山口さんが急逝されたことがいまだに信じられない私は、なんとなくですが、彼女は第二の人生として、『小説を書いてみよう』と思っていたのではないかと考えるのです。
頭がよい人でした。そして、その頭を下げ続けた人です。お客に対して、そして、先輩の画廊オーナーに対して。そして、後輩に対して威張ったであろうか? いいえ、威張ってはいませんでしたでしょう。だから、思いがたまっていらしたような、感じが今は、します。
とても、賢い人です。そして、まだ、67歳。第二の人生はこれから長い。『新しいことへ挑戦しましょう』と決意したっておかしくはない。そして、ギャラリー山口は現代アートの縮図です。いろいろな情報が集まるところです。そこから得た喜びや苦しみをまだ開放していないとすれば、それは、文章へと結実せざるを得ないです。
ただ、実名でドキュメンタリーを書くつもりはなかったと感じます。今まで彼女の、生活費を与えてくれた人を裏切ることになりますからね。そこですが、私は誰からもお金をもらっていません。それは、海外へ行くとか、疲れたときにタクシーを使いたいとか、芝居を見たいとか、言うことができないわけで、残念なことではあるが、一方では強いことでもあります。行動において、自由がある。しかし、彼女には、それはない。だけど、私なんかを見ていると、『あれ、彼女みたいに普通の人にもあれだけ、かけるのだから、私にだって出来るでしょう』と彼女が考えたっておかしくはない。
それを、裏付けるあるエピソードがあります。あるときに、私は、月刊ギャラリーの身内意識から、彼女に謝罪をする必要を感じました。2006年の10月号だったと記憶していますが、スケデュール欄が空欄でした。特に野見山暁司さんの部分が。その週の情報をギャラリー山口が外へ出さないはずはないので、月刊ギャラリーサイドで、何らかの意思を持って、無視したのでしょう。
私は<月刊ギャラリー>サイドの気持ちも推定できました。『なにか、野見山さんもしくは、<美術の窓>との間に、過去、いやなことがあったのだろう』と。
私自身野見山さんの秘書の千里さんに、・・・・・(どうして、関係があるかはまた、別の機会に述べますが、一時期は電話で、いろいろ私生活を話し合える関係だった)に、「今度、月刊ギャラリーで連載を持たせてもらえるのよ」といったら、「(ふん) なに?(それ)」と言う感じで極端に軽蔑をされました。だから、上記のようなことを類推するのです。野見山さん側、が、先に傷つけたのではないかなあと。
ここらあたりはものすごく深く説明をしないといけないのだけれど、野見山さんは一般的な多項目の内容を持つ雑誌にも寄稿をしているし、美術雑誌の中ではよく売れているほうである『美術の窓』にも連載を持っているわけですから、『こちらは、上ですよ』という意識が非常に強いのです。
『美術の窓』は、版が大きいので、文字数も尽くすことが出来るから、文章も読み応えがあります。ただし、お追従記事も多いし、一見すると広告に見えない頁に、取り上げられた作家から、お金を取ることも多々あるでしょう。小さな記事でも、四万円だと聞いたことがあります。だから、お金をとられる方と(つまり、カモである側と)原稿料をいただく側では、数段の差があるわけですから(あ、は、は)、野見山さんが威張りかえっているのも道理かなあ?
ここで、このことはまだまだ、説明が必要ですが、山口みつ子さんから離れすぎるので、彼女に戻ると、私が「すみませんねえ。月刊ギャラリーが情報を削ってしまって。きっと、美術の窓とのライバル関係が影響しているのでしょう」というと、彼女が明るい顔と声で、しかも茶目っ気たっぷりに、「あーら、月刊ギャラリーも美術の窓も、私なんかから見ると、同じですけれどね」とおっしゃったのです。
そのときは、一瞬目を丸くしましたが、
・・・・・(それが、外へ出ると大変だと思って、でも、今は逝去されたので、彼女の頭のよさと気風のよさを説明するために、このエピソードを外へ出すのですが)・・・・・
『あ、やっぱり、彼女は頭のよい人だ。そこまできちんと見抜ける人も、この業界にいる人の中にだって、少ないだろうから』と、感心きっちゃったのです。
、そのときからすでに、四年近くが過ぎました。いまの私が思うに、山口さんの感想はほとんど正しかったでしょう。私もほぼ、同じぐらいに醒めてきています。メディアには、大新聞にもこういう小規模な、専門雑誌にも期待が出来ないなあと思っています。
美術の窓の社長さんが「私には、百人からの生活がかかっているから」とおっしゃったそうですが、そういうこと。すべてはお金が優先です。まあ、月刊ギャラリーにはびっくりささせられるような仕打ちも受けているが、美術の窓も、変態(?)で、自覚があるかどうかは別にして、例のCIAの手先になって動くときがあります。美術の世界なんて、まったく政治とは無関係の思えますでしょう。ところが、さに在らずなのです。
そして、野見山さんが、そういう動きをして、実は、山口さんを精神的に、追い詰めていた可能性は、あるのです。だから、しのぶ会をつぶした可能性もあるわけです。後ろめたかったのでしょう。特にもし、私がその同じ会に出席して彼の顔を見れば、内情はきっとわかるはずです。秘密は漏れるでしょう。私は鋭い観察眼の持ち主・・・・・らしいです。自分ではそう思っていないけれど、他人がそういってくれます。
実は、一年ほど前に、一回ほど、私はそういう現場に居合わせて、ぴーんときたことがあります。そのときに、二メートルぐらいの間隔で、野見山さんの目を発止と見つめたら、彼は、おびえたような目をしました。いつもは、半分眠ったような細い目の人ですけれど、そのときだけは、小さいがパッチリと開いて、かつおびえた目だったのです。『この人は、何かを隠している』と、ぴんと来ましたよ。
数日前に、山口千里さんと、山口みつ子さんとの間に、女の葛藤があったかのようなエピソードもさらしました。それは、山口さんの死を招いたストレスの、5%ぐらいにはなるかもしれないが、引き金は別のところにある感じがします。・・・・・女の意地の張り合いが、どうの、こうの・・・・・ということは、問題がすり替わっていて、矮小化してあるわけです。だけど、本当のことは、なかなか言えない場合があって、ああいう書き方に第一回目はなってしまっております。
そして、今日だって、まだ、本当のことを100%は、言ってはいないのですよ。もちろん、すでに個展の成功は、捨てています。と言うのも、はがきの印刷がびっくりするほど時間がかかりました『これって、変だぞ?』と思うわけです。普通なら、データをこちらが完璧に仕上げて渡すので、二週間以内に出来上がるはずなのですが、三週間たって送ってきて、メディアへの投函が、一ヶ月以内に間に合いませんでした。そういうこと(つまり、どちらからか、手が回っていて、私の仕事をわざと遅くするように、印刷所が頼まれるということ・・・・・それが、一種の言論弾圧の変形であると言うこと・・・・・)は事前に、十分に予想はしていて、別にチラシも200枚も作ってありましたが、利用しませんでした。個展の宣伝については、あせらず、ブログを書くことに意識を集中したわけです。
今度、キャンセルしたら、この個展の、お話をいただいたことそのものが、敵のわなになってしまいますから、やります。だけど、もし、運搬業者が、誠実でなかったりしたら、ますます、CIAの存在は確かになり、そのひとつの代表者は、野見山さんでもあると断言できるでしょう。山口みつ子さんの突然死は、そこらあたりと大いに関係があります。
山口さんには、何も打ち明けられてはいません。だけど、私の推察は、相当なレベルであたっているでしょう。そして、彼女の急逝後、悪口(詐欺だったとまでいうこと)を流しているのが、村松画廊の、川島さん(これは、有名な画廊ですが、2009年度いっぱいで閉鎖されています)であることも、超がつくほど、その後ろ側の暗闇を推定させます。
山口さんは、川島さんを立てていましたよ。川島さんって、ちょっと、NHKのハイビジョン・ドラマ『蒼穹の昴』中の西太后に似ている態度をとる人です。だから、山口さんは、彼女に対して、決して逆らわないように、立てて、付き合っていらっしゃったと思います。それなのに、ひどい悪口が死後に、川島さんから流布される。そこが、変ですよ。うらみも何もない人を、よってたかってというほど、貶めるのが、変です。
山口みつ子さんは、何も語らず、あの世に、行ってしまいました。急逝に等しく、『それは、他殺ではなかったか』と思うほどの、突然の出来事でした。その影に言うに言われぬ何かがあったはずです。彼女に頼まれたわけではない。だけど、人、一人の命が突然に奪われるのは、相当なことなのです。私個人の名誉とか、損得よりも重大なことです。
2010年3月7日 雨宮舜
頭がよい人でした。そして、その頭を下げ続けた人です。お客に対して、そして、先輩の画廊オーナーに対して。そして、後輩に対して威張ったであろうか? いいえ、威張ってはいませんでしたでしょう。だから、思いがたまっていらしたような、感じが今は、します。
とても、賢い人です。そして、まだ、67歳。第二の人生はこれから長い。『新しいことへ挑戦しましょう』と決意したっておかしくはない。そして、ギャラリー山口は現代アートの縮図です。いろいろな情報が集まるところです。そこから得た喜びや苦しみをまだ開放していないとすれば、それは、文章へと結実せざるを得ないです。
ただ、実名でドキュメンタリーを書くつもりはなかったと感じます。今まで彼女の、生活費を与えてくれた人を裏切ることになりますからね。そこですが、私は誰からもお金をもらっていません。それは、海外へ行くとか、疲れたときにタクシーを使いたいとか、芝居を見たいとか、言うことができないわけで、残念なことではあるが、一方では強いことでもあります。行動において、自由がある。しかし、彼女には、それはない。だけど、私なんかを見ていると、『あれ、彼女みたいに普通の人にもあれだけ、かけるのだから、私にだって出来るでしょう』と彼女が考えたっておかしくはない。
それを、裏付けるあるエピソードがあります。あるときに、私は、月刊ギャラリーの身内意識から、彼女に謝罪をする必要を感じました。2006年の10月号だったと記憶していますが、スケデュール欄が空欄でした。特に野見山暁司さんの部分が。その週の情報をギャラリー山口が外へ出さないはずはないので、月刊ギャラリーサイドで、何らかの意思を持って、無視したのでしょう。
私は<月刊ギャラリー>サイドの気持ちも推定できました。『なにか、野見山さんもしくは、<美術の窓>との間に、過去、いやなことがあったのだろう』と。
私自身野見山さんの秘書の千里さんに、・・・・・(どうして、関係があるかはまた、別の機会に述べますが、一時期は電話で、いろいろ私生活を話し合える関係だった)に、「今度、月刊ギャラリーで連載を持たせてもらえるのよ」といったら、「(ふん) なに?(それ)」と言う感じで極端に軽蔑をされました。だから、上記のようなことを類推するのです。野見山さん側、が、先に傷つけたのではないかなあと。
ここらあたりはものすごく深く説明をしないといけないのだけれど、野見山さんは一般的な多項目の内容を持つ雑誌にも寄稿をしているし、美術雑誌の中ではよく売れているほうである『美術の窓』にも連載を持っているわけですから、『こちらは、上ですよ』という意識が非常に強いのです。
『美術の窓』は、版が大きいので、文字数も尽くすことが出来るから、文章も読み応えがあります。ただし、お追従記事も多いし、一見すると広告に見えない頁に、取り上げられた作家から、お金を取ることも多々あるでしょう。小さな記事でも、四万円だと聞いたことがあります。だから、お金をとられる方と(つまり、カモである側と)原稿料をいただく側では、数段の差があるわけですから(あ、は、は)、野見山さんが威張りかえっているのも道理かなあ?
ここで、このことはまだまだ、説明が必要ですが、山口みつ子さんから離れすぎるので、彼女に戻ると、私が「すみませんねえ。月刊ギャラリーが情報を削ってしまって。きっと、美術の窓とのライバル関係が影響しているのでしょう」というと、彼女が明るい顔と声で、しかも茶目っ気たっぷりに、「あーら、月刊ギャラリーも美術の窓も、私なんかから見ると、同じですけれどね」とおっしゃったのです。
そのときは、一瞬目を丸くしましたが、
・・・・・(それが、外へ出ると大変だと思って、でも、今は逝去されたので、彼女の頭のよさと気風のよさを説明するために、このエピソードを外へ出すのですが)・・・・・
『あ、やっぱり、彼女は頭のよい人だ。そこまできちんと見抜ける人も、この業界にいる人の中にだって、少ないだろうから』と、感心きっちゃったのです。
、そのときからすでに、四年近くが過ぎました。いまの私が思うに、山口さんの感想はほとんど正しかったでしょう。私もほぼ、同じぐらいに醒めてきています。メディアには、大新聞にもこういう小規模な、専門雑誌にも期待が出来ないなあと思っています。
美術の窓の社長さんが「私には、百人からの生活がかかっているから」とおっしゃったそうですが、そういうこと。すべてはお金が優先です。まあ、月刊ギャラリーにはびっくりささせられるような仕打ちも受けているが、美術の窓も、変態(?)で、自覚があるかどうかは別にして、例のCIAの手先になって動くときがあります。美術の世界なんて、まったく政治とは無関係の思えますでしょう。ところが、さに在らずなのです。
そして、野見山さんが、そういう動きをして、実は、山口さんを精神的に、追い詰めていた可能性は、あるのです。だから、しのぶ会をつぶした可能性もあるわけです。後ろめたかったのでしょう。特にもし、私がその同じ会に出席して彼の顔を見れば、内情はきっとわかるはずです。秘密は漏れるでしょう。私は鋭い観察眼の持ち主・・・・・らしいです。自分ではそう思っていないけれど、他人がそういってくれます。
実は、一年ほど前に、一回ほど、私はそういう現場に居合わせて、ぴーんときたことがあります。そのときに、二メートルぐらいの間隔で、野見山さんの目を発止と見つめたら、彼は、おびえたような目をしました。いつもは、半分眠ったような細い目の人ですけれど、そのときだけは、小さいがパッチリと開いて、かつおびえた目だったのです。『この人は、何かを隠している』と、ぴんと来ましたよ。
数日前に、山口千里さんと、山口みつ子さんとの間に、女の葛藤があったかのようなエピソードもさらしました。それは、山口さんの死を招いたストレスの、5%ぐらいにはなるかもしれないが、引き金は別のところにある感じがします。・・・・・女の意地の張り合いが、どうの、こうの・・・・・ということは、問題がすり替わっていて、矮小化してあるわけです。だけど、本当のことは、なかなか言えない場合があって、ああいう書き方に第一回目はなってしまっております。
そして、今日だって、まだ、本当のことを100%は、言ってはいないのですよ。もちろん、すでに個展の成功は、捨てています。と言うのも、はがきの印刷がびっくりするほど時間がかかりました『これって、変だぞ?』と思うわけです。普通なら、データをこちらが完璧に仕上げて渡すので、二週間以内に出来上がるはずなのですが、三週間たって送ってきて、メディアへの投函が、一ヶ月以内に間に合いませんでした。そういうこと(つまり、どちらからか、手が回っていて、私の仕事をわざと遅くするように、印刷所が頼まれるということ・・・・・それが、一種の言論弾圧の変形であると言うこと・・・・・)は事前に、十分に予想はしていて、別にチラシも200枚も作ってありましたが、利用しませんでした。個展の宣伝については、あせらず、ブログを書くことに意識を集中したわけです。
今度、キャンセルしたら、この個展の、お話をいただいたことそのものが、敵のわなになってしまいますから、やります。だけど、もし、運搬業者が、誠実でなかったりしたら、ますます、CIAの存在は確かになり、そのひとつの代表者は、野見山さんでもあると断言できるでしょう。山口みつ子さんの突然死は、そこらあたりと大いに関係があります。
山口さんには、何も打ち明けられてはいません。だけど、私の推察は、相当なレベルであたっているでしょう。そして、彼女の急逝後、悪口(詐欺だったとまでいうこと)を流しているのが、村松画廊の、川島さん(これは、有名な画廊ですが、2009年度いっぱいで閉鎖されています)であることも、超がつくほど、その後ろ側の暗闇を推定させます。
山口さんは、川島さんを立てていましたよ。川島さんって、ちょっと、NHKのハイビジョン・ドラマ『蒼穹の昴』中の西太后に似ている態度をとる人です。だから、山口さんは、彼女に対して、決して逆らわないように、立てて、付き合っていらっしゃったと思います。それなのに、ひどい悪口が死後に、川島さんから流布される。そこが、変ですよ。うらみも何もない人を、よってたかってというほど、貶めるのが、変です。
山口みつ子さんは、何も語らず、あの世に、行ってしまいました。急逝に等しく、『それは、他殺ではなかったか』と思うほどの、突然の出来事でした。その影に言うに言われぬ何かがあったはずです。彼女に頼まれたわけではない。だけど、人、一人の命が突然に奪われるのは、相当なことなのです。私個人の名誉とか、損得よりも重大なことです。
2010年3月7日 雨宮舜
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