さきほど、9月1日の夕方七時ごろ、一応完成として署名を入れて終わりました。が、ここで、相当加筆いたします。その後、改めて終わりますという言葉を入れられるのは、今は次の日、二日になっていますが、さらに加筆し、午後三時ごろ終わりとなる見込みです。そのころにでも、もう一回訪問をしていただけますと幸いです。
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8月30日、お昼から五時に掛けて書いたものの中に、三井船舶のタンカー襲撃事故はドメスティックな海賊ではなくて、国際的軍産共同体がやったと書いています。これは、まだ、確証はないものですが、ひとつの傍証は、週刊現代が巻頭に10頁にもわたる三菱コンツェルンの特集を組んだことです。ここはたいていは若い女性タレントの柔らかな姿勢を載せる頁でした。特別な意味があります。
それと、何十万トンというクラスのタンカーは、船体に使う鉄板が非常に厚くて(たぶんですが、五センチ以上七センチぐらいです)、それに穴を開けずに、しかもあれだけ、へこませるのは、相当に大きな爆弾(?または、魚雷とか、水雷とよばれるもの)でなくてはできず、しかも大きすぎてもだめなのです。穴を開けて、油が漏れて、爆発炎上し、人が死ぬほどのことになったら、それは、犯人探しが真剣になります。洗いざらい追求されて、やがて、シーシェパードのように裏側が明らかになって来るでしょう。だから、ほどほどのレベルで抑える必要がありました。で、大変高度な軍事知識を持つ人間が行った可能性があります。
若い船員たちは、戦後65年も過ぎているから、魚雷というものを知りません。ですから、「光が走った」とだけ言っています。だけど、ドメスチックな海賊が襲ったとして、どうして、彼らは、タンカーを襲うのでしょう。何も収穫がありませんよ。タンカーを奪ったとして、どこにそれを合法的に売ることができますか? 石油だけ売るにしても、それだけ、多量のものをどうして、合法的に、売ることができます?????
船員が持っている現金を奪うとしても、タンカーは巨大であり、船腹にロープをかけて上るのも容易ではありません。と考えると、これもまさしく、諜略としてやられていることだとわかってきます。日本を脅かすために行われています。
または、私を脅かすために????? 私の家族や友人の中に三井物産の人間が多数いますので・・・・・そういえば、2008年に印刷所に向かうために、タクシーに乗ったら、広告もナビもない、いかにも警察が偽装をしたであろう、タクシーで、その会社名が三井食品というものでした。これは印刷所とのアポが電話盗聴で調べられていて、しかもその日は東上線が、二時間も動かなかったのです。で、前夜徹夜した私は常盤台近辺でタクシーを拾ったのですが、私を乗せようと待ち構えていた感じのタクシーでした。
しかも、今、そこまでは書かないで、
一般的に、タンカーがあの地域のアフリカ系住民に襲われるはずがないと書いただけで、パソコンは白閃化、し、かつフリーズしました。そのときにかいていたことは、『アフリカ系住民が、石油全体ではなく、乗組員の所持金だけを奪うために、海賊行為をした仮定して、それを目的として、狙うにしては、タンカーは巨大であり、船腹が高くて進入が困難です。だから、この襲撃が強盗でも、海賊でもないと、丁寧に書いただけで、パソコンが白閃化し、フリーズしました。この敵は、そういう妨害を行えば、私が確証を持ち強い口調で文章を書くということが読めないようです。非常に幼稚です。
私が真実を書いているからこそ、脅かして書くのをやめさせようとしているわけでしょう。
なお、このタンカー襲撃が一種のうそとして、地域に出没しているアフリカ系人間の海賊ではなかったとして、そのうそをつく経緯は、私がパリで危うく拉致されそうになって、でも、そのころ、デキゴトロジー(週刊朝日)が拉致の頻発を、お笑いにまぶして書いたのと、そっくり似ていますので、後日、その件に触れる可能性があります。または、今日書けたら書きます。後ろへ添えます。
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さて、小沢一郎氏が総理大臣になると困るのは、松沢神奈川県知事を使って、敵側が仕掛けてきた禁煙運動の指揮を執ったのは彼であると思われますので、小沢氏は、大なり小なり、こういう心理操作を利用する傾向を持っていることなのです。本人はそれを、『自分は頭がよいのだ』と自慢しているようですが、それが一番国民としては怖いことで、困ることなのです。しかもどう考えても、一番、国際的軍産共同体の、寵愛を受けている政治家です。だから、日本と日本人はこれから大変なことになります。
ただ、ここまで言明するのは皆様を、ドン引きさせてしまうかもしれないとは、感じています。ただ、預言者は世に容れられずと、言われた私です。現在直感的にわかっていることを、公開するのも命を賭しているとしたら、許されるでしょう。
それにここまで書いたからこそ、小沢一郎氏は、代表戦に確定的に出馬することとなったのかもしれません。『大変だ。日本国民はそこまでわかっているのか。それでは、徹底的に弾圧し、抑えないといけない。菅首相では弱腰だ。強圧的で、豪腕といわれる小沢一郎氏にここは総理大臣をやらせないといけない』と、国際的軍産共同体が思い直したのかもしれませんのです。
まあ、私にとっては、『三井船舶のタンカーが襲われたのは諜略のひとつだった』と書いたのは、虻蜂取らずだったかもしれません。一週間ぐらい前から、戦略的に打って出て、小沢氏をこれからは褒めようかなあと思っていたぐらいです。そのほうが結果として、私の考えを打ち消したい彼らは小沢氏を、見限るかもしれないからです。
で、結果として、私の願う方向へ流れるでしょう。ともかく、私の言うことを次から次へと否定をしていくニュースが作られますので、そうまで考えますが、正直者の私にはそれはできないでしょうね。
自分の考えと正反対のことを書くことなどできません。
でも、日本という国が翻弄をされている大変な状況下にあるということは、お話をしておきたいのです。それに昨日の記事で、JALの改革案に軽く触れただけでも、すぐ、今日正式な発表が稲盛さんから、ありましたね。自分のブログがニュースをおびき寄せる、というか、作り出すのには再び気がつきました。
守屋事務次官の「刑を受容し、収監される予定」というのニュースもありました。あれも自民党を追い落とすためのニュースでしょうし、ハマコー起訴もその一環でしょう。日本では三権分立はないのです。司法をも使って支配が行われます。特に、国民一般を脅かし暗い気分にさせていく、ための裁判が頻発しています。
琴光喜の永久追放も決まったようです。なんだか、すべて、私にとっては悲しい方向のニュースのオンパレードでしたが、「しこたまという程度に、やって来ていますね」というしかないです。そして、彼ら本人が示す『矛盾の露呈』を待つほかないです。小沢氏に総理大臣が務まるのかどうか、大橋居泉氏みたいに、「も、僕はやめた」となるのではないかと危惧します。が、こう書けば彼は踏ん張るでしょう。
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ところで、この種の諜略行為がなぜ起きるのかですが、瀬島隆三の友人益山某氏の犯罪にほぼ30年前横須賀で、気がついてしまった私を、失墜させるために、
鎌倉のご近所を使って、あじさい畑欺もう事件と私が呼ぶものを引っ越した直後に起こしました。その主役の一人が、傲慢な女性、石川和子女史です。その石川和子女史が、23年後またまた、とんでもない失敗をしでかすのです。傲慢のきわみで暮らしているために、起こす失敗ですが、彼女が傲慢であることと無礼であることが、
私を圧迫するのに役立つと考えた、瀬島隆三は、彼女が、自分のほうから、『私は、鎌倉春秋社の社長である伊藤玄二郎の愛人だったので、いろいろ便宜を図ってもらっていて、鎌倉市内の公民館で陶芸教室をたくさん開いているから、お金が儲かるのよ」と告白した相手が、喫茶店映画館のオーナーです。
移転をするように迫られたのですが、後は更地になっています。別に跡地を急いで利用する必要はなかったのです。
また、私がメルマガにそれを書いた、ベニサンピットという稽古場つきの劇場もそっくり同じ運命をたどり、不況だから閉鎖するという名目ながら、実際には跡地は更地になっているそうです。
そして、銀座でもギャラリー手は移転しました。そこを舞台として馬腰陽子さんが私に威張りかえったことがあるのですが、『馬腰さんは待ち構えていたわ』と書いただけで、その証拠となる画廊が移転をさせられたのです。この件も、また、新たに隣のギャラリー山口のオーナーの偽装された自殺(と、私は考えていて、他殺であったと信じていますが)と絡めて改めて書き直すつもりです。
その手法は、アメリカキササゲを切った発想とまさしく同じです。
その結果、大銀杏は倒れました。そして、三井船舶のタンカーが狙われたのです。伊藤玄二郎という人間は、ありとあらゆる人間を使役して、自分の愛人が犯した失敗から、自分を守ろうとしているわけですが、
どうして一個人が、警察が、パトカーを二台朝の六時に一ツ橋の集英社前に出動させて私を脅かすほど、守られるのでしょうか? 不思議極まりないことです。
彼が愛人たちに支えられて(?)、自分の地盤を拡張してきたので、普通の男性より、より大きな役得を得られて大物になることができたのは認めます。一種の賢さの現われでしょうから、それはそれで、かまいません。が、どうして、石川和子女史の信じがたいほどわがままで、ちんけな失敗を、警察が警察庁まで動員して、総力を挙げて糊塗し、守ってあげ、支援しなければならないのですか?
そして、最終的には、三井船舶のタンカーが、商業用の船で軍艦でもなんでもないのに魚雷に狙われるという顛末が訪れます。伊藤玄二郎が原因で、起きている災いはこれにはとどまりません。
おいおい、丁寧に分析して書いていきましょう。でも、伊藤玄二郎と、井上ひさしの二人が国際的軍産共同体のエージェントだったら、なぞが一気に解けます。ご近所の主婦の中に石川和子女史がいたことが、伊藤玄二郎を、エージェント化していったと思われます。彼は彼女から徹頭徹尾、恩顧をこうむっているのです。それゆえ、守ろうと必死であり、彼女が死んだ後でも、その夫、柳沢某へたいして、数々の支援をしている模様です。
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大相撲壊滅作戦も、この三井船舶タンカーへの海賊の攻撃も、私が、今年用に準備している本を出させないがために、企画された諜報行為であり、その発案者は井上ひさしでありましょう。簡単な脅しで終わるはずでしたが、どんどんと、その不条理を私がこの世界で、分析していったので、引っ込みがつかなくなっていて、どんどん、悪さが大きくなっていっていて無関係の存在が迷惑の限りをこうむっているというのがこの大騒動の本質です。
私が本を出すことを異常に恐れている敵方ですが、もしかしたら、こういうことを書かれるから恐れて、これらの諜略行為の数々が出発したかもしれないのです。こういうこととというのは数々ありますが、上のタンカー事故の顛末についてはまだ、紙の本には直すつもりもないのですが、芸術のことだけを書いているのに、強烈に妨害を受けるのは、影に、以下に書くようなちんけなエピソードが控えているからかもしれないのです。
その可能性に気がつき始めましたので、それも書いてしまいましょう。10年ぐらい前の話ですが、広告を道路端に出している私費出版の会社、鎌倉春秋社を訪ねたのです。そこの社長が伊藤玄二郎という名前の人間です。
そして、「制作(印刷機にかける直前までのIT的データを作る)を自分でやりますから、150万円で本を作ってくださいませんか?」と頼んでみたのです。すると、田中愛子女史という女性が、「川崎さん(雨宮の本名)、150万しか出さないのなら、50部しかできませんよ」と怒鳴ったのです。これには本当にびっくりしました。後日、道路っぱたの部屋で、鎌倉の花火の日に彼女がビールを飲んでいたので、「田中さんひどいことをおっしゃったわね』忘れられないわよ」と、言うと、ふてぶてしく笑っただけでしたが、
だんだん、私が向上をし始めるとおびえ始めました。私が、実際の本を作り始め、しかも二冊目、三冊目と装丁等にも凝り始めると、同じ道路っぱたで、会うにしても、言葉が変わってきたのです。甘えるように、舌ったらずな口調で、「川崎さん(雨宮の本名)の注文が多すぎるんだもの。全体で、相当に費用がかかりそうだったから、ああいったのですよ」と弁解していました。
いや、この最後の弁からわかることは、こういう人たちが、いかに素人をだまして高いお金を取っているかということです。それは、鎌倉春秋社が出している短歌の雑誌が年会費、三万円を超えるのでもわかります。季刊で、一年に四冊しか出ないのに、三万円を超えます。
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ここに挿入として、鎌倉春秋社自身の新たな金儲け作戦を公開します。
最近、鎌倉検定というのをはじめていて、その受験料ほかで、莫大な収入を得ているでしょう。私がそれを批判するのを見越して、表駅(線路の東側のこと、私が普段通るところ)近辺には何の広告も出していないのに、裏駅という西側にある地域の紀伊国屋に、よこ1メートル、たて、5メートルぐらいの大たれ幕をたらして、鎌倉検定の宣伝をしていました。受験勉強用の本も売れますから、うは、うはというわけです。
そういう風にお金儲けをして、それを銀座の画廊、ガレリア・グラフィカの栗田女史を篭絡する接待費等に使うのでしょう。そして、栗田女史は、葉山の住人であり、奥様なのに、夜の十時半に鎌倉で途中下車して、ひょこひょこと、伊藤玄二郎の後をついていくということとなります。
そして、その夜に、彼から聞いたことを信じて、受け売りをして、銀座や、鎌倉の画廊に、私の悪口を伝言として入れていきます。で、親切であった上流社会のマダムの態度が激変し、下品で粗野に変わっていくということになります。なるほどね。お金は力だと思っているのでしょう。
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ところで、田中愛子女史に戻ります。この怒鳴り方は異常に失礼でした。「150万しか出さないのなら、50部しかできないわよ」と事務室中に響くような声で怒鳴ったわけですから。今なら散々社長伊藤玄二郎氏の方の悪口を書いていますので、怒鳴られても仕方がないでしょうが、当時の、10年ぐらい前は、私は一切、彼、および井上ひさしについては書いておりません。だから、純粋な意味で私は、お客さんです。三波春夫と言うシベリア抑留を経験した歌手がいて、「お客様は神様です」とよく言いました。
私もお客さんの一人ですから、これは失礼極まりないです。普通、本や出版に関する知識がちょっとでもある人に対しては、100万円で2千部ぐらいの本を作ってくれる出版人はたくさんいます。そういう相場から考えても、印刷や製本の実際の値段(大体一種類の本で五十万円程度であろう)から考えても、この言葉は驚天動地といってよいほど、失礼な言葉です。インテリが発したとも思えない言葉です。
一応善意で解釈すれば、田中愛子女史が制作(デザインのこと)の知識をまったく持っていないがために、他人、特に私のような、普通の主婦でも、それができるということを、想像すらできなかったということも、推察できます。彼女のする仕事は、中学校の学級新聞あたりで、マスターする・・・・・例の校正という赤ペンを入れる作業と、まあ、主語述語の関係が狂っているのを、直す程度だったと思います。
今、私費出版の会社は、原稿の内容についてはお客任せで、ほとんど手を入れないそうで、編集者側が、間違いを気づいて直した場合は、一字につき、500円を取るそうです。ふむ、ふむ。だけど、たいしたことをしていないのに、お金をばんばん取る、心理状態が解せません。私など『武士はくわねど、高楊枝』というしつけを受けてきたから、他人からお金をもらうということができない人間です。
でもね。会社というシステムに安住すれば、こういう人間になるのかしら。平気で他人から大金を分捕れる人間へと変化しうるのかしら。
その上、永田町と言う一応は国家を背負う立場に関与すると、信じがたいほど、傲慢になるようですね。伊藤玄二郎は松沢茂文神奈川県知事とは確実に結びついていて、その知事は民主党で、小沢氏と確実に結びついています。
それぷらす現在、もっとも力を持っている国際的軍産共同体の愛顧を得ている人間と結びついていますが、これらの種族の傲慢さはきわまっています。最末端の一人である、田中愛子女史も、その典型であるのです。前から述べている石川和子女史とそっくり同じ構造です。
上のエピソードは、「非常に小さい」とお考えの向きもあるでしょう。しかし、この部分を最初に書いた9月1日の19時ごろ、私のパソコンが白閃光化して、フリーズして先へ進めなくなりましたので、敵方にとっては、非常に大きなことだったのが推定されます。
しかも、彼女の失敗が、公的にロンダリングされた後日談があって、それを検分すると、伊藤玄二郎がエージェント化していると言う、私の断定は、当たっていると考えられます。で、それもひとつの傍証となりますので、ここにさらしましょう。
毎日新聞の外信部に佐藤由紀と言う記者がいます。署名記事を載せる人で面白い書き方をします。で、注目をしていて、ひいきしていました。ファンになっていました。やがて、私が本を作るようになりました。ので、彼女にも送りました。
大新聞社に送っても本人に届くかどうかがわからないので、電話をかけたりしました。当時は電話が盗聴されているなどとは、夢にも思っていなかったから、自由に行動をしていましたし、彼女も出てきて答えてくれました。
しかし、盗聴をされていたからこそ、佐藤由紀さんは、人事異動にであって、書籍を分析する部署に配属されました。それは間接的に、私が出版人として延びていく方向を絶とうとする動きのひとつであり、私の敵であるとみなされている人材を、ほめまくり、上に立てる手法の一つだったのです。これが、あらゆる方向で繰り返し用いられている手法です。
月刊ギャラリーの編集長本多さんが新潮社や平凡社等の大手の出版社の編集者を軒並みインタビューをして、『美術に関する本は売れない』と言う特集を2007年の7月号に乗せましたが、これも、彼一人の発案ではなくて、後ろに酒井忠康氏のサポート(紹介状を書く等)はあったのではないかと想像しています。当時、私が用意していた、『伝説のプレス』を妨害する措置だったのでしょう。わかっていましたが、今までは黙っていました。
酒井氏の裏には、当然、伊藤玄二郎もしくは井上ひさし等の動きもあったでしょう。それから、筑摩書房から、『伝説のプレス』と惹句だけは似ている本も、二年後ぐらいに出ました。なるほど。なるほど。
たいていの場合は『あ、そうですか』で右や左に流しておいて、注目もしません。しかし、記憶には確かに残っていて、
このように、タンカーが危険にさらされ、三井系コンツェルンに大損失が与えられ始めると、記憶のシナプシスがぱっとつながり、すべてが思い出されることとなります。ので、
ここで、佐藤由紀さんが、田中愛子女史を、ベストセラーを出した出版人としてインタビューしたことの詳細を採録してみましょう。
そのコラムは、何年続いたか、途中で毎日新聞を日経新聞へと買えましたので、知りませんが、でも、一週間に一回以上は掲載されなかったと思いますので、田中愛子女史は、一年で五十人も選ばれない、立派な編集者のひとりとして、毎日新聞社のお墨付きをもらったわけです。
私は佐藤由紀さん、自体には、何も不満はありません。彼女は何も知らない人でしょうから。ところで、その話題の本、『天国の本屋』ですが、無名の書き手、二人の共同作業であり、新書版ハードカバーで装丁には、百田女史という売れっ子のイラストを使っています。
仙台の本屋のポップから火がついて、ベストセラーになったとのことで、夢の企画として、朝日新聞をはじめ、多くのマスコミに取り上げられ、その結果、伊藤玄二郎の大衆的知名度を上げました。しかし、これは井上ひさし、と、伊藤玄二郎の二人が覆面作家として作り上げた本でしょう。そして、その仙台の本屋のポップから日がついたというニュースそのものも井上ひさし案の計略だったと感じています。非常にあたって、収入が高かったり、才能がある書き手なら、やがて二人は顔を出すはずなのです。岡嶋二人のほうに、詳細が読者側に知らされることとなるでしょう。
上品で、しっかりした記者である佐藤由紀さんは、そういうたくらみに使役をされ、田中愛子女史は失敗をかばってもらったわけでした。今、道ですれ違っても、相変わらずふてぶてしい態度ですが、10年の歳月は彼女を変え、白豚みたいだったある種のかわいらしさは失われ、中年女の憎々しげな顔を、道路で、見ることと、今は、なっています。私の方も急速に老齢化していますがね。ふ、ふ、ふ。
さて、今日の文章は、やっとここで、終わりとさせていただきます。昨日から始まって、延々と足したり引いたりいたしました。そのわずらわしさに、同時進行的についてきてくださった方があれば、深く感謝申し上げます。今日一度出して引っ込めた事実については、適宜なときにまた、改めて書き直しましょう。では、2010年9月2日 雨宮舜
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8月30日、お昼から五時に掛けて書いたものの中に、三井船舶のタンカー襲撃事故はドメスティックな海賊ではなくて、国際的軍産共同体がやったと書いています。これは、まだ、確証はないものですが、ひとつの傍証は、週刊現代が巻頭に10頁にもわたる三菱コンツェルンの特集を組んだことです。ここはたいていは若い女性タレントの柔らかな姿勢を載せる頁でした。特別な意味があります。
それと、何十万トンというクラスのタンカーは、船体に使う鉄板が非常に厚くて(たぶんですが、五センチ以上七センチぐらいです)、それに穴を開けずに、しかもあれだけ、へこませるのは、相当に大きな爆弾(?または、魚雷とか、水雷とよばれるもの)でなくてはできず、しかも大きすぎてもだめなのです。穴を開けて、油が漏れて、爆発炎上し、人が死ぬほどのことになったら、それは、犯人探しが真剣になります。洗いざらい追求されて、やがて、シーシェパードのように裏側が明らかになって来るでしょう。だから、ほどほどのレベルで抑える必要がありました。で、大変高度な軍事知識を持つ人間が行った可能性があります。
若い船員たちは、戦後65年も過ぎているから、魚雷というものを知りません。ですから、「光が走った」とだけ言っています。だけど、ドメスチックな海賊が襲ったとして、どうして、彼らは、タンカーを襲うのでしょう。何も収穫がありませんよ。タンカーを奪ったとして、どこにそれを合法的に売ることができますか? 石油だけ売るにしても、それだけ、多量のものをどうして、合法的に、売ることができます?????
船員が持っている現金を奪うとしても、タンカーは巨大であり、船腹にロープをかけて上るのも容易ではありません。と考えると、これもまさしく、諜略としてやられていることだとわかってきます。日本を脅かすために行われています。
または、私を脅かすために????? 私の家族や友人の中に三井物産の人間が多数いますので・・・・・そういえば、2008年に印刷所に向かうために、タクシーに乗ったら、広告もナビもない、いかにも警察が偽装をしたであろう、タクシーで、その会社名が三井食品というものでした。これは印刷所とのアポが電話盗聴で調べられていて、しかもその日は東上線が、二時間も動かなかったのです。で、前夜徹夜した私は常盤台近辺でタクシーを拾ったのですが、私を乗せようと待ち構えていた感じのタクシーでした。
しかも、今、そこまでは書かないで、
一般的に、タンカーがあの地域のアフリカ系住民に襲われるはずがないと書いただけで、パソコンは白閃化、し、かつフリーズしました。そのときにかいていたことは、『アフリカ系住民が、石油全体ではなく、乗組員の所持金だけを奪うために、海賊行為をした仮定して、それを目的として、狙うにしては、タンカーは巨大であり、船腹が高くて進入が困難です。だから、この襲撃が強盗でも、海賊でもないと、丁寧に書いただけで、パソコンが白閃化し、フリーズしました。この敵は、そういう妨害を行えば、私が確証を持ち強い口調で文章を書くということが読めないようです。非常に幼稚です。
私が真実を書いているからこそ、脅かして書くのをやめさせようとしているわけでしょう。
なお、このタンカー襲撃が一種のうそとして、地域に出没しているアフリカ系人間の海賊ではなかったとして、そのうそをつく経緯は、私がパリで危うく拉致されそうになって、でも、そのころ、デキゴトロジー(週刊朝日)が拉致の頻発を、お笑いにまぶして書いたのと、そっくり似ていますので、後日、その件に触れる可能性があります。または、今日書けたら書きます。後ろへ添えます。
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さて、小沢一郎氏が総理大臣になると困るのは、松沢神奈川県知事を使って、敵側が仕掛けてきた禁煙運動の指揮を執ったのは彼であると思われますので、小沢氏は、大なり小なり、こういう心理操作を利用する傾向を持っていることなのです。本人はそれを、『自分は頭がよいのだ』と自慢しているようですが、それが一番国民としては怖いことで、困ることなのです。しかもどう考えても、一番、国際的軍産共同体の、寵愛を受けている政治家です。だから、日本と日本人はこれから大変なことになります。
ただ、ここまで言明するのは皆様を、ドン引きさせてしまうかもしれないとは、感じています。ただ、預言者は世に容れられずと、言われた私です。現在直感的にわかっていることを、公開するのも命を賭しているとしたら、許されるでしょう。
それにここまで書いたからこそ、小沢一郎氏は、代表戦に確定的に出馬することとなったのかもしれません。『大変だ。日本国民はそこまでわかっているのか。それでは、徹底的に弾圧し、抑えないといけない。菅首相では弱腰だ。強圧的で、豪腕といわれる小沢一郎氏にここは総理大臣をやらせないといけない』と、国際的軍産共同体が思い直したのかもしれませんのです。
まあ、私にとっては、『三井船舶のタンカーが襲われたのは諜略のひとつだった』と書いたのは、虻蜂取らずだったかもしれません。一週間ぐらい前から、戦略的に打って出て、小沢氏をこれからは褒めようかなあと思っていたぐらいです。そのほうが結果として、私の考えを打ち消したい彼らは小沢氏を、見限るかもしれないからです。
で、結果として、私の願う方向へ流れるでしょう。ともかく、私の言うことを次から次へと否定をしていくニュースが作られますので、そうまで考えますが、正直者の私にはそれはできないでしょうね。
自分の考えと正反対のことを書くことなどできません。
でも、日本という国が翻弄をされている大変な状況下にあるということは、お話をしておきたいのです。それに昨日の記事で、JALの改革案に軽く触れただけでも、すぐ、今日正式な発表が稲盛さんから、ありましたね。自分のブログがニュースをおびき寄せる、というか、作り出すのには再び気がつきました。
守屋事務次官の「刑を受容し、収監される予定」というのニュースもありました。あれも自民党を追い落とすためのニュースでしょうし、ハマコー起訴もその一環でしょう。日本では三権分立はないのです。司法をも使って支配が行われます。特に、国民一般を脅かし暗い気分にさせていく、ための裁判が頻発しています。
琴光喜の永久追放も決まったようです。なんだか、すべて、私にとっては悲しい方向のニュースのオンパレードでしたが、「しこたまという程度に、やって来ていますね」というしかないです。そして、彼ら本人が示す『矛盾の露呈』を待つほかないです。小沢氏に総理大臣が務まるのかどうか、大橋居泉氏みたいに、「も、僕はやめた」となるのではないかと危惧します。が、こう書けば彼は踏ん張るでしょう。
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ところで、この種の諜略行為がなぜ起きるのかですが、瀬島隆三の友人益山某氏の犯罪にほぼ30年前横須賀で、気がついてしまった私を、失墜させるために、
鎌倉のご近所を使って、あじさい畑欺もう事件と私が呼ぶものを引っ越した直後に起こしました。その主役の一人が、傲慢な女性、石川和子女史です。その石川和子女史が、23年後またまた、とんでもない失敗をしでかすのです。傲慢のきわみで暮らしているために、起こす失敗ですが、彼女が傲慢であることと無礼であることが、
私を圧迫するのに役立つと考えた、瀬島隆三は、彼女が、自分のほうから、『私は、鎌倉春秋社の社長である伊藤玄二郎の愛人だったので、いろいろ便宜を図ってもらっていて、鎌倉市内の公民館で陶芸教室をたくさん開いているから、お金が儲かるのよ」と告白した相手が、喫茶店映画館のオーナーです。
移転をするように迫られたのですが、後は更地になっています。別に跡地を急いで利用する必要はなかったのです。
また、私がメルマガにそれを書いた、ベニサンピットという稽古場つきの劇場もそっくり同じ運命をたどり、不況だから閉鎖するという名目ながら、実際には跡地は更地になっているそうです。
そして、銀座でもギャラリー手は移転しました。そこを舞台として馬腰陽子さんが私に威張りかえったことがあるのですが、『馬腰さんは待ち構えていたわ』と書いただけで、その証拠となる画廊が移転をさせられたのです。この件も、また、新たに隣のギャラリー山口のオーナーの偽装された自殺(と、私は考えていて、他殺であったと信じていますが)と絡めて改めて書き直すつもりです。
その手法は、アメリカキササゲを切った発想とまさしく同じです。
その結果、大銀杏は倒れました。そして、三井船舶のタンカーが狙われたのです。伊藤玄二郎という人間は、ありとあらゆる人間を使役して、自分の愛人が犯した失敗から、自分を守ろうとしているわけですが、
どうして一個人が、警察が、パトカーを二台朝の六時に一ツ橋の集英社前に出動させて私を脅かすほど、守られるのでしょうか? 不思議極まりないことです。
彼が愛人たちに支えられて(?)、自分の地盤を拡張してきたので、普通の男性より、より大きな役得を得られて大物になることができたのは認めます。一種の賢さの現われでしょうから、それはそれで、かまいません。が、どうして、石川和子女史の信じがたいほどわがままで、ちんけな失敗を、警察が警察庁まで動員して、総力を挙げて糊塗し、守ってあげ、支援しなければならないのですか?
そして、最終的には、三井船舶のタンカーが、商業用の船で軍艦でもなんでもないのに魚雷に狙われるという顛末が訪れます。伊藤玄二郎が原因で、起きている災いはこれにはとどまりません。
おいおい、丁寧に分析して書いていきましょう。でも、伊藤玄二郎と、井上ひさしの二人が国際的軍産共同体のエージェントだったら、なぞが一気に解けます。ご近所の主婦の中に石川和子女史がいたことが、伊藤玄二郎を、エージェント化していったと思われます。彼は彼女から徹頭徹尾、恩顧をこうむっているのです。それゆえ、守ろうと必死であり、彼女が死んだ後でも、その夫、柳沢某へたいして、数々の支援をしている模様です。
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大相撲壊滅作戦も、この三井船舶タンカーへの海賊の攻撃も、私が、今年用に準備している本を出させないがために、企画された諜報行為であり、その発案者は井上ひさしでありましょう。簡単な脅しで終わるはずでしたが、どんどんと、その不条理を私がこの世界で、分析していったので、引っ込みがつかなくなっていて、どんどん、悪さが大きくなっていっていて無関係の存在が迷惑の限りをこうむっているというのがこの大騒動の本質です。
私が本を出すことを異常に恐れている敵方ですが、もしかしたら、こういうことを書かれるから恐れて、これらの諜略行為の数々が出発したかもしれないのです。こういうこととというのは数々ありますが、上のタンカー事故の顛末についてはまだ、紙の本には直すつもりもないのですが、芸術のことだけを書いているのに、強烈に妨害を受けるのは、影に、以下に書くようなちんけなエピソードが控えているからかもしれないのです。
その可能性に気がつき始めましたので、それも書いてしまいましょう。10年ぐらい前の話ですが、広告を道路端に出している私費出版の会社、鎌倉春秋社を訪ねたのです。そこの社長が伊藤玄二郎という名前の人間です。
そして、「制作(印刷機にかける直前までのIT的データを作る)を自分でやりますから、150万円で本を作ってくださいませんか?」と頼んでみたのです。すると、田中愛子女史という女性が、「川崎さん(雨宮の本名)、150万しか出さないのなら、50部しかできませんよ」と怒鳴ったのです。これには本当にびっくりしました。後日、道路っぱたの部屋で、鎌倉の花火の日に彼女がビールを飲んでいたので、「田中さんひどいことをおっしゃったわね』忘れられないわよ」と、言うと、ふてぶてしく笑っただけでしたが、
だんだん、私が向上をし始めるとおびえ始めました。私が、実際の本を作り始め、しかも二冊目、三冊目と装丁等にも凝り始めると、同じ道路っぱたで、会うにしても、言葉が変わってきたのです。甘えるように、舌ったらずな口調で、「川崎さん(雨宮の本名)の注文が多すぎるんだもの。全体で、相当に費用がかかりそうだったから、ああいったのですよ」と弁解していました。
いや、この最後の弁からわかることは、こういう人たちが、いかに素人をだまして高いお金を取っているかということです。それは、鎌倉春秋社が出している短歌の雑誌が年会費、三万円を超えるのでもわかります。季刊で、一年に四冊しか出ないのに、三万円を超えます。
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ここに挿入として、鎌倉春秋社自身の新たな金儲け作戦を公開します。
最近、鎌倉検定というのをはじめていて、その受験料ほかで、莫大な収入を得ているでしょう。私がそれを批判するのを見越して、表駅(線路の東側のこと、私が普段通るところ)近辺には何の広告も出していないのに、裏駅という西側にある地域の紀伊国屋に、よこ1メートル、たて、5メートルぐらいの大たれ幕をたらして、鎌倉検定の宣伝をしていました。受験勉強用の本も売れますから、うは、うはというわけです。
そういう風にお金儲けをして、それを銀座の画廊、ガレリア・グラフィカの栗田女史を篭絡する接待費等に使うのでしょう。そして、栗田女史は、葉山の住人であり、奥様なのに、夜の十時半に鎌倉で途中下車して、ひょこひょこと、伊藤玄二郎の後をついていくということとなります。
そして、その夜に、彼から聞いたことを信じて、受け売りをして、銀座や、鎌倉の画廊に、私の悪口を伝言として入れていきます。で、親切であった上流社会のマダムの態度が激変し、下品で粗野に変わっていくということになります。なるほどね。お金は力だと思っているのでしょう。
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ところで、田中愛子女史に戻ります。この怒鳴り方は異常に失礼でした。「150万しか出さないのなら、50部しかできないわよ」と事務室中に響くような声で怒鳴ったわけですから。今なら散々社長伊藤玄二郎氏の方の悪口を書いていますので、怒鳴られても仕方がないでしょうが、当時の、10年ぐらい前は、私は一切、彼、および井上ひさしについては書いておりません。だから、純粋な意味で私は、お客さんです。三波春夫と言うシベリア抑留を経験した歌手がいて、「お客様は神様です」とよく言いました。
私もお客さんの一人ですから、これは失礼極まりないです。普通、本や出版に関する知識がちょっとでもある人に対しては、100万円で2千部ぐらいの本を作ってくれる出版人はたくさんいます。そういう相場から考えても、印刷や製本の実際の値段(大体一種類の本で五十万円程度であろう)から考えても、この言葉は驚天動地といってよいほど、失礼な言葉です。インテリが発したとも思えない言葉です。
一応善意で解釈すれば、田中愛子女史が制作(デザインのこと)の知識をまったく持っていないがために、他人、特に私のような、普通の主婦でも、それができるということを、想像すらできなかったということも、推察できます。彼女のする仕事は、中学校の学級新聞あたりで、マスターする・・・・・例の校正という赤ペンを入れる作業と、まあ、主語述語の関係が狂っているのを、直す程度だったと思います。
今、私費出版の会社は、原稿の内容についてはお客任せで、ほとんど手を入れないそうで、編集者側が、間違いを気づいて直した場合は、一字につき、500円を取るそうです。ふむ、ふむ。だけど、たいしたことをしていないのに、お金をばんばん取る、心理状態が解せません。私など『武士はくわねど、高楊枝』というしつけを受けてきたから、他人からお金をもらうということができない人間です。
でもね。会社というシステムに安住すれば、こういう人間になるのかしら。平気で他人から大金を分捕れる人間へと変化しうるのかしら。
その上、永田町と言う一応は国家を背負う立場に関与すると、信じがたいほど、傲慢になるようですね。伊藤玄二郎は松沢茂文神奈川県知事とは確実に結びついていて、その知事は民主党で、小沢氏と確実に結びついています。
それぷらす現在、もっとも力を持っている国際的軍産共同体の愛顧を得ている人間と結びついていますが、これらの種族の傲慢さはきわまっています。最末端の一人である、田中愛子女史も、その典型であるのです。前から述べている石川和子女史とそっくり同じ構造です。
上のエピソードは、「非常に小さい」とお考えの向きもあるでしょう。しかし、この部分を最初に書いた9月1日の19時ごろ、私のパソコンが白閃光化して、フリーズして先へ進めなくなりましたので、敵方にとっては、非常に大きなことだったのが推定されます。
しかも、彼女の失敗が、公的にロンダリングされた後日談があって、それを検分すると、伊藤玄二郎がエージェント化していると言う、私の断定は、当たっていると考えられます。で、それもひとつの傍証となりますので、ここにさらしましょう。
毎日新聞の外信部に佐藤由紀と言う記者がいます。署名記事を載せる人で面白い書き方をします。で、注目をしていて、ひいきしていました。ファンになっていました。やがて、私が本を作るようになりました。ので、彼女にも送りました。
大新聞社に送っても本人に届くかどうかがわからないので、電話をかけたりしました。当時は電話が盗聴されているなどとは、夢にも思っていなかったから、自由に行動をしていましたし、彼女も出てきて答えてくれました。
しかし、盗聴をされていたからこそ、佐藤由紀さんは、人事異動にであって、書籍を分析する部署に配属されました。それは間接的に、私が出版人として延びていく方向を絶とうとする動きのひとつであり、私の敵であるとみなされている人材を、ほめまくり、上に立てる手法の一つだったのです。これが、あらゆる方向で繰り返し用いられている手法です。
月刊ギャラリーの編集長本多さんが新潮社や平凡社等の大手の出版社の編集者を軒並みインタビューをして、『美術に関する本は売れない』と言う特集を2007年の7月号に乗せましたが、これも、彼一人の発案ではなくて、後ろに酒井忠康氏のサポート(紹介状を書く等)はあったのではないかと想像しています。当時、私が用意していた、『伝説のプレス』を妨害する措置だったのでしょう。わかっていましたが、今までは黙っていました。
酒井氏の裏には、当然、伊藤玄二郎もしくは井上ひさし等の動きもあったでしょう。それから、筑摩書房から、『伝説のプレス』と惹句だけは似ている本も、二年後ぐらいに出ました。なるほど。なるほど。
たいていの場合は『あ、そうですか』で右や左に流しておいて、注目もしません。しかし、記憶には確かに残っていて、
このように、タンカーが危険にさらされ、三井系コンツェルンに大損失が与えられ始めると、記憶のシナプシスがぱっとつながり、すべてが思い出されることとなります。ので、
ここで、佐藤由紀さんが、田中愛子女史を、ベストセラーを出した出版人としてインタビューしたことの詳細を採録してみましょう。
そのコラムは、何年続いたか、途中で毎日新聞を日経新聞へと買えましたので、知りませんが、でも、一週間に一回以上は掲載されなかったと思いますので、田中愛子女史は、一年で五十人も選ばれない、立派な編集者のひとりとして、毎日新聞社のお墨付きをもらったわけです。
私は佐藤由紀さん、自体には、何も不満はありません。彼女は何も知らない人でしょうから。ところで、その話題の本、『天国の本屋』ですが、無名の書き手、二人の共同作業であり、新書版ハードカバーで装丁には、百田女史という売れっ子のイラストを使っています。
仙台の本屋のポップから火がついて、ベストセラーになったとのことで、夢の企画として、朝日新聞をはじめ、多くのマスコミに取り上げられ、その結果、伊藤玄二郎の大衆的知名度を上げました。しかし、これは井上ひさし、と、伊藤玄二郎の二人が覆面作家として作り上げた本でしょう。そして、その仙台の本屋のポップから日がついたというニュースそのものも井上ひさし案の計略だったと感じています。非常にあたって、収入が高かったり、才能がある書き手なら、やがて二人は顔を出すはずなのです。岡嶋二人のほうに、詳細が読者側に知らされることとなるでしょう。
上品で、しっかりした記者である佐藤由紀さんは、そういうたくらみに使役をされ、田中愛子女史は失敗をかばってもらったわけでした。今、道ですれ違っても、相変わらずふてぶてしい態度ですが、10年の歳月は彼女を変え、白豚みたいだったある種のかわいらしさは失われ、中年女の憎々しげな顔を、道路で、見ることと、今は、なっています。私の方も急速に老齢化していますがね。ふ、ふ、ふ。
さて、今日の文章は、やっとここで、終わりとさせていただきます。昨日から始まって、延々と足したり引いたりいたしました。そのわずらわしさに、同時進行的についてきてくださった方があれば、深く感謝申し上げます。今日一度出して引っ込めた事実については、適宜なときにまた、改めて書き直しましょう。では、2010年9月2日 雨宮舜