銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

元旦、午前二時半の鶴岡八幡宮・・・・・2017年度

2017-01-01 03:07:50 | 政治

副題1、『朝ドラ【べっぴんさん】の予告編を見て思う事』

 1998年の秋にパリで、三か月版画修行をしてから、私は爆発的な創作意欲に取りつかれたのでした。油絵・版画・メルマガの文章を書く・そして、本づくりを学び始める。最後の部分はアドビ社のソフト(今はアプリと呼ばれている)を学ぶことで可能になったのです。フォトショップと、イラストレーターと、アクロバットですね。それが、集合したのがインデザインですが・・・・・

 しかし、家庭の中に住んでいて、母であり、妻である人が、それほどに活発な行動をとると、家族に対して悪い影響があるのですよ。

 これからの朝ドラ【べっぴんさん】で、長女(しかも一人っ子)さくらさんと、主人公、すみれさんの間に、思春期に到達した娘と母との間の葛藤が、描かれるそうですが、それはも、仕方がない話なのです。

 でも、朝ドラの裏話本(二冊見つけた)を、軽く立ち読みしたところ、さくらさんらしきお嬢さんのお婿さんが、抜群の働きを見せて、ファミリアの発展に尽くすそうですから、本物のさくらさんは、大人になるにつれて落ち着たという事なのでしょう。または、実際には問題がなかったが、ドラマ上、そういう設定にしただけなのか?

 最近、登山家の田部井さんが亡くなりました。田部井さんが、どこかの番組内で、「こどもが思春期に難しかった」と言っておられて、私は「やはりね」と、思ったことです。私がそのことに最初に気が付いたのは、三鷹で、兄弟間殺人事件が起きたからです。三鷹というのは私が卒業した大学行きのバスが出発する駅だった(1960年代の話、今は、武蔵境駅かな?)ので、地の利のある場所なので、大いなる注目をして、新聞で事件を追いました。すると、ハイレベルのご家庭だとの話でした。母親は弁護士だとか? その後、ずっと後になって、wikipedia に、この事件のことが書いてあって、母親は、正しくは、検事(?)であり、お子さんは、慶応大学付属高校(場所は、日吉校だったか、志木校だったか、私は、覚えていない)在学中だったとのことです。

 原因は、wikipediaには書いてありませんでしたが、私が思うに、二つあると、思います。おやに、偏愛の傾向があると、愛されていない方が、苦しみます。愛されている方がわがままだったりすると、不満が募って、殺人までに至るでしょう。加害者は、直前まで被害者だったという図式が当てはまります。

 二つ目は、母親が検事と言う、大変忙しくて、責任のある仕事を持っていたという部分です。それも大きな原因でしょう。これが、もっと平凡な家庭であり、母親が専業主婦だったら、こういう事件が起きる前の段階で、兄弟の間に、問題があると、言う事に、気が付くと思います。そして、修正していくと、思います。油断が母親の方にありましたね。自分自身もエリートだし、子供も、慶応の付属高校へ、進学をさせて置けば、後は、順当に慶応大学へ入学できるわけで、安心しきっていたと思います。この旧約聖書に出て来る【カインとアベルのお話】そのものの、事件を起こした兄弟の、祖父母の、思いを、推察してみましょう。祖父母たちは、母親が、検事になったという事、孫が、慶応大学へ入学できそうだという時点で、大変自慢の、子供と孫だと、思っていたと、思います。だけど、かしこさと、言う点で、只一点、抜けていたのです。

 それは、分野で言うと、心理学とか、哲学とか、宗教学と言う分野のクラウドが、この一家を覆っていなかったと、言う事なのです。簡単な言葉で言うと愛があったか、無かったかという点です。

 ともかく物質的に豊かになった1970年代から、2010年ごろの日本の、家庭では、どんなお宅でも、思春期の子供は、多かれ少なかれ、難しいものです。それが難しくなかったら、親が支配的だったという事の現れであって、却って、30代とか、40代にして問題が現れるはずです。おしんの時代とは、違って、豊かになった日本では、母親に対する、申し訳なさとか、気の毒だという感情が薄れてきているからです。その難しい時期を乗り越えるのには、母親側の、智恵と、忍耐と、愛情が、必要です。で、この時代を乗り越えた人と、無経験な人とは、その後の成熟度が圧倒的に違います。子供を産んでも、乳児時期から保育所に預けてしまうと、それは、母親として成長したという事には当たらないので、子供がいない人と、同じだと、見做します。

 今、私はご近所が、住宅として、20戸しかなくて、かつ、接触の可能性のある主婦が、7人しかいない(ほかに五人ほど、御勤めに出ている主婦が居る)地域に住んでいますが、ここでは、上に述べた公式がまったくもって当てはまるのです。私は過去の経験から、この戸数では、いずれ悶着が起きるだろうと、思っていたし、このやまでは、中古住宅の売り物が、頻繁に出る地域で、旧宅に何度も、売り物件のチラシが入り、買うか、買わないかという形で、見に来ていますので、売り主さんから、「家内がノイローゼになりましたので」と、聞いていたので、余計に、心配して、一切付き合う気持ちがなかったのですよ。

 ところが、相手様から、関わってくるのです。Y夫人から、「お砂糖を貸してください」と、言われたケースは、『どうして、たった、15分で買いに行けるのに、借りに来るのだろう。体を見ると、健康体に見えるのに。しかも、どうして、まったく付き合いがない私に借りに来るの?』と、思うし、そこを突っ込んで、さらに、深く考えると、すぐさま、彼女が主催する井戸端会議に、出席をさせるための誘い水だと、判るわけです。『小細工を弄する人ですね。<それって、女を支配する小道具を知っていますよ>という事と同義だから、この人は、不倫の略奪婚なのではないかしら?』と、思い始めるのです。

 『本当にどういう人物なのだろう、この人は? あまりにも、未熟だなあ。40代に達して居て、しかも、子供が中学や高校に入っているのに、井戸端会議を毎日主宰して、それも大きくはた迷惑な行為なのに、さらに、こういう形で、他人の生活に入ってくるなんて、何を考えているのだろう。<他人の生活には、容喙すべきではないという、東京圏の、一戸建て、住宅街でのマナーを知らないのだろうなあ。以前は、どこに住んでいたのだろう。どういう形式の家だったのだろうか? これも、きっと、他の多種多様な、現象と同じく、お子さんが、自分の子供ではないせいですね』と、引っ越してきて以来、ずっと、考えてきたことの、傍証づけになるわけです。その上、最近でも、「画廊喫茶を開きたい」と、西隣の奥さん(O夫人)に、言ったら、絵がすぐ盗まれましたね。絵が盗まれる様な画廊喫茶だと、貸し画廊を経営できませんね。そういう脅かしなのです。で、この泥棒は、私の、未来を奪わったとも、言えるのでした。

 O夫人は、M夫人に私との会話の内容を伝えたと思いますよ。それで、こういうことになったわけですが、ともかく、どれほどに、私がご近所様から、侵入されているかという事を、示す事実でした。物理的にも侵入をされて居るし、心理的にも侵入をされて居るわけです。お正月なので、いつもはさらす個人名を本日だけ、イニシャルとしておきます。

 どうしてそういう事になるかというと、この三人の女性があまりにも未熟だから、そう考える様になります。31年間の間に種々の事がありましたが、それを一切簡略化して言うと、そうなります。O夫人は、ご主人の子供を産む気がないし、Y夫人は、3人のお子さんがあるけれど、実子ではありません。お砂糖の一件以外にも、それを証明する事実は、わんさとあります。そして、M夫人ですが、ずっと、保育所で育てているでしょう。それから、お子さん方の、帰宅後も、ご主人が、面倒を見ていたと、思いますよ。ご主人の方は、そういう意味で、結構な、成熟度を示す場合もあります。

  という、挿入話を入れて、私が語りたいことは、思春期の特に男の子の反抗期を乗り越えてきた女性と、それを経験してこなかった女性は、まるで違うという事です。

 そして、女性と仕事の関係ですが、絵描きなどの、美術の分野の創作者は、子供を産むべきではないと、思います。創作という仕事は、他の事をやりながらでも、頭を占めているので、子供に対して、大きなさびしさを感じさせてしまいます。絵を描くと言う創作は、道具立てが、必要なので、パソコンを使う創作よりもさらに制限が加わるので、子育てには向きません。『そんなことを言って、あなたの方は、何故、それをやるの?』という質問が来そうですが、私は大学時代は、美大に進んでおらず、絵描きになるとは思っていなかったのです。ただ、潜在意識の中では、自分は、画家になるべきだとは思っていて、父親の遺産が入ったという事(しかし、その時点ですぐ行動に移したわけではない。その12年後まで、子供のために待った)と、
 子どもが、すでに、25歳を超えているという時点(1997年)で、猛烈な創作人生に入ったのでした。ただし、過去の経験上、『同じ家に住んでいる母親が、猛烈な創作人生に入ると、他の家族が駄目になるか、反抗がものすごくなって、私が駄目になるかのどっちかになる』と判っていましたので、逗子にアトリエをしつらえて、そこで、寝泊まりまでする生活に入りました。傍にいないと、そういうものだと、考えてくれるものですよ。傍にいるのに、心理的な、交流がないというのが、一番いけないのです。

 これは、離婚直前の、男女がよく言う事ですが、親子でも同じです。

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副題2、『天才の活動期は、だいたい18年間だと、私は感じている。それ以上長生きする人物とは、会社組織等を、作るから、創作活動が、続くわけであり、純粋に個人として活動する限り、天才は早死にである。・・・・・しかし、キャベツの皮・二枚が、レジ袋の中で、腐って、猛烈な悪臭を放った時(肺炎で、料理を作らなかった、間の事)に、。。。。。私には、天才生活と孤独死は、自分には、できないし、しては、ならない。。。。。と悟った』

 で、逗子のアトリエで、昼も夜も過ごすという猛烈な創作人生に入ったのです。誰かが言っていましたが、創作とは、アドレナリンが大量に出る、人間にとって、最も快楽の大きな仕事だそうです。その上、主婦というのは、自分のために時間を使えませんね。それが、急に、100%の時間を自分のために使える様になったのですから、絶対に時間を無駄にしたくないと、思い、8時間周期の、猛烈な創作用・生活に入ったのです。起きてすぐ五時間ほど、手書きで文章系の創作をします。主にニューヨークやパリの経験を書きます。五時間ぐらいたつと、ひとまとまりが完成するし、疲れて来るので、家事雑用に移行をします。それと、ネットニュースの検索と、メルマガなどを発信します。それに三時間使うと、また、昏睡に近い疲労が襲って来るので眠ります。私の体力ではそうなるのです。睡眠を五時間取ると、もう一度新しい周期に入ります。夜・昼は、関係がありません。週に一回ぐらいは、銀座へ絵を見に出かけます。時々お誘いがあって、国展や、女流展で、知り合った画家とお茶をします。それ以外の人間関係は、外でも内でも、一切なし。テレビも見ないし、新聞も読まない生活です。

 で、夜昼関係なしに、それを続けているうちに肺炎にかかりました。お医者様が、「これ、放っておいたら死にますよ。それほどに悪いです。うちに通って点滴を受けてください。それ以外は、寝ている事』と、おっしゃたので、逗子のコンビニで、お弁当類を買ってきて、それを食べる以外は、ずっと、寝ていたのでした。幸いと言っては何ですが、相当に、初期投資をしていて、大型のガス温風暖房器を備えてあった(合計24畳もある広い、しかし、古いマンションだったが)ので、寒さはないのです。

 しかし、病院から帰ってくると、猛烈に部屋の中が臭いのです。その原因は、買って来たキャベツを玄関(と言ってもアトリエなので、3尺幅で、かつ、モノが一杯だったので、見つかりにくかったのだけれど)にレジ袋に入れたままおいて、冷蔵庫に入れるのを、忘れていたのでした。肺炎にかかる前には、文章を書いて居る最中だけ、其れのスィッチを入れていて、後、活発に体を動かしている時間帯には、切っていたので、常時16度ぐらいの室温だったのが、24時間、24度ぐらいの設定にしておくと、あっという間に食品類は腐るのでした。見つかってから、レジ袋をはがして、丁寧に点検をすると、中まで、腐っているわけではなくて、外側の皮二枚程度が、真っ黒になって居るだけでしたが、それでも、24畳(6畳二間+12畳)が隅々まで、臭いのでした。

 それ以前には、良く母が心配して電話をかけてきたのです。「そんな、わがままなことをしていたら、老後の面倒をだれも見てくれなくなるわよ」と、言いました。で、その言葉にこたえて、私が、『大丈夫、私は森茉莉さんになるから』と、言い続けていました。しかし、キャベツが腐っただけで、これほどに悪臭がすると、判ってからは、そういう種類の豪語は、できなくなりました。キャベツの皮二枚で、30gぐらいでしょう。私の体重は、その150倍はあるので、もし孤独死すると、恐るべき悪臭を放つこととなります。一戸建てに住んでいて、しかも持ち家だったら、まだしも、賃貸マンションに住んでいて、孤独死したら、どれほどの迷惑を他人に掛けることとなるのか?と、思い到り、少しは、スピードを緩めるべきかと、思いました。

 しかし、と、同時に『体を鍛えるべきだわ。体が弱いから肺炎にもなったのだし』とも思い到り、ラジオ体操の第一と第二のセットを朝夕、二回繰り返すこととしたのです。しかし、これが新たな病である頚椎内神経損傷を引き起こしたのでした。

 それを、57歳の時に日産自動車の、研究職を止めて、鍼灸医に、転身していた治癒してもらったのです。東洋医学は、ゆっくり聞いて来るので、三か月はかかったのですが、それでも、激痛が解消していて、ありがたく思いました。その時点で、天才として生きる人生をあきらめたのでした。『私は、この人の主婦として、補助役の、人生を歩んでいくべきなのだ』と、自覚をしたのです。

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副題3、『ミレニアムのカウントダウンを、私は銀座4丁目で迎えたのだった』

 しかし、鎌倉で、主婦生活を送ると、決める前に、私は、銀座四丁目で、ミレニアムのカウントダウンを迎えたのでした。その時点では肺炎も経験しておらず、腐敗したキャベツの悪臭も知らず、頚椎内損傷も起こって居なかったので

 すみませんが、この続きは、後刻書きます。

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