最初に置いた写真の説明をさせてくださいませ。左は、2016年四月の歌舞伎座のプログラムで、たまたま、右頁中段に松也が、載っている頁です。この号は、ちょうど、今回の国立劇場、2020年11月公演、第320回歌舞伎の、第二部、通称毛谷村と、同じ演目を、主役陣が、仁左衛門・孝太郎で、行っているのです。右側は、今回の国立劇場の、解説本(歌舞伎座で言うところの、筋書き、一般の言葉でいうところの、プログラム)の、最終頁です。私が、この章でも、以前にも、問題にしていた、歌舞伎界の、閉鎖性について、語るための糸口となる頁です。
特にこの研修所出身者の、卒業後の不遇が問題です。
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私は、政治を、分析するブログを最近連続して書いて居ます。
その中で、急に、別の話題が入ってしまいました。NHK番組の録画を見た結果です。で、そちらを独立させたいと、思います。
昨日火曜日に、【魂のたきび】第五弾があって、松也、趣里、副島淳が対談をした。趣里という女性を全く知らなかったのが、水谷豊と、伊藤蘭の間の子供だと、本日、初めて知った。で、アメリカ問題とは離れて、歌舞伎へ入って行きたい。
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副題1、『尾上松也が、焚火を囲んで、話した過去の苦悩をきっかけとして、小川大晴(ひろはると、読む)の初お目見えと、歌舞伎界の、問題点を語りたい』
松也の話は、歌舞伎界の情報を相当に知っている身としては、意味があった。
ここで、スピンオフ中のそのまたスピンオフとなるのだけれど、昨日の四日は、三宅坂の国立劇場に行って、久しぶりに歌舞伎を見た。
そこで、私が、今、最も実力が高いうえに美しい女方だと、信じて居る、中村梅枝の、お子さん、【ひろはる】君の、初お目見えがあった。中村梅枝は、私がブログによく取り上げてほめあげているからこそ、弾圧を受けている存在で、メディア露出が、超、少ない人で、したがって、小川ひろはる君の歌舞伎界デビューも取り上げるテレビ局など皆無である。勘九郎のお子様とか、菊之助のお子様が、メディアに取り上げられる頻度と比較すると、雲泥の差だ。
でも、子供の事だから、その方が、負担が少なくて、ひろはる君本人には、よかろうとも思って居る。お父さんの梅枝の、プログラム上の、コメントも、「こざかしく、まとめ上げたくない」と、あって、それは、結構だ。しかし、様子を見て居て、ちょっと、心配になった。というのも、舞台で、寝て居なくては、いけない場面で、薄目を開けて居たりしたので、私も、おやっと思ったのだが、斜め後ろの席のお客さんも笑っていた。歌舞伎通は、梅枝の事をよく知っているので、此の子が花道を出て来た時も拍手が沸き起こった。期待が大きいのだ。薄めを開けたなんて双眼鏡を使わないと見えないしぐさだったが、斜め後ろのお客さんも、此の子を注目して居て、双眼鏡を使っていたのだろうと、私は、推察した。ところでその時、私が思ったのは、『あれ、茶目っ気はある。だけど、これは、生意気な子になる心配もありますね』と、思って、心配した次第だ。
あまり、ちやほやされて育つと、伊藤健太郎の二の舞になる可能性があって、そうなったら大変だから。四世時蔵の、孫は、男の子としては、今の所、此の子一人だから、相当に大切にされる可能性は、
時蔵(五代目)さん、一家は、気を付けてほしいと、思う。この子については、私は、歌舞伎座五階のギャラリーとか江戸川文化センターのロビーで、走り回っている元気な姿を見ているので、かわいい男の子だと、思っていたが、父親と、同じくらいの名優になるかどうかは未知数だ。上手に育ててほしい。ただ、松也が、語った類の苦労(親が歌舞伎界の名門の家庭ではない)が少ない分、本人が歌舞伎界をなめてかかって、甘い、少年とか、甘い大人になる可能性は、ある。
歌舞伎界の子役だけれど、他の世界から入ってきたお子さんは、たくさんいると、思う。しかし、御曹司として育っていく世代としては、此の子が、一番小さくて、かつ最後の世代なのだ。後は、三年は、待たないと、生まれてこないと、思う。既婚の御曹司の中で、女の子はいるが、男の子がいるのは、梅枝が最後なのだ。
・・・・・と、いったん、書いたが、私の方が、間違っていた。カンパニーが異なるところに所属している、坂東巳之助に、2018年におとこのこがうまれている。それと、すでに、歌舞伎座デビューをはたしている、歌昇の坊ちゃん(現在名、小川〇〇君=漢字が難しいお名前です)が同世代(=四歳)だと、推察される。
この歌昇の坊ちゃまの、歌舞伎座デビュー(初お目見え)は、私がブログで、・・・・・吉右衛門が、女婿の、菊之助に、自分の跡を継がせたいと、思っているので、立ち役を演じさせているので、歌昇が、浮き上がってしまって、損をしている・・・・・と書いたことへの、反論として、急遽、秀山祭での、デビューが、決まったのだと、推察して居る。棚から牡丹餅ですなあ。と、思う次第だ。
梅枝の坊やに戻ろう。演目は、【毛谷村(正式名称は、彦山権現誓助剣(ヒコサンゴンゲンチカイノスケダチ)】で、片岡仁左衛門が相手役だ。人間国宝が抱っこしてくれる役でデビューです。
ここで、しばし幼子から離れて、仁左衛門と、千之助と、鷹の資に移動をします。こちらの写真では、その仁左衛門が、毛谷村六輔を演じた写真です。左は、2010年の、歌舞伎座のプログラムのもので、最後の場面を、切り取って、背景をスタジオで、撮影をしています。公演前に、準備した頁だと、推察します。右側は、今月の国立劇場の解説本で、仁左衛門は、8年前の大阪松竹座での、芝居での、六助・前半の姿です。貧乏人風のパッチワークの着物を着て居ます。でも、かっこいいですね。
ところで、普通の歌舞伎感想文みたいなことを言えば、仁左衛門の孫の千之助が、最終演目、三社祭を、鷹之資と一緒に踊りました。二人は、一歳違いで、千之助が、今年、二十歳になったところらしいです。貴之資は、父の富十郎が、すでに亡くなって居ます。これは、きついでしょう。一方千之助は、祖父が、仁左衛門です。そして、その美形ぶりを受け継いでいます。だから、本当なら、感覚が合わない二人でしょうが、千之助は、両親が離婚をしてしまいました。それが、一種の苦労だから、鷹之資と理解しあえるでしょう。そして、深みも与えると、思います。という挿入を入れて、元へ戻ります。初お目見えの。小川ひろはる君へ戻ります。
その子は、仁左衛門の見得と、そっくりそのまま、相似形で、小さな体躯で見えを張ります。これは、子役としては、儲けものの演目であって、そう言う演目でデビューができるのは、それは、徳川綱豊卿が主役の【御浜御殿】で、仁左衛門が、主役で、梅枝が、ヒロインを演じたのに、対する、仁左衛門の慈悲だと、思って居います。普段は、カンパニーが違うので、共演しないのだけれど、その演目での、たまたまの、共演が実現した際の、二人の演技は、素晴らしかったです。
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副題2、『歌舞伎界には、大問題点がある。将棋界のシステムを導入する事など、考えるべきだと、思う。先代・猿之助(現・猿翁)は、それに取り組んだが、病気になってしまったので、弟子たちが、宙に浮いた。右団次は、海老蔵の、カンパニーに参加、春猿とか、喜多村禄郎(旧名を、私は、忘れている。歌舞伎界では、玉三郎の相手役として、公演をしたほどの実力だったが?)は、新派に逃れた』
しかし、上で述べているNHKの番組、【魂の焚火】での、松也の、告白を聞いた後では、一つ、大きく引っかかることが出来した。昔から気付いて居た事で、何度も書いてはいるが、ここでも、書かざるを得なくなった。それは、実家が歌舞伎界の、役者ではない青年たちの存在だ。親が、歌舞伎界で活動をしていない家庭で、生まれたのではなくて国立劇場の、歌舞伎研修会を卒業した若者の処遇だ。松也は、まだいい。父親世代で、そういう、課程を経験している。それと、実家が、芸者が、出入りする、家であり、そういう家には、芸ごとは、必須なので、その他、大勢の、国立劇場出身者とは、異なるのだ。
玉三郎とか、愛之助も、こういう系列に連なる役者だ。しかし、それらの、・・・・・芸事を親世代が、実家で、やっていない家に生まれて、唯、唯、本人が、歌舞伎を好きで、研修所に入ってきた・・・・・役者の前途は、暗い。
ただ、部屋子と言って、有名俳優に、直接弟子入りする子供がいる。莟玉は、梅玉の弟子なので、養子になって、急に主役を張ることができる様になり、NHKの、【にっぽんの芸能】にもよばれたりしている。2チャンネルとか、5チャンネルでは、梅玉の本当の子供だと、言われたりしている。だが、ご本人は、「両親は、編集者です」と、言って居る。それもあるかもしれない。編集者となると、超インテリで、東大とか早稲田を出ている可能性もあって、それで、アメリカでの、友好公演を果たしたり、ともかく、優遇をされている存在だ。
だが、不遇なる存在もいる。
今を時めく、海老蔵の、お子さん、堀越かんげん君が、歌舞伎座デビューした時(二歳だったと、思う)、・・・・・それは、大勢の役者が、舞台上に並ぶ、芸者と鳶を、主人公にした、吉原ものだったが、・・・・・後ろの方で、明らかに嫌な顔をしている若い役者がいたのだった。それは、国立劇場の、研修所出身の若い役者だと、推察した。
ただ、堀越かんげん君は、その後、驚異的な成長を遂げていて、今では、大勢の三階さん(親が、有名でない人達の事)も、此の子を主役に据えることを嫌がらないと、思って居る。
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副題3、『今月の国立劇場のプログラムは、100円値上げして、千円になっていた。しかし、私には、大いなる不満がある。実際に出演している役者の、思いを、載せるのを、こういう国立劇場出身者にも枠を広げるべきだと、思うのだ』
歌舞伎座のプログラムって、超、面白くないです。ただ、私は、過去の上演記録を見たいので、買うのです。国立劇場のプログラムには、過去の上演記録がついて居ません。でも、歴史を重ねているのだから、出演者を、小さなフォントで、表している歌舞伎座のプログラムのそこは、同じ趣旨のものを、こちらのプログラムにも、採用してほしい。データづくりは大変だけれど、そこは、パソコンの上手な役者に、分担してもらってボランティアでもいいではないか?と、思う。
上に書いた、仁左衛門が主役の演目では、息子の片岡孝太郎が、ヒロインを演じている。
ヒロインは、お園と言って、武芸に達者な女性だ。この演目の初演は、18世紀(1786年=天明六年)大阪の人形浄瑠璃だった。とても変わったヒロインだが、人気が高かったそうだ。
そのお園が、特に大きく、武芸の達人であることを示す場面がある。それは、合計5分から、10分の間の場面でセリフがない。しかし、重量感がある。というのも動きが派手なのだ。それは、主人公の、孝太郎が派手に動くわけではない。
多分、役名、【忍びの浪人、直方 源八】という、人物が、派手に動くので、舞台が、見せ場が多くて、重量感があるのだ。で、五分かもしれないのだけれど、十分程度に感じる場面だった。
そちらの、派手というのは、トンボと、言って、新体操風な、体を使う演技をするからだった。バック転とか、前方宙返りなどを、六回繰り返した。
この通称毛谷村という芝居では、山賊というのが、大勢出てきて、それが、その他(いわゆる三階さんなのだけれど)、この青年だけは、たった一人で、ヒロインを際立たせるのだから重要性が高い。
通常、花四天(はなよてん)とか言って、20人ぐらいで出る。
グーグル検索で、出て来た、花よてんの説明では、こうなる。
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はな‐よてん【花四天】の解説
歌舞伎で、はなやかな所作事や時代物に出る軍兵や捕り手。また、その衣装。白地に染め模様のある木綿の四天を着、赤い鉢巻きに襷 (たすき) をして、多く花枝や花槍を持って出るところからの名。
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其れは、たいてい、16人ぐらいは出てくる。だけど、今般は、たった一人で、主人公を、目立たせ、華やかにさせる役柄だ。もう少し、重要な扱いをしてもいいと、思う。
筋書きの中に、二行でいいから、、「そこへ、忍びの者、直方源八が現れて、お園に襲い掛かるが、、お園は、軽く領してして、追い払った』と書いてあれば、「ああ、あの一人で頑張った若い役者は、やえ亮なのですね」と私にわかる。
そして、2020年11月に三宅坂の国立劇場を訪れた、お客さんで、プログラムを買った、他の人にもそれがわかる。そうなると、そのお客はますます、歌舞伎が好きになるだろう。スターだけを追って居ても、それほどに、理解は深まらない。演劇とはアンサンブルが大切なので、端役も、わき役も大切なのだ。
しかも、ヒロインの方は、余り体を動かさず、刀などを振り回すだけなので、こちらのからむ役者の方が、圧倒的に、疲労度が高いと思う。
後で【かぶき手帖】と、言う、紳士録を見たら、やえ亮(坂東)は、27歳と相当に若い。
だけど、私が大問題としたいのは、舞台を見ただけでは、
その演技をしたのが、やえ亮なのか、それとも、他に、14人は居る三階さんなのかが、わからない処だった。というのもプログラムの筋書きの所に、その部分の説明が一切ないからだった。これは、『悪意を感じるね』と言うほどのものだった。
筋書き(文章)の上に役柄名と、役者名のいちランがある。もし、本文ちゅうに、「そこへ、忍びの者、直方源八が入って来て、お園に襲い掛かるが、女ながら、武芸の達人であるお園は、軽く追い払うのだった』と、二行でよいから、書いてあれば、お客は助かる。どうして、こんなに不親切で、かつ、三階さんを、無視するのだろう。
この青字のフォントで書いた部分が、瞬間的だけど、消えてしまった。どうしてですか?と、聞きたい。こんなことは政治でも何でもない。だけど、批評としては鋭いかもしれない。歌舞伎の批評とは、お褒目の言葉ばかりの模様だ。其れって、批評ではない。日本って、ほんとうに、本当の批評がない。美術界も、持ち上げる方向の批評ばかりだ。そう言う形で、美術評論家は大金を稼いでいるという話を聞いている。
其れに私は、歌舞伎役者個人を、非難をしているわけではない。しいて言えば、うんえい会社、この場合は、国立劇場を批判しているわけだ。だから、誹謗中傷ではない。
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副題4、『たまたま、この同じ演目を私は歌舞伎座でも見た。カンパニーは、主役は、仁左衛門、孝太郎コンビで、今回と同じで、敵役が、今般(2020年11月国立劇場)では、彌十郎で、前回(2016年4月)は、歌六だった。だが、主役が、同じなので、三階さんほか、端役は、10人前後が、重なっている。同じ役をやる役者も、主役以外にも、相当数いた。
ところで、プログラムを検証したら、ほとんど同じで、この場合は、前回は、京純(きょうすみと読む)が、今回、やえ亮が、やった役をやっていたのだが、それを、筋書き上で、説明することがない。そこが全く同じだった。全くもって悪意見え見えの、筋書きだ。
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副題5、『ここで、父のセリフを思い出す私だった。父は、満鉄調査部、中央試験所というところで、今でいうオイルシェール(当時の日本語で、頁油岩)の研究をしていた。チームは、カリフォルニア大学出身の根岸譲治博士(戦後は、千代田化工勤務)を、トップとして、数人の日本人と、数人の中国人科学者で、構成をされていた。
ところで、戦時中の満州というのは、大企業に所属するインテリ層にとっては、大変恵まれた場所だった。どういうことかというと、民主主義のレベルが、本国日本よりも高かったからだ。特に父の部所は、アメリカ仕込みの、根岸博士が、トップだったという事もあって、「下からの意見を出す様にと、いつも言われていて、驚いた」と父は、よく、言っていた。で、敗戦後は、急変するのだけれど、戦時中は、日本人も中国人も一緒に仲良く働いていた。で、中国人科学者ものびのびとしていて、ある日、父にこういったそうだ。
「ニホンジン、オモシロイ、アル」「ヒトリ、強イ、アル」「ミンナ、負ケル、アル」と。
この日本語は、やはりおかしい。文末がすべて、「アル」で、まとめられている。戦前戦時中の、中国人インテリは、いくら表面では、仲良くしていても、やっぱり征服した民族として、日本人を嫌っているので、日本語の習得が、いい加減なのだ。英語で、言うと、have , get も be動詞で、まかなってしまう、という発想の日本語だ。
今、コンビニで働いている、中国人留学生の、日本語は、ほぼ完ぺきだが、戦前の、中国人の日本語とは、ふざけているわけではないものの、こういう語尾で、結ばれているのだった。
其れを父は、面白がって、何時も繰り返していた。何だろうか?と、私が、きょとんとしていると、チャンバラ映画の事だと、解説してくれた。戦前の映画だから、嵐寛寿郎(通称、あらかん)、片岡千恵蔵、市川歌右衛門の時代で、戦後の、黒澤明の、【七人の侍】などとは、全く違って、より歌舞伎に近い、様式美と、ゆったりとしたスピードで、チャンバラが行われていたのだった。
つまり、「わき役は、すべて死ぬのだけれど、そんなのは、リアルではない。現実社会ではありえない」と言いたいのが、中国人科学者の思いだった。中国には、伝統芸能としての、京劇があるのだけれど、京劇には、戦闘場面は、少ないのだと、思われる。で、歌舞伎に見られる様な、花四天の様な存在はないのだった。
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副題6、『私は、やえ亮は、国立劇場、歌舞伎研修会の出身だと、考えて居た。それで、国立劇場の、プログラム製作者(正式には、国立劇場、営業部、営業課、へんしゅう企画室)に、文句を言うつもりだった。午後、5時頃までは。
ところが、【かぶき手帖、2019年版】を取り出して、仔細を検討すると、なんとやえ亮は、2009年に、当時の彦三郎(現在名、楽善)の、部屋子として弟子入りしており、国立劇場の研修所出身ではなかった。では、あのトンボ(バック転などの事)は、何時勉強をしたのだろうと、不思議になる。一人で、ますたーしたのですか?と、不思議になる。
一方で、同じ演目を仁左衛門・孝太郎コンビで、歌舞伎座公演をした時に、これを演じた、きょうすみ(京純)は、研修所出身だった。そして、八重亮よりも、8歳年上なので、現在、35歳となる。で、今月は同じく、国立劇場に出演しているのだけれど、9代目坂東彦三郎が、わき役として出ている、この演目に、彼のカンパニーの一員として、参加したやえ亮が、この動きの激しい役に挑んでいるのだった。
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