銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

斎藤栄熱海市長、谷正、Uptown伊豆社長、井上ゆり、塩見和子、長谷川智恵子、王義之、神尾真由子、杉本俊一、瀬島龍三

2020-11-27 23:17:24 | 政治

 これは、100%前報の続きです。そこに書いてもいいのですが、前半部分を、お読み直しいただくのがご迷惑だと、思って新しい章を起こします。なお、ここに書いて居ることは、すべて、2013年に起きたことなので、皆様におかれましては、時宜にかなわないと、お思いかもしれないと、存じますが、今、現在の事は、私の文章を否定する方向で現実が動いたり、NHKニュースが、報道を開始したりしますので、古いことを書く方が安全なので、こう、させていただきます。

 前報のリンク先は、

今夜、小さなミステリーを解いた私・・+・・私や、弟の資産を奪い取ろうとする不動産屋の裏側は何処に繋がって居ますか?

2020-11-26 01:30:53 | 政治

です。その続きです。そして、総タイトルにあげた名前は、前報と、関係がある名前が入って居ます。

副題1、『・・・静岡県で、別荘用土地を探すなどとは、ずいぶん、悠長な事を言っているのですね・・・と、このコロナウィルス騒動下には、誤解を受けそうだが、これも無論、政治的目的があっての事だった』

 私たち、一家は、ここ雪ノ下に、18坪の小さな古家があったのを買って引っ越してきたのです。増築をしようとは、最初から思って居て、その余地があるので買ったのでした。で、1987年に増築をしています。そちら部分は、とてもしっかりとしています。しかし、1980年代に既に、坪、100万円は、かかりました。

 ところで、前の住民は、結構な安普請で、18坪を建てていたので、そこが、傷んできたので、2013年にリフォームをすることになり、鎌倉の、大町で、開業している山田さんと、言う一級建築士の人にお願いをしました。ちゃんとした人に紹介をされての事です。ところが、なかなか引き受けてくれません。工事の実行に入ってくれません。でね。後で、委細がわかるのですが、ミセス山田と、井上ひさし氏の奥様、ゆり夫人とは、お子さんの関係で、仲良しだったのです。

 その後、山田さんの行動の二つからも、井上ひさしの支配を感じて居ます。彼は、2009年に自分を公的に死んだことにしていますが、無論のこと、生きて居ますよ。生きて、地下潜行をして、あれこれの、謀略(=対私いじめ用)のアイデアを練って居ます。

 私は、こういう時に、唯、ずっと待っていて、放っておかれるのは、こちらの負けという事になるので、避けないといけないと考えております。別に山田さんに対して勝負に、出ているわけではないし、私は、誰に対しても勝ち負けなど、考えて居ないのですが、敵さん達が、それを考える人たちなので、勝負は、考えないといけません。ここで、ずっと放って置かれるのは、負けたと、言う事となります。

 でね。たった一つでも、負けたと、言う事となると、そこから、多方向へ、攻撃が始まるのです。だから、負けたという形を取らない方がいいのです。でも、一般的に言えば、こちらから、「もう待てないので、他の業者にお願いをします」と言って、断るのが普通ですね。しかし、そういう事をすると、「あの人は、信用ができない」という風に、山田さんとの間を取り持ってくれた紹介者から、周辺に言いふらされてしまうでしょう。常にあらさがしがされていますので。そう言う事となります。ディレンマに陥って居ますが、そこを、敵さん方の手法を手玉に取って利用して、突破するのが、目的だった、静岡県での別荘探しなのです。

 それは、どうしてそう言えるかというと、我が家の夫婦間の会話も、電話も、盗聴をされて居るし、私には尾行がついて居るので、静岡県で、別荘用土地、又は、中古の別荘を買う算段をしているというのは、敵さんには、筒抜けです。しかし、それが、いいと思っているのです。それが政治的目的と言う物です。しかし、土地探しをするのは、もう一つ別の心理的というか、抒情的な、目的がありました。

 四番目の孫として生まれた男の子に馬術でも、習得させたかったからです。御殿場から、山中湖にかけては、馬術クラブがたくさんあります。それで、そこに別荘を買おうとしていたのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『四番目の孫には、軽い自閉症が出た。で、父である私の息子が一時期悩んでいた。それをさらにえぐってやれと、言う攻撃が、当時、笠間日動美術館館長だった、長谷川智恵子さんが、茨城県の、教育委員として、・・・・出産前検診をして、障害児が生まれる可能性のある染色体異常が発見をされたら、妊娠中絶をさせましょう・・・・と、発言をしたのだった。それは、まさしく、その手の攻撃の一典型だったのだ。で、此の孫の事もご近所には、・・・・・私は何も言っていないが、・・・・・既に知れ渡って居て、・・・・なんだよ。あの人、自分の方こそ、天罰を受けているのではないか・・・・・と、言いあって、笑っていると、思う。

 ところが、私はすこし違う風に考えて居た。・・・・・自閉症が現れたという事は、別に劣等した事ではなくて、私の孫なら、当然かもしれない・・・・・と、考えたのだ。自閉症とは、画然と、かけ離れた状態ではなくてある部分で、分布曲線の、端っこにいる事は確かだが、ものすごい集中力を発揮して、こだわりが強いと、言う事だろうと、思う。

 この孫が生まれて一週間以内の事だけれど、余りに整ったお顔なので、私は却ってドキッとしたのだった。現代日本社会に生きている子供とは思えず、江戸時代の、有職びなを思い出した。肌の色は真っ白で、ろうたけており、透き通って居て、ややもすると翡翠色に見えた。こういう人は、1960年代の、ICUにも居たのだった。王義之の末裔だと、言うお嬢さんで、肌は、まさしく翡翠色だった。そのお嬢さんは、1960年代で、王義之から数えて、1300年過ぎているわけで、それだけの歳月をインテリ一家として過ごすと、そうなるのだと、以前から考えて居たが、四番目の孫は、まさしく、そういう肌と、そういうお顔をしていたのだった。

 ご近所様は、「障害があるんですって。きっとお顔も、みっともないのよ」と話し合って居るのだろうけれど、反対なのだった。しかし、それを、私が喜んでいるとも言えない。というのも、子供は、子供らしい顔というのがあって、その方が、親も楽だし、ご本人も楽だと、思う。ここまで、整っていると、親も育てにくいだろうし、ご本人も大変だろうと、思う。親がもし未熟だったら、子供をいじめてしまうだろう程に頭がよさそうだった。

 で、我が家の歴史なのだけれど、大江広元が、鎌倉幕府の御家人だった時代に、その家来であって相模の国の住人だったと言われていて、そこから、萩に定着して、毛利家の家臣となったわけだけれど、それだけを取っても、既に、800年は経っているので、こういう子供が生まれても仕方がないと、私は思っていた。

 自閉症であると、診断をされたのは、余りにも激しく泣くから、両親が心配して、お医者さんの診断を仰いだのだった。小さいながら、これは、こういう順序でやりたいと、言うこだわりが、その孫にはあって、両親が少しでもその手順を、はしょったり、抜かしたり、違う順序でやったりすると、それは、違うと、言って激しく泣くのだった。よくエレベーター内で、「僕がボタンを押すはずだったのに」と、言ってぐずって居る幼子が居る。ほかのお客さんが、ボタンを押してしまって、泣いている子供だ。あれと同じか、あれよりもさらに激しい状態だったと、推察する。

 ここまではっきりと書いてしまうのは、既に、泣かない、こどもに、なっているからだ。ほとんど、普通である。コミュニケーションも、ちゃんと取れる。それに顔も、子供らしくなってきた。未だ、肌の色が白いのは白いのだけれど、あの、ろうたけたという感じとか、翡翠色という感じはなくなった。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『神尾真由子さんが、チャイコフスキーコンクールで、優勝した後で、NHKが、いろいろなスペシャル番組を彼女について制作した。その中で、神尾真由子さんが、・・・・・私は、小さいころは、癇の強いタイプで、よく泣く子だった。自分でもベッドの足にかみついて、長時間泣いたのは、覚えている。何か、おもちゃの事が原因だった・・・・・と、語って居て、私は、やっぱり同じだったと、考えた。そこで、八分の一のバイオリンをプレゼントすることを考えた。

 鎌倉の家から、お茶の水の、黒沢楽器へ電話をかけて、・・・・・今、そのサイズのバイオリンが、置いてある・・・・・と、聞いてから、電車に乗って出かけた。鎌倉の自宅から、お茶の水の黒沢楽器までは、この場合は、1時間40分はかかる。その間になんと敏捷な事か? 塩見和子さんに、敵さんたちが、電話を掛けたか? または、メールを送って、黒沢楽器に売らない様にと、いう手配をかけたらしい。鎌倉の家では、その名前をきちんと教えてもらって、覚えていた男性の担当者は、たった、一時間半の内に、不在になったとのことで、別のスタッフが言うのには、八分の一のサイズのヴァイオリンは、今は無いとのことだった。

 こういう具体的な損失があるので、私は深い怒りに駆られて、諸処の事をきちんと書く様になった。塩見和子さんは、ICU同期、1966年卒業で、その当時、日本財団の理事長として、ストラディヴァリウスなどの、名器を所有し、演奏家に貸し出す、そういう力を持っているので、黒沢楽器が、私の方を無視するのは、朝飯前と、言う事なのだろうと、思う。

 でも、こういうエピソードがあるからこそ、サザビーの日本支社長だった頃に親しくなったであろう、長谷川智恵子さんを、彼女が、洗脳して、対、私いじめの為に、「障害児を、妊娠時診断で、中絶しましょう」と、言う発言を、茨城県教育委員会で、する様に、動かしたと、見て居るし、その裏には石塚雅彦さんがいたと、見ているのだった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『しかし、驚いたことに、息子自体が、子供にバイオリンを習わせることを拒否したのだった』

 私の主人は、子供のころにバイオリンを習って居たそうです。しかし、どうも、ものになっていないみたいです。一方の私ですが、父方の叔父が、旧制中学の数学の教師だったのですが、音楽も教えられる程だったと、聞いています。まあ、どこの血筋かはわかりませんが、私は、声だけは、ものすごい美声だと、言われます。天与の美声だと、言われています。

 でね、今期の朝ドラエールでは、出演者の皆さんが、主演の窪田君を除いては、美声の持ち主なので、とても楽しかったです。特に驚いたのは、柴咲コウと、二階堂ふみです。柴咲コウは、江戸城大奥を舞台にした映画を見ただけで、二階堂ふみは、【翔んで埼玉】を見ただけの、人だったのですが、二人とも正当な歌い方で、美声なので、とても驚きました。山崎育三郎の様に、舞台でも、歌い手として、既にプロである人達が、上手なのは当たり前ですが、この二人の女優さんには、心から驚かされました。

 で、元に戻ります。神尾真由子さんの場合は、祖父母が、小さいバイオリンをプレゼントした事で、チャイコフスキーコンクールの優勝がもたらされたわけですが、私は塩見和子さんに妨害をされて、ヴァイオリンが買えなかったわけです。

 しかし、どうしても買いたかったら、買えないことはないです。しかし、バイオリンの先生を探すとなると、ここでもまた、妨害を受けるでしょう。でね、こうなると、無駄骨になると、困るので、息子にどう思っているかを聞いてみようと思いました。すると、何と、バイオリンなんか習わせたくないと、言います。

 其れでは、ピアノは?とは、言いませんでした。ピアノは、習っておいた方がいいのですが、上の三人の孫について、それを聞いてみたら、母親(娘)から、いらないと、言われているので、そちらには、三人の子供に、障害もないし、犬もいるので、ピアノが邪魔になるのだろうと、思って、それ以上は、話を進めて居ません。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『ここから先は、言うのが、とても苦しい話だけれど、大学受験の英語が、民間試験を採用すると、言う話になったのも、私のブログと並行して起きた話なので、語りたい。

 実は、長男が、私立中学受験で、二校が不合格になったのも、裏から、瀬島龍三が指金を入れたと、感じているので、それを書き始めたのと並行して、政府が、そういう話を起こしてきたのだった』

 これから先は、私としては、非常につらい話を書かないといけません。私は、瀬島隆三たちが、横須賀市の水道山他、2000坪を地籍変更届他の、役所を当てにする、書類操作で、無償で手に入れた、裏側を・・・・巻き込まれたがゆえに・・・・・知ってしまいました。それが1978年の事で追い詰められた、首謀者一族は、車を使って、私を轢き殺そうとしました。これ以前に、1965年にもICUキャンパス内で、ベーカーさんというエール大学の学生に後ろから、首を絞められたのですが、その三鷹の時も、北久里浜の時も、両方とも、私は助かって居ます。

 うーん、これから先、ものすごいことを書かないといけないのですが、そこは、すっ飛ばします。というのも午前二時に差し掛かったからです。

 で、この文章の行き先だけを示します。

 私の息子は、私の提案をことごとく、拒否する。それは、偏差値的に、高い大学を出た両親に対するいわく言い難い、ものがあってそうなっている。これは、全日本的に起きている現象でもあって、引きこもり・ちゅうねん・60万人を生んでいると、私は思っているほどだ。息子が引きこもりではなくて、きちんと結婚もして、子育てをしている事だけでもありがたいと、思って居る。そして、それなりに、自分も、自分を犠牲にして子供のサポートをしたよねと、ひそかに、自負している。それが、私が一ノ瀬智恵乎さんを批判する由縁ともなっている。

 しかし、息子は、祖母役の私の事は、拒否するのだけど、自分なりに、孫をかわいがっていて、孫は、馥郁と育っている。2020年のお正月パーティでも、小四ながら、きちんとしたスピーチを舞台上のマイクに向かってできた。夏休みには、丹沢登山に連れて行ったり、本当に大切に育てて居る。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 しかし、私は、2013年に戻りたい。本日2020年11月27日も夫婦間の電話を盗聴され、それが、ご近所にばらまかれたらしくて、さっそく、大原家と、前田家に、「こっちが勝ったぞ」サインが出ていたが、ともかく、現在の事は、本日は語らずに、2013年の事を語りたい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 私は、この四人目に生まれた、孫は、何か、特別な事を見付けてあげれば、ものすごく伸びると考えて居た。ただし、本人も生きにくかろうし、親も育てるのが大変だとは、思っていた。が、何かを見付ければ、爆発的に伸びるだろうと、信じて居る。ただ、何かを見つけるにしても、体力をつけて置き、体格を立派に育てておくのは、必要で、何かスポーツを習わせておくべきだと、考えた。

 私に言わせると、コミュニケーション能力に少し、劣っている可能性があるからこそ、特殊な分野に進んでいた方が、良いと考えて、それが、馬術だったのだ。しかし、これもまた、究極の所は、息子に拒否されて、孫はありきたりだが、サッカーをやっている。

 ただし、もう一回言うが、2013年に戻ろう。まだ、孫は三歳で、何も習っていない段階だったが、別荘を買ってしまって、馬術クラブを紹介すれば、息子は、理解して乗って来るだろうと、私は思っていた。

 で、大昔、母から、あんたは常に、ものを考えて居るから車を運転しては駄目よと、言われている私は、電車とバスで、まず御殿場付近を逍遥した。

 御殿場から、富士急バスで、15キロ程度(バス停にして、20個程度)山中湖方面に、進むと、富士高原ゴルフコースに到達する。その手前までは、普通の日本の村であるが、そこまで行くと、どこか、日本離れした美しい景色となる。富士山と、ゴルフコースを、西側に見て、自衛隊の演習用、砲弾の音を聞きながら、散歩をすると、道路の東側に別荘用団地が広がって居て、瀟洒な別荘が、敷地、100坪、建坪、50坪程度で、広がっているのだった。まあ、はっきり言うと、まあ、軽井沢よりは、敷地面積と緑の多小さでは、劣るが、景色は圧倒的に、こちらの方が、素晴らしく、特に冬は、最高だった。

 その住宅街に、四棟の、温泉付きマンションがあった。丸紅が開発したと、言う話だった。その一区画が売りに出て居て、2013年時、250万円だとのこと。今は、安井物件が増えたみたいだけれど、2013年ごろに250万円の売り物なんて、ちょっと、考えられない安さで、私は飛びついた。其れなら、山田さんという鎌倉の大工にして、一級建築士の人に、リフォーム用に準備したお金を、まるまる転用すれば、楽に出せる。私達は、最近は、夫婦で、半々の拠出金であれこれをやることにしていたので、二人合わせれば、500万円になる、一回だけを、リフォームするので、その部分は、9坪だから、充分なはずだった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 私はこれらの探索で、時間がかかって、鎌倉まで、帰れないことがあった。そういう時はうちへ電話を入れて、どこそこのホテルに泊まりますと、言って泊まっていた。ある日、沼津の、東横インに泊まっていたところ浅野五時に轟音的、救急サイレンで、起こされた。これは、2007年の9月27日の朝、渋谷郵便局で警察の特殊部隊に危うく拉致されそうになった時の騒音と同じだったので、なるほど、例のブルーカラーとしての、CIA軍団に自分が囲まれているという事がわかった。ただし、私は、それにビビることはなくて、このマンションも、含めて、田子の浦駅徒歩、15分の、建坪50坪の邸宅とか、沼津駅前の、750万円のマンションとか、あれこれ物色する。

 お金については、山田さんには、私の動きは、当然に入って居るので、私が、結局は、リフォームを断るつもりだとは、理解してもらって居るだろうと、考えた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ところが、第一番目の選択について、主人と弟に激しく反対をされた。温泉付きマンションは、管理費が、5万円以上、一か月にかかる。修繕費とかを合わせると、月に7万円の出費になる。「絶対に、そのうち、行かないことになるから毎月の7万円が、無駄になる」と言われた。私は、たぶん、自分自身については、彼ら二人の言う通りだろうと、思った。だけど、内心では、これは、孫のための投資ですよと、考えて居たので、相当に抵抗して、主人にも来てもらって、そのマンションを、みてもらった。

 中に入ると、山中湖で、使うらしいボートも置いてあって、世田谷区に住む、社長さんの持ち物らしかった。まあ、相当期間、二人の忠告には、抵抗したが、孫の為とは最後まで言わないで、いたので、二人には、本意は伝わらず、ずっと反対をされ続けた。で、結局は、買うのをあきらめたのだけれど、その時に、マンションの特徴を痛いほど、感じさせられた。これが、一戸建てだったら、買ってしまえば、使おうが、使わないでいようが、かかる費用については、さして、変わりはない。しかし、マンション、特に温泉付きとなると、毎月、使わないでいても、高額の費用が掛かる。で、お若い人に言いたいのだが、マンションを買うのは、おやめなさい。遠くで、辺鄙なところでもいいから一戸建てが最高ですよと。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 で、丸紅が建てた、マンションはあきらめたが、私は、引き続いて、静岡県内を、物件を探して歩いた。その内、横須賀が安いと、言う情報も手に入れて、横須賀市内をも探索することになるのだけれど、それもことごとく、主人に反対をされて、まあ、言ってみれば、北久里浜の我が家(旧宅)を売るべきではないと、言う結論に到達したのだった。そこの方が新しく選定するどの土地よりも、条件がよかった。それで、そこには、私が一回目の普請をして、建ててあるりっぱな家が残って居て、それを壊すつもりはないので、三回目の普請は、あきらめた。事実上あきらめた。

 しかし、然しなのだ。私が新しい、家を建てるための土地を買おうとしたのは、これもまた、子供たちの為だった。彼等が、本格・木造建築を、注文を出して、自分達で、自分達の家を作る様にさせたいと、言うのが、私の本当の望みだった。しかし、これも主人には説明をしなかったので、主人は理解していないと思う。したがって、私が選んだ土地は、ことごとく、反対をされて、結局は、買う事はなかった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ここで、雪ノ下の、近所の話に入って行きたい。いわゆる、本格木造建築として、家主が、注文を出したと、わかる家が、13軒ある。明らかにプレハブですねと、わかる家が、四軒ある。で、残りの三軒は、どういう分類の元に、分けていいかがわからない家だ。だけど、最初の住人が今でも住んでいる家は、4軒しかない。もう、本当に出入りの激しい一帯だ。

 中古の家を買って、転入してきた、(又は、借りて転入してきた家が、)11軒もあり、中には、既に、全体を、新築し直したりした家もある。で、この近辺に住んでいる人は、まあ、賢いのだろうと、思う。やっぱり、古家でいいから、一戸建ての家を買って、それをある時点で、壊して、自分で、注文を出して、新しい家を建てると、大きな勉強になるからだ。

 そういう選択を子供たちにもしてほしいのだが、子供たちは、二人ともマンションに住んでいる。したがって、土地を買って、遺産相続をしたいと、言う私の夢は、悪くはないものだが、ついに、実現せずに終わったと、言ってよいだろう。既に、ついえたと、言ってもいいだろう。78歳の今となっては、2013年の物件探索の時ほどの、元気さは、もう残っていないからだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 しかし、然しなのだ。敵さん達は、恐るべき悪意をもって、熱海市下多賀の土地を、購入させようとして、いたのだった。というのは、同時並行的に、山田さんから、「リフォーム工事に取り掛かりますよ」と、言う連絡が入ったのだった。だから、両方に、支払いをさせたうえで、下多賀の土地は、利用できない捨て金だったと、言う事にしたいと、思っていたらしい。それが、前報に書いてある部分となる。

 つまり、あの、道路から、1.2mの所に打ってあった赤い杭だが、本当のセットバック用地だったら、最初から、二つの不動産会社は、それを、言わないといけない。

 (株式会社)アップタウン伊豆(住所、413-0011 熱海市田原本町1-10

 静岡県知事認可番号、(後で、これも記入します・・・・・しかし、26日まで、じゆうにみられたそれが、28日にはないです)と、

(有限会社)デルフィー 川崎市麻生区千代ヶ丘1-8-14 こちらは、会社そのものが消えて居ます。ただ、実態としては、引き続き不動産業をやっているとおも居ますけれど)

は、二社で、結託して、660万円の無駄金を私に使わせようとしたのだった。

 皆様は、ここで、それは、偶然でしょう!と、おっしゃるだろうか、いえ、違いますよ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 私は、此のアップタウン伊豆と、言う不動産会社にたどり着く前に、既に、静岡県内の4つの駅近辺を探索していた。2か月近くを費やしていた。で、御殿場、田子の浦、富士宮、沼津と、それぞれ、いい物件を探し当てていたが、ことごとく反対をされて、契約に至らないでいた。で、五つ目の駅として熱海に降り立ったのだった。期待は、していなかった。だって熱海とは、今再復活して居て、にぎやかな、町となっている。当然土地の価格は高い筈だ。

 で、何も期待をしないで、熱海駅に降り立った。駅前に,二軒の不動産屋があって、一軒で、アラフォーの活発そうな女性社員が、「あなたの様な、望みにかなうのは、アップタウン伊豆です。そこへ、どういう風に行くかですが、それはね。そこの坂を下って、下りきったあたりにあるのですよ」と、教えてくれたのだけれど、入店してから、たった、10分以内で、どうして、私の望みがわかるのだろうか?

 ともかく、以前から、計画をされていて、その通りに熱海市内が、動いたと、見るほかはない。

 ところで、肝心の書類は、全部、盗まれているはずなのだけれど、確約書というのが残って居て、それで、すべての、事情が明らかになった。何の約束を取り決めたかというと、

 土地の持ち主のデルフィーが、その土地を農地から宅地へ、転用した際にかかった費用を折半してくださいと、言う事だった。で、役所への転用届のコピーが、封筒に入って居たのだった。だけど、その中に、用途計画という欄があって、この土地は、2010年に、何とか、アツ子さんという女性から、谷正氏へ、200万円で売られていて・・・・・

 そこで、驚いたのは、たった、三年後に、660万円へと、高騰をしていて、かつ、3年前に、かかった費用まで、半分だせという強欲ぶりだった。しかも、今ネットで調べたら、高くても、10万円程度だが、きっと、「50万円かかりましたので、半分、出してください」と言われることだろう。だけど、「100万円かかったので、50万円出してください」と、言われる処だったかもしれない。

 しかし、彼等は、弱々しげに見える私を馬鹿にしすぎた。そのショップは社長が現代アートを好きらしくて、非常に美しい。そして、デルフィーの社長も立教大学卒だそうで、社長なのに、そして、60過ぎなのに、細身のジーンズのパンツをはいているおしゃれな男性だった。

 でもどこか、不誠実なにおいがした。で、自分一人で、タクシーを使って見に行ってよかった。その土地は、合計すると、110坪なのだけれど、段差がある土地で、一番広いところで、見かけ上、30坪だ。そこを道路から、1. 2メートル削除されると、合計20坪程度、又は、それ以下になってしまって、家は、建てられない。

 彼らは、熱海市長の名前を出せば、私が平身低頭をすると思っているらしい。しかし、私は、祖父母世代の親戚に国家公務員が居る氏、父も一時期霞が関の国家公務員だったし、私自身も東大へは、臨時職員で入ったが、仕事ができるという事背、正式な職員にしてもらっていたので、国家公務員であった時期がある。

 私をだますのに、そんな見かけ上の権威など、全く役には立ちませんよと言っておこう。

6297299

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする