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これは、最初の総タイトルを『72歳にもなって、やっと、余裕ができて、猫に、甘えられ切って居る今の私▷』と、ほんわかしたものとしておりました。だが、30日に入った途端に、人聞きの、悪いものに変えました。
この文章ですが、お約束通りにするつもりなら、前報を膨らませないといけません。しかし、10時間以上外出してきて、疲労困憊です。それでも、心慰むのは、玄関迄迎えに来てくれた猫が、あれこれと、本当に嬉しそうにして、たくさん、たくさん、話しかけてくれる事でした。
前報で、言っていますとおり、今、私は、仕事量を、五分の一ぐらいに、減らしています。それを、ぴーんと、わかるのです。『だから、お母さんには、今は、もう、甘えていいんだ』と思っている。私が、夜の8時15分に、家に着いてから、15分ぐらい、めちゃくちゃ、激しいおしゃべりをし掛けて来た後で、今は、私のすぐ隣の椅子の上で、こんこんと寝入っています。超、単純なマナー。超単純な、生活様式。
でもそれって、6歳ぐらいの、子供そのものの、ありさまです。「猫がいるだけでも、本当にお前は、恵まれている」と、主人がよく言いますが、きっと、そうなのでしょう。花子とアンで、犬のテル君が、ご主人の襟元の中から、突然あらわれますが、まさにそれと、全く同じ形で、母は、着物の、襟元の中に、ちっちゃな三毛猫を、入れて帰って来たのでした。妹は、7つも下なので、それに、ご近所がいない、まるで、トトロの家みたいなところ…(船橋だが、70年前には、そういう地域が、あった)…に、住んでいただけに、それが、どんなに嬉しい出来事だったか?
そして、母がそれをもらってきてくれた私が五歳のその時から、長短あわせて、生き抜いた、5匹ぐらいの猫と、付き合ってきました。途中で、捨てられていた、大人になってしまっている、スピッツも、飼いましたが、私は、生涯、猫派の模様です。
ところで、それほど激しく、猫に甘えられてみると、子供と、主人には、甘えさせて上げる歳月が、なかった様な気がして、それは、なんとなく、残念であり、申し訳ない気持ちで、いっぱいです。
72歳迄、生きて居ることだけでも、想定外ですが、今、余裕を持って、普通の人をして居る事も、不思議です。私の時代はね、小学校時代に、学級委員だったりしたら、そりゃあ、大学に行って、何か、立派な、仕事をするべきだと、思い込んでいました。または、周囲から、思い込まされて居ました。これは、東京圏の、ちょっとした…………中流、階級用の…………住宅街に住んでいると、自然に、そうなると、おもいます。
私は、船橋から、横浜に転居して、10歳から、東横線の日吉( 東急が、開発した分譲地 )に住んでいたので、まさに、典型的な、そういう女の一人でした。ただ、自分としては、『もし、結婚をしないと、ユニークな人生に成り過ぎて、不幸になる』様な予感がして、結婚をするべく努力をしたのです。が、矛盾も矛盾と言うべきなのは、結婚をしてしまうと、こんどは、『やはり、自分は、普通の人ではないな。ひとかどの人として、創作をするべき人なんだ』などと、気づいてしまうのです。だから、人間とは、業の深い生き物です。他人のことを、よく、「欲望の、深い人で」と言っていますが、私も、実は、よくの深い方でした。
ただ、他人に優越しようとする意味での、よく深さではなくて、はるかな、高みを目指すと、いう意味での、よくの深さではありますが。
72歳を、過ぎても、その姿勢を変えるつもりは、なかったのに、睡眠導入剤を、もらいに行くことを、妨害されて、仕方が、なくて、普通の、人と化したのでした。どうして、そう言う事が言えるかと言うと、創作とは、快楽のうちの快楽だそうで、脳内にビンビンと言う形でアドレナリンが出るのだそうです。だから、毎日眠くないのです。ただし、寝ないと、頭がすっきりして来ないのは、自分でもわかるので、次の、創作作品の出来がよくありません。その矛盾の解決策として、睡眠導入剤が、必要なのでした。他人に増して、大量な仕事をこなして居る人は、きっと、使って居ますよ。
だが、このブログで、それも、追い詰められての、不思議な、成り行き故ですが、世の中の、真実のうち、いわゆる諜略的ニュースに関しては、ほとんど、70%近いレベルで、語る事ができていますので、それも、心の余裕を、生んでいます。
毒入り餃子事件、マルハニチロの、農薬混入事件、GSユアサのバッテリー発煙事件、オスプレイが危険だと、発言したアメリカ退役軍人達のインタビュー、ちょうせんと、日本人が、お隣の国を呼んでいた時代の従軍慰安婦問題、そして言わずもがなの、大相撲壊滅作戦、それらは、「あれっ。そんな話、ありましたっけ?」と、すでになっているか、これから、なって行くでしょう。そして、スタップ細胞騒動も同じで、そのうち、「笹井芳樹って、だれだっけ?」と言う事になるでしょう。お気の毒に。
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しかし、「これは、消え去るべきものでもない」というものがあり、それが、福島第一です。
中間保存施設、とか、大熊町と、双葉町の中心部を除染し、それに、850億円を、割り当てるとか、無駄になることばかり、今の政府はやっています。何と腑抜けな事だろう。そして、なんと、被害地域の人間をだめにしていっているのだろう。
私は、2011年3月13日から、5月迄の間に、本当にやるべきことは、ほとんど言って来た筈です。しかし、岩手で、タウン誌を主宰する高橋真樹さんが、……………多分、鎌倉春秋を出版している伊藤玄二郎に、教唆されたのでしょうが、……………「もっと、言葉に気を付けていただけません?」と、何度も言って来て、本質を見失わせる方向へ、この私をすら、改造して行こうとするのでした。つまり、同情をして、甘く、甘く、取り扱うのが、いいことだとされて居るのです。それは、本当は、優しくも何でもない事であって、本当に突き詰めていうと、すこぶる、残忍な事なのですよ。被災者に対して、この上なく、残酷な事をして居るのと、同じなのです。千と千尋の神隠しの中で、豚にさせられた大人達が出て来ます。今の、NHKニュースを聞いていると、無責任な日本じゅうの人々が、福島県、浜通りに住む人達を、寄ってたかって、豚へと仕立てあげて居るのです。どうしてみんなには、それが、自分の事として、自覚をされないのだろう?
もう一度、そのころ私が言っていたことを、現在の条件に、当てはめて、一部を変更して繰り返せば、
「早く、転居なさい。そして850億円国が出すのなら、それは、個人にあげて、そこは、最終処分地にすることです。原発地元民とは、そう言う宿是を背負って居るのです。だから、導入の最初の交付金も、箱物行政などには、使っては、いけなかったのですよ。原発とは、ゆっくり燃やす原爆であり、燃やすといっても、酸化還元反応を、起こす他の物質とはまるで違うので、被害に終わりはないのですよ。それが、真実です」と、成ります。今、政府がやって居る事は、『群盲、象をなでる』の、典型です。
本日は、i-padの、一本指うちなので、ここで終りと、させて下さいませ。猫も、いつの間にやら、隣から、私の膝へ移動をして来ていて、上を見上げながら、切なそうに啼いていますので。
福島第一の事は、こんなに、間違った無駄な方向へ行っているのに、誰もそれを、修正出来ないなんて、
日本人は、いつの間に、これほど、劣化したのでしょうか? そして、どこ迄、アホになっていくのか?
私は、急に秋めいてさむくなったへやで、ただ、何も出来ずにいるのですよ。切ない……………………そこを真面目に、考えると、余裕が生まれたなどとは言っていられないのですけれど、この身一つでも、他人には、できるだけ、迷惑をかけないで、この命を終わらせたいとおもえば、72歳なので、「もう、よゆうしゃくしゃくで、生きています」と、言いたいのも、普通の話だと思いますが、いかがでしょう?
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2024-8-29 雨宮 舜 (本名 川崎 千恵子)
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