観念があるはずです。一人だけ、例外があって、それは、北朝鮮の金正日氏です。恐るべき存在です。二、三日前の新聞で「経済制裁をかけても、中国へ輸出入をシフトしているから、北朝鮮は一向にこまっていない。ただ、制裁の結果として、帰還船で、北朝鮮に向かった、旧在日の人々が最貧困階級に落ち込んで、苦しみぬいている」との報道が、日経(もしかしたら朝日)に載りましたが,「金正日に比べれば麻生さんは、救いがあります」と言う程度の期待しかもっておりません。

 だけど、小沢一郎氏が総理大臣になったら、「日本は(精神的には)暗黒時代へ突入する」と思っているから、麻生総理大臣が、その点では、大切だったわけです。

 もう一回朝日新聞へ戻ります。どうして、朝日新聞がこれほど、偏向しているかですが、もしかしたら、あの襲撃事件が、原因だったりして・・・・・肉体的に殺されるというのは、怖いですよね。その恐怖を利用して、朝日新聞そのものが、上からしたまで全社、洗脳をされてしまっている?

 あのね。インテリって力が弱いです。私も別に力が強いわけではありませんが、・・・・・ともかく、小学校時代からそうですが、坊ちゃん育ちで、頭のよい子は、悪くするといじめっ子のターゲットになり、苦しみます。朝日新聞は、入社試験が難しいはずです。となると、往年の優秀少年が、入社するところであり、それゆえに、肝っ玉は小さいかもしれない。戦時中には軍隊に従う? そして、今は、アメリカ、(まあ、その一部ではありましょうが)に、従う・・・・・そういう図式なのかなあと感じています。


 文頭に戻れば、大逆事件は過去の事です。安全圏内の話です。しかもそれを報道するのは、朝日新聞がいかにもインテリの味方であるように見えます。だから、かっこいいシゴトです。だけど、現在進行している現象に関しては、その報道姿勢は相当に疑わしいです。

 そして、そのポイントへ疑惑を述べると、述べた方が必ず、叩かれます。最近では津川雅彦さんがからかわれていました。これも、民主主義とは遠い行為ですが、そちらを問題にする人がいません。思想信条の自由とか、平等が確保されていないのです。

 昔から「長いものにはまかれろ」といって、『権力が強い存在には、従っておいた方が安全だ』という発想もあります。だけど、ロングスパンで考えなければいけません。本当の幸福を追求する方向へ向かわなければなりません。嫌煙運動を過剰に推進する民主党(神奈川県知事に代表をされる)の体質は、危ないです。人間の真の幸福とは別の方向へ走っています。
    2009年6月8日            雨宮 舜
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「平成天皇のお言葉と、神奈川県の嫌煙運動の実態」

2009-06-09 14:42:23 | Weblog
グーニュースで、"「平和度」で日本7位=世界144カ国中、トップはNZ( href="http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-090602X103.htmlと言うのを観ました。ところで・・・・・

 一週間前から書こうと思っていたのですが、平成天皇が、カタールの皇太子が来日されたときにご返事として仰った言葉が、しみじみと心にしみました。

 カタールの皇太子は、日本の教育制度を褒めたのです。それに対して平成天皇は、「日本では、江戸時代から、寺子屋の制度があって、教育が広く行き渡っています」とお答えになったのです。

 これはとても小さい記事で、日経も朝日も同じでした。だけど、しみじみとした気分で読みました。皆様は、NHKの日曜大河ドラマ『篤姫』をご覧になったことでしょう。あれを、ご覧になると、明治期に、日本は大内乱が起こった事がわかります。

 テレビの世界が、その当時もあったなら、桜田門外の変、そして、池田屋騒動、蛤御門の変と放映されたはずですね。すると、国民は大混乱に陥ったかもしれません。当時は映像が無いので、かえっておそろしがったかもしれないし・・・・・

 ともかく、篤姫等の大奮闘によって、内乱は拡大せず、明治維新が平和革命として行われたわけですが、地方都市では、すみずみまで廃仏毀釈が起こり、庶民まで巻き込んで政権の交代による社会変化を経験したのです。

 そして、領地等も徳川幕府方にいた諸侯は没収され、それらは、県と言う新しい組織へと変り、殿様または社長に代わる人材として、県知事(当時は県令?)が置かれたのでした。財産の没収のレベルは徳川家において、最も大きいものでしたでしょう。

 しかし、第二次大戦において、全くおなじ事が今度は天皇家に向けて行われました。その損失と苦しみを耐え抜いて平静なお顔とお姿で、ご自分の任務を淡々とこなしておられる平成天皇です。

 まるで、小さな記事扱いですが、そのお言葉は尊いです。

 ここで、挿入ですが、植樹祭で、『ご体調に気を使って、お言葉を頂かない』と出ました。長い時間、戸外でお過ごしになるのが、苦しみでいらっしゃるのなら、県知事等の言葉は短縮してでも、ちょっと、お言葉を頂きたいものです。

 さて、元に戻れば、平成天皇が、恩讐を越えて、江戸時代をご評価をなさり、すっと、教育の発展の源泉は、江戸時代の長い平和にあったと仰ったのは、意義のある事です。みんなが既に知っていることとはいえ、それでも、その明治期の大混乱を思い出せば、素晴しいと感じます。

 平成天皇は、終戦時、九才でいらっしゃって、アメリカから来たヴァイニング夫人の特別教育を受けられたのです。夫人は立派な方だったと思いますが、その姿は日本人が一種の人質にとられていることの象徴でもありました。

 その頃、「日本人とは、精神年齢が12才である」といった人が連合国側にいるはずですが、ちょうど平成天皇が、そのお年頃だったわけです。だから、そういう点でも、その言葉が出た可能性はあるし、平成天皇は、ごく最近まで、非常に静かにお暮らしになってこられたのでした。

 特に美智子皇后と出会われてご成婚された前後は、皇太子(現平成天皇)の方がひ弱に見えたりしたものです。しかし、今では温和ではいらっしゃるが、堂々とした存在感を示しておられる方です。

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引き比べて、日本の政治家が、信じがたいほど、尊敬できない昨今は、残念だし、日本国民もそれで仕方がないと思って見過ごしているので、政治家が安直過ぎる生活をしています。制度が悪いのももちろんです。選挙制度は改悪をされていて、自分たちが本当に選びたい大物よりも、どぶ板選挙で伸び上がってきた、視野の狭い、(結局は自分個人の利益を優先する)、政治家が跳梁跋扈する日本となっています。

 それは、切歯扼腕しなければならないほど、残念な事です。ところで、昨日の文章ですが、奥歯に物が挟まったごとく書いています。また、真綿にくるんだような表現をしています。

 だけど、もう少し先へ進めると、日本国のトップとは、他のどの国のトップと比べても、仕事が難しい職場です。主体的に生きる事ができるのか、・・・・・それらを考え合わせると、相当タフな人材で無いと駄目なのです。敗戦国としてのくびきの中で生きなければなりません。安保理の常任理事国にどういう国が選定をされているのか、それ一つをとってみても、推察できる難しさのある立場です。

 そういう意味では、鳩山由紀夫さんが、タフであるかどうかは心配しています。それから、うがった見方で、鳩山兄弟が新党を作り、云々かんぬんと言う情報もありますが、邦夫さんの方は、体格はご立派で、死刑執行の際には、責任を取る覚悟がある方だと、評価を高くしましたが、

 しかし、日本国の宰相をするつもりなら、もっと狸にならないと駄目です。柔軟にならないと・・・・・私は安部晋三さんを、思考・信条ではご立派な方だと以前から認めてはいたものの、首相になられた時は、これは、『小泉さんの失政の一つだ』と感じました。安部さんは、まだ若くて、日本国の首相が務まるほどの、複雑さと忍耐力および、したたかさがありません。

 とはいっても、二階さん等の、あそこまで古いタイプの政治家には、もう、引退して欲しいです。自民党は、どうして、ああいう人材を、ニュースの表に立てているのだろう。イメージ戦略等の研究が全く足りません。

 近代化がなされていないのです。非常に古いです。でも、私に言わせれば、モダンな感じがする、政党たちが信頼できるかと言うと、そうでもありません。

 古い方からあげれば、自民党、公明党、社民党、こういう政党にはうんざりするイメージがありますが、だけど、分かり易いです。隠している事があったとしても、料亭内折衝で、税金の分捕り合戦をしているという程度です。

 公明党はそれに乗っかって、自分も体制内で、税金の使い道に口を出すという姿勢です。社民党はあくまでも野党として、自民党+公明党が何をしようと反対するという点で明快です。

 ところが、民主党と共産党だけは違います。マスコミが報道している部分だけを信じれば、非常に未来は明るいみたいで、『いったん自民党から、政権が民主へ交代した方が良い、利権の癒着が無くなる』と言うのがわがパートナーの家庭内での意見ですが、

 その側面も重要ですが、言論の自由等の側面で、この両党が政権を取ると危ない側面が出てくるような気がするのです。国民は今まで以上に敏感になって、この両党を監視する必要があります。

 今、私は神奈川県に住んでいます。神奈川県は、今は収入が多い富裕な方の県だと思うし、国との間での税金の負担分の割合についても、ごたごたはしていないでしょう。そして、横浜開港150周年で沸いていますしね。輝ける地域の一つです。あかるいし、人を集めています。

 しかし、この県で、驚くべき神経質さで、禁煙運動が展開されています。庶民を動員し、条例を作り、2010年の四月から、タバコを外では吸えないことになる模様です。

 これが民主党所属の知事の方針なのです。一見するとモダンな事をやっているように見え、すばらしい改革をやっているように見えます。

 私自身は一切タバコは吸いません。家族内にもいませんし、タバコが人間の体に悪いことも知っています。

 しかし、それは、何百年の歴史を持つ、人類の嗜好であり、それによって、ライターや、クリエーターが助けられてきた、思考する際の補助道具なのです。これを、かくも厳密に規制をするということは、人々に、『考えるのをやめよ』と言うことと同義語なのです。

 そして、<<<多分ですが>>>各市町村の防犯協会等に頼んで、地域社会を動かすという形で、禁煙指導員と言うのがたすきをかけて街をうろついています。吸殻を拾うという意味では結構です。一見すると、無為な時間を過している孤独な老人を連帯させ、有意義な活動へとお誘いしているみたいですから、しかもその目的が、人々の健康を守るという方向ですから、正しいことをやっているみたいですが、手法としては、恐ろしい軍国時代の再現でもあります。

 こういう小さなことから、国民を手なづけ、支配する、・・・・・その手法を取るのが民主党です。と言うのも、この動きが出たのは、小沢一郎氏が党首だった時代のことでしたから。

 あのね。文化とは、一部の人、最近ではおたくとか言われる、普通ではない人が作り出すのです。クリエーターとは、△△△

<<<最近イヴ・サンローランの映像が出ましたが、思考に苦しむ、過程で、タバコを手放しません。

 映画『麗しのサブリナ』だって、お婿さん候補側の父親は、葉巻を手放さない設定になっています。イギリスのチャーチル首相の葉巻姿が、映像に登場したのもこの百年以内の話なのです。>>>

 そこまでの成功者ではなく、華々しくなくて>>>、

 △△△貧乏で、社会の片隅で、悶々としているような存在です。しかし、彼らこそ、最も前衛的な文化を生み、社会を豊かにすることへ、深い貢献をしているのです。

 この禁煙運動は、現代の魔女狩りです。少数派への圧迫です。それゆえに、民主党は恐ろしいのです。その動向を私は、深くしかもしっかりと、注目しています。特に小沢一郎氏は、恐ろしい方向へと日本を導く人だと思い、その点で、氏を注目をしているのです。

 それは、第二次大戦中の日本と、ほぼ、同じ流れです。『恐ろしいことは顔を見せないでやってくる』と、民主党は一時、標語を流していたはずですが、その恐ろしいことの一つとして、禁煙運動の過剰な強制が、ココ、神奈川県(県知事は民主党です)で実行をされています。現に実行をされています。自民党は、海岸をコンクリートづけにしました。が、それに反対する言論を弾圧できませんでした。それゆえに、まだ、安心なのです。


 民主党は、恐ろしい政党です。利権を持っておらず、国民には清新に見えますが、言論統制と言う意味で、もっとも、恐ろしい政党です。今、マスコミもその美しさを喧伝しています。特に朝日新聞が支援しています。それも、戦時中の姿勢とそっくりです。朝日新聞は戦時中には、皇国史観にのっとって戦意高揚に役立つ記事を書いているはずです。それを口ぬぐいして、「いかにも進歩的ですよ。今の私たちは」、と言っているのも心配です。

民主党に対する、私が今言っているような意味での、批判が見当たりません。神奈川の地方版には一切無くて、推進の方向への記事のみです。それが特に恐ろしいです。

 そして、繰り返しますが、文化を創造していくのは、現在でも少数派なのです。本当のクリエーターと言うのは、今、現在も理解をされず、社会の片隅で、悶々と努力をしている、存在でしょう。それは、ゴッホの時代から変りません。それを圧迫するのは、ナチズムと同じです。民主党は、ココ、私の住んでいる神奈川県においては、それを、実際に展開しています。

 最後になりました。これらの政治家、そして、政党の動きに比べれば、平成天皇のお姿は何と、貴重であり、希少であり、安心できることでしょうか。

 私は別に右翼ではありません。もっとも静かな生き方をしている芸術家(?)です。でも、相当なレベルで、正しいことを言っているつもりです。

 そう言う私が、間接的な感じではあるが、書く事を疎外される、面もあるのです。パソコンに変調をきたす事が多いのですが、もちろん、ウィルスセキュリティは万全にしています。それでも、不思議な形で、妨害をされていると感じます。今日もひらがな部分を書こうとすると、アルファベットしか書けないし、そのアルファベットも大文字と小文字が逆転をしています。また、正しい文章を書いても、二分以内へ誤変換へと変更をされたりします。単純なエッセイ一本を書くだけでも、普通の人の二・三倍ぐらいの労力が掛かります。

 ましてや、本を作る際など、普通の人の五倍から10倍の時間が掛かります。adobe関係ソフトがスムーズに動かなくなるからです。透明なはずのレイヤー用・線が一瞬で黒くされたり、・・・・・しかし、それを防衛する作業のお陰で、私は、パソコン技術が格段に進歩したので、世の中に無駄なことは無いのだとは、再認識をしましたが、この悪さ(いたずら行動)も言論弾圧の一つでしょう。別に文章の内容において、悪いことも危険なことも書いていないので、ともかく、書く技術において妨害しようと言うのが、私の身の上に現在・起きている事です。

 その妨害の起きる時期と、神奈川県の禁煙活動の興隆が奇妙に連動をしているので、この禁煙運動と言うもまた、

・・・・・言論統制に繋がりかねない事・・・・・を察知できるわけです。それゆえに、民主党が政権をとった暁の日本の将来をとても危ぶんでいます。

 そして、こういう政治的な意見を書いた日には、ブログが閉鎖になったり、それから、AOLのメルマガが相手に届かなかったりします。

 それで、AOLや、グーブログの規約を丁寧に読んでみました。すると、主宰者側が気に入らない項目は主宰者側が書いている当人に一切連絡を取らないで、削除できるそうです。

 おどろくような非民主的な条文ですが、これも、言論統制の仕組みに役だっています。 

 最後になりましたが、申し上げると、上の文章は三時間前に書いた文章の改良版です。宜しくお願いを致します。
                       2009年6月8日             雨宮舜













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政治のダイナミズム(鳩山兄弟他)

2009-06-08 00:40:58 | Weblog
 私は今、自分の内部にある企画を抱えているので、他の仕事は、手を伸ばさないと決めているわけです。それで、政治について書く事も控えています。中川元大臣のイタリアでの失態による辞任辺りで何かを書いたとき以来沈黙をしていると思います。

 しかし、今日あたり、政治のダイナミズムと言う事について書きたいのです。ほんのちょっとした事が原因で政治が大きく動くという点で、久しぶりに文章を書きたくなりました。

 鳩山由紀夫さんが、街頭演説をしたニュースがNHKに出て、『元気そうだ』と思います。で、氏が首相になったらどうか? と言うポイントですが、史上初の理工系首相の誕生だと思います。それは、ある意味で日本の成熟を、示していて麗しい。田中角栄元首相がコンピューターつきブルドーザーと呼ばれて、土木学校を出た首相でしたから、あの人が史上初の理工系首相でもあるのでしょうが、田中さんに関して、は、コンクリートづけに日本をしたという以外には、理工系だと感じたことは無いのです。

 日本では、社長族も、理工系出身者は少ないです。たとえ、生産会社でも、法学部および経済学部出身の人が社長になる傾向が多いです。ましてや政治の世界では、理工系の出身者は少ない。で、理工系の人の特徴は、ともかく明るい事です。浅いとか、軽いとかみなされ易いが、と、同時に明快だとか、あかるい側面もあるとは思うのです。ただし、それは、一般論であって、鳩山由紀夫氏が、その特質を発揮できるかどうかは不明です。氏,ご本人は明るくても、氏が本領を発揮できるかどうかが不明です。

 小沢一郎氏が失権したとは、私には思えず、・・・・・

 もし、岡田さんが党首になれば、世代交代は、実質的になったであろうが、・・・・・

~~~~~~~~~~~

 一方の自民党ですが、私が何も言わないところに、そこに対する評価が現れているのです。ただし、こちらも困った問題があります。先ず、森・元首相です。あの人は大マスコミがけなすほど馬鹿ではなくて、結構な大局観がある人だとおもっていましたが、最近の中川秀直氏嫌いは目に余ります。政治は私事ではないので、個人的な好き嫌いを表にだしては、駄目でしょう。

 そして鳩山邦夫さん、個人としてはそれでよいのですが、大政治家になるためには、今の態度はいけないのでしょう。良い参謀がいないのだと思います。私が秘書だったら、「ここはこういう風に、行動すると、将来は、こういう風になります」とか、踏み込んでシュミレーションをして「柔軟になるように」と、説得したりすると思いますけれど・・・・・こうなると、レーガン元大統領夫人は、ご立派でした。星占いを信じているとかいって、メディアには、馬鹿にされていましたが、夫の事や、夫の任務を心底から心配して、その行動が良い方向に行くように祈っていたのを感じますので・・・・鳩山邦夫・夫人はもっと、口を挟んだ方が良いでしょうに。

 私自身はこだわりの強い人です。が、私は政治家ではないので、他者の、特に生活には影響を与えない人です。だから、それでよいのです。

 我が家では、菅さんと言う、自民党の選挙対策委員長に注目をしています。この人が世襲制に反対をしていたのです、が、小泉さんの次男をどうするのかと見ていたら、それだけは、特例を認めるみたいですね。もう一人を含めて・・・・・それは鳩山邦夫さんに比べれば柔軟な政治的判断を下したと言うところでしょう。

 しかし、私は、選挙制度は、小手先の問題をどうのこうのするよりも小選挙区制に大きな問題があると思っています。で、それがあるから政治家が小粒になり、オオショ、高所から、ものを考える人がいなくなったと思っていますので・・・・・どの政治家にもあまり期待が持てないと思っていますが、かといって、無関心であると、とんでもないことになりかねないので、ちら、チラッとですが、政局(?)にも目を注いでいます。

 しかし、私が一番注目をしていることは小沢一郎氏の本当の座席と位置です。今本当のところは、どうなっているのか、または、これから、どうなっていくのか、それを注目しています。

~~~~~~~~~~~~

 それから、オバマ大統領のカイロ大学での演説ですが、私は最近つかれきっていて、その6分目から、60分目までの動画を見ないでいたら、今日朝日新聞に翻訳が載りました。ただ、ここでも、「モスリムはアメリカの一部である」と表現をされていますが、それは、ちょっと説明不足だと思います。移民としてのイスラム系を受け入れているという意味でしょうから・・・・・特に『文化的な要素を、許容しているのだ』という意味だったと思いますから・・・・・

 「スカッと爽やか、コカ・コーラ」と言うキャッチフレーズではないけれど、人々の印象に残る演説を行うチャンスのあるオバマ大統領は、政治家としては幸運ですね。A New Beginning と言うのは、すごく印象に残る言葉として発せられています。

細野秀雄先生は、本当に正直に、「化(科?)学者にも功名心はあるのです」と仰ったが、その功名心の権化でもある政治家が、功名心だけではなくて、歴史とか哲学的にも正しい方向へ動いてくれると、その影響下にある国民は、幸せです。日本国民は、そういう政治家を頭に抱いていませんが、それでも、その不幸せ感覚は、北朝鮮に比べれば、まだ、まだ、小さいほうでしょう。   2009年6月7日      雨宮舜
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『麗しのサブリナ』GM破綻の今、アメリカの黄金期を回顧する

2009-06-07 00:04:39 | Weblog
 以下の文章は、グラン・トリノを見る前に書いていたものです。火曜日にこの『サブリナ』を見ているでしょう。ですから、グラントリノより、おっとりしたアメリカ観察となっています。私はアメリカの市民(平均的な国民)は好きなのです。サブリナに登場するのは、平均的な市民とはいえませんが、この映画を見て、楽しんだのは平均的なアメリカ国民です。では、その文章をお読みいただきたく。

 私は、朝は新聞を読まないのです。で、テレビ番組の予告も知らない。が、火曜日(09-6-2)の夜になって急に、この映画が放映されることを知り、迷いました。現在自分が抱えている気分とは随分異なるニュアンスの映画です。大甘の恋愛映画でしょうし、ハッピーエンドで終わるでしょう。そんな映画を見るのに、自分の時間を割くのが正しい選択であるのかどうかを迷いました。でも、公開当時一世を風靡した映画です。

 どこにその秘密があるのかを探るという目的を持ってみれば、時間は無駄ではないと考えて見始めました。結論を言えば、時間は無駄ではなかったのです。そして、さまざまな感想を得ました。私が考えた事を逐一ですが、お話をさせてくださいませ。

1、「これは、オードリーの映画の中で多分、第二位であろう。特に肉体的な、美しさを表現したものとしては、第二位であろう」と感じました。『昼下がりの情事』や、『マイフェアーレディ』のように、洗練されたコスチュームの中で映える彼女より、より生々しい原初の美しさを感じさせました。

2.彼女の横顔が、中原淳一描くところの、美少女と瓜二つであると言うこと。最近中原淳一の再評価が進んでいますが、横顔はまるで同じでした。だから、当時の、日本人少女に大きな人気が出たのが理解されます。予行演習と言うか、準備段階があった上での、現実の人間として彼女のREVEALですから圧倒的な人気が出たわけでしょう。

3.筋、特に恋愛に関してですが、結末を予測してそのとおりになりました。誠実で真面目な兄、(ハンフリー・ボガート)と、奔放なプレイボーイの弟(ウィリアム・ホールデン)のどちらを選ぶかの推定ですが、私の思ったとおりになりました。

4、さて、どうして、このような大俳優(男優陣)と新人が共演できたかが不思議で、今、WIKIPEDIAを検証すると、彼女の選択が影響をしていて、ハリウッド(パラマウント映画社)がどれほど、彼女を必要としているかが、見えてきて、それは面白かったのです。

5、彼女はロンドンでバレーの修行をしていて、その頃、背が高くなりすぎて、将来プリマを取る可能性がなくなり、失意のまま脇役をこなしていたのですが、その縁で当時リヴィエラに滞在していたコレットの目に止まり、彼女の原作による、ブロードウエイ・ミュージカル『ジジ』に抜擢をされ、トニー賞を、既に得ていたのが大きい原因でした。

 当時はバレーや、演劇(ミュージカル)より、映画の方が芸術として低くみなされていたそうです。オードリーは大変頭の良い人で、価値観がしっかりしていて、何が良いことであるかを知っていたと考えられます。

 で、ハリウッド映画に出演することを拒否し続けていたために、これほどの、大もの、スタッフが用意された模様です。映画は白黒で撮影をされており、『風と共に去りぬ』を既に制作済みのハリウッドとしては、小品に当たるのかもしれませんが。内容が濃くて、相当に力を入れた作品と思われます。

6.裏話として大変面白いのは、どこかのブログに、ハンフリー・ボガートがあらゆる意味でこの映画を気に入らなくて、撮影が大変だったこと・・・・・が、書いてあった点です。既に、名優として評価が高かったであろう、ハンフリー・ボガートがケーリー・グラントの代役として突如起用をされ、ほとんどのスタッフ・キャストとそりが合わなかったというのは、映画のかもし出す・甘い恋愛コメディと言う総雰囲気から考えても、頷けるポイントです。

7.で、同じく裏話の一つですが、撮影用豪邸として当時のパラマウント社長の実際のお屋敷が使われたということ。アメリカの大富豪の生活を傍見する事が出来たのと、脚本の中に、上流階級と、運転手と言う使用人に当たる階層の、違いをきちんと書き出している事が、面白い。

 恋愛コメディの達人、ビリー・ワイルダーが、実はユダヤ系であり、母、および祖母、そして、母の再婚相手が、すべてアウシュビッツで殺害をされたらしいという事が、唯一伺われるシヴィアーな、かけら部分です。

8.そういえばオードリーもこんな軽い映画に出てはいるが、実生活では、ナチズムの迫害の影響を受けている・・・・・と言うのも意味深い事です。表層に現すもの、特にお金儲けの世界との妥協と、それ以外の部分ですが、

 ハンフリー・ボガートなどは、その一致と不一致の面ではとても恵まれた人生を送ったほうでしょう。それは、彼はもともとのアメリカ人であり、ニューヨーク出身であり、医者の親を持つなどの・・・・・余裕の現われが原因だったと思います。

 ビリー・ワイルダーも、オードリー・ヘップバーンもアメリカと言う社会に対して、一種の(過剰)適合を成し遂げた存在であり、だからこそ、軽いコメディを制作したり、演じたりする事ができた。

9、最後になりました。これが、一番感銘を受けた点ですが、歴史が変転すると言う点です。アメリカのよき時代・・・・・上流社会と言うか、大金持ちが肯定されていた時代と、今、GMが破綻をして、・・・・・・それを、ドキュメンタリー番組や、W・ムーア監督の作品として、もしかしたら『苦々しく』、一方で反対に、『ざまあ見ろ』と思っている、世界の観客の目を奪っている、今・・・・・と言う時点の違いです。

 この『麗しのサブリナ』では、正面切って大富豪の生活が肯定されています。しかし、相当にお品がよくて・・・・・そうですね。同じ頃制作をされたであろう、『上流社会』などよりは、ずっと、品がよいです。そして、歴史・変動の波に耐える映画となっています。スタッフ・キャストに、祝福と尊敬を捧げたい映画でした。この映画に投じた私の時間は無駄では無かったようです。
  では、2009年6月3日 送るのは6日土曜日の深夜、

 なお、海外にいらっしゃる方のために言えば、今日は、22時間で更新していますので、良かったら下の文章も読んでいただきたいです。          雨宮 舜
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『グラン・トリノ』中の、悪態の数々と、音楽の崇高な喜び

2009-06-06 00:08:31 | Weblog
 昨夜は、『今日は疲れた。明日、グラン・トリノについて書いて、今は、ただメールチェックだけをしてからすぐ寝よう』と思ったのです。でも、首席補佐官D.Acelrod からのメールが来たのが、タイミングが良すぎたので、そちらに気をとられ、映画『グラン・トリノ』のもっとも大切なメッセージを先に言ってしまいました。

ただし、まだ、ご覧になっていない方のために言えば、映画自体は決してお説教じみてはいないのです。抹香臭くない面白い映画なのです。今、二番館でやっていて、口コミで人気が高まれば、その上映時間の一部を割き、引き続いて同じ場所で(たとえば、朝一番だけ、とか、レートショーとして、)公開をされ続けると思いますし、少数ですが、三番館にも回るので、おせっかいながら、ぜひインターネットや「ぴあ」で探して劇場で見ていただきたいと思います。

 理由はエンディング字幕と並行して流れる音楽を、是非劇場で聴いて欲しいからです。それは、DVDを自宅で見るとき、または、将来のテレビ放映を自宅で見るときには絶対に味わえないであろう、崇高な喜びの瞬間だからです。

 昨日の映画館の中でも感じたのですが、その5分間に、観客が誰も立たないところに証明をされています。「せきとして声もなし」はまさにこのことかと思うほど、客席はシーンとしています。

 スクロールしていく画面を追いながら歌詞としては、五番まであるような長い曲が、一番はクリント・イーストウッド自身の声で、二番以降は、イギリスのジャズ・ボーカリスト、ジェーミー・カラムで歌われます。つまり、主役の老人と、タオ少年が歌っているかのごとき印象を与えながら、、静かに、歌われ続けます。

 楽曲自体は息子のカラム・イーストウッド+息子の仲間マイケル・スティーヴンス+ボーカリスト自身+その仲間、ドン・ランナーの四人で作り上げているそうですが、この映画は、一種の音楽映画となっていると、極言したくなるほどの、良い曲です。

 最初にカソリック教会のパイプ・オルガン演奏で始まって、途中ではほとんど、随伴音楽が入りません。だから、その最終曲が、余計すばらしいのです。音楽の登場はノンベンだらりでは駄目です。効果が半減する。

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 とは、言っても全然上品ではないのです。全編、せりふとしては悪態の連続です。早口で話し言葉としては伝達量が多い、英語の特徴をもろ生かした毒舌が、速射砲のごとく連続します。チンピラ(やくざに近い)同士のやり取り、アメリカの少年社会の真実、イニシエーションと言う言葉が出てきますが、日本のリンチ殺人事件もほとんど、これと同じ現象であり、これと同じ経緯で進むのだろうと思われる画面で、数々の悪態がぶっ放されるのです。

 しかし、その傾向はなんと、親しい間柄でも繰り返されるのです。悪たれの連続が親しさを表す、尺度ともなっています。人種差別用語が飛び交う床屋の場面です。ここら辺りの表現は、学校英語では、絶対にマスターできないところです。

 でも、これが二回目として現れるときに、私は突如ですが、その使用が伏線でもあることに、気がつきました。効果的に伏線として使われているところとか、他にお風呂などを含めて四つほど、ラストシーンへ向かって張られているのですが、勘が特別に強いといわれている私は、この床屋での、二回目の場面と、その30分後に出てくる仕立て屋の画面で、恐るべき逆転のラストを、推察してしまいました。

 だから、映画製作者側が期待をしていたほどには、終わった後では、泣けませんでした。私は常に、「滂沱と涙が流れる映画(もしくは本)を最高の位置に置くのです」とは、申しておりますが、でもこの『グラン・トリノ』が作品として、最上級のものの一つであることは、疑いも無いです。

 クライマックスの筋(真実)を明かさなかっただけでも、お許しいただきたいのですが、立派な映画で、そのメッセージは今のアメリカにとって、これを表現するのは・・・・・最上の精神の結実であると思えるのですが

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 ところで、昨夜のホワイトハウス、首席補佐官、D.Axelrod からのメールですが、あけてみたら内容は簡単で、オバマ大統領のカイロ大学での演説の動画を見るように勧めてあっただけなのです。で、今その動画を開いてみたところです。一時間以上あるので、後で、暇になったらじっくり見ますが、最初の五分間だけでも、すばらしいです。現状・・・・つまり、イスラム世界との間で、コンフリクト(争い)があると言う、現状をはっきりと言葉に出して上で、「しかし新しい状況を招こう」と力強く言う・・・・・バラク・フセイン・オバマ大統領。

 ホワイトハウスからのメールはOCNニュース、もしくはヤフーニュースで、その日本語の項目を開いた人、全員に向けて発想をされたのではないかと、今冷静になって思いなおしています。機械的に発送をこなされたものであろうと、考え直しています。

 ただ、『グラント・トリノ』を見たその夜にそれが、送られてきたものですから、ビックしてしまいました。私の方に、自身の予行演習となってい留、アメリカ再生へのあつい希望があったので、そこへ飛び込んできた、大統領の演説でしたから。

 特別な因果関係を感じたのでした。アメリカの特に精神的な状況の改善、それがどうしたら、もたらされるのか、・・・・・・・そこには、ガンジーが築いたような深い精神世界が必要である。高潔な精神世界が必要である・・・・・・と言うことを、娯楽作品を通じて、メッセージとして、送った、クリント・イーストウッドには、正直に脱帽をします。

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 あの『麗しのサブリナ』が撮影された頃のハリウッドを抜け出して、違う路線で生きてきたこと。イタリアでマカロニウエスタンに出演したこと・・・・・などから、「もしかしたら、最初から思慮深い人であり、あったのであろう」・・・・と、プログラム上で大勢の人が言っていますが、それこそ、ウィリアム・ホールデンや、シュワルツネッガーとか、とは、まるで違う人生であったようで、その賢さが、彼をこの傑作を生み出す地点にまで到達をさせたのでしょう。

 非常に早くから、彼独自のプロダクションを作っていた模様です。マカロニウエスタンの興行的な成功で・儲かった多額のお金を、そちらの資金へと向けた模様ですが、プロデューサーとしては、商業的な、(お客に受けて儲かるという)側面にも配慮があった模様です。

 そういう長い日々の積み重ねの上に、傑作が、天からのご褒美として与えられたと私は感じます。芸術作品の成功とは、時間や、お金を掛けるだけではもたらされません。その人の毎日の生き様が反映します。

 ところで、映画や演劇、また、テレビドラマの成功は、脚本のよしあしにも左右されると、はっきり感じますが、この素晴しい脚本を書いた人は、新人のニック・シェンクです。アメリカ中西部での実体験が下地になっているそうですが、しかし、換言すれば「観てきたような嘘をいい」の結果です、ただ、書く人の才能とは、そういう象徴化、フィクショナライズにもありますね。

            2009年6月5日    雨宮 舜
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『グラン・トリノ』を見た日に、W.H.からメールが来て

2009-06-05 01:57:58 | Weblog
 皆様のところにも届きましたか? 09-6-05 の0時6分東京発、A New Beginning と言う題のメール。ホワイトハウス発のもの(?)を、東京から発信しなおされたもののようです。まだ、全部は読んでいませんが、我が家ではオバマ大統領に対する評価がどんどん上がってきていて、「やっぱり、ちょっと普通の人とは違う使命を負っている人だ。神の申し子の一人ではないか?」と認識をし合っていますし、ウエブ・ニュースで、大統領のエジプトでの演説を知り、OCNの日本語タイトルが間違っていると思ったりしていた最中なので、ちょっとタイミング的にびっくりしました。

 そのタイミングなのですが、二重にびっくりしたのは、今日、私は、映画『グラン・トリノ』を見て、アメリカに対する一縷の希望を抱いて帰ってきたところだったからです、『アメリカは精神的に成熟する方向で変るかもしれない』と感じた直後だったからです。つまり、ヨーロッパ諸国が現在持っているだろう、精神状況へ、進んでいくと感じたからです。

 ちょっと威張りかえりすぎていたアメリカ、独りよがりのところもあったアメリカ。そこから、違うアメリカが生まれてくるのではないかと感じました。覇権主義、グローバリズムの権化としてのアメリカ。そして、深く潜行する形ですが、日本にも大きな支配を及ぼしているアメリカ。

 そういうアメリカがシチズン(市民と訳されているが実質的には国民を指す)の集合体として、他国を理解し、他国と平等の立場として、進んでいく成熟した国として、再出発してくれるのではないか・・・・・そうすれば、世界の人がどんなに、数多く楽になるであろうと、感じていて、・・・・・その方向へ変って欲しいと祈っている・・・・・最中に届いた、ホワイトハウスからの、メール。

「どうか、アメリカよ。怖れないでください。あなたが正しい方向へ進むとき、大きな力があなたを支援するでしょう」といいたいです。報復を怖れず、アメリカの方が先ず寛容であってほしいです。

 映画『グラン・トリノ』へ戻りましょう。皆様は既にご覧になっておられますか? そうだったら、私が何も言うことはないでしょう。でもまだ、ご覧になっていない方のために、あえて言えば、そこに込められたメッセージは、まさにアメリカの典型的な一市民(一国民)が、より広い視野と、より高潔な目的に生きる姿を描き出していますので、しみじみとした感動と希望を与えられるのです。

 私は恐れ多くもですが、一日本人として、DARELY and BOLDLY に言わせていただきます。「私も一日本人として、日本の片隅から、アメリカを、特にその精神的な成熟を、見守っています」と。それは『グラン・トリノ』の中で主人公、ウォルト・コワルスキーが、隣家の黄色人種系・少年・タオを、見守っていた姿勢を見習い、そっくりそれを真似して言う言葉であり、行動です。

 私はクリント・イーストウッドほどえらくは無いです。仕事上の実績も名誉もありません。でも、イーストウッドが映画の中で造型した、ウォルト・コワルスキーとは、対等だと思います。ウォルトが、頑固で嫌われ者でもある普通のアメリカ人だとすれば、私もこだわりを持ち、一種の嫌われ者でもあり、だけど、内面で祈る事を知っていて、高い目標を、自分の中にも、そして、社会の中にも、そして、国に対しても求めている、一人の普通の日本人なのです。

 最近、湊宏先生、および細野秀雄先生に関して書き皆様に送りました一連のメールの中で、「下のものが上のものに、影響を与えることもある」と繰り返し申し上げました。良いことをする、正しいことをするに当たって、上も無ければ下も無いはずです。社会的な上下関係とは別のところで、祈ることは出来るはずです。

 難しい事です。日常生活の中で、常にそれを目指すことなど、とても、難しい事です。でも、高みを目指しましょう。あの映画を見た人は誰でも、その方向で生きていくために必要な、大きな励ましを、主人公、ウォルト・コワルスキーから与えられたはずです。

     2009年6月6日     雨宮 舜
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化学が哲学へ繋がる・・・・・細野秀雄―3

2009-06-03 23:57:22 | Weblog
 細野先生の素晴しい点は、失敗したときの処理の健やかさと言うか、勇敢さです。画面上では現れなくて、ただ、言葉によって説明をされたのですが、過去にフライングがあったそうです。・・・・・ある手兵が、実験した結果を学会で発表してしまった。その後で、再実験で同じ結果が出ない。・・・・と言うことは『あの実験が失敗だった』と言うことと同義語なのです。一回だけの特別な例だったか、見落としがあったのかはわかりませんが、製品の工業化などを目指すのなら、実験室・規模でも、同じ事が繰り返して起こらないと駄目です。

 東工大と言うのは、特に工業製品化に繋がる実験をしている可能性があるので、これは、先生にとっては、大きな失敗であったのです。それをどう修復するかですが、・・・・・もし、工業化を申し出でる会社があったら、その会社に個人的に説明をして、企画の進行をとめてもらう。けれども、学会の発表(論文)の方は取り消さない・・・・・というのが普通だと感じます。ほうっかむりをして責任を取らないで、いるわけですが、そういう例は、世の中には、あまたあるはずです。

 ところが、細野先生は、次の学会で、公的な謝罪をなさったのです。

 これは、本当にすごい事です。その間(つまり、間違いに気がついた後で、次の学会までの一ヶ月間)は、記憶が全部抜けているそうです。それほどの修羅であったのですが、のちのちを考えると、一番正しい選択をなさったのです。それが何時のことだったかは、私たち視聴者には知らされませんでしたが、その修羅場を乗り越えた上での、現在(55才)であるのです。

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 細野先生は現在が恵まれているからこそであろう、正直の権化です。で、今回の取材に対しても「これは、画期的な製品が出来るはずのプロジェクトです」と最初に仰って、片野君の実験を取材させます。その方式が例の密着取材と言う形で、片野君が徹夜した明け方にも取材をします。私は、これは、大嫌いな手法です。

 何度も繰り返していっていますが、特にスポーツマンへの密着取材は気の毒です。重要な大会を控えているときの密着取材は、「これほど、残酷な試練は無いだろう」と思うほど気の毒です。片野君と細野先生のコンビはスポーツをやっているわけではないのですが、番組の編集作業等の要請で、実験が40日ぐらいで終わるであろうと言う目論見の元で、始まった密着取材が、4月10日と言うリミットに来ても、完成しません。企画が予定された筋書き通りには、成功しないのです。

 細野先生は悩みます。それも密着取材をされるわけですが、そちらはまだ、大人であるので、私は見ていて、耐えられたし、細野先生も、正直にその悩むポイントをカメラ(視聴者)にお話をされるので、好感を与えること著しかったのです。
 つまり、『この物質は出来ない』と判断して、この企画そのものを廃棄するのか、それとも『物質は出来るのだが、その前に壁がある』といって、『手法を変えれば物質が出来ると思い、さらに続けるのか』の判断を、そのリミット前後に下さなければなりません。

 そこに大きなドラマがあるのですが、私が見るところ、細野先生は『ほとんど、諦める』方向に傾いておられた模様です。それを、片野君に告げたあとで、片野君の方が、『まだ、放棄しないで、さらに工夫を重ねる』との決意を示した模様です。

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 さて、その悩む過程で細野先生はすばらしいことを仰ったのです。それは、実験用の材料についてですが、「高価な物質を原料とすれば、実験が成功する可能性はある。しかし、自分は炭酸カルシュームと言う、安価でどこでも手に入れられるような、素材を利用して、新しい物質を作りたい・・・・・その理由は、普段どこにでもあるような物質から、新物質を合成すると、公害の発生が少なくなるから」・・・・・と。

 これは、私のような、門外漢には、推定できない真理です。その道の専門家でないと、分からない真理です。だけど、そんな大切なことを門外漢に非常に分かり易く説明をされる細野先生は、キーワードとして「私には、こだわりが、あります」と何度も仰るのです。そのこだわりの一つとは、若き日に宇井純さんと交流があり、『人の役にたつ研究者になりたい』というあつい思いを抱かれた点です。だから『公害は避けたい』と常に思っていらっしゃいます。

 ただ、工業生産と公害の発生は切っても切れない関係にあります。今、東京圏の空気がきれいになっていますが、それは公害を防ぐシステムが発達してきて、お金を掛けて、水や空気をきれいにしているからですが、その「公害の発生を、出来るだけ抑えたいから、高価な原料を使わない」という姿勢は、ロマンチックでもあり、そして、大変純粋でもあります。

 人間が生きる、特によりよく生きるためには、愛情も大きな要素ですが、信念とか、哲学と言うものを持つことも大切です。細野先生は控えめに、「こだわり」と仰るがそれは、信念であり、哲学の域に達しています。ご立派なことでした。見本にしたい生き様です。

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 ところで、このメルマガの読者にはアート関係者が多いので、蛇足ですが付け加えると、化学合成に成功した瞬間とは、特別に良い作品がひょいと出来たときの爽やかさと、よく似ていると思います。そこに至るまで何ヶ月間、ときには何年間も、苦労に苦労を重ねるのですが、突然雲の裂け目が見えたように、スカッとするときがあります。そのとき目の前にある作品が、成功した作品であると言うことは、作った本人が一番よく知っています。そして、そこまでに到達できた自分を祝いたいと思ったり、ほっとした感じを抱くのですが、それこそ、彼ら化学者が、合成に成功した瞬間と、良く似ているでしょう。     2009年6月3日      雨宮舜
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知の平等とは?・・・・・細野秀雄の2

2009-06-03 01:11:08 | Weblog
 細野秀雄先生は、NHKプロフェッショナルの取材に対して、一つのプロジェクトを立ち上げます。その最初期には、素晴しい実験結果がもたらされるという意気込みで始まりました。

 その担当は片野君と言う博士課程の一年生です。と同時に非常勤講師。片野君はいわゆるTeacher's Pet ですが、彼が選ばれた基準は、私にはいやみには取れませんでした。つまり、家柄が良いとか顔が美形であると言う基準ではなくて、彼の性格が実験に向いているというファクターだったからです。「楽天的である。そこが実験に向いている」と細野先生は仰っる。

 ところで、これは余計なわき道の一つですが、うちの主人が「お前は実験には向いていない。過去を引きずるから」と言いますが、確かに、文章を書くなどと言うことは、過去の記憶が大切になるので、一般的な言葉で言えば、雨宮舜(川崎千恵子)は、悲観主義の人となるでしょう。

 湊先生も楽観主義の方で、それは、「スキーが好きなことと、そのツァーのやり方に現れている」と大勢の弟子が言っています。

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 さて、片野君が非常勤講師だというポイントですが、これが、細野先生が一年間で60本の論文を書けるという・・・・・その秘密の要点です。学部学生と、修士課程の学生の卒論実験で、多分、30本程度の論文が書けるのだと思いますが、その数も細野先生が人気者だということを表していますが・・・・・

 後の三十本は、きっと、片野君のように、《家の子郎党と、既になった》研究室の仲間が、作り上げるのです。非常に下世話なたとえで換言すれば、江戸時代の『清水の次郎長一家』と言うわけで、細野先生と言うカリスマの魅力のもと、大勢の実力のある若者が集合するのですが、国立大学の定員と言うのは決まっていて、助教授(または、準教授)が一人、講師が一人か二人、助手が一人から三人だと思います。

 その定員内に入った人は、何等級何号俸と言う位階がついて、人間社会が構成する出世のシステムに組み込まれていき、年金等にそれが、反映するわけですが、片野君も細野先生もお互いに納得の上で、研究優先で、こういう形を取っているのでしょう。

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 細野先生の魅力は、具体的には、研究発表会の活発な主催と言うところに現れています。その裏に「知の平等を実践する」と言う思想が存在します。ここが、湊先生との私との間の、確執の本質でした。これもまた、墓にまで持っていく秘密の一つでしたが、湊先生の雷とは、「それは、僕の考えることで、あなたの考えることではない」と言うお言葉でした。

 私は実験がうまく行かないこと、ほとんど成果が無いことには気がついていて、『論文に書く内容がない』とかんじていました。それゆえに、化学反応について、一考察を加えることに最後の希望を託していました。それを、拒否されてしまったので、暗澹たる思いに打たれたのです。

 と、同時に、『あれ、湊先生って、アメリカで修行をなさった方なのに、意外と封建的だ』と思ってしまい、それが湊先生の下で働く将来への絶望へ繋がってしまったのです。

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 思いがけない展開ですが、結論を先に言ってしまうと、東工大において、現在、片野君と細野先生がコンビでやっている実験も、実は失敗だったのです。ともかく、NHKの取材中には実験は成功しませんでした。

 だから、化学者がアイデア倒れになることは多いのです。今までこの世に存在しなかった物質を作り出すという目的に動くわけですが、その物質ができないという結果に繋がることは多いのです。だから、湊先生を責めることも無いわけです。

 その実験が失敗した際に先生がどういう風に弟子を扱うかの差は、それ以前の人生に、苦労が多かったかとか、少なかったかによって異なるのでした。湊先生は順風満帆のエリートであり、細野先生は一種の苦労人で、しかもたたき上げです。そこが違うのです。

 湊先生は医者の次男、東大卒、ハーバードで博士号取得、30にして日本化学会の俊英として、国際会議の通訳をほとんど、全部にわたって務める。しかも番組数が少なかった1960年代の初めに、NHK教育チャンネルで人気番組を持つ。そして、30歳にして既に、助教授である。そして、私にその雷を落とされたときに、まだ、32歳でした。

 一方の私の方は、厚手の原書で講義を受けていたとはいえ、化学に関する数科目の講義を受けただけの、全くの初心者です。今思えば、あの雷は『むべなるかな』であって、私が、社会人としての経験が豊かであったら、簡単に、乗り越えられた雷だったかもしれないのです。特に、計算をする人であったら、あんな発言ぐらい気にしないで、しがみついているべきだったでしょう。

 でも、片野君と違って、私は叱責に弱いタイプなのでした。「過保護で育ちあがっている」と後年よく言われましたが、その弱さがここで、露呈をしてしまいました。今、66歳になっていて、「打たれ強いですね」と言われるほど、変化していますが、若い時は純真だけでした。ただ、山本某ほど馬鹿ではないのです。だから、湊先生を恨むなどと言うことはありません。「結婚式に出席をしてください」とは、あっさりとお願いできることであり、そこで、素晴しいスピーチを頂いたのも予測の範囲であり、お互いは、(実験を別とすれば)、明快な許しの元に生きていたのです。

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 ところで、私は東大では、瞬間的ではありましたが、「知の平等」を体験しました。教授は湊先生以上に封建的な方で、普段は威張りかえっていらっしゃいましたが、論文翻訳のために開かれた三者懇談会では、『知の平等』を許し実践してくださったのです。今、どうしてあれが実現をしたのだろうかと推察をめぐらせると、恐れ入りますが、はっきり言って、私の誠実さがもたらした結果であろうと思います。

 つまり、そのシゴトは、私の手柄には一切ならない仕事です。論文の書き手としては、名前は出ないのです。実験をした当人ではありませんから。ただ、書き方において、お手伝いをするだけです。この点が、東大の方の教授のお名前を、ここで出さないポイントでもあります。


 ただ、私は中学時代から国語の先生に「文章を書く能力がある」と認めていただいていたので、良い文章として仕上げたいのです。本能として、そうなります。そのためには、機械的に翻訳する事ができなくなり、日本語の段階から英語向きなと言う点で、好い文章にしておきたくなります。となると、学問(実験)の中身も理解しておかないといけなくなります。

 学者と言うのは、細野先生も、正直に、それをしかも何度も仰ったが、功名心と言うのを持っているのです。しかし、それとは無縁に、ひたすらに働き努力をする私の姿を、教授はやがて、『いとしい』と感じ始めてくださったのでしょう。それが私の公務員としての、定員化へと、繋がったのでしょうし、目下の人間を平等に扱う『知の平等』の世界の実現へと繋がったのでした。

 本当に口幅ったい言い方で恐れ入りますが、目下のもの=若いものが、目上の存在、に大きな影響を与えることはあるのです。細野先生も「極言すれば、若い人の生き血を吸って生きているのです。だから、僕には大きなエネルギーがある」と仰いました。面白い表現ですが、大学と言う世界の、明るい方の、一つの真実を言い当てておられます。

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細野先生の最も素晴しい側面は、失敗したときの事後の処理の仕方です。それについては次回に述べましょう。では、2009年6月2日               雨宮舜
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細野秀雄(輝ける科学者)-1

2009-06-02 01:14:56 | Weblog
 NHKプロフェッショナルをだいぶ視聴していなかったのですが、偶然26日(火)曜日に録画していたものを、昨日31日(日)に観ました。

 驚きました。現代日本にも、こんなに素敵な人間がいると知って。この方は、都立大学出身だそうです。年齢と、湊先生が亡くなったときを比較すると、一科目ぐらいは、湊先生の授業をとっていらっしゃる可能性はあります。ただ、この方の人生を決定したメンターは、宇井純さんだそうです。

 宇井純さんは、当時、東工大の教授であり、(ただし、主人に言わせると、文科系の科目の教授だったはずとのこと)で、水俣病の研究や告発をなさった方です。マスコミ的にも有名だったので、文科系の科目の教授だった可能性は高いです。

 今回のプロフェッショナルの番組内で、細野さんの言葉として、最後の方に、「自分の名前のついた法則が出来たら、嬉しいじゃあないですか、たとえばオームの法則みたいに」と言う言葉が出ましたが、学者と言っても、理工系の学者は、大衆に名前が知られるのは、本当に希少であって、文科系の教授の方が大衆的に名前が知られ易いですね。

 そして、細野先生も一種の冗談として、上の言葉をおっしゃっているでしょう。ご自分でも「現場の人間は・・・・・うんうん、かんぬん」と言う言葉が出ました。物理とか、物理化学とか、数学とかではない分野のサイエンスは法則化はしにくいのです。ファラデーの法則、ニュートンの法則、アインシュタインの法則などほど、人口に膾炙した法則は出来にくいのです。細野先生は、化学者(材料工学専門と言っても、合成を目指すなら、化学者です)ですから、湊先生と同じく、簡単に法則化できない分野の方なのです。ただ、ご自分の困難な時期に、ご自分を励ますために、ああおっしゃっているのでしょう。

 でも、「成果を挙げたいからがんばる」というのは、どんな分野でも、最先端にいる人間にとっては真実であり、それを、あっさりと明かす細野先生は、ご自に、今、相当日が当たっている立場であるのを、潜在意識の中でしっかりと、ご存知なのです。まあ、それは、今日は、わき道のひとつだとして。

 公害の問題で、宇井純さんと細野さん二人の間に出遭いがあって、「同じ公害の研究をしたい」と、細野さんが言うと、「公害は現代の問題です。あなたは未来の問題を研究なさい。そして、テーマは自分で見つけなさい」と宇井さんが仰ったそうです。その忠告もすばらしい。本当に最先端で、本当の自信のある人の発言は、いちいち、『そのとおりだなあ。それが、最高の答えであろう』と言うものとなっています。

 そのころ、細野さんは高等専門学校に通っていたそうですが、(それは、中学時代までは成績が悪かったので?)一念発起して、都立大学へ入学をしなおしたそうです。新しいご自分自身のテーマを見つけるために。ここでもわき道にそれますが、意外にも高校時代に受験勉強をしない人が、後に大物になる可能性は大きいのです。田舎に住んでいて、情報が少ないと受験技術は発達しないので、東京に住む少年ほど、大学が身近ではないかもしれません。いずれにしろ、今、細野さんが、すごいレベルで働き、研究成果が上がっているのは、動機付けと言う意味で、今では、すばらしいものが毎日生まれるからですが、無駄な勉強で痛めつけられていないことも、大いに、プラスになっていると、私は考えます。

 四国の高知県出身の西原理江子さんが、学者ではないものの、すごい活躍ですが、あの方を見ていると、地方出身の人の良さをつくづく感じるからです。東京圏で、育った人間は、洗練はされているが、タマとして言えば、人間は小さいです。

 ところで、細野さんは、材料工学の教授だそうです。昔、私たちが勉強していた時代は、理学部系統では、有機化学と、無機化学と、物理化学の三つに分けてあり、工学部系統では、応用化学(石油を原料とする)と、電気化学(蒸着などを研究する)とかに、分けてあったのです。湊先生は、ご自分一つの研究室で、それらの各分野をなさっていたと感じます。私に命じたことは応用科学の分野(トルエンなどは石油が原料です)とか、他の学生に命じた分野で、統合的に広く、研究をなさっていたのですが、

 細野秀雄さんは、その昔の言葉で言えば、いわゆる無機化学と、電気化学の統合された分野であり、材料は、主にセメント系の形に仕上がるもの(昔で言う無機の物質)を合成しておられるようです。しかし、セメントと一口に言っても、その性質が特別なセメントであり、電導性を持つものなどなのです。特に超伝導の分野で、昨年もっとも論文の引用(または、読まれる数)が多かった方であり、大衆的にその偉さを分かり易く表現するために、「ノーベル賞候補だ」とよくいわれているそうです。このノーベル賞候補と言ういい方は、私は、好きではありません。細野先生も「candidate is candidate 」と、英語で海外の学者に仰っていました。よくわかっていらっしゃる。そういう大衆迎合的な評価など、どっちでも良いのです。そこも、最先端の渦中にいる人であることを証明していて素晴しい。

 たまたま、湊先生との思い出を考えあぐねたばかりですから、そういう飾りがつかなくても、細野教授のすごさは、とてもよくわかりました。それを次の回に書きたいのですが、ここで、ちょっとテーストが変りますが、湊先生の写真を探していたら、たまたま見つかった当時の私の(スナップ、ただし、一種の)お見合い写真を展開させてくださいませ。

 この写真は化学とも細野先生とも、関係がありませんが、少しだけ、湊先生とは関係があります。

 つまり、きちんとしているということ。それにどんな意味があるかと言うと、私は今、全くおしゃれをしない人となったのです。だから、昔が結構懐かしいとなります。今、毎週二回銀座に出没していますが、桁外れにおしゃれではなくなっていて、

 先週ですか、村松と言う有名な画廊で、高校時代の同期生・内藤松子さんが立体の大作を展示されていたときに、同じ同期の友人が二人見えていたのですが、それこそ、ハイソな主婦として、きちんとした格好をして現れていらしたのに、・・・・・比較して、私といったら、(結構自分では色はきれいだと自認をしているものを着ているものの)、日本のハイソな主婦には理解がしがたいであろう、ニューヨーク風アーチストタイプの格好なのです。ま、それを悲しんでもいないのですよ。融通無碍になっている。でも、客観的に観れば劣っているでしょうね。それは認めます。

 しかし、40年前は本当にきちんとしていたのです。上は、生地は英国製の木綿で、デザインは自分で考案しています。仕立ては洋服やさん。私は体型が細すぎて、当時の既製品はまったくカラダに、合わなかったのです。赤い靴も銀座で買ったでしょう。「私服はいいものを着ているわね」と友達に言われていて、そのくらいおしゃれをしないと、自分でも、気持ちが悪かったのに、今は違うのです。広義の意味での、勉強にばかりお金を使っていて、洋服を買いません。靴も安物ばかり買っています。

 では、今日は珍しい形で終わらせてください。次報では、また、普段の私に帰って、真面目に、細野秀雄先生のどこに感心したかを書くつもりです。2009年6月1日   雨宮舜
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