この一文は、本当は、Really to say, I am satisfied of my writing on 17-12-17 21:58:23 と、したいのですよ。だけど、そこまで本日中には、書けない見込みが出てきたので、上記の総タイトルにしておきます。ところで、最初に置いた写真の説明をさせてくださいませ。これは、2009年に私が文章も挿絵もすべて、書いて、その後、IT的データをも作って出版をした、6冊目の本のなかのイラストの一枚です。
既に六冊目なので、慣れてきていて、突っ張って居ません。本当は、抽象画を発表している作家なのに、簡単な、描写のイラストです。自身の子供時代の写真に似ています。
これは、実物は盗まれているのですが、スキャンしてあったので、たった、二まいとして、残っている21歳ごろの父と、私自身の一歳のころの写真ですが、その顔に似ています。ところで、思いがけない事ですが、猫が侵入をしてくるぐらいだから、その猫の飼い主さんは、警察から合いかぎをもらっていて、私達夫婦が、不在の折りに、侵入しているのではないかと、思う時が多々あるのですよ。あまりにも頻繁に泥棒が入るので。だから、その猫は、『私(=猫)の、主人が入って居る家だから、私も入ろう』と、思って、平気で入ってくるのだ・・・・・と、私は考える時があります。でもね、後注1の中に、そこまでは、書いていないのも、ああ、よかった(英語で書いている総タイトルの、中身を翻訳をすると、そういう意味になる。だから、あの一文を書いている最中は、のんびりとしていて、かつ、リラックスをしていたのだった)と、言う事です。
なお、明瞭に警察に協力しているという看板を門前に置いて居たり、隠しているは居るが、わざと、私に、見える様に手配した、家は、他に二軒あり、
また、警察に協力しているという看板を門前に置いては、いないけれど、我が家の、合いかぎを警察もしくは、鎌倉エージェントの中のだれかから、もらっていて、『あの人も、留守中に侵入している筈だ』と、思われる家もあります。
保有資産株10億を超える人が住んでいるとか、テレビで、建築中の風景を、特番放送をして貰える家が、二軒(活動中の家が、13件しかないので、ほぼ14%となる)もあるという様な、ある意味で輝かしい一帯でもあるのですが、一方で、すさまじいほどの暗闇も、含まれている世界なのです。どうしてそうなるかというと、戦後最大のエージェントとされている、瀬島龍三の悪事を、私が、詳細に知っているからです。また、彼が、こちらの住人を伊藤玄二郎を間に挟んで、動かして行っている悪事もすべて、詳細に、かつ、正確にわかって居て、それをだれもが理解できる文章で、開示しているから、彼等は、追い詰められている気分になって居て、破滅的な心理状態に、陥っている模様です。
で、すでに、めちゃくちゃな道徳観を示している段階です。ご近所様は、すべて、伊藤玄二郎の家来として動いている処でしょうが、命令や、教唆をしている連中の方は、すべてが、ばれないと信じて、悪事を、行っているらしいのですが、私には、すべてが、バレバレにばれています。ただ、私がまだ、書いていない部分があるだけです。
そして、出したりひっこめたりしている【松島奈々子の、逼塞と復活】の、文章の中に出て来る、ママ友から言われた、「お宅のお嬢さんって、御成中学の同級生の間では、松嶋菜々子似だって評判なのよ」と、言われている、娘の小さい頃にも似ています。
これは、写真がぼんやりしています。でも、左の黒いセーターを着ているのが私で、目の前にあるのは、こたつで、その上には、写真を撮ってくれた親戚が持ってきて呉れた、娘の誕生祝のケーキがあります。私の猫さびちゃんも10歳ぐらい前までは、コロンとして太って居て、ご近所様から、「重すぎるから、きっと病気よ」なんて言う悪口を言われていたのですが、高齢になるに連れて、やせてきました。娘も、このころはコロンコロンとしていて、非常に重かったです。でも、上のイラストに似ているので、過去の遠い記憶を呼び覚まして、66歳にしてそれを私は、描いたのだと、考えております。
なお、そのイラストは、以下の本の中に使っています。それが、今に続く政治問題へ、関連がありますのでこの写真をここに置いておきます。
これは、市販もしていないし、6冊目なので、あげるのも、同じ人はだめだとなってあんまり流通をしていない本です。しかし、中身は、きっと、良いです。ただ、そんなに、圧迫されていて、黙って我慢をしているのは、ただ、ただ、忙しいからなのですよ。で、こういう本だって、大手の出版社から出れば、絶対に新聞の書評に載るレベルだと、思うのですが、鎌倉エージェントから弾圧を受けているから日影の存在で、置いてけぼりを食っているわけです。
しかし、この本の232頁のエッセイから、例の連中は、八幡宮の境内にある、アメリカキササゲの大木を伐採してしまいました。彼らは、特に井上ひさしは、「彼女は、アメリカキササゲを愛している。それを伐採してやったらきっとノイローゼになるぜ」と、伊藤玄二郎に提案して、その後は、伊藤玄二郎と、その仲間たちが、コネで、進言する学者を探して、吉田茂穂宮司に、伐採をする様に、そそのかしたのです。それが、30%の原因となって、大銀杏が倒壊したと、私はおもっております。それを、下で、丁寧に、述べていきます。なお、他の、70%分の原因については、別の機会に語ります。
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副題0、『直前の章(後注1)を書けた事にあたっての、感慨が、大きい』
直前の章ですが、書いている私にとっては、書きやすく、そして、書いていることが、楽しい文章でした。というのも、私は、自分の猫が、過去に、5匹は居る人間ですが、その中で、もっとも大騒ぎを起こしたし、もっとも、大きなもめ事も起こしたのが最後の猫、さびちゃんですが、それだけ、魅力のある猫だったのです。雑種ですが、驚くほど頭がいい猫でした。別に算数ができるわけではないのですよ。2+3=5と、解いてくれるオランウータンというわけではないのです。でも、人間が大好きで、起きているときは、じっと、こちらを見守っているのでした。だから、元来が、猫好きで、この猫と遭遇する前にも、この山で、すでに、二回、猫を、飼っていた、石川和子さんがメロメロになってしまったのです。しかし、2006年の6月に死んでしまいました。その死の真相を、やっと、書けたからです。
その日(=17日で、日曜日であった)の夜は【小堀玲子、香月ひとみ、一ノ瀬智恵乎】について書くつもりでした。その文章は、いったん書いて、五時間ぐらいさらして、その上で、ひっこめております。それは、内容が複雑極まりないし、警察の悪辣さも書いているので、推敲をしっかりしてから、公開をしたいと、望んでいるからです。しかし、望んでいても、書く事への妨害が激しいので、初稿の段階で、さらしながら書き進めるのが、常とう手段となっています。しかし、内容が複雑な場合は、いったんさらしながら書いて、その後、ひっこめて再度さらすという事は、大いにあるのです。
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副題1、『小堀玲子、香月ひとみ、一ノ瀬智恵乎に関する文章を、いったん、ひっこめたのは、17(日曜日)放送の、NHK・日曜美術館が、どういう人物を扱うかを、確認したいとも、思っていたからだった』
教育テレビの、日曜美術館とN響アワーは、40年以上にわたって、愛読(視聴)している番組です。で、白黒画面の中で、野島稔さんが、左右に汗を飛び散らせながら、ベートーヴェンなどを、弾き、N饗と共演をしているのを見て、それ以前には、知らなかった存在なので、『凄いなあ!』と、思いながら、聞き入ったりしたものです。日曜美術館の方は、石澤典夫アナって、どうして、ここまで、優遇をされているのだろうなどと、思いながらも、毎週見ていたものです。
ところで、ここで、ちょっと脇にそれますが、NHK大河ドラマ、平清盛は、日本で、韓国やら、在日を上に置くという趣旨が、徹底されていた頃に、企画立案がなされたものだろうと、見ています。で、天皇家を王と、呼んだりしています。だから、このドラマそのものの企画にも鎌倉エージェントは、からんでいたのかもしれません。しかし、窪田正孝が、重盛公を、やるのは、若すぎる・・・・イメージが合わない・・・・・とは、思ったのですが、崇徳上皇を演じた井浦新には、驚きました。特に、自分が苦境にある時期の表現が素晴らしいと、思いました。井浦新が、出演した時期は、5月から6月ごろなので、そこで、急きょ企画をしても、日曜美術館の司会を次年度から、任せることはできると、思います。これは、我が家の室内が盗聴をされている事の証左の一つです。黒沢保裕アナが、たった、一年で、交代をさせられてしまったのも、私が、自宅で、主人に向かって、黒沢アナをほめたからでしょう。非常に情熱的で、作家に対する愛が深いと、思いました。
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副題2、『井浦新の、コマーシャルが、鶴岡八幡宮の、大銀杏倒壊の、一因でもある、・・・・・アメリカキササゲの、伐採・・・・・跡地で、行われたのも意味のある事である』
井浦新の、司会そのものに関しては、文句のつけようもないのですが、この想像(=彼の起用は、私が、凄いねと、言ったことが発端となっている)が当たっているのは、彼が引き受けている、森永乳業の、コーフィードリンク、【マウント・レーニア】の、コマーシャルが、私が大好きな樹木、アメリカキササゲの、伐採跡地で、行われた・・・・と、言う点でも、確かなのです。アメリカキササゲとは、鶴岡八幡宮ないの、特に・旧神奈川県立、近代美術館の、職員用玄関の前に臥竜のごとく、横たわっていた珍しい樹木です。私は、その樹木を、『ああ、ジャックと豆の木の話は、誇張ではなくて、この樹木を、使っているのだ』と感慨深く、思ったほどの大木でした。
どうして彼が、そこでコマーシャルの撮影をしたかですが、その時点では、すでに、その大木は伐採をされていたのでした。その頃の事情は、下のリンク先に詳しいです。もし、お時間が有ったら、そこをクックしてそちらに入ってくださいませ。
そして、実は、その伐採が、大銀杏の倒壊へ繋がっていると、どこか(上の、リンク先)で、私が書いた可能性もあるからです。私が、1976年ごろ、未だ、伐採など、されていなかったその大木の前で撮った写真を探していたのですが、このパソコンないにはありませんでした。ともかく、40年前から大木でした。そして、どうして、2008~9年ごろにそれが伐採をされてしまったかですが、私が【おばさん、お釣りを忘れているよ】というエッセイ集を、2009年に出版し(ただし、市販をしないので、流通はしていないが)その232頁、第45章に、【プロの朗読者と私と、二人だけの音楽会】と、言う章があって、それが、旧、神奈川県立近代美術館の、職員用玄関前で、行われたパフォーマンスだったのです。その原文を#####罫線以下に置きます。それは、書いた日付が、2006年8月28日とあります。で、まだ、ブログを始めていない時期であり、メルマガの読者向けに配信をしたものです。評判がよかったです。2006年に書いて、それを、編集し始めたのが、2009年の一月からで、出版をしたのが、8月となっています。
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副題3、『この、###罫線で囲んだ文章を潰すために、というのは、その中に表現をされているモノの実物を削除してないものとして行くために、この樹木は伐採をされてしまった。それは、今般、12月10日に行われた町内会総会で、決まったことになっている道路工事と同じ伝である。私がブログで、書いたことは、すべて、物証を消して行こうと、言う闇の勢力の意志が実行をされる。どうしてかというと、あまりに文章がうまいので、人々が現場に来てそれを見ると私の文筆家としての、評判が上がってしまう。私に人気が出る事、それが、彼等にとっては、非常に怖い事なので、私の文章の特に出来の良いものに書いてあることは、消滅して行こうとされているのだった』
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副題4、『東京農大か、東京理科大か? どこかの教授が、「この木は腐っている部分があるので危険ですと、言ったので、八幡宮様は、伐採をなさったのだと、聞いているが、その学者は、裏から教唆された御用学者であろう。伐採された直後には、切り口は、真っ黄色だった。黄ささげというくらいなので、黄色い切り口であった。しかし、その頃は、私はわざと、写真を撮っていない。今、写真は、すべて、インターネットに即、つながっていると、聞いている。それで、もし、それを撮影をすると、敵さん方が、私がこれから、何を書くはず価を予想してしまい、さらにあくどい攻撃が続くだろうと、予想を立てたので、伐採直後は撮影をせず、伐採後、2年ぐらいたってから、撮影をした。それで、切り口が、灰色にすでになっている・・・・・しかし、問題は、これからなのだ。もしかすると、八幡宮様は、この切株も、掘り起こして、捨ててしまったのではないだろうか? 2016年3月いっぱいで、ここに在った、近代美術館は閉鎖され、八幡宮様は、次に、宝物館とか、国宝館として、使うために工事中である。で、塀に囲まれているので、仲が見えない。私は、切株も、撤去なさったのではないかと、心配をしている。それは、私と敵対する連中の教唆によるものであり、彼等の言うことなど、聞いたら、永遠に、災禍が八幡宮様を襲うのだから』
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第四十五章『プロの朗読者と私と、二人だけの音楽会』
私は、夜遅く小町通りを通る時、あたりに誰も人がいなくて、しかも気分が高揚している時には、歌を歌う事があるのです。今日はね。それほど、気分が高揚しているわけではありませんでしたが、それでもほっとしたというか、なんとないやわらかい気分であったのです。
すると、対抗方向から、すごく良い声が聞こえて来ました。割と大きな声で、歌っている男性が歩いて来ます。すれ違う時に観察すると若くは無い。(実際には五十三才だと後で聞きますが)それが驚きでしたが、すれ違って数メートルしてから「もし、もし」と、こちらから声を掛けて呼びかけました。すごく良い声だし声量が只者ではない大きさで、あとで、プロの朗読者であり、鎌倉の喫茶店でお金を取るパフォーマンス『芥川龍之介の、奉教人の死』をやって来たばかりだという事が判るのですが、それを全然知らない時点から、私には感覚として、特別な人だと判ったのです。
それで「あなたは、音楽がとても好きそうね。私も大好きだから、二人だけの音楽会をしません。どこか人のいないところで」と提案をしたのです。で、そういう場所として、八幡宮へ向かいました。彼は、源氏池の傍にベンチがあるといいましたが、私は最初から、鎌倉近代美術館(鎌倉館)の庭にあるアメリカ・きささげの傍を考えていました。私にとっては、その美術館はほとんど、我が家の庭みたいなもので、朝な夕なに横切るし、そのアメリカ・きささげは、こどもと一緒に三十年以上前に記念写真を撮った事があるのですが、その頃は、ほとんど、ベンチ代わりにできる高さで、臥龍のごとく横たわっていたのです。
そこに一人が座って、もう一人が美術館の玄関(これは、普通は内部のスタッフだけが使うものですが、ちょうど、高めの三段の階段になっているので、舞台としては、とても、適当です)で歌おうと考えたのです。
しかし、まったく成長をしていないように見えたアメリカ・きささげは、意外にも結構成長をしており、とてもベンチとしては使えず、反対に、電気がついている玄関の方を観客席として使い、電気がついておらず暗いきささげ側に歌い手側が立って、パフォーマンスをする事になりました。
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最初に彼は、おおたか静流(しずる)の歌を二曲歌いました。私は、今までは名前も声も知らなかった歌手ですが、コマーシャルソングの女王として、その声は日本中の人が知っているそうです。そのあとで、私が最近凝っているピアチェ・ダモールと、例の荒川静香のトリノオリンピック優勝時の音楽『誰も寝てはならぬ』を歌って、その後でお互いの音楽人生を語りながら、
彼が、杜甫の、『春望』(漢詩)・・・・・・これは、作曲者がおらず、中国語の四声(イントネーション)を、生かしたものだそうです・・・・・を歌いました。
このあたりで、彼を只者では無いと確信した私が問いただすと、プロの朗読者である事がわかりました。ただ、とても純粋な人のようで、私と同じく、その芸術だけでは、とても食っては行けないそうです。
その後で、私は、今まで聴衆に一番受けた(PTAの宴会でしたが)歌として、春日八郎の『長崎の女』とか、他人の前では、高音部が出るかどうかに自信が無いので歌った事が無いが、四十代では最も好きだった歌として、トスカから、『歌に生き、恋に生き』を歌いました。が、どちらの曲でも、さすがに二十年が過ぎていて、最高音部は出ませんでした。
春日八郎をこっちが歌ったので、彼も安心をしたのでしょうか? 天才以上の人として彼が思う、しかもその死によって、彼が突然歌に目覚めたという、美空ひばりを四曲歌いました。彼は美空ひばりについての音楽評論を何本も書いたそうです。インテリにして芸術家だったわけです。だけど、まだ無名だし純粋そうで、だから生活は苦しそうです。私とそっくり、・・・・・それに、後で、彼のビラを見せてもらったら、『風狂の朗読者』と書いてあったので、私がいつも、社会現象(および政治)について書く時には『風狂の歌い手』という呼称を使っているのとも、ぴったり合致するわけですね。
ただ、歌い手としては、本当に驚くべき、表現力のある人で、すばらしい歌唱でした。私は、普段は美空ひばりを嫌いなのに、ねじ伏せられてしまいました。
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このあたりで美術館の内部から、警備員さんが二人出て来ました。私が、断りを言うと、「どうぞ、どうぞ、ご自由になさってください」といわれましたので、ふたりの、パフォーマンスが、相当、レベルが高かったと皆様にも、お考えをいただきたいのです。
その後で、私は、カタリ(これは、パバロッティの持ち歌)とか、ハバネラ(カルメンより)とかを、全力でしかも、身振りを付けて歌いました。聞き手のレベルを信頼できるし、環境がすこぶる良いのです。誰も邪魔者は、聞いてはいない。セミだけはうるさいが、さすが鎌倉です。八幡宮を参拝か、帰宅のために通る人たちも、別に私たちの方へ近寄って来るわけでもない。そうです。こういう真に文化的な事を、突然にやっても、きちがい
(差別用語? でも、私は使いたい・・・・・誰かを指しているわけでもないし)だと思われない街だと、私は信じているのです。最後に、私がグノーのアヴェ・マリアを歌って、その後で、打ち止めにしようと提案をしました。
で、二人とも静かになったわけですが、私が引き続いておしゃべりをしたのです。つまり、「グノーのアヴェ・マリアが、普段より低いキーになったわ。これは、あなたの影響だと思う。あなたは、男性としては声のキーが高いのではありませんか。だから女性の私が影響を受けて、このアヴェ・マリアを、元のキーで歌いました。普通はもっと、高いキーで歌うのです」と・・・・・・・
すると、静かになったのをいぶかしんで、中から警備員のうちのお一人がもう一度出て来られたのです。そして、「もう、おしまいですか?」といわれました。「すごく良い声で、リクエストをしたいぐらいです」とも。私が、「こちらの男の方はお上手ですが、私は駄目だったでしょう?」というと、「いえ、リクエストしたいぐらいですよ」といって下さったのです。で、私が、「ではお言葉に甘えてトライして見ましょう。何か、歌のタイトルを仰ってください」と促すと、「では、青葉の笛を」と仰るのです。で、「あーおばしーげれる、さーくらいのー」と、楠正成の歌を歌いだすと、「それでは、ありません」と仰るのです。
「そうではなくて、敦盛、ただのり、兄弟の話です」と仰って、平家物語の中の、その段の説明を始められたのです。すると、それを聞いていた朗読者の方が『僕、平家物語の朗読をしましょうか」といい出したんですよ。
それで、多分、六十才代であろう、その教養のある警備員さんと、同じく六十才代である私のたった二人だけで、そのご本人が言うに、総計二十分は掛かるという「義仲の最後」の段を聞いたのです。
ああ、それは、たった三分ほどに感じられました。
皆様、今日の文章はどこといっておとしどころのない話です。山場も無い、逐一の状況説明のお話です。でもね。私が言いたい事は、最高で、かつ良質なものは、意外なところに在るという事なのです。テレビでもない、新聞でも無い。全く、違うところに、 ひそやかに在るという事なのです。それが、ご理解を頂きたくて、これを、書きました。 二〇〇六年八月二十九日
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後注1、