以下の文章ですが、大変短い間で、次の文章をあげてしまったので、夜、このブログをオ読みになる方は、お気づきにならなかったかと思っております。で、もう一度、時間だけ更新して、アップさせてくださいませ。
副題1、『私は二回目として、ごちそうさんをほめております。ただね。ここで、自己規制の範囲を80%に拡大して語ると、些少の政治は、加わっているのですが!』
以前、言ったと思う、「あまちゃんには、政治的要素があるのですよ。だから、マスコミが異常に高めに取り上げたのです。でも、それが、判る私は、あまちゃんについては、ブログでは一切触れていません」と言う言葉に似て、
実はごちそうさんにも、多少の政治は絡んでいるのです。
ココについて後日(または、後刻)、どういうことかを加筆します。
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副題2、『昔は、映画が、宣撫工作に使われたのだが、今はテレビで・・・・・』
今は、ニュースに限らず、テレビドラマも、国民を心理操作し、教唆する道具として使われています。NHKの朝ドラは、特にその意向が強いです。
昔は、映画が、国民を心理操作するものとして、使われたのです。で、自国民へと編入した、(または、植民地支配をした)満州びとを、教唆し、心理操作するために映画が利用されたのです。出演者は、中国人美少女、李香蘭 (本当は、日本人少女である、山口淑子)と、日本人美形青年(当時の流行として、歌舞伎風雨の美形で、目は大きい男性)長谷川一男とが恋愛をする映画が、何本も作られたのです。
作ったのは、満映で、その総裁は、甘粕大尉でした。甘粕大尉は、ご自分の職務がわかっていたので、戦後自殺しました。
その総裁室や、ラストエンペラーの部屋を飾っていた、私の父の絵が、後刻、満人たちによって、切り裂かれていたと、後にそこを点検した満鉄社員の人から、父は聞いています。
父は、いわゆるサラリーマン画家でしたが、画題は、中国の遺跡を描いた、極素直な描写風の江で、安井曾太郎先生に、激賞されていたので、ラストエンペラーの宮殿をも飾っていたのです。父に関しては、新聞記事が、昭和18年にいっぱい出たのですが、それをコピーもせず、スキャンもしないうちに、我が家から盗まれてしまいました。
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副題3、『国会図書館に、ある筈の大切な資料がないのは、どういうわけなの?』
その上、国会図書館からも、父の資料は、盗まれてしまいました。
どういうことかと言うと、満州で発刊された新聞や雑誌は、国会図書館では、マイクロフィルム化するということであって、それは大宣伝をされたのです。で、私は自宅から、大切なものが盗まれても、新聞記事だけは、国会所所管にあるから・・・・・と、思って安心をしていたのです。
しかし、驚いたことに、そのマイクロフィルム化は、1~3面しか、保存をされていないのでした。新聞とは、紙の裏表にするものです。だから、偶数頁があります。で、第4頁目が、マイクロフィルム化される際に、抜かされたのです。
本当に驚きました。そして、それを今、やっと語りますが、国会図書館にまで、手を伸ばして、私が「いい家の育ち」である事を、世間に知らせさせまいとした、彼らエージェントたちの悪意には、それこそ、ぞっとする以上のものを感じます。
私が、こう言う事情に気がついたのは、2009年ごろでしょう。父や母の写真と、新聞の切り抜き記事は、あるところにしまってあって、毎日、点検するのではありません。
しかし、ブログをはじめました。そこでは、私は世間には、知られていない新人です。だから、知らせるために、過去データを、取り出して、知らせようと思って、父の新聞記事を探そうとして、その盗難についたのです。でも、数年は、国会図書館に資料はあるでしょうと、安心をしていたのです。
新聞記事が、11っこぐらいあったのは、満州でも、朝日新聞、毎日、新聞、読売新聞等は、発刊されていたはずで、その地方欄とか文化面で、父は満州文展の一等賞受賞者として、華々しく取り上げられていました。
どうしてかと言うと、五族融和・策に役立つと見なされた板のです。中国の文物や遺跡を、いわゆる端麗な雰囲気で、まっすぐ油絵化していますから。甘粕大尉の部屋にそれを飾ることは甘粕大尉が、中国や満州を尊敬していると、言うしるしになります。
梅原龍三郎も天壇とか、北京秋天とか、いうタイトルで北京物をいっぱい描いていますが、それは、右から左へ売れるもので、それを、満鉄総裁室とか、甘粕大尉の部屋を飾るものとするのは、予算的には、無理ですね。その上、梅原龍三郎には、個性があって、デフォルメの意向も強かった種類の絵です。
だけど、当時、30代の理系の社員(満鉄調査部、中央試験所勤務)であった父が、絵を売るつもりがないことは、明白で、すべて、「飾ってあげる」の一言で、そちらの部屋へ直行をしたのでした。
しかし、ともかく、私がどんな形でも、優秀だったり、家柄がよかったりすることは、ブログの世界で書いてもらっては困るので、盗難もあったし、・・・・・・国会図書館への、圧迫行為もあったのでした。もしかしたら、その時点での、館長は曽野文子さんのご主人であり、鎌倉エージェントなどが、口をうまく、説得をしたのかもしれません。
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副題4、『国会図書館に行くたびに、警察に脅かされる私だが、それこそ、石川和子さんと言うご近所主婦の元愛人だと言う伊藤玄二郎がエージェントであることの証拠でしょう』
本当に、誰が動いたのか、判りませんが、ともかく、『国会図書館にはあるだろう』と確信をしていた資料がないのでした。そして、この頃、私が国会図書館を訪ねるたびに、それが、午前6時であっても、機動隊のバスが、国会図書館の前で、エンジンをふかしているのでした。あの国会議事堂前の早朝は、誰もいないところですが、そこで、エンジンをふかしていたりしていて、脅かすのでした。
これが、ご近所の主婦(そして、伊藤玄二郎の元愛人であり、彼の会社、鎌倉春秋社と、同じ名前をもらった陶芸教室主宰者)、石川和子さんが、私の猫のことで、わがままいっぱいの数年を過ごした後に、
私の猫が、彼ら夫婦より、私の方が好きだと、ある日のお昼ごろ、心で、示したのです。
私の猫は、動物病院のロビーにおいてあったケージの中で育ったので、犬を怖がらないし、人間は、大好きだし(それは、昼間訪問をして来るお客さんたちにしか相手をしてもらえないので、時間が制限されているから大好きになったのです)行動範囲が広くて、この山いったいを支配するのが好きなので、お客さんが訪問してくる陶芸教室は、自分の支配下地域として好きだったのです。
しかし、石川和子さんと、その現在の夫、柳沢昇は誤解していて、『自分たちは、川崎千恵子より、彼女の猫にさえ、好かれるのだから、すばらしい人間なのだ』と、私の猫を、自己評価の大切な寄りどこ路として、いたものですから、なんど、『もうかまわないでください』とお願いしても入れるし、入れたら、呼びに言っても、寒い時期に、外で、五分は待たせると言う失礼ないじめをするしで、とうとう、怒った私たち、一家は、猫を外へ出さないことにしたのでした。
で、5ヶ月以上、猫が来ない日々が続いてたのに、夏になって、突然、猫が遊びに、来たので、大喜びをして隠したのです。私のほうも夏は、暑いですね。しかし、この家は山の中にあり、都会とは違って、相当に涼しいので、毎夏、クーラーは使いません。だけど、それだけに窓を開けているものですから、ひょっとした拍子に猫が出てしまったのです。しかも私は、昼間、一人の時は、夢中になって仕事をしていることが多いので、暫時、そのことに気が付きませんでした。その間に、石川和子+柳沢昇夫婦は、話し合って、このまま、猫を自分たちのものにしようとでも、決意したのではないかな?
普段どおり呼びに行くと、いつもとまったく違った対応を受けました。普段そこから猫を呼ぶ、入り口から入らせないと、いう風に仁王立ちになって、柳沢昇が、怒鳴りまくるのです。大声で、「住居侵入で訴える」と言うのです。
それで、私が心理学で言う鸚鵡返し法を利用して、まったく同じ事を、彼に返したのです。『住居侵入で訴えるのですね』と、同じ声量で返したのです。
すると、そのやり取りに驚いたのか? 私の猫が飛び出してきて、「お母さん、一緒に帰ろう」と彼ら夫婦の家の外で、言うのです。下にある写真の中で、猫が私を呼んだのは、左側の出窓の下でです。出窓の先に、小さな屋根が出っ張っているところが見えますか? そこで、私と、柳沢昇は怒鳴りあっていたのですが、右側のこんもりした木の部分の影にあるお宅から、石井夫人が出てきて、出窓の下に居た、私の猫を抱き上げ、「ほら、川崎さん。猫が、心配しているから、抱いてお宅へ帰りなさい」と言ったのでした。
しかし、私は、柳沢昇に、背中でも殴られるのではないかと思って、身を翻すこともできませんでした。普段は、静かなこと極まりない山の中で、突然に修羅場が出現したのです。柳沢昇は目の端で、猫が自宅から飛び出してきてしまい、自分たちが、居ないと言う 嘘を言ったことが、みえみえで明らかになってしまったのに、それをどう収拾していいかが、わからないらしくて、声音は、落ちたものの、引き続き、怒鳴り続 けるのです。
で、膠着状態に陥ってしまい、三者三様に、身動きもできないことと成りました。
そこに、助け舟を出してきたのが、石川和子さん宅と、西側のお隣として、住んでいた、石井夫人です。で、私の猫を捕まえて、「川崎さん、ほら、猫ちゃんが、心配しているわよ。おうちへ帰ったら」と言うのです。
で、私は石井夫人の見ている前では、さすがに、柳沢昇も暴力を振るうことはないだろうと、安心して、猫を抱いて自宅へ帰ったのでした。
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副題5、『石井さんと言うお宅が、急遽引越しをさせられたが、その手法は、北久里浜で、佐藤さんというお宅が、急遽引越しをさせられた仕組みと、そっくりです』
私が、今の様な、いやらしい仕組みに絡めとられてしまったのは、横須賀市にある、京急北久里浜駅近辺に住んでいた時代に、さかのぼって、かんがえると、見事にいろいろな符丁が合うのです。
そこで、瀬島隆三と言う戦後最大のエージェントが絡んだ、経済的詐欺事件が起こり、その目撃者となってしまったのが、大本の理由です。
で、そちらもまた、後で、解説をさせていただきますが、
今回、上で、私と、柳沢昇の両方を助けた、石井夫人は、引越しをさせられてしまいます。鎌倉駅からは、より遠い場所である浄明寺地区(バスを利用しないといけない)に引越しをされたと言ううわさです。
ところで、それは、35年前に北久里浜で起きたこととそっくりなので、
私は、法務局に行って、石井家が、売ったのかどうかを調べました。すると所有権は移転をしていません。なるほどねえ。北久里浜と、同じ事を、二度目としてやろうとしたのだけれど、鎌倉駅から、歩いて、公称12分と言うこの家を石井家は売りたくなかったのですね。で、激しいいじめが、私に対して行われるのも、石井さんに対して、『川崎さんが引っ越したら、ココに帰って規定いいですと、言っている手前、追い出そうと、ありとあらゆる事をやったわけですねと、石井さんが、引っ越した直後から解っていたのです。
猫の大騒動が起きたのが、2005年の夏であり、石井家が、未だ、そこを保持していると、わかったのが、2013年の8年後です。石井家は、見かけ上の敷地の広さが、50坪あり、ほかに傾斜地や、私道部分を含むと、公簿上は80坪はあるでしょうから、これは、手放したくない土地でしょう。
ところで、どうして、石井さんが、引越しを薦められたかですが、もしかすると、私の見方になるのではないかと、見なされたからです。石井夫人と、その実母のおばあちゃんは、ごく普通で、全うな女性です。私は山の中では、気を使って、立ち話をしない様に気をつけていましたが、鎌倉の山下では、よくおばあちゃんのほうと立ち話をしていました。
私って、別にお高く留まっている人間ではありません。主婦として、ベテラン中のベテランであり、主婦同士の立ち話など、軽くかつ上手に、できる人間です。だけど、このうぐいすがやつと言う地域だけは、異常で安の夫人と言う、見ているだけで、略奪婚ですねと、解るほど、勝気で、芝いっ毛たっぷりな女性が支配をしていて、その第一か第二の親友として、前田夫人と言うのがサポートをしていて、すごい事をする地域なのです。いわゆるたこ部屋的状況になっていて、私が唯一のターゲットとして、いじめられる役目です。それも、自然なことではなくて、瀬島龍三などの、エージェントが、最初期から図ってやっていることでしょう。どうして、そういえるか問うことは、後ろの章で、説明をします。
20軒の家があって、昼間活発に動く主婦が、10人前後です。私が引っ越してきた直後は、全員が、40代でした。かしましい井戸端会議が常に、安野夫人主催で開かれていた頃です。
この猫騒動が起きた頃は、引越し後20年目ぐらいであって、私は、地域の主婦のすべての性格をつかんでいました。何もしていないのですよ。ただ、見て聞いているだけで解るのです。聞き耳を立てているわけでもないのですが、静かな山の中で、道を占有してなされている井戸端会議の内容は、窓を閉めていても聞こえてしまうほどうるさかったのです。
その中で、四年制大学を卒業はしていないのだけれど、石井夫人は、もっともまともで、まっすぐな性格の人でしたね。私もスケルトンがあると、人によく言われますが、彼女も暖かな心の実母に育てられた、まことにまっすぐな人です、この山には異常なものがむんむんと満ちているのですが、しかし、何人かはまっすぐな心の人も居て、そう言う人は、安野夫人が引っ越してきてから、自分たちの方が引っ越していきました。
私がブログを始めて、その井戸端会議と、それがもたらした犯罪(土地泥棒)について、バリバリと書き始めてから、やっと、その井戸端会議は終わって、それ以降は、引っ越して行く人が無くなりました。
ただし、石井夫人を除けば、今残っている人は、計算高いというか常識はと言うか、長いものには巻かれろ主義と言うか、数の論理には弱いと言うかであって、絶対に、安野夫人一派には逆らわないと言う人ばかりです。表面はどうあれ、内面がそうですね。正義漢と言う意味で、しっかりした人は居ないでしょう。男性も女性も含めてそうです。
で、そのもっとも、しっかりしていた、石井夫人を引越しをさせることによって、自分たちが弱体化するのを避けたのが、エージェント特有の手法なのです。
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副題6、『石井さん宅に引っ越してきた、不思議な青年は、昼間でも、黒い傘で顔を隠すが、なぜ?』
私は、自分がホンのデータを作るにあたって、ノマド生活ですと、いいましたね。それは、データ破壊が、マイクロソフトと、アドビイラストレーターの双方で、起こされ、て仕事がうまく進まないので、外でやる様になったからです。で、外で、徹夜をすることも多いのですが、伸也に帰宅する事も多いのです。
ある日、帰宅をすると、我が家の門の前、数メートル先に、石垣に身を預けてじっと休んでいる青年が居ました。足元に、引越し荷物が産卵しているので、石井さん宅に引っ越してきた青年だとわかりましたが、真夜中に、引越しをするのも、おかしいなら、業者も友人も誰も手伝っていないので、私には、どことなく、ピーンと来るところがありました。
石井さんが、引越しをさせられたのは、エージェントたちの仕業だから、この青年もそれに連なる青年だろうと、言う思いです。ジュースを飲んでいたか? タバコをすっていたのか? 石段が、彼がこれから住むところまでは、140段程度あるので、引越しは重労働です。
その青年のために、善意を持って解説すれば、私がホンのガレージセール(自由に喪って帰っていい形で)をしたときに、僕は建築を学んでいる学生ですが、もらっていきます』と言うメモを残していた男性が居て、その人かもしれないので、彼は、いい人で、石井さんの親戚かもしれません。そういわないと成りません。
石井さんの浄明寺地区の新居は無論のこと、賃貸で住むところであって、その賃貸料は、エージェントたちが出していると思われます。名前としては誰が名義人になっているかはわからないものの、ともかく、少しは、条件がよくなった住宅でしょう。駅から遠くても、そこでいいというためには、駐車場が付いていると言う形なのでしょうね。でも、もう一度帰って来たいという心はあるかも知れません。
そこもあってか、前田家たちが、大攻撃をしてきたのが、2010年以来目立つことであって、特に2013年の、五月末に、「あんたを刑事訴訟にかける」(後注1)と言ってきたのなど、最高の攻撃でしたね。この人は元・駒澤大学の教授だと言う話だが、どこに理性があるのだろうという様な話しです。それに、奥さんは、もと、国学院大学の講師で、静岡大学の法学部出身だとのことですが、そう言う夫婦がよくそんな事を言えますねと言う様な状況がここにはあるのですよ。こっちがたまげてしまいます。
ただね。あまりにもひどいので、彼女が國學院大學の講師になるに際して、助力をなさったと私が推察している鶴岡八幡宮の、大銀杏が倒壊しましたね。まあ、前田夫人は、30%ぐらいの原因だと思いますが。神様は居るのです。吉田茂穂宮司は、これ以外にもひどい事をなさり続けていらっしゃるのです。どうしてかと言うと、誰かから、教唆されることに唯々諾々としていらっしゃるからですよ。ご自分で、どうして、そう言う命令がくるのかを、私の文章をご検討なさってお考えにならないといけません。
元に戻ります。
石井さんの跡に引っ越してきた青年ですが、びっくりするほどのイケメンです。ただ、背は低くて華奢な印象です。その青年ですが、はれていても必ず、黒い傘を差して、山を降りていきます。昼間でも同じです。私は、あの家が、エージェントたちに利用されてしまったので、その後に引っ越してきた人は、エージェントの一人か、警察のいわゆる公安か、どちらかだろうと思っているので、それで、傘を差して、顔を見せない様にしているのだろうと思っているわけです。一回、夜に見てしまっていますがね(笑い)。
ところが、主人も、はれているのに、黒い彼が傘を指して、出かけるのに出会ったそうで、主人の判断では、強い神経症だろうと言う判断です。どっちが正しいかは解りませんが・・・・・
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副題7、『ここで、私のパソコンへの破壊工作が、どういう風に行われているかについての推理を、積極的に開示しよう』
IT関係の技術は、急速に進歩しています。私は実はその恩恵をこうむっている一人です。ノートパソコンがあるからこそ、今まで、6冊の本を出版することができました。誰に頼まないでも、自分で、印刷用データを作ることができるからです。
ただし、とても恐ろしいところがあるので、それ以外のことでは、IT的なことは一切利用せず、ケータイも持ち歩かないし、いわゆる、ケータイでのメールも打ちません。だから、知人や、友達とは、一切連絡を取っていないと言っていいでしょう。また、出先で、地図を知りたいとか、レストランの名前を知りたいと思っても、そう言うときはネットカフェに入って、グーグル検索をしないと駄目ですが、私がネットカフェを利用しようとすると、会員制度であって、必ず、何を検索したかを悟られ、行きたいレストランとか、劇場の周辺に、工事が急に設定されていたり、いわゆる、制服のガードマンが、林立をしていたりするので、印刷された地図の本を持ち歩く以外は、便利なツールを一切利用しないのです。
午後、3時ごろ、東急BUNKAMURA の催しを検索したことがあるのですが、そうすると、横浜駅の東急線への入り口に、普段は居ないガードマンが居るし、渋谷の出口には、五人ものガードマンが居るのです。
同じ現象ですが、別の日の、午後三時ごろ、静嘉堂文庫の催し物を確認しました。すると案の定ですが、二子玉川駅からタクシーに乗ったのに、行き先々で工事が急に設定をされ、赤白段だらのとんがりコーンが立っているものですから、通常より遠回りしてもらいます。帰りなんって、もっと、工事現場が増えていて、二子玉川駅に変えるのは無理ですねと判断をして、用賀駅に出たほどです。あっちへ曲がったりこっちへ曲がったりしたので、2000円以上かかったのですが・・・・・
つまり、私のパソコンは、24時間中、ハッキングを受けているわけです。ところでそれですが、上で語っているいつも黒い傘で顔を隠してこの山を降りて行く、あの青年の家に、しかるべき道具が備えられている可能性は、感じるのです。
それ以外にも、我が家は、険しいがけに、東と南が囲まれていて、普段、そこは、チェックができません。そして、それほど、アメにもぬれない場所がいくらでもあります。だから、そこに、ルーターと言うか、増幅器と言うものを置いておけば、私の画面を、直接見ることのできる人が大勢、出来するのも可能なのです。と、以前から考えていましたが、
それらは、相当に高価な機材でもあろうから、ぬれるのを恐れるとしたら、大きな建坪を持っている石井家の、どこかにおいておくのはかまわないことでしょう。あの黒い傘の青年は、何も知らず、一部屋か、二部屋は使わないで、くださいと頼まれているだけかもしれませんね。一部屋は、やがて帰ってくる予定の石井家のものが保管をされている。ふたへやめは、この手の機械が置いてあると、見なすと、すべて、つじつまが合ってくるのです。
そして、私のパソコンと、同時にこの画面を見ることができる人材は鎌倉では井上ひさしと、伊藤玄二郎、また、ご近所の某氏、東京では、私の大学の一年次の同級生KK君、と、すべて、今まで登場してきた人物ばかりですが、
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副題8、『横須賀に住む普通人が、既にエージェントに格上げをされている可能性について』
ここへきて、横須賀在住の候補者も二人上がりました。この前、横須賀出身のピアニスト、野島稔氏について、一文を囲うとしたら、パソコンが異常な動きを見せて、書きにくいこと書きにくいこと、短い文章を完成させるのに、10時間かかりました。横須賀で、私の文章を抹殺したい人間は二人居ます。
元横須賀市の副市長、杉本夫妻と、瀬島龍三と、密接につながっている中野通巳吉氏。野島稔の項目には、一切危険な文章は、入っておりません。私は野島稔は、ピアニストとしては、好きなほうなのです。だから、彼を守るためにも政治的なニュアンスをその文章内には入れ込めません。なのに、異常に書きにくかった。なぜか?
無論、私の文章を異常に熱心に研究していて、突っ込みどころを見つけ井上ひさしが、阻止したいと思った可能性はあります。
それはどういうことかというと、私が上品な人だということが解ってしまうからです。特に今、そのリンク先を入れようとすると、13752文字のこの文章が突然に、49660文字へと変化したので、下に現れる次の章へ、まわしておきましょう。どうして、こう言うことになるのか、不思議です。野島稔って、けっこう通の人しか知らないピアニストでしょう。その文章のリンク先を示すと、どうして、これほど、妨害を受けるのか? それにしても、野島稔の名前を冠したピアノコンクールを、横須賀市が主催していますので、横須賀市の元副市長(それは、吏員としては最高ランクである)が、私のパソコンをライブで、覗き込んでいる可能性は強くなりました。
それと、後ほど、その名前が出てくる中野通巳吉氏です。こちらも、私が北久里浜に持っている家に行くと帰りに必ず、JR久里浜駅にガードマンが待っているのです。で、その家に盗聴が仕掛けられていて(私は一人で作業するので、会話は、しないのですが、そこに来た日に返りに、ガードマンに出会うことが)、盗聴を意識させ、それによってノイローゼにさせてやろうとする仕組みなら、理解ができます。
の、二人も通々に、このパソコンを同時進行的に覗き込んでいる可能性は感じています。特に野島稔コンクールを、予算的に実行したのが杉本氏あると、彼がいらいらする可能性は大きいですね。自分の功績なのだ。それについては触れるなと言う意味で、この文章を破壊してくる可能性は強いです。
ただね、ここらあたりは、私が書くとした証拠をつかめる部分ではないのです。だから、推察に過ぎません。
でも、ともかくとして、我が家のすぐ傍に、微妙な電磁波を拡大する装置はあって、そこから、私が今書いていることは、瞬時に別の人のパソコンにも表出し、その人間が特別なアプリを使えば、突然に、字数表示の欄の実体とは、単に字面だけを三万字分、増やしたりすることは、可能でしょうね。
そう言う破壊工作は、ここ一ヶ月、常に味わい続けている被害です。
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副題9、『福島瑞穂さんに、青山のウィメンズプラザで、にらみつけられたが、その理由は?』
これは、福島瑞穂さんのケースでもはっきりと確認ができました。いつの頃か、日本ペンクラブのメールが配信される様になって、ある日、福島瑞穂さんと雨宮処凛さんの対談のお知らせが来て、まあ行くこととして、福島瑞穂さんについて、その日初めて、グーグル検索をかけたのです。社民党には興味がなくて、したがって、福島瑞穂と言う有名人であっても、私には、知らない人の一人だったからです。
すると、驚いたことに、彼女には、在日の出自があるのでした。土井たか子さんもそうなのですって。本当に驚きました。その時点では、私は今ほど、ライターとして自信を持っては居なかったので、この件をぼやかして語っていますが、後で、ブログ開始以降の話だったら、月日は確かめられます。
ところが、会場の青山ウィメンズプラザに行くと、そこは前からしか入れない形のホールです。まだ、母の見舞いがある時点だったので、忙しくてね。夜6時会場なのだけれど、遅れていきました。で、壇上左側に位置している福島瑞穂さんと、真正面から、見つめあう、6メートルぐらいの距離で、最前列に座ったのです。
福島瑞穂さんがにらむのです。私とは初対面ですよ。にらまれる理由がないです。社民党のトップだと言って喪、それは、選挙で、選ばれる立場だから庶民には、失礼な事をしてはいけません。ここは、最近頻繁にその名前がここで、登場する長瀬いずみと同じです。個展をしている作家は、お客に対して失礼な態度をとってはいけないのに、取ったから、一種の陥穽に落っこちてしまったのです。常に原則を守ることが大切なのでした。ふわふわしては駄目なのです。
福島瑞穂さんも、私に対してにらむなどとは、まったく幼稚と言うか、頭が悪いとしか言いようがないです。そのにらみ付けで、さらに多数の、ことが解りましたのでね。失敗です。だけど、南果歩さんが、在日の星として、過剰に周囲からちやほやされているものだから、何をしてもいいんだと思い込んで、実子が二人も居る男性を略奪できた(後注2)のですが、それと、とても似ているのではないかしら?
ともかく、福島さんは、私をにらんだりしてはいけません。幼稚すぎます。ハッキングを受けていることの証拠となりますし、その上、福島さん自身が在日の出自がある事を、告白した様なものですから。
で、これ以降、永田町を見つめると、福島さんが在日の出自があることが、いろいろな側面からわかる様になります。たとえば、小沢一郎氏と、よく組みました。小沢一郎氏は、国際的軍産共同体に、特別にかわいがられている存在です。小選挙区制導入の頃の、ニュースステーション内で、久米宏が、小沢氏を、大事にしたこと大事にしたこと。
で、2012年の暮れの総選挙直前に、滋賀県知事の嘉田由紀子さんを突然に推し立てて、原発反対の新党を作らせ(裏で稲盛さんが動いたらしいが)、そこと小沢氏の党が連携するのしないのと、大騒ぎだったでしょう。小沢氏自身に、在日の出自があるかどうかはわかりませんが、日本と、日本人を抑圧するために、韓国と、韓国人、および、在日の出自を持つものを、上に置くという手法に、のっとって動く、二人だったです。
実は、その時の対談相手だった雨宮処凛に対しても一家言あるのですが、この文章があまりに長くなってしまうので、それについては、ごく簡単に言うと、雨宮舜と言うペンネームを私が自分のパソコンの内部で、使い始めたのが、2001年か2002年のことです。雨宮処凛の活躍の始まりは、その時点以降ではありませんか?
特に左翼としての活動の始まりは、2002年以降ではありませんか? となると、かのジョは、私が使い始めた雨宮舜と言うペンネームをつぶすために、突然に、ブレイクを果たす様に某所から指令が出て、ブレイクして行ったとなります。これは、私自身は、ずいぶん前から気が付き始めていて、
上に挙げた青山のウィメンズプラザの日本ペンクラブのシンポジウムの時には既に、それを理解していましたが、雨宮処凛、本人には、まだ、この件は、知らされていないらしくて、演壇の右サイドに居た、彼女は、福島さんの異常な変化(急に不機嫌になって、上の空にもなって、ある一点を見つめ続けている)の理由がわからないので、おろおろし始めていました。
ともかく、2008~10年ごろまで、彼女の露出はすさまじかったです。ただし、私が上の福島さんとの逸話を、述べた直後の、2012~13年は、少し静かでした。本日グーグル検索をすると、またまた、にぎやかに成っていましたが、批判も浴びている模様で、そうでしょうねと思っています。ただ、雨宮処凛は、一冊もまだ読んでいないので、ここでは、これ以上は、語らないでおきましょう。
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副題10、『鎌倉・雪ノ下では、石井夫人が引越しをさせられて、横須賀・北久里浜では、佐藤夫人が引越しをさせられた』
ココで、副題5の地点まで戻ります。石井夫人と言うのが引越しをさせられたが、その経緯は横須賀市根岸町(最寄り駅は、京急北久里浜)で、起きたこととそっくりなので、エージェントの存在をこの山でも感じたことだったと、語っていますね。ココから先は、その佐藤夫人のいきさつに入っていきます。
私は近隣関係の主婦の間で、ボスになることはできません。むしろ、虐げられて、下のほうに置かれることが多いのです。だが、目のある人は異なります。私の実力が一番だと思い始めます。時間がたてばたつほどそうなっていきます。だけど、それは、表面にはなかなか現れません。と言うのも地域社会というのには、必ず、ボス志向の主婦が居て、すぐそれがボスになりますし、その人はボスの座を明け渡すことを、認めないからです。
で、表面上は私は低位の位置にいつまでも居るわけですが、北久里浜では、土地をめぐる非常に大きな事件が起きて、それに、戦後の日本で最大のエージェントである瀬島龍三が絡んでいたために、我が家は、1975年ごろから盗聴をされていて、それを検討すると、私の真実の立場が、彼らにも読めていたのです。
それで、彼らの見るところで、私の家来になる可能性があったのが、佐藤夫人です。電話で、「川崎さんタイへン、助けて。大変なのよ。坊やが」とか、呼び出されて、そこのお宅に行くでしょう。佐藤家には、盗聴の仕組みはかけられていないけれど、私が問題を解決してあげて、心配を解いてあげたのは、その後で、別に救急車も来ないし、あたりが静かなままだから、推察ができるわけです。表向きは最も尊敬を受けている佐藤夫人が、実際には、影では、私を慕い、頼っていると言うことを、敵さんたちは知っていたわけですね。
だから、事件が起きて、そこで、私がものすごく実力が高いことがわかってしまって、彼らの悪のからくりも全部見抜いてしまった後では、『彼女に協力者ができたら大変なことになる』と、彼らは考えるわけです。
と言うわけで、佐藤夫人は引越しをさせられていきました。子供同士(特に下の子)は、大変仲良しだったのに、引越し先も告げずに引っ越したのは、佐藤家が、敷地、30坪程度のお宅だったのを、敷地50坪程度のお宅への引越しを提示されて、それを受諾する以上は提案者の言うなりになるしかなかったのでしょう。
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副題11、『地境地主が、元海軍参謀と言う知者であることが、私の困難の始まりだったが、本当の事を言うと、無位・無官の私は、彼らよりもっと頭がよかった。それが、私の現在抱えるトラブルの真の原因だ』
そこに、横須賀市の水道山と言うのがありました。その北側に、500坪の土地を買い、分譲地を作ったり、建て売り住宅を作ったりして、のこりが、たった、2.73平米と成ってしまった、大建産業と言う、土木会社兼不動産屋がありました。その代表者は、書類上は、中野通巳吉という人間で、今は、その当該箇所に住んでいます。
が、1970年代には、彼の姉と、その夫で、益山某という、元海軍参謀が住んでいました。二人は、二人とも大変なインテリで(奥様は都立大学建築科卒)、上品な夫婦でしたが、実は、経済やくざ以上の経済やくざだったのです。
心理学的に同情して言えば、戦後、軍人はパージに出会い、生活が苦しかったわけですね。その上、正夫人が、よこすか米軍基地内のクラブで、アルバイトをしているうちに、米軍将校と、恋愛をして、家を出奔してしまいました。一種の自暴自棄にもなりますよね。
ココから先ですが、既に数回書いているエピソードなので、リンク先を後で、見つけておきます。たくさん文章を書いているので、見つけるのも、非常に困難ですが、見つけておきます。
ココで、やっと、副題4の場所まで戻ります。
で、ご近所の石井夫人は、私を助けるために出動したみたいに見えますが、実際は、こう着状態に陥ってしまっていた、柳沢昇を救うために、出動してきたのです。で、柳沢昇は、それに感謝すればいいのに、なんと言うこと、警官を呼んで、警官たちに、『あそこの奥さんが生意気だから、ご主人に、奥さんを叱る様に頼んでください』と言ったのでした。
ココから先、それもまた、面白い展開になるのですが、それも、何回も書いているので、後で、リンク先を見つけておきます。
で、その呼ばれた警官たちが、これまた、大へまをやってしまうのです。石川和子さんんと言うのは、日銭稼ぎおばさんと、私が言っている様な存在なのですが、元愛人だった伊藤玄二郎のおかげで、大物ぶった扱いを受けているので、自尊心と自己評価が過剰に高い人間なのです。そう言う人間が、私の様な真に実力がある人間と退治すれば負けるのは当然です。めろめろに恥ずかしいことになってしまいます。だから、こちらは、接触しようとも思っていないのに、特別にわがままになっているので、我が家の猫が、賢いので、いじりたくて、接触したくてたまらなくて、そのわがままが抑えきれない人なのです。子供も居ないし、いろいろな意味で、訓練を受けていない人間なのです。粗野と言っていいのかな。態度ではなくて、精神の部分ですが、粗野と言うか、荒削りと言うか、ものを考えないというか。
結局はその三年後ぐらいにがんを理由に死んでしまうのだから、わがままを抑えておいた方がずっと、得だったのに、わがままを押さえ切れないタイプだったのです。お気の毒にとも、思っていますが、原因があって、結果があるの典型です。結局のところ、仕方がないでしょう・・・・・と言っておくほかはないです。
だけど、その石川和子に呼ばれた二人の警官がやってしまった大きな失敗を、私はこのブログの世界で書いています。普通だったら、当該警官、またはその上司が謝罪に来てしかるべきですが、伊藤玄二郎と、井上ひさしは、あくどいので、警察庁を自分たちの見方としているみたいですね。警察が恥をかいていますと、こびて行ったのでしょう。
そう言うわけで、私が国会図書館に行くたびに、警察関係の車両が待ち伏せしていると言うことになります。何かを誰何されると言うわけでもないのですよ。無論のこと、向こうから話しかけられる事も無いのです。ただ、脅かせるはずだと思ってとまっているわけですから、時々は、「何で、ここにいるのですか?」と、私側から、質門をするのですが、そう言うことは想定していないらしくて、現場に居る警官は何も答えられません。何度も々事をやると、やがて、答えを準備されると思うので、この質問攻めは二回で終わり、別のガードマンに対して、三回ぐらい行って、ガードマンに対しても終わりです。
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副題12、『国会図書館を自分たちの言うなりにして、満州の新聞の、第四面を削除してしまった、エージェントたちはそれを明らかにされても反省するどころか、さらに悲しみを、えぐってやろうとして、お正月特番に、国会図書館を選んで、爆笑問題に、そちらを探検させた』
爆笑問題が、大学を訪ねる番組があって、私は大変面白いと思っておりました。だが、私が喜んでみる番組は必ず利用されます。どういう風に利用されるかはまちまちですが、他にも日曜美術館(ETV), ぶらぶら美術館(BS日テレ)、おぎやはぎの愛車遍歴(BS日テレ)もよく利用される番組です。特にBS日テレの番組は、コマーシャルが意思の伝達に、利用されるポイントです。かどや製油のコマーシャルが突然に入ったのも、そのひとつですが、それについては、本日はふれません。これらは、毎週予約で、録画しておいて見るので、私への脅かしとか、彼らの意思の伝達に利用をされます。
ところで、2014年のお正月にばくもんが、国会図書館を訪問しました。番組の中で、何か、おかしいところがあったかというと、ないです。とても面白かったです。だけど、特番として、探検ばくもんが使われると言うこと、そのものも、私が見るに、ひとつの彼らの力の誇示でもありました。お前の好きな番組でも、そのテーマ選びはこちらが生殺与奪の権を握っているのだぞというデモンストレーションでもありました。
そして、国会図書館を、われらが支配をしているのだと言う誇示でもありました。だけどね。満州の新聞の社会面と言うか文化面を一切保存しなかった(?)国会図書館です。それから、伊藤玄二郎の、『びょんぶ』と言う河出書房新社から、出版された豪華本があると思うのですが、・・・・・それを、顕彰して彼に、ポルトガル国から、エンリケ皇太子勲章が与えられている重要なホンである。・・・・・それに関する情報を一切秘匿していること。
それから、いつの間にか、入場するに身分証明書が必要になったこと。それと、開架図書が皆無になり、一切の出庫が、身分証明書によってなされるので、学問の自由が奪われていること。
そう言う部分は、国会図書館としては、大恥部に当たると思いますよ。しかもそれが、石川和子さんと言う特別に下劣で、下品な女性の、わがままから発していること。そんな事を記録されたら、当時の館長は恥ずかしくなるはずです。まず、満州時代の新聞の文化面を削除した時期の館長は誰だったのかを知りたいですね。次に開架図書を全廃した館長は誰だったのか。次に、身分証明書の導入を決めた館長は誰だったのか?
副題13、『もしかしたら、ごちそうさんの脚本家に、<ぜひ、地下鉄心斎橋駅を、内包して脚本を書いてください>と、NHK側は頼んだかな?』
ココで、この章の副題1へ、やっと回帰します。私は、2012年の6月に大阪を訪問しています。ココで、経験したことが、醍醐イサムへ、直結して行くのですが、・・・・・それには本日は触れることができないと思います。だが、松井大阪府知事が、私がそこを訪問した当日、大阪市立図書館を訪ねたこと(それが、NHKの6時からの地方ニュースによって私にわかった)によって、驚くべきことがわかったのですが、大阪維新の会も、彼ら鎌倉エージェントに支配をされているのでした。
つまり、大阪市立図書館に行く目的が、びょんぶを探しにいくことだと、伊藤玄二郎たちは、考え、石原都知事等を通じてだと推察されますが、橋下徹市長に、「川崎千恵子を脅かしてくれ」と頼んだのでしょう。または、松井府知事に? 私が大阪市立図書館で、観察し、学んだことはそう言うことではなかったのですけれどね。その時点では『びょんぶ』が、そこでも、秘匿されているのは十分にわかっていましたよ。
だけど、維新の会は、驚くべきことに、その本質である、現在の、日植民地支配のうっとおしさを振り払おうとしているから、人気があるのに、その植民地支配の大牙城であり、最先端である、鎌倉エージェントの言うなりになったのです。大矛盾でした。
石原都知事が、漫画の表現を規制する都条例で、鎌倉エージェントの言うなりだったので、その縁で、この大阪市立図書館を、使った脅かしが行われたのかもしれません。
その時の訪問で、私は驚き入っています。何にと言うと、地下鉄心斎橋駅他の汚さです。アベノハルカスは、きれいでしょう。だけど、地下鉄の各駅は、創設以来掃除をしていないのではないかと思うほど、汚かったです。床ではなくて壁が出す。それをブログで書いています。
だからこそ、ごちそうさんで、地下鉄が重要なアイテムとして取り上げられたのではないかな? 確かに心斎橋駅は豪華です。だけど、2012年時には、壁が本当に着た汚かったです。天井も汚かったです。ただ、かといって、ドラマが、汚いというわけではありません。(笑い)
大阪市役所がおかしいのです。
だけど、今端下視聴の勢いが落ちているでしょう。私はそれについても、既に、2012年6月に推察していました。鎌倉エージェントにお願いされた事を実行してしまうと、自分の幸運が必ず逃げるのです。その典型例です。残念なの事ですが。14日の夕方までに、推敲を終わり、日付と署名を入れます。
なお、このブログは、2008年からはじめていますが、その2010年より数え始めた伸べ訪問回数は、209万回以上(=2099674)です。
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