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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

太地喜和子の実母は山田五十鈴であろう。五十鈴を目指せという、波乃久里子の忠言を受容しなかった点でもそう感じるのだ

2023-07-08 23:07:55 | 政治

 この一文ですが、9日の11時から文末に加筆をし、総タイトルも変更します私は、大下英治が嘘を書いているとは思いません。ただ太地喜和子の実母が誰であったかという問題は、非常に複雑で、大下英治に話が入る前の段階で、太地喜和子と当時の恋人は、真実を他者には、伏せることにしたのではないかと、感じるのです。だから、私の直感=幼いころ、お手伝いさんが、もらいっ子であると、太地喜和子に告げたのだ=というのは、間違っていなかったと、考えます。そういう前書きを入れて初稿の頭に戻ります。

 なお、探偵とか、被害者とか、その節内でキーワードとして機能するワードが誤変換をされておりました。これこそ、ハッカー集団=CIAエージェントによる悪意で、どれだけ、私が大物であるかの、証拠の一つですが、24時間、気が付かないで、いたことは、どうか、ご容赦ください。

副題1、『太地喜和子が、両親が、実は、本当の親ではないと知ったのが、いつだったか? その時期については、いまだに、疑問が残っている私である』

 本日は、まったく違う事を書くつもりでした。しかし、午後から夜にかけて、大下英治著【太地喜和子伝説】2000年2月25日刊行、河出書房新社を、246頁から、361頁まで、読んでいたら、太地喜和子が、実の両親を知りたがっていたところが出てきて、

 その部分が、私が過去に書いた部分と違うので訂正をしておきたいと思いました。

 私は、太地喜和子は、本当の両親のもとで育ってはいない。彼女自身もそれを知っていたと、書いています。そこらあたりは正しいのです。

 しかし、彼女が文学座の年下の男性俳優に語ったところによると、高校生の時に、母親と喧嘩したら、母親が、「あんたは、わたしの、実の子じゃあないんだから」と、言ったらしいのです。

 それが、最初に、太地喜和子が、自分の両親が、実の親ではないと、知った時期だと、書いてあるのです。しかし、私は、以下の文章

太地喜和子が、すぱっと脱いだのは、戦災孤児だったから? but  大女優・山田五十鈴の隠し子説も出てきた。私は困惑のみぎりである

2023-06-24 09:30:10 | 政治

の、副題2で、語っている様に、彼女が親が、本当の親ではないと知ったのは、もっと、幼いころだったと、推察しています。というのも、小学校低学年時代の担任の先生が、・・・・・彼女は、抜群に出来が良かった。単純にお勉強ができるという意味ではなくて、学芸会などで、リーダーシップを上手に発揮して、クラスをまとめ、特別に優れた業績を上げた・・・・・と、語っているからです。

 あのね。小さいころから、精神的な苦労のある子どもは、大人びていて、特別に出来が良いものです。私は、太地喜和子は、実の両親が別にいる事を幼いころから知っていたと、感じています。

 しかし、私の説は「お手伝いさんが、こっそり、教えたのだろうと、言うものでした。しかし、お手伝いさんは、実の両親の実名は、知っていても、おしえなかったらしいのです。それが、この本の、360頁から361頁にかけて、書いてあります。

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副題2、『大下英治は、登場人物のほとんどを実名表記をしている。しかし、太地喜和子と数か月にわたって、性の関係が結ばれた男性は、あまり、実名を書いていない。特にその後、関係が切れた男性については実名を書いていない。

 というのも、三国廉太郎、津坂匡章、十八世・仲村勘三郎は、それぞれ、男性の方が喜和子によって、つぶされなかった人たちだが、文学座の後輩の役者との関係の場合、必ず相手が、文学座を去っているからだった。文学座は、杉村春子が手本だったのか? 女性が強い社会だった。で、若い男性俳優は、太地喜和子とか、新橋耐子に誘われていて、よく、セックスのある関係に入っていたので、・・・・彼女たちは、男を食うと・・・・いう表現もなされていた。大下英治は、語っている。そう言う後輩としての男性俳優の中で、1987年をピークとして太地喜和子と付き合っていた男性俳優(13歳年下)と、最も長時間のインタビューを行っている。

 それから、相手が太地を嫌っていて、トラブルになった相手とか、太地喜和子の方が相手を認めなかった人物も、実名を表記していない。それは、書き手としての、大下英治の良心の表れているところだと、も、言えるし、書き手としての、術策だともいえるだろう。

 で、最も長時間、インタビューを果たした、男性俳優は、のちに、妻とも別れ、かつ、俳優業もやめて、今では、小さな会社を経営していて、別の女性と、結婚をしているので、・・・・・とても、地味な生活だから、実名表記がないのだが、

 一時期は、戸籍上の妻の元へは帰らず、毎晩、太地喜和子の家へ帰っており、自分の両親に、喜和子を紹介したり、太地喜和子の両親と、面談をしているのだった。その上で、妻を離婚するつもりだったという。

 その彼が言うには、太地喜和子は、お手伝いさんを探し当てて、訪問をして、実の両親の事を質問をしたそうだ。畳に頭を擦り付けんばかりにしてお願いをしたという。

 ここらあたりを読むと精子提供で、妊娠することが、子どもの方にとって、どれほどに、罪深い事かがわかる。やめた方がいいと、私は考える。または、・・・・・経済的な負担は、負わないと、言う約束のもとに、精神的には、ずっと、面倒を見て、その子を引き受ける・・・・・という一札を入れて、精子を提供すべきだと思う。となると、慶応大学で、主に精子を提供していた優秀な男性は、拒否する様になるらしいが、そのほうがよい。子供として、生まれたほうの、苦悩の深さは、太地喜和子の、人生をたどるだけで、十分すぎるほどにわかる。

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副題3、『私は、上記の文章で、お手伝いさんが、面白がって、「今のお父さんと、お母さんは、本当のお父さんや、お母さんではないのですよ」と、喜和子さんに告げたと語っている。これを、否定しないといけないほど、喜和子さんは、お手伝いさんを頼っている。つまり、360頁の記述を読むと、お手伝いさんへの恨みなどを、喜和子さんが、語っていなかったことに成る。と、なると、お手伝いさんは、誠実な人だったかな?

 ともかく仙台に、引っ越している、お手伝いさんを二人で、訪ねている。すでに、65~67歳になって居ると見えたお手伝いさんを、仙台まで行って、直接訪問をして、彼女から、真実の両親の名前を教えて貰おうとしている。ここらあたりは、非常によくわかる。

 太地喜和子の周辺には、隠し事が、実際に、存在している。それを知っている人がいて、隠し通している。となれば、訪問をして、直接会って、相手の心を開いて、真実を、聞きたいのは、当たり前だ。

 ところが、それを知っているお手伝いさんは、「知っていますけれど、教えられない」と、言ったそうだ。「教えると、みんなが不幸になります」と、言ったそうだ。

 わざわざ、住所を探して、訪問をするので、太地喜和子は、その女性に対して、悪い思いがないのだろうと、一読目は考えた。

 それで、自分は悪人説を唱えているのだから、自分は間違っていたと、考えた。それで、この章を起こした。

 しかし、何度も読み返しているうちに太地喜和子のかわいそうさは、いや増しに増すし、お手伝いさんが、善人であった・・・・とも・・・・いえないのではないかと、思い当たった。もう育ての親は、高齢である。その育ての親を裏切ったって、そちらに憎しみが、生じるとも思えなかった。仙台まで、育ての親が追いかけて来て、自分=お手伝いさん=を、訴追をするはずもない。だから、必死になって、訴えてくる太地喜和子の望みをかなえてやっても、いいのではないかと思う。しかし、お手伝いさんは、関係者の、方を上に置いて、最も大きな被害者である、喜和子さんの、望みを拒否した。

 どうして、そういう態度をとったかというと、喜和子さんの、実母からの、金銭的援助があり、それ故に、自分の給料も出て来たのだと、お手伝いさんが、自覚をしたからではないだろうか?

 これは後段で、太地喜和子の実母が山田五十鈴で、文化勲章をもらい従三位の位階をもらう女優だから、お手伝いさんが、拒否した可能性を語るところへ、特に父親が、大物だったら、お手伝いさんは、名前を拒否した可能性は高い。続く。

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副題3、『考えに考えると、実の母親は、山田五十鈴であったという説が正しいとなってくる。しかし、太地喜和子が、事故で、亡くなった時(=1992年)に、山田五十鈴は、まだ生きていた。山田五十鈴が亡くなったのは、喜和子さんが死んでから、20年は後である。

 そして、育ての母も生きている。となると、お手伝いさんが実名を伏せたのも、わかる様な気がする。お手伝いさんが、言っている、新宮市(または、太地町)へ、一時期、行っていて、そこで、孤児院に入っていた喜和子さんをもらってきた・・・・・というのは、やや平和な土地に、孤児院が、あったという設定自体が嘘っぽい。広島の、原爆孤児用に、瀬戸内海に、浮かぶ島に、孤児院があったとは、知っている。それから、駐留軍と、日本女性の間に生まれた子供を、沢田美喜さんが、引き取って、育てたという事も知っている。東京には、戦災孤児がたくさんいた。だけど、後年、彼女がたびたび言っている、「私は、戦災孤児なの」という、説と、新宮市の孤児院では、大きく矛盾する設定となる。だから、新宮市の孤児院説は、嘘だと考える。

 私は、ここで、その結婚直前だった、男性俳優と太地喜和子が、ともに結託して、外へは、出さないでおこうと決意したのではないかと、考えている。お手伝いさんは、喜和子さんの懇願に負けて、真実を話した。だけど、のちに文化勲章をもらい、従三位に叙せられる、山田五十鈴は、大物過ぎて、「隠し子です」と名乗りを上げることは、大波乱を巻き起こすことを察知して、太地喜和子自身が、伏せたのではないだろうか?

 太地喜和子は、都会育ちである。そして、非常に頭がいい。で、嵯峨美智子の、薬による、よれよれブリを、知っていたし、一方で、水上勉と、窪島誠一郎の再会の、ニュースも入っていたと考えられる。太地喜和子が、養父の死をとても悲しんだことが、記されており、

 窪島誠一郎、水上勉夫氏の交流の、在り方と、比較して、太地喜和子の選択を、私は、非常に好ましく思うのだ。窪島氏は、養父母を嫌っている・・・・としたままで、感謝の和解の発表がない。明大前の100坪程度を相続しただけでも、大感謝をしないといけないのに、・・・・・おかしい。ひどい。実父が有名人であったとしても、一度は、自分を捨てたのである。養父母を、大切にすべきだ。窪島氏は、自分が結婚をしていないのかな? で、子供もいないのかな? で、子育てが、どれほど大変なことであることを知らないのだろうか?

 大下英治氏も、私が今、わかってる様なことをわかっていて、伏せている可能性を感じる。

 山田五十鈴が妊娠をした時には、私は、一歳半だから「あの人のおなかが大きくなりました」などという映像を見ることはできなかった。テレビもないし、インターネットもない時代だ。だから、妊娠を世に伏せることができた。

 なぜ、伏せたかだけれど、相手の男性が、大物紳士であった可能性を感じている。実業界、または、政界、または、芸術分野の大物で、妻がいて、子供がいる人と、性交があったと考える。その人が、山田五十鈴と寝ることを望んだのだろう。拒否できないレベルの大物であったと、なるし、その人が、芸能界の、大物(例えば、松竹重役であるとか、東宝重役であるとか)であっても、子供が養子に出される可能性は高い。

 で、養母さんは、その紳士側か、山田五十鈴側との間に、知遇のある人物だったと、考えられる。そのつながりは、養父さんだったのかもしれないけれど・・・・・

 大下英治も、それを、知っていて、伏せたのではないかと、私が思う。根拠は、「そういえば、クリスマスに、ハイヒールとか、ハンドバッグを送ってきたのは、実母だったのか?」と、喜和子さんが考えた・・・・・と、言う記述があるからだ。だが、諸般の事情から、1993~1999年にかけての取材時期にもまだ、明かせない事実だったのだろう。

 当時は、まだ生きていた、大物政治家が、父親だったりしたら、明かせない話となる。鳥羽周作という人物分析に、当たって、或る人がトロフィーワイフを欲しがる男性ではないかと、言っていた。太地喜和子の実父とは、愛人として、トロフィーウーマンを選んだのだと、考えると、こういう隠し事が、生じる可能性が高い。

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副題4,『田原万智、財前直見、冨永愛・・・・・などは、略奪婚へは、走らずに、お子さんを生み、シングルマザーとして育ている。収入が、自分の方に、充分にあるから、プライド高い、シングルマザーとして生きて行かれる。子供の、父親とは一生を通じて、愛情を持ち続けている関係だと、思われる。ただし、性交を今も、日常的に行っている可能性は、感じられない。

 ところで、私は、東大に勤務して居る時に、教授から、こういう風に言っていただいて、ほめられた。「演繹する能力が高いね。現在の東大生って、受験勉強が難しくなったので、分析する能力は高いが、演繹する能力は低い。あんたはね。結構政治力もあるので、このまま、やめなければ、絶対に将来東大教授に成れるよ。東大卒ではないが、なれる」と言っていただいた。

 非常にありがたいとは思ったが、実際に、それが、通用するとは思わなかった。というのも親戚に、自分は、絶対に東大教授に成れると信じていたのに、なれなかった男の子がいる。そのケースを、見たり、そのほかのケースを見たりすると、いろいろ、条件があるが、

 大切なことは、親世代で、すでに、エスタブリッシュメントであることなのだ。

 学界の人だったら、親がすでに、教授職であること。経済界の人だったら、重役以上であること。官界だったら、局長以上であること。そして、親世代で、(できるだけ、都内に住み)かつ、一戸建てに住んで、いる事。本人がイケメンであったら、ほかの候補者より、それは、プラスになる。

 というのも一人の教授が、5年以上、10年ぐらい就任しているので、その間、博士号をとっていて、助手や、講師をしている人が、5人から、10人ぐらいたまってしまうからだ。だから、教授は、好きなタイプを選べるのだった。

 だけど、演繹をする能力が高いというご発言は、いまだに、生かさせていただいている。

 前報、

ある馬の物語、新聞劇評は見つけました。+ 世田谷という住民が幸福そうなエリア

2023-07-07 22:24:16 | 政治

の中で、角野栄子さんのご主人が、2018年に、亡くなっているはずだ、などという事は、どこにも発表をされて居ない。だけど、テレビ画面での、彼女の姿をを見ているだけで、わかるのだ。そこは私の演繹の能力を駆使しているところがある。誰かに質問をしたり、探偵事務所を頼ったりしては居ない。ただ、ただ、正式に発表をされて居る事、誰もが見ることのできるNHK画面から、わかることだけで、演繹していっている。

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副題5、『太地喜和子の両親は喜和子さんが、小さいときには中野に住んでいた。1960年代に、中野を中央線で通るときに、団地群は、見えなかったので、太地喜和子の両親は、一戸建てに住んでいて、お手伝いさんを雇うほどに裕福だったと推定する。

 ところが、上記の、エピソードの主役(=喜和子さんより13歳若い男性)は、太地喜和子の両親は、都営住宅に住んでいたと、言っている。そのだんせいとは、のちに文学座から去って、離婚も果たして、一般人となった男性だが、彼が太地喜和子の両親を、結婚を胸に、訪問をすると、非常に年を取っていて、祖父母というに等しくて、それが、不思議な印象であったという。それは、だれにもわかる実の親ではないという現象だけど、私には、彼が証言した太地喜和子の両親は、都営住宅に住んでいたと、いう点が、大きく引っかかるのだ。

 それが、実母が、山田五十鈴だったと、言う点に帰着する。新劇の人は、収入が低いらしい。山城新伍が、太地喜和子が、地方巡業に回っても、文学座から出る謝礼が、10万円だと聞いて、驚いたと、上記の書物には書いてあった。

 太地喜和子は、大スターだったが、劇団、文学座としては、彼女は、カンパニー内の一サラリーマンとしての位置づけだから、地方巡業時には、月に10万円だったと聞いたと、書いてある。しかも、彼女には、貯蓄という概念はなかったという。これも、出生の秘密と関係があり、一般的な男女が、将来像として描く、子供がいて、家を買い、子供を大学に行かせるなどという夢を描けなかったことと、連動をしていると思われる。

 太地喜和子は、養父の、お葬式の一時間前に、タモリの笑っていいともの、テレフォンショッキングで淡谷のり子の指名を受けていて、お笑い番組特有のジョークも発していたそうだ。(同著、347頁)しかし、葬儀会場では、涙、滂沱だったと、言われる。養父母を愛していたが、養父母に、現在のタレント風な、仕送りができていなかった模様だ。両親は、都営住宅に住んでいたと、上記の一般人はいっている、そして、その葬儀の日には、俳優座養成所時代の恩師、永曾信夫が、両親の家を、訪問をして、「戸山の、狭い家に、未亡人が、悄然と座っていた」と、話している。

 中野の一戸建てを売って、賃貸住宅に入り、元の家の売却費で、生活費を賄っていた可能性を感じる。ほかのところで、「父は測量技師だったので、収入も多く無く」と、喜和子さんは言っている。もし、独立系の、測量技師だったら、もしかしたら、独立事業主であり、国民年金にしか入っていなかった可能性を感じる。そうなると、生活は、苦しい。だから、中野の一戸建てを売ったと推察できる。そして、その金銭で老後生活を送っていたと。

 でも、同じ、測量の技術を売っていたのにもかかわらず、中野で、裕福な暮らしをしていた時代があるのだ。それは、山田五十鈴が、30代から、40代にかけて、高い収入があり、謝礼として、毎月送金をしていた可能性を感じている。しかし、この太地喜和子の養父が亡くなったころは、山田五十鈴は、70歳を過ぎている。もう仕事がほとんどないのに帝国ホテル暮らしだから、仕送りする余裕がなくなっていたとも考えられる。また、自分の実子であっても、養子に出した子供が、女優、かつ分が宇座の看板女優、太地喜和子として、すでに売れているとなれば、仕送りをする必要を感じていなかったともいえる。

 こういう現象をすべて統合して、演繹していくと、中野時代の、お手伝いさんを雇うほどの、裕福ぶりは、山田五十鈴からの養育費が多額だったことをしのばせるのだった。

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 もう一人、隠し子のケースで、或る有名人のことがわかっている。その有名人は、自らは、子供があるとは一切言っていないので、ここでも、その名前は明かさない。

このケースは、女性タレント(または、歌手、または映画スター)が、人気絶頂の時に、子供を産むのはまずいという判断で、隠したのだろうが、子供の父親が、正式な結婚にもっていくことができる相手だったが、人気沸騰中の女性は、家庭があると、におわせるのは、不利だと、言う事で、正式な結婚であっても、妊娠が、伏せられていたらしい。

 ともかく、私が、妊娠したのとほぼ同時期に妊娠した、有名女性がいるが、まったく伏せられているのを知っている。お子様は、養子に出したりはせず、ご自分、または、一族が総出で、協力をしあって、育てていると思うが、そのケースにも、私は、自分の演繹力を駆使して、どうしたら、秘密を守れるかがわかった。たぶん、在日の、組織の支援はあったと、感じている。しかし、彼女が、お子さんについて、その後、50年もたつのに、いまだに、世間に対しては、何も語っていないので、ここでは、私が理解した、その詳細な内容は、伏せておこう。

 ここから先が、10日になってから書く内容です。

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副題6、『太地喜和子を研究するにつれ、期せずして杉村春子のことが、よくわかった。杉村春子とは、自分を生かし切るのに、どれほど、貪欲で、主観的だったかが、わかり、前から、嫌いだったが、本当に嫌いだなあと、思う』

 杉村春子は、映画【にごりえ】で、夫が、美しい酌婦(今でいうホステスか?)と、無理心中をしてしまう、貧しくて、愚痴ばっかり言っている妻を、演じた時に、なんて、すごい女優だろうと、感心をしました。

その映画には、のちにテレビで活躍する、下記の有名人が出ているのです。田村秋子、丹阿弥谷津子、三津田健、芥川比呂志、久我美子、中村伸郎、長岡輝子、荒木道子、仲谷昇、岸田今日子、北村和夫、淡島千景、杉村春子、賀原夏子、南美江、北城真記子、文野朋子、山村聡、宮口精二、十朱久雄、加藤武、加藤治子、松山省二、小池朝雄、神山繁、内田稔、河原崎建三、三崎千恵子 ざっと上げただけでも、28人です。

 その中で、汚い着物を着て、やせていて顔もきれいではなくて、かつ、終始怒っているという、女性としては、魅力が全くないはずの、役を演じている、杉村春子が、あまたの、名優の中で、一番輝いて、強い印象を与えたのでした。

 しかし、私は好きではありません。まったく、好きではなかった女優さんです。しかし、太地喜和子は、大好きだと、言っていたそうです。父十七世勘三郎、弟、十八世勘三郎と、自分も、太地喜和子と、深い交流をしていた波乃久里子が、太地喜和子に、或る時、忠告をしたらしいのです。

 「あなたは、三大女優といわれている、先生方の中で、あなたに、一番近いタイプの、山田先生を目指せばよいのに・・・・・そしたら、そんなに苦労をすることはないんじゃあない? ➡

 波乃久理子が挙げた三大女優は、水谷八重子、杉村春子、山田五十鈴だそうです。映画女優は、抜かされていますね。映画には、演技は、あまり、必要ではないのかしら? 撮り直しとか、編集があるからでしょうか?

 ➡ なんてったって、山田先生の華麗さは、あなたに通じるものよ」

 ここの発言は、本当に、核心をついていますね。大下英治は、これだけで、余計な解説を、加えていません。でも、なんて、真実を見抜いている言葉でしょうか? 私は、ここに到達する前に、山田五十鈴が、実母であろうという結論に達していました。そして太地喜和子も、それをすでに知っていたと、思います。

 太地喜和子は、何でもあけすけに語るほうだったと友人たちが、証言をしています。しかし、一方で、底知れぬところもあったのではないかと言っている人もいます。その通りだと思います。で、すでに、山田五十鈴が、実母であることを知っていたからこそ、実母とは雰囲気がまるで違う杉村春子に傾倒をしていたと、考えるのです。上の、波乃久里子の言葉にこたえて、喜和子は、以下の様に言っています。

 「水谷先生も、山田先生も好きだし、尊敬もしているのよ。でも、あたしは、お春に、惚れているのよ」(412頁)

 この辺は、本当にかわいそうなところです。山田五十鈴は、確かに、三人の中では、一番ふくよかで、花もありました。そして、ほかの頁で、「山田五十鈴は、処世術がうまいから、喜和子も少し見習いなさい」と、忠告される場面もありました。その言葉を受けた時に、どんなに、つらかったでしょうね。自分こそ、その山田五十鈴の処世術の、うまいところの犠牲者なのですから。

 太地喜和子は、上の青いフォントで書いた、言葉を、波乃久里子からもらった後で、

 諸氏の、俳優について、芸の上下だけで見ない様にと、懇々と諭しています。「芸がなっていないから、嫌いだというのはやめなさい」と、諭しています。「芸よりも、まず、人間性を見なさい」と言っています。

 そしてね。そういう判断力を与えたのは、養父母の、養育だったでしょう。ふつうの人です。有名人でも、才能が、豊富なわけでもない。でも、人間として、良識をわきまえた人たちだったのです。その養父母をそれなりに、ちゃんと、尊敬し、愛していた。だけど、自分が捨てられた子供だという、意識は消えなかったのです。かわいそうに。

コメント
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