銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ジンジャーと曼殊沙華*その2・・・日高屋のタンメンを食べながら、超富豪となった同級生を思い出していた私

2022-11-22 04:24:22 | 政治

 これは、100%で、前報

ジンジャーの伐採と曼珠沙華の攻防 (雪ノ下黒物語の、スピンオフとしてのお話)   2022-11-21 13:58:32 | 政治

 の続きです。話が思いがけず、壮大になりそうなので、前報を充実させるよりも、新しい章を起こします。

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副題1、『岸田淳平(=本名、井上・某)氏を、私は、このブログで、長年、ほめそやしてきた。この山で、一番教養が高いと言って。しかし、よく考えてみると、秘密主義のところもある人だった』

 前報では、主に、岸田淳平という文化人(教養という面では、この山一番の紳士)について、主に銀座での、活動を述べております。

 私の画像検索と言ったらひどいものですが、岸田淳平の画像検索では、ご本人の作品が、90%を占めている立派なもので、私が、どれほどに、弾圧をされているかが、わかるのですが・・・・・何は、ともあれ、銀座では、相当な有名人で通っている人です。

 非常に明るい、しかも、正義感に満ちた人ですが、ある部分を秘密にする人でもあり、この22-11-17に、歌舞伎を見た帰りに、ある画廊で、岸田淳平を含むグループ展をやっていたので、寄ったら、オーナーから「銀座では、岸田淳平は、この10年間行方不明なのよ」と、聞き、ひどくびっくりして、あらいやだ。ずっと、我が家のお隣さんとして、住んでいますよ」と答えたので、今度は、相手がびっくりしていました。

 どうせ、尾行や盗聴で、私がどの画廊によったかが敵さんたちには、はっきりと、わかっているでしょう。だから、画廊名を挙げると、【画廊香月】です。

 コロナ禍の前、銀座では、盆、暮の、サラリーマンにボーナスが入る季節には、手持ち作家の、小品展を催す主義のところが多かったのです。今でも、その習慣を残している画廊として香月は、お手持ち作家のうち、オ-ナーが最も誇る作家のひとりとして、岸田淳平を含む、6人展をやっていたのでした。

 画廊香月の、オーナーが好むのは、画家でもあり、文化人でもあるタイプの作家で、詩人兼画家とか、また、作品において、完成度が高いものの、詩情や、コンセプト重視がうかがえる作家などの、なかなかに、高度な、作家をそろえている画廊です。レトロなことで、有名な奥野ビル六階にあります。ネットで、情報を調べて、行ってみていただくのも一興です。しかし、案内に、岸田淳平の名前があるのにもかかわらず、実際には、五人の作品しか、飾ってありませんでした。

 で、不思議に思って、それを質問をすると、彼女は、おもむろに、箱に入った作品を取り出し、「自分が所蔵している作品なのよ」と言って見せてくれました。8号Sの大きさだったと思います。岸田淳平個展を、彼女が北九州で経営している別の画廊の方で、20年以上前に開いたときに、買った(または、画廊使用料代わりにもらった?)一品だそうで、傑作です。岸田淳平の画像検索ででも、三点ぐらい同じ作品が出てきます。だけど、彼女にしてみると、・・・・音信不通だから、岸田淳平は、見に来ないだろう。画廊が狭いので、大切な作家だけれど、画廊に来る作家たちを優先する・・・・と、言う形だったと思います。

 「10年ほど、音信不通だったのは、岸田淳平が、胃がんにかかっていて、胃を全摘したそうで、とても弱っているからですよ」と、香月のオーナーには、答えておきました。胃がんというのは、ご本人から、聞いた話です。まだ、まだ、体力があり、毎日外出しておられた時期に、道端のすれ違い時の、立話として聞きました。

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副題2、『22-11ー17、私は、歌舞伎座から、歩いて二分の所にある日高屋で、野菜いっぱいタンメンを食べた。その時、尾行をしている面々は、この件で、私を笑うのだろうなあと、思ったが、銀座で、昔は、寄っていた俺のベーカリー(今は、料理の種類が変わっている)も、その他のレストランも、行きたくない気分だったのだ。体が、これほど、弱っているときには、野菜たっぷりタンメンが、極上のごちそうとなる』

 その日の私は、画廊香月を、訪問するのが、実際には無理、無理な、疲労度と体力だった。歌舞伎座の予約券は、一か月以上前に買っていたので、その日であることを、忘れていて、前夜、ブログを書くことで、徹夜をしてしまっていた。ということは、前夜、11時に寝て、朝の、3時に起きたという事。さらに、ブログの続きを、書いてていた。朝の7時ごろ、起きてきた主人が、「今日は、歌舞伎に行くのだろう?」と、注意してくれて、突然に思い出したのだった。

 しかも、最近、連続して、大原光孝、柄沢斉、酒井忠康ラインと、公金の話を書いている。大原光孝さんに、この2022年に入ってから、莫大な、レベルで、公金が、下っていて、私より彼が、お金持ちだと、言うサインを示し続けられている・・・・・そういうエピソードを書いている。

 で、その舞台であるシロタ画廊には、行きたいと、思っていた。オーナーのシロタさんは、亡くなっているが、その後のスタッフが、どういう風に、私を扱うかを知りたいと思っていた。

 で、歌舞伎座昼の、座席で、タリーズのサンドイッチは、食べていたが、とても、足りないので、歌舞伎座、すぐ、そばの、日高屋により野菜いっぱいタンメンを食べたのだった。

 で、その三人が、登場する舞台であるシロタ画廊についてもあれこれ、書いて居る。その結果、あの画廊が、私のブログによって、どう変わったかを知りたいと思った。特に問題なのは、若いじょせいスタッフのひとりで、眼鏡をかけておらず、パーマもかけておらず、背が高い人だった。彼女がどう変わっているかを知りたかった。眼鏡をかけていてパーマをかけているのは、先代夫妻の、お嬢様だと、知っている。で、今は二代目であろう。その女性は、ほぼ問題が無い。

 しかし、背が高くて、眼鏡をかけていない女性の方は、京急横須賀中央駅そばの駅ビル四階にある、中央内科(医者は、松岡先生)の医療事務スタッフの一人と同じで、私の人生でも忘れられないほどの、恐ろしい意地悪をした。だから、その理由や、原因が何かを知りたいのだ。それは、北久里浜の、水道山をめぐる、実質的大詐欺事件に根っこがあるのか?、それとも、彼女自身の、根っこに恐ろしい部分があるのか?を知りたいと願っている。

 女性は大体、男性より、意地が悪い。根性も悪い。だけど、全部がそういう人間性を持って居るわけでもない。松岡医院でも看護師さん二人は、普通である。私に関する同じ悪口を先生から、聞いたとしても、その、現れ方が違う。その差が、どういう理由と意味で、発生するのかを知りたいのだった。人間を研究したいと願っているのが、このブログの、もう一つの重要な目的でもあるからだった。

 でも、小さいながら、それは、一つの戦いだから、体力をつけないと向かえない。で、その時、四丁目近辺で、もっとも食べたいものとして、日高屋の野菜たっぷりタンメンが、候補メニューだった。

 しかし、それを食べながら、例の鎌倉エージェントが、軽蔑しまくるだろうと、考えた。差し当たっては、雪の下で、影響が出るだろう。実動、15軒の小さな谷戸の中で、現在のところ、可処分所得が最も多いのは、花輪夫人である。その花輪夫人が、私の目の前に、超上等な普段着で、現れる。一着で、15万円以上(もしかすると、20万円以上)だと思われる、セーターで、表れる。で、そこにも、私を打ちのめしてやって頂戴」と願う、安野夫人からの、伝達という意味があるので、この間、花輪夫人を年金長者と書いた。わざとそう言う風に記載をした。
 そのことで、曼殊沙華の攻防・・・・・(後で、詳細を語ります。ここでは、雪の下で、リアルな世界での、闘争に、私が入ってしまっていると、言う事だけ、語っておきましょう。花をアイテムとした闘争ですが、相当に激しい闘争です)・・・・・が、彼女が発生源として起きたのだろうか? などと考えながら、プチ容器に入った、ラーメンも頼んで、両方で、720円になるような設計で、注文をした。しかしラーメンとは、シナチクだけが、好きなのだけれど、それ以外は、80歳の今は、食べたくないものだった。日高屋に限らず、どこでも食べたくなくなっていて、その日も、シナチク以外は、ほとんど残した。
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副題3、『この時に、日高屋のタンメンを食べていると言う事で、嘲笑するだろう、人物の内、もっとも、社会的にランクが上位の人物である、小学校時代の、同級生、市瀬紀美子さんを思い浮かべた。彼女は、自分の仕事が成功したうえに、ご主人が草創期のゲームソフト制作会社(多分、スクエアーではないかなあ?)の重役なので株式上場時に大金が手に入ったそうだからだ。ただし、ご主人の仕事上の名前は、市瀬ではない。

 今では、超富豪であり、歌舞伎においても、同じ舞台を四回も見るそうである。特に桜姫東文章を、好んでいて、それを四回も見たそうである』

   団十郎襲名の舞台は、さすがに人気が高くて、切符が手に入らない。私は海老蔵は、どっちでもよくて、中村梅枝を見たいだけである。
 で、彼は、夜の部では、助六に出る。白玉という、あんまり大した役ではないが、花魁の、見事な衣装を着て出るし、この役は若手女形の、定位置だそうで、見たいとは、思っている。ただ、仁左衛門が、一世一代、最後の舞台として、助六をやった時に同じ白玉で、梅枝が出ているので、見ないでも、済むのだが、大名跡・襲名記念の舞台に出る姿も、見てみたいのだった。

 しかし、全く切符が手に入らない。それで、思わず、小学校時代の同級生・市瀬紀美子さんに、お手紙でも出して、彼女が手に入れることが出来る、特権用切符の一枚でも分けてもらおうかと思った。だが、必死で、「あきらめろ。接触するな」と、自分へ命令をした。

 実は、ある日、彼女は歌舞伎座の一基しかないエレベーターに四階で、乗ってきた。驚いた。大富豪なので、四階(一幕見、切符が、1300円から1800円である。そういう席には、絶対に来ない人だったから、この出会いは、謀略であることがすぐわかった。
 それは、一緒の箱にいながら、私を無視するという例の鎌倉エージェントたちが、すでに何千回と、使って来た、いじめ用作戦の一つであった。それは、すぐわかったので、あえて、こちらから声をかけた。その時にしたたかにいじめられてしまった。それを一回ブログに書いて居る。

 その前は、一回ほど、特別に親切にしてもらった。日吉の彼女宅の前から、ドライブに誘ってくれて、大倉山のレストランで、ご馳走をしてくれて、お土産も持たせてくれたのだった。その時の訪問の趣旨は、6冊目の自著が郵便を使うと届かないことを知り、必死で、友達の家を巡り歩いて贈呈をしている最中だった。
 彼女の家は、初めて訪問をしたのだったが、のちに東工大教授になる坊ちゃんが、すべて手配をしてくれたという、総坪数、50坪程度の、ヘーベルハウスだったかなあ。今では、プレハブの方が豪華な家である。別棟として今は、アパートも持って居る。2DK化、3DKが、10戸程度の大きなアパートだ。それを教えてくれた。で、ジェットコースターに乗っているみたいに、親切であったり、不親切であったりするのだけれど、それは、すべて慶応大学の理事をしているご主人の教唆命令であろうと思っている。

 そのご主人の後ろには、酒井忠康氏とか、横山和生君(私の中学の同級生、慶応大学の同窓会、三田会の、横浜支部長)がいると考えている。
 私は、どうしてか? ベイカーさんというアメリカ人スパイ(しかし、名門イェール大学から来た交換留学生だが、)から、まゆをひそめただけで、頭の良い人間として、認められてしまい。それ以降、ずっと弾圧を受けている。ベイカーさんは、佐藤忠一君の提案=三鷹駅前で、労働者向けの、啓もう用、ビラを撒きたいという希望を、聞いたとたんに、『あ、僕、三鷹警察署長と親しいから、許可を取ってあげる』と言ったのだった。私は、どうして、一流大学の学生が、警察署長などと親しいのだろうと、思って、眉をひそめたのだった。それで、一度、後ろから、真剣に首を絞めて、殺されそうになっている。それ以来、多大は弾圧を受けているのだった。
 その弾圧が弟にも影響を及ぼしている。これは、本当に書きたくない事なのだが、弟は、実際には、慶応に受かっていたと、思われる。というのも、小学生の時、塾など、全くいかないのに、スッと麻布中学に合格をした。そして、(慶応を父が嫌った後に)電通大を出て、インテルに入社した。シリコンバレーにもしょっちゅう行っているほどに、頭の良い人間なのだ。

 私は弟は、慶応に受かっていると思うのだけれど、慶応大学側から、「少し点数が足りないので、150万円出したら、いれてあげます」というお知らせが来たそうだ。父は秋田鉱山専門学校という(今でいう)大学の石油科第一期生であり、その当時は、私立よりも、国立の方が、難しく、かつ石油は花形分野だった。で、秋田鉱専を出た人が、石油元売り会社の重役のほとんどを占めていると、言う話だったし。
 で、父は、慶応を、それほど、尊敬していなかったところへもってきて、「150万円出したら、いれてあげる」という提案を聞いたので、その提案に激怒をしてしまったのだ。

 で、父には当時、十分にお金はあった。税金の納入額が、日本の上位6%以内に入っているそうで、それを理由に私は、入試優秀成績者に与えられるはずの奨学金をもらえなかった。ただただ、父が、慶応大学に対して激怒したせいで、弟は、慶応に入れなかった。150万円出さないと、入れないと、言うその部分が、絶対に嘘だったと思う。ベイカーさんが、慶応の誰かを動かしたのだろう。


 いや、読者の皆様は、「150万円って、それほど、おかしい金額でもないですよ。だって、早稲田実業が、付属小学校を作る際に、寄付金として提示した金額ですよ。まあ、親側は、猛反発をしたらしいですがね」とおっしゃるだろう。

 だが、貨幣価値が違う時代=1973年の150万円だ。今でいう、700万円から、800万円である。これは、本当に悪意ある、からかいだった。弟は、偏差値というか、試験の合格点としては、、入学許可ラインを超えていたと、思う。だけど、私がベイカーさんに目をつけられた居たために、スムーズに、は、慶応には入れなかったのだ。今でも、CIAe-じぇんとは、おどろくべき悪をなすが、それが、私の目に見えたのは、そのエピソードが終わって、何十年ものちの事だった。そうなると、もうとり返しは、つかない。慶応大学卒と、電通大卒との違いは、お見合いの席で、女性がどう判断するかに現れる。弟は結局結婚をしなかった。

 そして、さらに驚くべきことは、インテルが、半導体工場を日本から、引き揚げてしまったのだ。でソフトプログラマーだった弟は、インテルを退職することになり、NECエンジニアリングへ、入った。これは、スパコンのトラブルを解決する会社で、いったんトラブルが起きると死ぬほどの、任務を課せられるそうである。
 

 このインテルの日本撤退の件を、私が、ここで、書くといけないので、それを阻止するために、半導体不足と、言う脅かしニュースが世界中駆け巡っており、岸田総理大臣は、台湾の半導体工場を、熊本県に設置させるために、7000億円高を拠出するそうである。それは、シーシェパードの大騒ぎと、全く同じ流れである。

 その半導体不足とは、コロナ禍での各種制限と同じ趣旨で・・・・・
 私の反町のアパートのお風呂のボイラー交換も、半導体不足で、三か月待たされると、言う嫌がらせを受けた。しかし、それが、こちら雪の下の方の、岩本工務店の、富沢家の水道事故という嘘を見破ったブログ(後注1)によって解消した。それを書いたのは、10月6日だった。すべては、私のブログ次第なのだ。

 ここで、貨幣価値の変遷について岸田淳平氏の例をもう一回、持ち出そう。ご本人からではなくて、奥様の友達から聞いたのだが、何らかのお歌(きっと作詞だと思うけれど)がヒットして、一時金として、7000万円が入ったという話だった。それだけれど、今の、貨幣価値で、当てはめると、二億か、三億にあたると、思う。生活の諸相にそれだけの、富裕層固有の、雰囲気が出ていた。どうか今の貨幣価値の7000万円だとは、思わないで、いただきたい。そっちだとタワーマンションに、一区画を買ったら、無くなってしまう。そうではなくて、合計で2億か、3億円の、臨時収入だったと、思われ、それほどの、臨時収入が、入ったら、絶対に別宅(オフィス兼アトリエ)を、岸田氏は、作ると思うのだ。毎日の、朝から、夕方までの、外出は、そこへ行くのが目的だったと、推察している。だって、モデルを使わないで、頭の中だけで、表現するヌードは三人のお子様に、見つかるといけないと、岸田淳平氏が、考えたとしても、それはありだからだ。

 しかし、この山の人は、私には、嘘をついていいと、言う合意に達しているらしい。で、岸田氏は、「自分は、アトリエなど、もっていませんよ」と、否定した。

 しかし、しかし、なのだ。私が最も苦しむのは、息子へ対する攻撃である。私立中学二校が不合格だったのは、ありとあらゆる意味で、すでに、裏からの悪い采配が行われたことを察知させている。

 そして、就職にあたってもだ。恐ろしい妨害と弾圧が、息子を襲っている。息子が、私立中学受験をしたのは、1983年だった。が、その三年後、公立、おなり中学で通信簿に1と、2しかないと、言う事で、おいちにおいちにの、あひるさん、と呼ばれていた、安野家の次男が、国立大学の付属高校にご入学あそばされて、海上保安庁勤務となった。

 そして、平成の八墓村事件以来、一家を上げて、安野夫人前田夫人軍団に奉仕をする平木家のご長男は、2020年の秋に、東大へ推薦入学がかなった。

 しかし、そういう苦しみを、日ごろ、心と頭の中で、反芻し続けている、私に対して、さらに恐ろしいことが起きた。

 それは、市瀬紀美子さんのご長男の大・出世の話だった。この間、市瀬紀美子さんが、電話をかけて来て、坊ちゃんの、階級アップを私に告げた。AIを専門にしているとは聞いていたが、就職先を知らなかった。それは、実際には、東工大であり、彼女のおぼちゃまは、40になる直前の、今年(?)東工大の教授になったそうだ。
 彼女は、横浜市立日吉台小学校という(私立中学受験が、現在では、50%を超える)富裕層が多い、小学校で、私立中学を受験しなかった。よくお勉強ができるが、しなかった。とても悔しかったと思う。当時お父さんが、すでにいなかったからだ。すでに亡くなっていたか、離婚だったのか?

 一方で、女の子たちは、総計、6,7人が私立中学進学だった。けれど、今は、すべての女の子に勝る、出世で、市瀬紀美子さんは、大逆転をしている。
 13歳の時に、私は、当時横浜では一流校だった、付属へ、入試成績一番で、入学している。それは、塾の先生を通じて、日吉中(1955年当時は、日吉も人口が少なかった)に広まった。だが、今は、本当に、大逆転をしている。
 市瀬紀美子さんのお子さんが、今、40ですって。変だなあとは、思う。それだと、39歳で、彼女がその坊ちゃんを生んだことになる。彼女は、お子さんについては、その坊やが、AIを研究していると言う事だけしか言わなかったが、なぜ、お子さんが、それほど、優秀なのかというと、ちゃんとしたわけがある。
 彼女のお母さんは、生活の糧を下宿や経営で、たてていたのだと、思われる。そこに入居するのは、ほとんどが、慶応の理工学部の学生である。それで、十分に生活は成り立っていくと考えられるが、彼女が結婚する前に、念のために、横浜国立大学を卒業して、塾を開いた。その先生として、慶応の学生さんにアルバイトをしてもらえば、塾の評判は高くなる。で、はやりに流行ったらしい。彼女は、翠嵐高校へ、入学させることで、有名な、塾の塾長・先生となった。で、翠嵐高校が、神奈川県一、人気が高い公立高校になったのも、彼女の塾の貢献なのかもしれなかった。

 で、彼女の結婚だけど、小学校の時から、慶応の理工学部の学生に接していて、結婚適齢期になると、ある男子学生を選んだと、考えられる。その人に市瀬家に、養子として来てもらうという条件だったと思われる。

 彼女は、美人の方だから、男性も、好意を示されれば、まんざらでもなく、婚約はスムーズに成立したと、推察される。だからお子さんが、現在39歳というのは、どうもおかしいのだが、しかし、それはここでは、問題にしないで置こう。過去に、39歳で、上昇をしてそれを今、持ち出された可能性がある。だって、二所帯住宅を建てる交渉を坊ちゃまが、20代で、始めたとは、思われないので。現在、79歳の彼女が、当時の適齢期に結婚をしたと仮定すると、坊ちゃんは、すでに、55歳程度の筈だった。

 その後なのだ。東工大と、医科歯科大学の合併が、発表をされたのは。それが大問題なのだ。この件は別章で、詳しく書きたい。共立薬科大学が、慶応大学と合併したのも、じょし医科だいがくの研究所が早稲田大学と合併したのも、すべて、私狙いであった。それは別の章を起こして、後日、説明をしたい。出ないと、このブログが終わらないからだ。

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副題4、『日高屋の野菜一杯タンメンを食べた後で、もう一回エネルギー補給をしたくて、銀座・三越別館9階に在る、JA(全農)のアイスクリームを食べた。それで、少しは回復したので、シロタ画廊から、銀座を北上し画廊香月に向かったのだった』

 私は日高屋のタンメンを食べながら、そういうこと(上に描いた、みじめな自分の現状)を考えていた。で、心の中は、悲哀でいっぱいだった。だが、自分で決めた事は、実行をしようと、心身を奮い立たせ、当初の目的通り、シロタ画廊へ行った。目的としていた、女性スタッフは二つの展示室には居なかった。二代目オーナーが今週の作家と、大展示室で、お話をしていたが、彼女は、バックヤードに隠れているのだろうと推察した。それだけで、ブログを書くことが一定の効果を上げたと判断をした。本当に小さな形ではある。だけど、ペンの力で、いじめという暴力に少しでも竿をさせたのだったら、幸いだ。

 で、急に元気を回復して、反対方向に、15分以上歩かないといけない、画廊香月を訪問したくなった。

 ただ、気持ちはどうあれ、体力が限界に達しているのも確かだった。それで、エネルギー補給のために、三越別館九階に向かった。そこのカフェ【minori 】で、提供されるアイスクリーム(または、ジェラート)は、心身にしみとおる、滋養を感じさせるのだった。時には、二カップ食べる。それが四丁目であり、そこから、一丁目の奥野ビルまで、本当に張って歩きたいほどの、疲労の中向かったのだった。

 どうして、そういう事をしたかというと、実は、山の下で、すっきりとした姿勢で、たっている岸田淳平氏に、ごく最近(この二週間以内だったと思うが)あっているのだった。本当にびっくりした。死期が近いのではないかと、思うほど、衰えている姿も見たことがあるからだった。

 そして、その顔には、いつもには見られない、非常に複雑な表情が浮かんでいた。で、私は目礼だけを交わして、言葉をかけないで、去った。その後なのだ。画廊香月の、六人展に、岸田淳平の名前が入っているのを知ったのは。

 私は、このシリーズ、ジンジャーと曼殊沙華では、岸田淳平の、ずるさというか複雑さについて、あれこれ書いて居る。だが、ここのご近所様=の東大、慶応、早稲田など、有名大学卒のエリートばかりそろっている山でも、岸田淳平は、屈指の教養の高さを誇る人物であるという基本的把握は、変わらないのだった。

 それに、ひどい弾圧を受けて、常に騙されており、いじめられているので、それを丁寧に書くから、このブログを読んでいる、人々は、私を悪人だと、誤解をするかもしれない。しかし、私は、自分自身が、善意の人でもあり、他人をも、性善説で、信じるタイプなのだ。画廊香月のオーナーも、難しいところもあり、

 しかも、私は、鈴木紗綾ちゃんの一件を書いて居る。母親の一ノ瀬智恵乎さんへの批判を書いて居る。後注3へ

 それは、珍しく、香月ひとみさんと小堀令子さんとサッポロビールが経営する居酒屋(?数寄屋橋のビル8階にある)へ私が二人を誘って、飲んだから、知った事実だった。事件後、一か月後に知ったのだった。私が、「ヘリコプターが、事件現場の上を、旋回をしているでしょう。あれって、一ノ瀬さんの家、辺りよね」と言ったら、二人が、異口同音に、「なにを言っているのよ。あれって、一ノ瀬さんの家の事だったのよ」と答えたから知ったのだった。

 でも、その後描いた私の文章を一ノ瀬さんは嫌がっている筈だった。そして、香月ひとみ、と、小堀令子はその件で、私を嫌っている筈だった。だけど、私は無理を押して、訪問をした。ただ、一つ、岸田淳平が、作品をもって最近、ここに来たかどうかを、知りたかったからだ。

 そして、香月ひとみが、ばかではないと言う事も知っていたからだ。悪いけれど、はっきり言って、ここの鎌倉、雪の下のご近所主婦とは、一皮も、ふたかわも違うレベルが違う。女性としては、圧倒的に明快で、回転の速い、頭脳の持ち主だと、言える。北九州でだが、テレビで、MCなどをして、活躍していたそうで、その脳みそは、柔軟で、臨機応変だ。

 そして、私の方だが、リアルな世界では、口が早くは、回らないので、世間の人から、ばかだと思われているが、頭脳の中は、香月ひとみに匹敵するスピードで、回転している。

 それで、どんな悪い前提条件があろうとも、私は香月ひとみを恐れない。で、彼女と会話を交わしたいと思った。それは、すべて、岸田淳平の健康状態を図る為だった。

 岸田淳平が作品をもって画廊香月を訪れ、オープニングパーティに参加をしたかどうかを知りたいのだった。

 ここで、この文章は、冒頭に戻っていき、リングが完結する。岸田淳平は、銀座では10年間、行方不明だとのこと。思わず笑いながら、それは違うわよと、否定をしておいた。岸田淳平は交渉事を、(私が、その存在を推察している)アトリエで、行っていて、今では、膨大に届く、郵便のたぐいを処理するのが嫌になっているのだと、考える。それで、10年間、行方不明だと、なっているが、実際には、ここ、鎌倉雪の下の、同じ家で、井上姓を用いながら、ひっそりと、36年間暮らしている人だった。

 しかし画廊香月には、言っていないのだったら、彼はなぜ、140段もの石段を下って、私を待っていたのだ。不思議極まりない。しかし、その後、なぞが一つ解けた。例のジンジャーが丸裸になっていたことだ。その庭だけど、不思議なことに、家の中を通らないと、そこに到達できない。北側の玄関から入って、南側の別ドアから出る形でないとそこには入れない。ますます、なぞが深まった。この項別章へ続く、

@@@@2

 メモ、浜銀が預け入れの際にも、110円をとる話。三菱銀行はさすがにそれをしないが。

 江ノ電バス、大船ー鎌倉間の、切符の値段設定がおかしい。JR東日本も、その値段設定がおかしい。些末なお金でも、搾り取ってやろうとする仕組みをひしひしと感じている。

 この山21軒のうち、我が家だけ、危険・崖地、設定をなされてしまって、土地を売るときに値段が大幅に下げられる可能性がある。

 反町の小さなアパートの二階の住民は、20年以上も済んでいたまじめな人たちなのに、急に出ることとなった。これも、家賃が入らないこととなるし、以前から住んでいた人なら、インテリアが、和風で、古いことも納得だろう(しかし、3室南向きで、しかも独立性が高くて、とても暮らしやすい。反町駅から、徒歩五分だし。絶対に引っ越したくなかったとおもわれるのに、例のCIA連中が仕向けたのだった。どこか、とても、条件によい物件を別に示されたのだと思う)

 このアパートの一階には、豊里盛泰・伊藤美枝子夫妻が住んでいる。厚生年金を二人共、別々にもらっている(で、すでに、月額、生活費、30万円はある形で、五年間、過ごしてきたのにもかかわらず、この二月8日から、生活保護費(実際には、不正受給だが)問題が浮上し、彼ら夫婦は、現在月額、50万円で、暮らしていると推察できる。たまたま、そこへ寄ったときに、伊藤美恵子さんがタクシーを呼んで、お買い物に行く場面に遭遇した。東白楽近辺か、横浜駅周辺へのお買い物だと思われるが、タクシーで、行くのだった。

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