銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

戦時中のドラマに、長髪・パーマで主演する大泉洋君

2009-06-25 23:57:51 | Weblog
 最初にお断りをさせてくださいませ。今日は相当真剣にものを言っています。それで、私の文章のうち、ほんわかした癒し系のものをお好みになっておられます方は、お読みにならないでくださいませ。政治の話です。

 映画『アフタースクール』が、彼にもたらした、意外な産物(?)

 今は2009年の6月です。各テレビ局は、終戦記念日に向けての特別ドラマの編集作業の最中でしょう。ところで、それについて、思い出があります。それは、2008年のその一つに主演をした大泉洋君が、彼のトレードマークである長髪・パーマのまま、主演をした事です。番組宣伝の段階でそれを知り、番組そのものは見ませんでした。が、この事実は彼の、その童顔からは決してうかがい知れない、かつ、予想を覆す傲慢振りを現していて、その傲慢振りが、どこから来ているかを、今日は問題にしたいのです。

 私はなるべくなら、人を褒めたいと思っています。だけど、自分の生死に関わるほどの被害を受けているときに、それに関連した社会現象については、相当な、批判精神を展開するのは、皆様にもお許しいただけることだと感じています。

 ところで、今日の論陣を張る前に、大泉洋と言う存在について、知らない方もあるといけないので、簡単にまとめてみましょう。彼は2008年公開だったと思う、映画『アフタースクール』で主演をしました。その前に、北海道をキー局とした『水曜どうでしょう』と言う深夜番組(ドラマではない)の主役を務め大人気を博した人だそうです。背は高いものの、顔は童顔で、だまされ易い性格を売りにしている好人物。・・・・・以上がWIKIPEDIA等を総括した結果です。

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 映画『アフタースクール』が公開されたときは、メディアは、大いに盛り上がり、素晴しい映画だと宣伝をしました。監督、うちだけんじは、サンフランシスコで、勉強した人で、三年前の『運命じゃあない人』は、カンヌ映画祭で、四冠、日本国内で八冠を取った良い作品だったそうです。
35歳で撮影が始まった『アフタースクール』も、知的な意味で非常に高度なミステリー作品であり、「一度見ただけでは、内容が分からないはずだ」と、各新聞紙上で喧伝をされていました。そうまで言われると、それが理解できるかどうかを、試してみたくなるのが、私の常です。

多分ですが、私は筋だけなら性格に把握を出来ました。どんでん返しに継ぐ、どんでん返しの連続ですが、その筋の推移は把握できて、恋愛の実情も好感を持ちました。しかしですね。涙は一切出ず、かつ、読後感(見終わった後の感想)が、時間がたつに連れ、悪くなってきて、一年が経った今では、嫌悪感だけが残っています。

鎌倉のレンタルビデオショップでも、置いていない模様です。それはね。時が経つほど、人々の好感が失われていく映画だからではないかしら? 時間の試練に耐えない映画なのです。

どうしてかと言うと、あまりにも見事に、警察の宣伝映画となっているからです。<<<日本の警察は素晴しい、正義の味方であり、ハイテクを駆使する科学・警察である>>>と言うメッセージを、上品に、かつ、間接的に、国民に伝えるために、出来あがっている映画だからです。監督や脚本家が、別の意図を持って制作したとしても、結果として、そういう風になっています。

もし、今の普通の日本人が、駐在さんと呼んで親しんだ時代を思い起こすほど、警察を愛していたら、この映画の評価も違ってくるでしょう。しかし今の日本の警察は露出過剰です。キャンペーンの張りすぎです。そして、路地路地に、出没しすぎです。NHKニュースでは毎日のごとく、警察関連のニュースが報道された時期がありました。

事件ではない、宣伝の類の報道です。一番笑ってしまったのは、受付嬢を、民間会社に委託して、1500万円ほど倹約するというニュースです。例の校正事務次官殺しの犯人は、ショカツのさいたま所ではなく、桜田門に出頭したそうですが、そういう凶悪犯を、民間から来た受付上に扱わせるのですか? おかしいです。私は、そのニュースは、桜田門のビルの威容を国民に見せて、国民を恫喝する目的で報道をされているとさえ思いました。まあ、それはいいすぎだとしても、警察庁の受付嬢を民間に委託するなどと言う話をマスコミが批判をしないのも、非常におかしいです。

警察へのちょっとした批判も出来ないとしたら、それは、専制国家ですが、その命令系統のトップは首相でもなさそうで、それも非常に不思議な形態です。国民の税金でまかなわれているのが政府で、その政府の総務省の管轄下にあるのが、警察庁でしょう? 違いましたっけ。だから、国民が愛している上等な演技者・草なぎ君を逮捕するなどという、国民の心情からは、はるかに遠い処置が平気で行われています。

そして、NHKのニュース以外にも日経新聞等にも、そのハイテク振りをお知らせする連載コラムも登場しました。

首相までも逮捕されるし、有名人も逮捕されるし、国民は、何を見本にして生きて行ったらよいか分からない状態です。道徳的な自信と言うのを、失わさせられています。それは自分自身の尊厳さえ、見失いかねない状況です。『この国は、良い国だ。特に北朝鮮などと比べれば』と、そこはかなく感じていても、それが、実感としては、失われるがごとき、警察の圧迫感が、この国全体を覆っています。過剰です。あまりにも過剰です。

『この国とその国民が、尊厳と自主性を持った立派な存在には、ならないように』と、願っている他国がいるとしたら、今の状態は素晴しい状況でしょう。しかし、パリやニューヨークで暮らしてみて、普通の国民がもっと自信を持ち、尊厳を高く掲げて生きている状態を知って帰国した私には、これは非常に残念な状態であり、『この国では、現在、普通の国民は、精神的には、奴隷状態に置かれている』とさえ思うほどです。

誰も口には出さなくてもそう思っている状況下で、警察がすばらしいという映画を見せられても人気が出るはずがないです。

大泉君はただ、役をオファーされただけで、何も裏がないのでしょう。でも、こういう情報も目にしました。俳優と言うのは映画が公開される初期には舞台挨拶と言うのをします。そのときに客席から黄色い女子高生の声がして、「おおいずみ、くーん」と聞こえたそうです。それに対して、彼は、「おい、おい、それはないだろう」と思ったと、どこかに書いてありました。

その言葉だけで、『変だぞ、この人は』と最初に思った上に、終戦時のドラマで、例の長髪・パーマのままで主演をしたときに、『ちょっと違うなあ。この人は俳優としての本質を忘れているよ。芸能人が小ばかにされるのもよくないけれど、お客が自分を好きで対等に扱うのに反発をしてはいけない。そもそも、アメリカなどでは、教授でさえ、学生がファーストネームで呼ぶほど、お互いが対等なのだから。・・・・・終戦記念ドラマに、長髪をきらないで出演するなどとは、本当に視聴者を馬鹿にしている』と感じたのです。そして、それが、なぜなのかを考えたときに、警察権力に可愛がられている自信が、こういう態度をもたらしたと推定しました。だと、すれば、全く言うに言われないほどの警察の偏りを示しています。

もし、草なぎ君が逮捕されなかったら、ここまでは言いません。それに私自身が、石段を使ってしか登れない山の上に住んでいるのに、交通事故の調書を取られるという形で、・・・・・特に何も悪い事をしておらず、かえってこちらが被害者なのに、・・・・・脅かされると言う事実がなければ、何も言いません。そして、その後で、パソコンの事故が連続をしなければ、何も言いません。

だけど、今は言わせてください、現在の警察は、本当に偏っています。税金でその活動はまかなわれているはずです。税金は特定の特権階級だけが払っているわけでもないでしょう。すべての国民がそれぞれ、払った総額で、予算が組まれているはずです。その本質を思い出してください。一党一派、または、地域の特定の有力者をひいきするような、偏りを、止めてください。法律に基づいて、行動をするようにしてください。より悪い方を、処分の対象にするように、務めてください。
                   2009年6月25日     雨宮舜
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草なぎ君の逮捕は、創作活動への弾圧をも意味している

2009-06-25 00:00:05 | Weblog
 昨日、ホテル・ビーナスを論調しました。そのときに、踏み込まなかった筋があります。映画評論としては筋を明かすのはタブーですから・・・・・

 しかし、この映画は、五年前ぐらいに公開されており、時効になるとも思いますので、少し踏み入って申し上げます。この映画が、エンタメとして成功しているのは、いたいけな少女が重要なキーパーソンとなっていることにあります。

 この少女の名前は、一応サイと名づけられています。名前は重要ではないと最初に映画の中で、断られていますので、その国籍は不明ですが、全編韓国語で語られるということと、主人公がチョナンと言う名前であること。これは、草なぎ剛を韓国語読みするとそうなるらしいことと、彼が手紙を出すときの裏側の署名が常に、草なぎ剛となっていること、それから、昨日言ったように、最後に、英語かぶれの若者(香取慎吾君が演じる)が、秘密の場所、カフェ・ビーナスをチンピラ(最初は悪役で、後半では善玉となる)に問い合わせるときに、その英語をチンピラにただされるのですが、その際『郷に入っては郷に従え』・・・・・の換言として、「この国の言葉を使え」と命令しますが、その際に、この国=コリアと言う発音が私には、聞こえたので、仮想的に韓国が舞台となっているとも思えます。

 これは、後で、重要なポイントとなります。

 サイは、不思議な男性ゲンと一緒に現れ、心を閉じきっています。そのわけは、サイの母が病気になり、一種の委託殺人をゲンにお願いをして、それを、実行してしまったゲンが、経済的に生きていけない幼いサイを伴って、北の果てに逃れてきたという設定なので、サイは、殺人者としての保護者、ゲンを嫌い、心を閉ざしているのです。

 その事情は映画の最初では伏せられています。それで、観客と同じく事情をよく知らないチョナン(草なぎ君演じる)は、恐る恐る(おせっかいをしているのではないかと自分を疑いつつ)しかし、捨てて置けなくて、サイの心を解きほぐつべくいろいろと手を尽くします。

 それが、草なぎ君の優しげな持ち味を生かした設定となっています。それで、すべてが美しいところへ落着しそうに見えた瞬間に、ゲンは逮捕されるのです。最初には、それは、警官とは思えず、麻薬の問題とか、それを密売している悪人の存在とか、伏線がいろいろ、あって、怪しげな雰囲気になってきて、やくざに追われているかと仮にですが、見えます。

 その悪人側はすべて、韓国の俳優ですが、それもリアリティのある、素晴しい演技です。エンタメとして見事に成功をしているのは、一見すると悪人に見える彼らは実は、警察陣営であったというどんでん返しもあるからです。

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 この映画は全編で二時間を越える長尺ですが、そのクライマックスにいたるまでの、説明が見事になされているので、ゲンの逮捕が気の毒でならなくなり、観客の代表としての草なぎ君が警官たちに抗議をして乱闘にまでなりながら、ゲンを救おうとするのが非常にかっこよく見えます。

 こここそ、草なぎ君逮捕のポイントです。一種の警察批判であると警察が誤解をしている可能性があります。それゆえに、警察は彼の身辺をずっと探っていて常に、監視を重ねていた可能性すらあります。

 うがった見方でもあるでしょうが、私自身が、単なる芸術の文章を集英社のコンクールに応募しようとして、誰も通っていない朝の六時に、京橋の白山通りを北へ向かっていたら、パトカー2台に待ち伏せされて、威嚇をされたわけです。その後も身辺が怪しいので、実感として推察が出来るのです。

 私自身は芸術を専門としたい・・・・・極く普通の人間です。テロリストでもないし、政治評論家でもない、極く、平均的な日本人です。

 しかし、50年以上前から英語が好きであり、その結果、キーうちがものすごく早いです。で、パソコンで文章を書くのが楽です。ほぼ、頭脳の働きと同時進行的に、文章を書く事ができるので、文章の世界へ移行するようになりました。また、ものを考えるのが好きです。それと、海外で暮らしたので、日本の状況がおかしいなあと感じることも多いのです。

 それを書き続けています。それを怖がっている存在が、警察を使って私を威嚇していて、かけないようにしているのではないか、と感じるのです。つまり、表面上は自由であり、民主主義国家であるように見えるこの国は、一方で、国民が高度な心理操作を受けている非常に不自由な国でもあると思えます。

 いえね。このメルマガと、ブログの読者は、日本のエリートを選りすぐっていますので、あなたのご身辺は、安全でしょう。しかし、私の身辺は常に威嚇を受けています。そのきっかけについては、6月19日に、このブログの世界で書いた、猫の事をきっかけとして、悪人側(鎌倉の有力者)の方へ見方をして、山の中に住んでいる私に対して、交通事故の調書を取るなどと言う形で脅した警官二人の失敗にあるわけですが、その後、私の身辺に起きたパソコンの事故、(今もそれは続いていて、シゴトをやりにくくさせていますが、)が、もし、警察の手で行われたのなら、これほど、私が威嚇をされるのも、理由が頷けるのです。

 警察がやっているか、その背後にいる、国際的な、諜報機関、(昔の名前で言うCIA、今で言うエシュロン、または、全くその名前の知られていない組織)がやっているのかはわかりませんし、最近では、CCCに問い合わせたことをきっかけとして、ウィルス感染だと定義されそうになっていて、私は今ひたすらそれもチェックしているところです。

 シゴトへの妨害の結果、数台のパソコンを同時に、使っていますし、USBフラッシュメモリーや、モバイルディスクも使っていますし、せっかくCCCまで連絡をして、相手側から電話さえ貰っているので、ボットウィルスのチェックもするつもりで、その前に膨大なデータを保存しなければならないのに、CD保存装置を、昨日の午前十時から突然に、数度目のこととして壊されたので、非常に大変です。

 妨害とは、最近では、アドビ関連ソフトに向けて行われます。二年前の秋に、アドビ・イン・デザインCS2が突然パソコン内から消えてしまったりするし、これらの現象はウィルスとは思えず、

 そして、夜外出をして、公衆電話を利用すると、それが、自宅側でキャッチをされるらしくて、パトカーがお迎えに来る(例の威嚇のためですが、前照灯で二、三分停車して、私を鎌倉小町通りの鉄の井辺りで、待ち伏せをする、・・・・・などと言う現象を考えると、すべては警察が行っているとも推察が出来るのです。

 もし、警察ではないとすると、そのパソコン上の実際の妨害者が警察を手下として使っているとも思えます。どちらかは分かりませんが、私のパソコン内の被害を丁寧にここに書いたら、私が技術的に、クリエーターである事が出来ない可能性が生まれていて、それによって、言論を弾圧されているのが、皆様にもご理解を頂けるでしょう。

 まさか、日本人が日本人をいじめる、それほど、警察も馬鹿ではないでしょうと、二年前までは思っていました。ただ、そう信じると同時に、このパソコン事故の最初期から、相当な大物(組織)の関与も疑ってはいました。でもずっと、『警察もそれほど、馬鹿ではあるまい』と考えていたのですが・・・・・あまりに、威嚇を目的とした、ばかばかしい現象が続くので、

 『警察は、意外にも馬鹿であるかもしれない』と考え始めました。そして、私の場合はこちら側が全くの被害者であるにもかかわらず、加害者側が鎌倉の有力者と結びついているために、謝罪も無いわけですし、あまつさえ、攻撃側に回っているわけですから、

 『これじゃあ、冤罪は頻発するでしょう』と、感じるようになっています。

 数々の冤罪事件は、もしかすると、真犯人は出来の悪い、地元の有力者の子弟だったかもしれないのです。警察は真犯人を実際に見つけられないのかもしれないし、有力者の子弟が真犯人だった場合にはそちらをかばっている可能性すらあるのです。

 私が実際に、この鎌倉の山の中で経験していることは、アジサイ畑欺もう事件もそうですし、猫の窃盗(加害者が法律用語で、煙に巻くのが好きなので、彼の言い方をそっくり真似をすれば、持ち主が断っているのに、入れ込んでしかも隠して返さないというのは、一種の窃盗です)を契機に、起きた数々の現象から考えると警察は、

 文化人が多く住むといわれる鎌倉辺りでも、こんなに古い田舎っぽい処置しか出来ないのですから、ましてや足利辺りの本当の田舎だったら、そりゃあ、冤罪も起きるでしょう。

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 さて、どうして、草なぎ君が逮捕されたかですが、例のホテル・ビーナスであまりにも格好良く、警察と乱闘をして、足蹴りまで食らわせます。結局は警察が勝つのですが、心模様として、『警察も、情け無用だなあ』と観客が考える事を警察が、怒ったと仮定しましょう。『この映画は、舞台が韓国と設定をされているので、これを、<<<警察告発映画である>>>と誤解をするほど、日本の警察は狭量ではないであろう』と、昔は考えていましたが、最近では、『違う』と私の発想が変ってきました。

 例の小泉さんの靖国参拝を、あらゆる形で阻止しようとする動きが日本国内のメディアや、法廷を利用して行われたわけですが、その影にあの東京裁判を、後ろめたく思っている存在があり、それが、日本人のある部分を使って、小泉さんおよび、靖国神社、および、A級戦犯を、貶めている・・・・・と考える私の発想が真実をうがっていると、それを抑えたい組織や団体が、私を心理的に抹殺をしたくて、すべてを行っていると考えると、非常に分かり易くなったので、

 草なぎ君の映画程度でも、その影響力をかんがみて、かれを、しばいて、おこうと言う単純な発想を、警察上層部が抱き、その部下たちが、ただ、命令されるままに、動いて、ずっと彼を監視していて、落ち度があれば、すぐさま、逮捕したと推定するわけです。もちろん、この推察が間違っている場合も私は考慮に入れております。

 ただし、家宅捜索まで行うほど、彼を脅かす必要は、ありません。単に公園で裸になったぐらいでは、そこまでの、必要は、ありません。それは、100%と言ってよいほど確かな事です。

 しかし、例の過剰な神経過敏、連合国側の神経過敏が、東京裁判のうしろめたさを暗に、しかも明瞭に表す行為としての、靖国参拝への攻撃を行わせているわけですが、・・・・・そこから、類推すれば、

 ・・・・・草なぎ君がプロット上の必然として、回し蹴りを警官に対して行うのも、警察の神経を逆なでしたと、いえないこともないのです。

 しかし、これでは、クリエーターは、本当に困ります。何も書けないし、何も表現できません。非常に悪い国と、この日本が化しています。

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 対照例として、明日は大泉洋と、映画『アフタースクール』を挙げましょう 草なぎ君とメディアや、警察の扱いの違いを許容していてはなりません。それは、回りまわって最大多数の普通の国民の首を絞めることにつながるでしょう。大泉洋とか、その他の、うまく立ち回る芸能人、やら、コメンテーターが得をするのは大目にみましょうが、私がその中に含まれている、普通のにほんじん、しかも正しく物事を見抜ける普通の日本人が圧迫をされるような事を許してはならないのです。そうしないとこの国の国民は奴隷となります。

 国際的なグローバリズムの餌食となって、働けど働けど貧しいということに、やがてなっていくでしょう。

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 もし、この文章を書いたことによって、『ホテル・ビーナス』のレンタルDVDが、レンタルショップから撤収をされたり、または、私のブログが検索機能から、はずれるとすれば、まさしく・・・・・この国は暗黒時代に突入している・・・・・といえます。それがまた一つの、証拠となります。

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ところで、私はこういう構造には一年以上前から気がついていて、推定加害者と常に呼ぶ相手側に対して、謝罪を求めてきています。または妥協点ですね。それが実行をされたのなら、真実を書かないでおいても良いとさえ考えていました。

 つまり、警察が、こちらを見くびりきっていて、最初のパソコン内攻撃を行い、それは、2008年9月に報告された読者のうちのひとりが、「戦慄すべき状況だ」といったほどなのですが、それがなぜ行われえたかと言うと、町内会を利用した密告組織のせいでもあるのです。

 猫のことで、大変な迷惑をこちらに掛け続けた、陶芸教室の主催者も町内会の役員ですが、その中で、防犯協会等の名目の役目をしている存在等に、警察が、ご近所住まいの人間の内偵を頼む可能性はあります。

 そうすると、彼らが、私をどう判断しているかが影響します。その人が、私と同じ程度に深くものを考える人間で、しかもパソコン技術が高い場合には、<<<私が相当なレベルで知恵ものである>>>と言う事が推察できるでしょう。そうすれば、これほどばかげたパソコン内攻撃を、最初から私が見抜けたということも推定できて・・・・・やらなかったはずですが、

 でも、密告者の方が、私とは全く違うタイプであったら、私の事を卑しく、弱い存在であると報告をする可能性はあります。彼らは、井戸端会議で、羽振りを利かせることなどに、現を抜かすタイプです。すると、考える事が好きで、ご近所などとは付き合うことをしない、私の事がまったくと言ってよいほど、理解ができないでしょう。

 自分たちは、社会人として、井戸端会議で、道路をふさぎ、中学校の番長まがいの生活をしているので、自分たちの方が強く、しかも上に見えているのでしょうね。その観察眼で、「雨宮舜(本名川崎千恵子)は、たいしたことはありませんよ。弱いですよ」と上奏をされたと仮定をします。

 もちろん、彼らが直接、警察庁(京橋にパトカーが待っていたのは、鎌倉警察署から、神奈川県警に情報があがり、それが、警察庁に上がり、それが、警視庁に降りたわけでしょうから)に

 接触したわけではないでしょう。間接的に、接触をしたと考える方が普通です。たとえば、6月19日に少しだけ触れた、フリーメーソンから、非常に可愛がられている可能性のある、鎌倉の出版社・社長を通じてかもしれません。

 または、出版社社長・本人のアイデアに基づいて、これらのパソコン内妨害処置が行われた可能性すらあります。私の文章が有名美術評論家に剽窃をされたのですが、その社長とその剽窃者は、同じ大学の卒業生でした。

 ともかく、このパソコンへの攻撃者が、警察である可能性は強くて、その原因は警察が、私を見くびりすぎたことにあります。この程度のことは、私が見抜けまいと馬鹿に仕切っている可能性は大きいです。

 しかし、私は最初期から、その可能性も考えていたのですが、私が過去に書いたメールや手紙を利用して、あたかも特定の・・・・・ほかの個人・・・・・がやっているかのごとく、偽装をさえ、されていました。

 それも悪賢い手法です。もし、この推定される加害者が本当に警察だったら、まさしく、警察そのものが犯罪を犯していることとなります。道義的にはそういえます。ものを書く人、たとえば、植草教授などがこの話を聞いたら、得たりや応と、感応してくれるでしょう。言論の弾圧が、非常に巧妙に行われている事実を、最先端で走っている人間は、きっと既に、知っています。

 しかし、まだ、パソコンの利用については法律が整備されておらず、法的にはこれは、犯罪とみなされないので、やりたい放題ですが、京橋に2008年の4月1日の早朝に、二台のパトカーが現れたことは、警察のこのパソコン事故への関与を伺わせるに、充分です。突然ですが、疲れたので、ここで、終わらせてくださいませね。
               2009年6月24日、      雨宮 舜
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