今は5日の早朝ですが、前日より、8千字を加筆して、この文章を止めといたしました。どうか、よろしく。尚、タイトルも、変えております。
副題1、『5回目として、チェーンソーを振り回してきたが、北久里浜のご近所様が、昔と変わらないのに驚いた』
副題2、『鬼の居ぬ間の洗濯として、鎌倉でいろいろ、工作がなされていたと思いますが』
副題3、『尖閣出動が、月曜日にありましたね』
副題4、『どうして、二日、遅れで、その大騒動化が、起きたのか?』
副題5、『突然、文章が消えたので、ますます、私が書いていることが正しいのだと判りました』
副題6、『加害者は勝ったと思うので、快感を感じ、したがって、自分のしたことを忘れてしまう。だが、被害者は忘れない』
副題7、『米人女性教授が、日本人が学生を鉄砲玉として使うが・・・・・』
副題8、『失恋の痛手などを、ニューヨークでの一発逆転で晴らそうとする女性たち』
副題9、『ところで、私はどうしてニューヨークへ行ったのか?
副題10、『私は、どうして、美大の大学院へ入学できたのか?』
副題11、『黒板の前が、まるで殺人事件の現場状態だった』
副題12、『アメリカ人の責任の取り方、取らせ方。・・・・・そのリアリティ』
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副題1、『5回目として、チェーンソーを振り回してきたが、北久里浜のご近所様が、昔と変わらないのに驚いた』
私は外出がたいてい夜になります。昼間の一番いい時間帯は、パソコンの仕事をすると決めていますから。家事をするのも庭仕事をするのも、パソコンの仕事の休憩としてやっていますから、全体で、ブログを書くか、本の編集をしているのが、最重要なしごとと成っています。
夜、チェーンソーを振り回すのは、実は、余計に危ないので、一日に、一本以上の枝払いはしないと決めています。で、今は比較的小さい方の木を伐採しているのですが、樹種は少ないです。さざんか、かなめもち、柿、桜、花ざくろ、の5種ぐらいですね。つげなどあったのですが、そういう値段の高い木は誰かが、引越しの際に、次の家へもって行ってしまったらしいのです。
で、樹種として、葉っぱが厚い種類が多いので、庭も家も暗いのです。鎌倉の家も北久里浜の家以上に樹木が多いのですが、元来が、天然の森なので、樹種が多様で、木漏れ日もあって、より明るいので、伐採もしないのですが、北久里浜の家は、庭が真っ暗であって、びっくりして、明るくしようとしています。
で、夕方から、バリバリと、轟音を立てるので、びっくりして、私を知らない新しい人々が訪ねてくるのですね。何事かと思って。そのとき、昔を知っている人も一緒に来るので、会ってみると、あまりにも、皆さんが変わっていないので驚きます。
30年のときを経ているのにです。で、ここにもう一回住むのもいいかなと思い始めます。鎌倉が大好きですよ。ただ、石段が130段もあるので、夫婦のうち、どちらかが足が悪くなった場合に、引っ越す事は必要になるでしょう。その先を老人ホームにするか、一回、マンションに移動をするかの選択を迫られる可能性が在
あるのですが、
そのマンションも購入するか、賃貸にするかの選択があるわけです。
30年前の私たちは、横須賀に帰ることをも想定して、その家をキープしていたのでした。実は売らないでもいいと私は考えています。東南の角地で、綺麗な形の60坪です。ご自分で、リフォームをする人なら、2280万+諸費用=3000万円で、一戸建ての家が手に入ります。しかも、60坪ですから、将来建て替えれば豪邸となります。今新築の家は、敷地が狭いのが多いですが、ここなら自由自在な設計ができます。
ただ、主人が、「身軽になっていた方がいい。子供が要らないというのだから売った方がいい」という考えなので、売り出しています。でも、売れなければ、それでも良くて、その際の新たな選択肢として、自分が住む・・・・・電動車いすが使える場所であり、タクシーも簡単に呼べる場所であるので・・・・・自分が再び住むことも考慮に入れ、丁寧に、掃除・補修・枝払いをしているというわけです。
この北久里浜を売ってしまうのが内心で嫌だったので、そのかわりの不動産物件を、2013年の一月から釈迦力になって探索を始めたわけでした。それが、1000万円以内の物件を探すと言うことだったのです。と言うのも北久里浜は、名義上半分が私の所有になっていて、全体で、2280万円で、値段付けをしていますので、売れれば、1000万円が私の収入になるわけです。なので、別の物件を探していたわけでした。だが、買えなかったので、もともと、内心では売りたくなかったここを、持ち続けるのも、主人の意向を一回立てた上での選択ですから、無理がない形になり、それが一番いいことなのです。下に10畳と9畳の洋間がありますので、一人が、車椅子になっても、もう一人の足が大丈夫なら、ここで、充分に生活ができます。60坪の日当たりの良い庭付きの、木造27.5坪。老人二人が住むのにはぴったりですね。
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副題2、『鬼の居ぬ間の洗濯として、鎌倉でいろいろ、工作がなされていたと思いますが』
先週の火曜日、2013年の2月25日に、BSプレミアムの人気番組『世界街歩き』は、鎌倉がテーマでした。伊藤玄二郎の勢力誇示の番組です。普通は世界が、テーマなのに、突然鎌倉を割り込ませる。水木一郎さんが、前面に出てきていますが、それは、一種のダミーであって、伊藤玄二郎を立てるということが目的です。
それが、先にできていて、それよりも後で、光明寺で収録されたクイズ100人力ができたと思われますが、NHKをこれほど、明瞭に私物化しても恥じないというほど、心理的に乱暴な人たちなのです。
そういう莫大な無駄遣いを、他人にやらせる。そういう彼の独特のやり方を、身を体して判っているのが、彼の周辺に居る男と女です。で、田中愛子女史が、どんなに、甘えん坊で、また、瞬間湯沸かし器であり、かつ、傲慢であるかを証明するエピソードをさらしたのは、別に、失礼でも、何でもありません。あれでも、彼が攻撃して来ている、総被害を、考慮すれば、10万分の1の情報開示でしかないのです。
彼は、あれだけでもびびると思いますよ。と言うのも自分が企画していることが、まったくばれていないという前提で生きているからです。だが、全部裏側が読めていると成ると、相当に危機感を持つでしょう。それが、新たな攻撃を招いています。
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副題3、『尖閣出動が、月曜日にありましたね』
彼、伊藤玄二郎と、彼をサポートする軍団が、企図したのは、公と私的なダブルの攻撃でしたが、その私的な部分での鉄砲玉が、今は、安野夫妻から、前田祝一、清子夫妻へ移動をしています。行動としての直接性が以前より、強くなっています。
ここで、私的な部分と言うのは、・・・・・政治とは、きわめて私的なものをあたかも公的なものであるように見せるのが政治である・・・・・と言う政治のプロフェッショナル向け定義から見れば、即、ニュースに、つながるという意味で、きわめて政治的なものなのです。
私は前報を、金曜日の深夜書きました。その中に、含めるべきこととして、公の政治を、わざと書かなかったのです。その上、次の文章もすぐには書きませんでした。それは、なぜかと言うと、中国の、動向を待っていたのです。
尖閣諸島への中国の艦船の出動がどうなるかを、観察していたからでした。土曜日と、日曜日は、それが、NHKニュース内では、出ませんでした。
が、月曜日にはそれが、出ました。私は北久里浜へ行っていたので、NHKニュースも報道ステーションも見ておりません。だが、ネットニュースで、中国の艦船が出動して、日本船に接近をしてきたという報道を見つけ、なるほどねえと思ったしだいです。
前報で、あげた安野家の坊ちゃんが、海上保安学校と言う、一種の職業高校に入学して、それを、嘘に近い言い方で、「大学付属高校ご入学おめでとう事件」を起こしたのは、その後でも何万回も繰り返される、欺もう(言葉によるだまし・・・・・平易な日本語で言うと、たらしこみなどと呼ばれるもの・・・・・)の、気がついた最初のもののひとつでした。
そして、その裏にいろいろな疑惑があります。それを前報で、書きました。そのことを、25年間気がつきながら我慢をして、外へ開示しなかったのですが、別の側面で、ひどい被害が続いていて、それが、全部、安野夫人の女としての強気すぎる性格から生まれた井戸端会議により、奪われてしまった、私のアジサイ畑を、無かったことにしようとする脅かしであることに、気がつきます。
で、仕方が無くて、正当防衛の一種として、あの経緯を書いたら、突然に、尖閣の国有と言う現象が起こり、それをまた種として、中国の艦船が、尖閣に出動をすることとなりました。
それが、どうしてそうなるかと言うと、あれは、海上保安庁を目立たせる役目があるからです。海上保安庁が立派なものだと国民に知らせる目的が、あるからです。で、安野家の三男が海上保安庁に勤務しているので、安野家は、立派な家だということになり、
後から、この山に引っ越してきた人たちに、「安野家のほうが立派な家なので、それに対立している川崎さんとは、付き合わないようにしなさいね」と言うことに役立てているわけです。
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副題4、『どうして、二日、遅れで、その大騒動化が、起きたのか?』
私は、下にスクロールしてくると出てくる前報、
『私費出版の価格として、鎌倉春秋社は、高いのか安いのか? (政治モノ)△』
2013-06-29 20:21:32 | 政治
を金曜日の深夜に書いたわけですが、その後で、続報を書かないでいて、二日間もあけたのは、中国の艦船の様子を見ていたからです。出動するかしないかを待っていました。それを、NHKがどう報道するかも慎重に観察しようと、待っていたのです。
上の文章は、1万8千字の長さです。それで、関連性のある三つの主題が含まれて居ます。その中で、私費出版の価格と言う小さいテーマを表に出していますが、その中で秘匿をされている、もっとも大きなテーマは、鎌倉雪ノ下に、いる二人の女性、特に安野夫人と言うのを利用して、私の一種の暗殺を狙った結果としてのアジサイ畑欺もう事件があり、
それの詳細を、書き始めた私を、脅かして脅かして、それを書かせない様にさせる為の二つの策略があって、そのひとつが、尖閣の出動だからです。絶対にあるだろうと見ていました。あの前報を書いた限りにはそれがあるはずなのです。で、続報を書かないで、待っていました。
ところが、29日(土)も静かですし、30日(日)も静かです。で、反省したのかな?とうっすらとですが、期待をしていました。(笑)
だが、反省したのかな?などと、文章に書いたらむくれた相手が、ひどいことをやってくるはずで、それは、国家としての日本へ対する皿に大きな侮辱となって、帰ってくるはずで、大変だからと、我慢をしていたのが、土、日、月と、続報を書かなかった理由です。と言うのも、上にタイトルを上げた前報は、1万8千字にもなっていますが、それほどの字数を費やして、書いたとしても、それでも、あれは、言葉不足だったからです。続報を書く必要があるが、尖閣がどうなるかがわからないので、待っていたのでした。
で、月曜日の深夜、重労働をして来て帰宅をして、録画しておいたニュースウォッチも報道ステーションも見る力が無かったのですが。ネットニュースで、やはり尖閣への中国艦船の出動があったと、気がつきます。そして、火曜日の朝8時から、録画しておいた、ニュースウォッチを見たら、第一番目のニュースとして大々的にそれが報道をされていました。
しかし、今回はいつもとは違う新たな部分があって、それを準備するために、二日遅れたのだと理解しています。
彼ら鎌倉エージェントは常に、自分たちに都合が良くなるような企画をします。今回は尖閣を、以前よりさらにフレイムアップをする必要があったのでした。で、4隻の漁船を仕立てて、そこに報道陣と、議員を乗せて尖閣視察をさせると言う脚本を作り出しました。
そこで、報道陣と、議員が現地に到達するまでの、時間がかかったわけですね。お芝居です。鎌倉エージェントが企画したお芝居です。それこそ、大金を使ったお芝居です。それは、なぜかと言うと、
わが家のご近所の安野夫人と言う女性の強気すぎてわがままな性格を利用して、私をじりじりと、追い込み、一種の暗殺に持ち込もうとする瀬島隆三と、その威光または意向を体して、さまざまな企画を、この28年間練りに練って実行する伊藤玄二郎と、彼に協力している、井上ひさし、酒井忠康氏、他、東京に居るエージェントたちが、よってたかって、新しい案を練りだすのですが、
今回は、漁船4隻を繰り出し、それを、中国艦船が追いかけ、それを海上保安庁が追いかけるという、カーチェイスさながらの、ショー化された場面を見せ付けられたわけです。
ただ、目的は、『海上保安庁が素敵です』と言う点にある事は、相変わらずであって、その真実の目的は安野夫人をサポートする点にあります。
どうして、平凡な一女性のために、中国一国が利用されて、この大切な国日本が足蹴にされるかと言うと、裏では、中国とアメリカは通々であって、中国はアメリカから頼まれれば、なんでもいう事を聞くということがあるからです。
アメリカがなぜ、動くかと言うと、アメリカは、日本と、日本人の能力をひどく警戒しています。常に押さえつけておきたいのです。そのために韓国、北朝鮮、中国の三国を利用しまくります。
それが、公の舞台の出来事ですが、
同時進行的に、鎌倉雪の下でも、戦略を行います。そのすべてを私はすでに見破っているわけですが、鎌倉雪ノ下の、出来事を書くと、それが、真実であるがゆえに、私への恫喝を強める必要があって、このように大げさにして、尖閣諸島問題、特に中国艦船の出動が行われます。外交問題を利用するのです。(笑)
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副題5、『突然、文章が消えたので、ますます、私が書いていることが正しいのだと判ります』
ところで、上の副題4の部分を、初稿として書いたら、突然に、全部の文章が消えました。で、ますます、私の書いていることが正しいと判るのですが、
その中で、特に消えたのが、タイミングとして、こういう事でした。
尖閣出動を、フレイムアップをする必要があって、それを起案したのは鎌倉エージェントです。と書いて起案者の名前を挙げていったのです。伊藤玄二郎、井上ひさし、酒井忠康氏などと、彼らに協力する東京のエージェントたち・・・・・と書いたとたんに、それが起きたので、
上の数人には、私のパソコンの中に侵入して文章を消してしまうアプリが配信をされていて、何かのアイコンをクリックするだけで、それが、可能になると考えています。
だから、固有名詞をあげたのは、上の三人なので、この尖閣諸島の中国艦船も、その三人の発案であることが感じられ、さらに、月曜日にフレイムアップするべく、土曜日に報道陣や、議員に対して、現地に向かえと指導した案を案出したのは、その三人である事は確かです。
こういう仕組みに助けられていて、さらに、肉声による罵倒とか、恫喝と言う、肉体的な攻撃を加えてくる、前田祝一(元駒澤大学教授)氏と、前田清子(元國學院大學講師)さんのインテリ度には、疑惑がいっぱいです。よく平気で生きていられるなあと、いつも思っています。
ところで、尖閣の中国艦船出動と、どうして前田夫妻と、安野夫妻が関連があるかについては、ここに初めてご訪問を下さった方には、よくわからないでしょう。で、それをご理解いただくためには、下にスクロールすると出てくる、前報だけでもごらんをいただければ、少し判ると思います。前報は、相当に重要な文章でした。いえ、重要だと、ニュースから、傍証を得て確認した次第です。あれほど、フレイムアップされ、ショー化された尖閣諸島の工房を見れば、どんな人だって、海上保安庁って素敵ですねとなり、このご近所さまでは、『へえーっ。安野家のお坊ちゃまって、海上保安庁勤務なの。えらいわね』と成るでしょう。それが狙いです。
ただし、その裏に、内申書の改ざんとか、試験問題の漏洩(・・・・・これは、初めて語る話ですが・・・・・)さえあった可能性があり、それゆえに、私がそれを書くと、私のパソコンに障害が多々起きるというわけです。書かせたくないと敵側が思っていますから。だけど、大学付属高校ご入学おめでとう事件とか、海猿の4連作とか、その大ヒットの報道などを勘案すると、安野家の三男の海上保安学校への入学には疑惑がいっぱいあって、それ以外に、若尾文子のNHK功労賞受賞など、ありと、あらゆる傍証を、勘案しまくると、その二つ(内申書の改ざんと、試験問題の漏洩)の可能性は大きいのです。
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副題6、『加害者は勝ったと思うので、快感を感じ、したがって、自分のしたことを忘れてしまう。だが、被害者は忘れない』
私にとって、前報は、非常に重要な内容を含んでいるのですが、その中には、3つぐらいの、エピソードが一緒に含まれて居ます。そこを統一するものは、勝ったと思っている人間が放つ、捨て台詞と言うものなのです。
金曜日の夕方に、前田夫妻が放った文言については、今は詳細を書きません。それについて、良い文章が、天から降りてきていないのです。理由は、あまりにも直接的な憎しみの破裂だったので、汚すぎて、今はそれを書きたくないのでしょう。内的な欲求が書くなと言っています。
だが、10年後ぐらいには、読者の皆様にとっても読みやすい、いい文章となって天が頭におろしてくださるでしょう。だが、前田清子さんを見ているうちに、田中愛子さんが、10年前に放った捨て台詞を思い出したのでした。
そちらに重点を移しながら書いたのが前報です。10年前のことなので、私の心は平安に満ちてそれを語ることができるからです。
私は何度も繰り返していますが、「現在の東京圏で生きている限り、すべての相手に対して、平等か、ちょっと上の存在として相手を認識するのがよいですよ」と。ちゃんとそれができている人も居ます。
その上、ビジネス上の会話と、会合には、さらに、別のルールがあります。お金を払う方が大切に扱われるというルールです。
ところが田中愛子さんのそれは、その両方を、100%逸脱していて、私はお客なのに、怒鳴られながら追い出されました。惨めでしたし、田中愛子さんの方は勝利の雄たけびを上げたでしょう。
ところで、こういう場合に、私だって、捨て台詞を放とうと思ったら放てる人間です。だが、そういう事はいたしません。その理由をこれから語りたいと思います。
実は、1998年、ニューヨークで初めて捨て台詞らしきものを放ち、驚くほど効果があることを知りました。だけど、あまりに効果がありすぎて、それを受けた相手(=若い日本人女性)が狂ったので、それ以来、捨て台詞は、放つまいと決意しているのです。
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副題7、『米人女性教授が、日本人が学生を鉄砲玉として使うが・・・・・』
私は、それを自分で言えばいやみに成ると思って、言いたくないのですが、実は種々さまざまなところで、嫉妬の対象となります。または、恐れられる人間となります。それは、実力と、肩書きの間がアンバランスだからです。私がもし東大教授だったら、今起きているような事は、すべて、絶対に起きないでしょう。田中愛子さんも最初から、敬意を示しながら、対応をするはずで、したがって、「川崎さん、150万円しか払わないのなら、50部しかできませんよ」などと言う驚天動地の怒鳴り声を上げるはずは無かったでしょうし。
私が昔、その東大に勤めていたときに、「あなたは将来必ず、東大の教授になれる。ただし、辞めなければの話だけれど」と、上司の教授から言われました。で、辞めないで、ずっと、がんばっていたら、東大か、または、別の大学の教授になっていたかもしれません。私は東大卒ではありませんが、受験勉強をしていないので、頭が壊れていないそうで、「その柔軟さがすばらしい。特に統合する力がある。東大生は、分析するのは得意だが、統合する力が無い」と、教授に言っていただきました。
でも、実際のところ、数年で勤めは辞めて、長い長い専業主婦家業を続けてきたから何の肩書きも無いのです。となると、肩書きに頼っている人間は、馬鹿にします。馬鹿にしていながら、一方で、私が、作品を見せたり、文章を書いたりすると、すごいスピードで辞書も見ないで、英文を書きます。手書きでもパソコンを使っても、みんなの見ている前で、圧倒的なスピードで、文章を書いていきます。だから、相手、特にこの章では、ニューヨークの版画担当の教授は、大きく私を意識してしまいます。
それから、版画なども独特のカラーセンスがあって、アッと、皆さんが言います。これについてのエピソードもいっぱいあります。が、今は省略をしましょう。
そのときに、私に対して、対抗意識を示した教授は、学部長の愛人だから教授をしているといううわさを後で聞く、40代の女性でした。中肉中背で、アメリカに多い肥満体ではなくて、お顔も美人でした。ここで、仮名をアリスとしておきます。フランス系らしい苗字を持つ人なので,そちらも仮名をデューランと当てて置きましょう。
私の方は、別に美人でもないし、10歳も年上のおばちゃんなのに、どうしてか、見事に嫉妬の対象になってしまい、毎週二時間の授業のうちの、最初の15分ぐらいの解説の際に、敵対意識をちらちらと見せ付けられます。いわゆるパワハラの対象になっていきます。
銅版画を教える講座で、23人授業を取っていて、半分が海外から来た学生ですが、中に、日本人が一人居ました。25歳だそうで、京都の私立美大を卒業しています。彼女の方は仮名をアサコとしておきます。どうしてかと言うと、彼女はその後、狂ってしまい、それゆえに、教授が大学を辞めざるを得なくなったからです。
とても、はしっこいタイプで、教授の心を読んで、私につらく当たり始めました。版画の授業は週に一回ですが、こういう技術系の授業は、授業日以外にも、工房で、作業をしますので、プレスと言う版画を摺る機械の使用について、邪魔されて、うんざりする以上の嫌な8週間を送った後に、アサコは行き詰って来ます。
教授がいい加減なので、薬の塩梅を見ていないので、銅版の腐食ができなくなったのです。
教授が用意したのは、1000倍に薄めた、塩化第二鉄と言うものでしたが、私は、自分の腐食液は、自分で用意していて、教授のは使いませんでした。と言うのも、特殊な種類の版画をやって居たので、そんな薄い溶液では、作業が進まないので、非常に濃い原液と言うのを使っていたのです。で、私は大丈夫ですが、アサコは、作業ができなくなりました。
で、他のバットに入っている硝酸の希釈液を使いたいと思ったらしいのですが、それは、銅版には、使ってはいけないことと決められています。で、私に対して、「どうして、銅は、硝酸で腐食したらいけないの?」と聞いてきたので、化学方程式を書いて説明をしました。
ここからが、私の捨て台詞と成ります。アサコの鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見ていると、ずっと、いじめられ妨害を受けていたことへの、絶好の復讐のチャンスだと思われて、続けて、
「これは、中学の段階の化学ですよ」と言ってしまいました。そのせりふには無論のこと、『あなたは、忘れているの、おばかさんねえ』と言う無言のせりふが隠れて居るわけですが、さらに、それを聞いて、フリーズ状態になっているアサコを見ているうちに、つい追い討ちをかけたく成ってしまったのです、それがイタリック太字で書きますが、捨て台詞の類で、しかも効果抜群のものでした。
「私はね。むかし、東大に勤めていたことがあるから、<56歳になった今でも>書けますけれど」
と。
そのせりふが捨て台詞だったゆえんは、東大に勤めていたという事は、事前には、アサコが知らない事実だったからです。仲良しでもない限り、キャリアをうちあける時間など無いですから。アサコは、単に外見から、『普通の熟年おばさんよ』と思っていただけでしょう。また、国際基督教大学と言う学校が、小さいので、いい大学だという事を知らない人間は、日本中で言えば、アサコ以外にも、数多いのです。特に大学紛争で、一回入試が無かった年がありますが、それ以前の評判の高いことと言ったら、東大の学生新聞が、「東大に入るより、ICUに入る方が難しい」と書いたほどだったのですが。
ソニーの現平井社長を含んで、日本中で活躍をして人が多数いるほど、卒業生の人数に比例しては、多数の人材を出している大学です。だが、それを、知っている人間は、そこを受験したいと願う人ぐらいであって、そこを受験したいと願わない人は、その名声を知らないのです。マスプロ大学では無い上に、受験のシステムが、他の大学とは違うので、知る人ぞ知る大学だからです。
京都の、しかも美大の出身のアサコは、国際基督教大学出身の人間が、どれほど、頭がいいか(笑)を、まるで知らなかった模様でした。
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ただ、ここで、きちんと丁寧に書けば、銅を硝酸に溶かす実験は、中学や高校では無かったかもしれません。銅を、酸に溶かす実験としては、中学や高校の化学実験室なら、希釈した硫酸に溶かす実験は、やった可能性があります。それは、急にブルーになるので、生徒を驚かすはずで、効果抜群の実験だからです。硫酸銅溶液は、透明な希釈硫酸を、美しいブルーに瞬間的に、変えるからです。
ただ、化学が、大好きな私ですから、いつどこでも、どういう反応式でも、書けるわけですね。しかも、無機化合物の反応式は、有機化合物やキレートの反応式に比べると、シンプルなのです。で、大学で習うレベルが、そういう複雑な分子式だと思うと、つい、比較して、簡単すぎる銅と硝酸溶液の反応を、「中学のレベルですよ」と、言ってしまったのですが、その部分で、アサコは、すでに、恐怖を感じていたかもしれません。そこへ持ってきて、「私は、昔、東大に勤めていたから、(それほど、頭がいいので)これを、忘れていないのですよ」と言ったから、自分との格差を、突然に、突きつけられたわけです。
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副題9、『失恋の痛手などを、ニューヨークでの一発逆転で晴らそうとする女性たち』
彼女は、京都の私立美大卒ですが、それは、盆地内にあり、文字通りの、井の中の蛙であるという事を示しています。その上、日本人は、普通は、美大から大学院へは進みません。芸大出身者とか、武蔵野美大と、多摩美の出身者で、一種のモラトリアムをかねて、助手兼、大学院学生であるという人は多く見ますが、大学院へ行くという事は、美大の教授になるということであり、その席は、多くは無いので、たいてい大学院へは行かないのです。特に海外にまでは、行かないのです。
どうして、アサコが、ニューヨークの大学院へ入学したかと言うと、将来の教授職を目指しているわけではなくて、将来の草間弥生か、千住博か、杉本博司を目指しているわけですが、それにしては美的センスが足りません。それは、誰の目にもすぐわかる部分です。それでも、一発逆転を狙って、すさまじい意欲は持っているのですが、しかし、裏側が透けて見えるのです。つまり、日本で周辺から愛されなかったということが。
大学時代に、もし男女共学の大学に学んでいると、恋愛の問題が起こります。そこで、相手をゲットできれば、それが、一応の勝利です。だが、カップルを形成できなかったと仮定してみましょう。それでも、普通の人はあきらめて、方向転換をするものです。別の人を探します。または、欲求のランクを下げます。
彼女は、留学の資金を稼ぐために、いったん就職をしたのだそうです。普通の人だと、就職先で、また、新たな出会いがあって、それで、矛を収めたりするのですが、彼女は、がんばっているわけです。(笑)、ただ、スケールが小さいです。将来成功する人間は、それなりの気品とか、香華があるものです。せかせかしすぎています。かわいげが無いです。その上、教授の鉄砲玉として、同胞のしかも、30歳も年上の私を、苛め抜くとは、その性格の汚さに、唖然としてしまい、それ以前の生活が、読めてきてしまいます。『は、はーん。大学時代に、失恋をしましたね。または、教授に疎まれたとか? で、一発逆転勝利を狙っていますね』と、判ってきてしまいます。
これは、今から15年近く前のことで、まだ、日本経済に余裕があった時代で、親が裕福なお嬢さん方が、何らかの逆転を狙って、ニューヨークへ多数きていた時期です。しかし、親元は裕福では無いが、自分が、2,3年働いて資金をためて、ニューヨークへ来たというお嬢さん方もあって、そういう人は、ある程度以上に、すさんでいるというか、きつい性格を示しているというか、であって、日本社会では、うまくいかなかったということも、容易に推察をされるのでした。
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副題10、『ところで、私がどうして、ニューヨークへ行ったのか?』
上にアサコを批判しています。でも、『あなたも、大学院へ入ったのですよね。それって、アサコと同じではありませんか? あなたも日本社会に受け入れてもらっていないので、一発逆転を狙っていたのではないですか?』といわれちゃいそうです。
確かにそういう側面もありました。で、そのように誤解した、知人、友人は多かったでしょう。で、さらに日本美術界では嫌な思いをすることと成ったかもしれません。たとえば、同じ展覧会に、私が100号正方形を出しただけで、突然に怒り出して、いじめ抜いてきた渡辺幸子さんも、口には出さないけれど、パリに一回3ヶ月、ニューヨークに二回も三ヶ月ずつ、修行に行った私をそういう類の抜け駆けをする人間とみなして、警戒心を旺盛に持っていたから、たんに自分より大きなサイズを出しただけで、ずるいと思い、パニックに陥って、気持ちの整理ができず、大人気ないいじめ行動を発してしまったと考えると、腑に落ちます。
だから、ここでは正直に、「15%程度は、そういう部分もありました」といって置きましょう。ただ、85%は違うのです。純粋に長時間使える工房を求めたからです。
私がやっている技法の版画は、ヘイター方式といって、他人に摺ってもらうと、一枚1万円ほど、作業料をとられるほど、複雑な手法を用いる版画で、はじめたら、10時間連続して作業をしないと、三枚程度でも摺ることができないという形式の版画なのです。
で、日本では、そこまで、長時間使える工房がないのです。
ところが、海外だと、芸術家が尊重をされていて、ルールなどを無視して、長時間使える工房が多いのです。それこそ、専門家としての版画家が使いやすい工房が多いのです。それをパリで経験してみて、私は、もう一回海外へ行きたいと願ったのでした。
無論、プレスを買えば、日本でも、できますね。ただ、鎌倉の自宅へは、プレスが重すぎて上がらないのです。
池田万寿夫のサポートをしていた人たちが、ニューヨークから帰国後、私が、結局は自分のプレスを買って、それを、逗子の借りていたマンションに、設置してくれたのですが、一階でも、20mは、車を降りてから歩いて、人間が運ばないと成らない形だったので、皆さんが、往生をしたのです。それを見ているので、鎌倉に持ち上げるのは圧倒的にあきらめたのでした。
分解しても重い部品があるのです。ただ、将来の夢は、幅45センチと言う最小のプレスを買って、小さな版画を摺って暮らすことです。安野夫妻や、前田夫妻から攻撃を受けず、ニュースからも外交からも攻撃を受けなかったら、そういう生活に戻ることができますが、今は無理であって・・・・・
で、パリで、そういう専門家向けの長時間の作業形態が、許されていることを知って、ニューヨークでも、そういう場所があるだろうと、推察し、それに関する情報を日本で集めまくっていました。
ところが、情報がただでは無いというのが、本当で、ニューヨークの美術界について、教えてくれる人が居ないのです。事前にそれを調べるのはとても難しいことでした。ただ、一生懸命努力をしていると、地球堂と言うギャラリーで出会ったアメリカ人が、
Pratt Institute と言うところにあなたの希望に合う工房があるはずですよと、教えてくれたのです。それが、ブルックリンにあるということだけは、彼女から教えてもらいました。
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副題11、『なぜ、私が大学院へ、56歳で入学できたのか?』
ところで、出発直前に、今は某美術館の館長をしている方から、「そこは大学のはずですよ」と言う言葉を聴いたのですが、「もし、そうなら別の工房を探せばいいわ」と言うくらいの軽い感じで、宿だけ、マンハッタン島の、タイムズスクエアの、自宅を持っている日本人のシェアハウスを、借りると決めて、さっとアメリカへ渡ったのでした。卒業証明書とか、成績証明書の類は、まったく準備しないで出かけました。だって、私は美大卒では無いですから、用意しても無駄だろうと思いましたし。
さて、在ニューヨークの日本人はさすがに、Pratt Instituteの事は知っていて、それが、地下鉄のどの駅を降りたらいかれるかを教えてくれました。で、油絵の小品を二つ、版画の小品を、3枚ぐらい持って出かけてみました。
晴れた日で、しかもブルックリンハイツは、綺麗な住宅街で、気持ちがよく、かつ、そこは美しい美大でした。棟と棟の間が、上野の芸大より、はるかに大きな間隔を取ってあって、その間に、現代彫刻が設置してあります。
ここで、挿入ですが、ブルックリンハイツと言うのは、クリントン夫妻のニューヨーク別邸があるほどの高級住宅街でもあるのです。レンタルDVDで『イカと鯨』と言う映画をお借りいただくと、離婚するインテリ夫婦の、妻と、次男が確保する家が、この近辺であって、夫と長男が、移転をする先が、ずっと海抜が、下に下って、行ったブルックリンでも、南側の、住宅が、安い地域であることがわかります。
私はそういう景色を眺めながら、『ああ、やはり、美大だったのだわ。それでは、入学は無理ですね』と思いました。でも、せっかく来たのだから、何かの情報をもらいたいと思って、学生たちに、版画工房はどこに在るのですか?と、質問をして教えてもらいました。で、先に学部棟(1年から4年までの学生が使う)の版画工房へ案内されました。そこらあたりを歩いていると、にぎやかな部屋があって、そこに版画工房の主が居たのです。学生がいっぱい集まる人で、学生たちの、薬品や銅版や道具の管理などを引き受けている紳士で、後に教授へ昇格したと聞いている人の部屋に行き着いたのです。
でね。私はその人に、塩化第二鉄(銅版を腐食させる液)の入手先を教えてもらいました。アメリカは、劇薬の管理が厳しくて、日本ですと住所を書いてはんこを押すと、塩酸や硝酸も買えるのですが(ただし、塩化第二鉄を置いている薬局は無い。それは、やはり、版画専門店でしか買えない)硝酸や塩酸程度でも、薬局では買えません。それはパリで、大体経験済みなので、その人にそれを教えてもらうのは大切なことでした。
で、レンブラントと言う美術系の大卸会社(のちほど、車代7万円を払って、日本人の方に連れて行ってもらうのですが、牧場地帯に、7棟の大倉庫を持っている会社です)を紹介してもらいました。
それだけでも、大助かりなのですが、その人に自分の作品を見せると、「いい作品を作っているね。学部長に紹介をしてあげる」といってくれて、FINE ARTS部門のオフィスへ連れて行ってくれました。
そのときの学部長は上の方で、言及したアリスデューラン(仮名)を気に入って、実力の無いのに、教授職に就けたといわれる陰の実力者(病気だと聞いている)ではなくて、品の良い紳士であって、「ここの工房を使いたいなら、あなたはすでに学部は卒業している模様なので、大学院へ、入学なさったら使えますよ」と教えてくれました。あっけに取られるほど、簡単に入学許可が降りて、大学院の学生となることができたのです。
ラッキーでした。天はみそなわすとは、本当でした。
高校一年生のときに、どうしてか担任の先生に、受験用紙を渡してもらえなくて、AFSの試験を受けることさえできなかった悲しみが、この時点で癒されたのです。苦しいことや、悲しいことがあっても、必ず、神様はどこかで、見守っていて、償ってくださるのです。人生は、どこかで、つじつまが合うようになっているのでした。
マイナスがあっても、どこか別の場所、別の時点で味わうことのできるプラスの経験によって、補償をされるのです。本当にありがたい経験でした。ただし、授業料はお高いです。私立で、しかも美大ですから、高かったです。普通の版画工房を使うより、お高かったと思いますが・・・・・
しかし、好事魔が多しも正しくて、こういうエピソードが内々で、担当教授のアリスデューラー(仮名)にも伝わっていたと思われ、アリスが、最初の講義の日から、過剰に私を警戒していることとなったのです。『できる人間だ。自分が負けるかもしれない』と、彼女が考えていたのは、敏感な私はすぐ察しましたし、他の学生も強く感じたと思われます。で、アサコは、教授への忠誠心を示せば、自分が有利になると考えたのでしょう。それで、いじめて来たというわけです。
以上、副題9から11までが、あさこが、乱暴狼藉を働く前の、状況説明です。それを書いた後で、元へ戻ります。捨て台詞の問題を語るための文章へ戻ります。
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副題12、『黒板の前が、まるで殺人事件の現場状態だった』
その捨て台詞を放ったのは、真昼間のことで、私はその後気分よく、食堂へ向かいます。その日も晴天でした。そして、お昼を食べて帰ってきたのは、
午後1時半ごろでしたが、あたりには誰も居ませんでした。普通の大学院の学生は、こういう時間帯は授業があるので、作業をまだ始めません。だが、私は高価な講座を、二つとっていただけなので、時間に空きがあって、誰も居ない昼間に、作業をしているのでした。しかし、その日に限って異変がありました。
なんと、黒板の前の一番目立つところに、私の腐食液が、床にばら撒かれていたのです。覆水本に帰らずの典型で、私は、そこで、作業がストップします。だが、事は、そういう単純な復讐ではないのです。
塩化第二鉄の水溶液と言うのは、劇薬の一種で、人間の皮膚にかかったら、ただれます。そして、激しい痛みを伴います。銅まで溶かすのですから、人間の肉体なんて簡単に傷つけます。そういう劇薬を、誰かの足にかかってもいいから、床にばら撒くという行為は、最近よくある、学校で、ある生徒が、ナイフで、別の生徒を、グサッと刺したという行為とほとんど同義です。
しかも塩化第二鉄の原液とは、鉄と銅を含んでいて、比重が非常に高くてどろっとしていて、床から、1センチ以上盛り上がっています。銅を溶かすまえは、黄褐色が含まれた赤ですが、銅を腐食させ始めると、どす赤黒くなって、人の血そっくりです。
しかも、2リットルが、ゆかにばらまかれたころ、ちょうど、リフォーム中で、ほこりや泥がいっぱいだったので、それを、巻き込んで、真円にはならず、人型に、広がっていたのでした。
アリスが在校していない日だったので、他の教授を呼んできて、現場を見てもらいました。みんな息を呑んでいました。
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副題13、『アメリカ人の責任の取り方、取らせ方。・・・・・そのリアリティ』
最初の方で、教授が辞めることとなったと、種明かしをしてしまってあります。だが、大学側が公式に、アサコに責任を取らせて退学をさせたり、アリスに懲戒を与えるというような事はしていません。むしろ隠蔽して、このことが無かった事にしたいみたいでした。現場を見た、ある男性教授は、「犬がひっくり返したのでしょう」と言っていましたし。
だけど、若い学生たちの口コミ力がすごいのです。もともと、あまり人気が無かったらしいアリスの授業を、次の学期から取る人間が誰も居なくなったそうです。
狼藉を起こしたのはアサコです。だけど、それはアリスの学級経営がまずいからでした。気に入らない学生をいじめるために、鉄砲玉として、別の学生を使う。そういうアリスの手法が嫌われたのでした。別に大学当局が、「辞任を勧告する」というわけではないのです。ただ、単純に、人気が無い教授は辞職すべきだという暗黙のルールがある。そして、学生が大喜びするような、若くて、実力のある人材へ、後釜が変わりました。そうなると、どんなにコネを使っても復活は無理ですね。
それが、アメリカの人事のリアリティでした。
でも、これ以来、「外見は、羊みたい。あなたって生活色が無いわね」とよく言われる私は、自分が人並みに強いのだと、自覚をすることと成ります。そして、自分の言葉も、人並みか、人並み以上に強いことを自覚して、できるだけ、直接には言葉を出さないように努力し始めます。対面したときには、できるだけ、対等か、相手を少し敬った形を取るように気を使います。徹底的に、そういたします。
それ以前だって、そうだったのです。私は事の未来が読めるので、こういう事を言ったら相手がどう感じるかな?とか、相手が、どういう風な反応を見せるかなと言うことも判るので、たいていは黙っているのです。捨て台詞の類は、絶対に放ちませんでした。
デモね、人間です。会話はほしいですね。だけど、それに結構なレベルで、恵まれるのです、外出先で、電車の中、今は北久里浜の前の家の近所で、そして以前なら、銀座で、または、それに向かう往復で、または、喫茶店やレストランの中で、これはと思った人に話しかけると、必ず素敵な会話が成立するのです。
ただ、ほとんど、その例を語りません。特に最近はです。
このブログの世界では、正当防衛の一種として汚い種ばかり取り上げてしまっていますが、私の周辺は、実のところ、天がもたらす慈愛に囲まれても居るのです。で、私は充分以上に幸せなのです。常に、良いことと悪い事はバランスを取って訪れるからです。
ただし、捨て台詞はろくなことがないと、私は思っています。勝つという事は、負けた人間を、破滅させることがあるのです。アリス・デューラーが職を失ったなんてニューヨークに1999年に、滞在中は、知りませんでしたし、アサコもあれから15年は過ぎていますが、大アーチストになったという評判は聞いていません。ただ、この1999年以降、2000年と、20001年に再び、滞在やら訪問をしていますので、いろいろ後日談を聞く機会があったというわけです。
その夜片付けに九時間も係り、私は、ほとほと、惨めで、泣かんばかりでしたよ。そして、これには後日談が、教授の辞職とは別にあって、それは、きらめくプラタナスと言う一文でまとめています。そこでも、天の恩寵という事を知りました。
ただ、本日はすでに、1万8千字を超えているし、捨て台詞の、真実と言うことに絞って語りたいので、ここで、とめておきます。捨て台詞を放つなど、最低で、最悪のことなのだ。大人のするべきことでは無いと、私が感じているという事を、皆様に告げただけで、終わりたいと思います。
なお、このブログの2010年から、数え始めた伸べ訪問回数は、1691375です。
2013年の、7月1日の深夜に書き始め、5日の早朝に推敲を終える。
雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)
副題1、『5回目として、チェーンソーを振り回してきたが、北久里浜のご近所様が、昔と変わらないのに驚いた』
副題2、『鬼の居ぬ間の洗濯として、鎌倉でいろいろ、工作がなされていたと思いますが』
副題3、『尖閣出動が、月曜日にありましたね』
副題4、『どうして、二日、遅れで、その大騒動化が、起きたのか?』
副題5、『突然、文章が消えたので、ますます、私が書いていることが正しいのだと判りました』
副題6、『加害者は勝ったと思うので、快感を感じ、したがって、自分のしたことを忘れてしまう。だが、被害者は忘れない』
副題7、『米人女性教授が、日本人が学生を鉄砲玉として使うが・・・・・』
副題8、『失恋の痛手などを、ニューヨークでの一発逆転で晴らそうとする女性たち』
副題9、『ところで、私はどうしてニューヨークへ行ったのか?
副題10、『私は、どうして、美大の大学院へ入学できたのか?』
副題11、『黒板の前が、まるで殺人事件の現場状態だった』
副題12、『アメリカ人の責任の取り方、取らせ方。・・・・・そのリアリティ』
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副題1、『5回目として、チェーンソーを振り回してきたが、北久里浜のご近所様が、昔と変わらないのに驚いた』
私は外出がたいてい夜になります。昼間の一番いい時間帯は、パソコンの仕事をすると決めていますから。家事をするのも庭仕事をするのも、パソコンの仕事の休憩としてやっていますから、全体で、ブログを書くか、本の編集をしているのが、最重要なしごとと成っています。
夜、チェーンソーを振り回すのは、実は、余計に危ないので、一日に、一本以上の枝払いはしないと決めています。で、今は比較的小さい方の木を伐採しているのですが、樹種は少ないです。さざんか、かなめもち、柿、桜、花ざくろ、の5種ぐらいですね。つげなどあったのですが、そういう値段の高い木は誰かが、引越しの際に、次の家へもって行ってしまったらしいのです。
で、樹種として、葉っぱが厚い種類が多いので、庭も家も暗いのです。鎌倉の家も北久里浜の家以上に樹木が多いのですが、元来が、天然の森なので、樹種が多様で、木漏れ日もあって、より明るいので、伐採もしないのですが、北久里浜の家は、庭が真っ暗であって、びっくりして、明るくしようとしています。
で、夕方から、バリバリと、轟音を立てるので、びっくりして、私を知らない新しい人々が訪ねてくるのですね。何事かと思って。そのとき、昔を知っている人も一緒に来るので、会ってみると、あまりにも、皆さんが変わっていないので驚きます。
30年のときを経ているのにです。で、ここにもう一回住むのもいいかなと思い始めます。鎌倉が大好きですよ。ただ、石段が130段もあるので、夫婦のうち、どちらかが足が悪くなった場合に、引っ越す事は必要になるでしょう。その先を老人ホームにするか、一回、マンションに移動をするかの選択を迫られる可能性が在
あるのですが、
そのマンションも購入するか、賃貸にするかの選択があるわけです。
30年前の私たちは、横須賀に帰ることをも想定して、その家をキープしていたのでした。実は売らないでもいいと私は考えています。東南の角地で、綺麗な形の60坪です。ご自分で、リフォームをする人なら、2280万+諸費用=3000万円で、一戸建ての家が手に入ります。しかも、60坪ですから、将来建て替えれば豪邸となります。今新築の家は、敷地が狭いのが多いですが、ここなら自由自在な設計ができます。
ただ、主人が、「身軽になっていた方がいい。子供が要らないというのだから売った方がいい」という考えなので、売り出しています。でも、売れなければ、それでも良くて、その際の新たな選択肢として、自分が住む・・・・・電動車いすが使える場所であり、タクシーも簡単に呼べる場所であるので・・・・・自分が再び住むことも考慮に入れ、丁寧に、掃除・補修・枝払いをしているというわけです。
この北久里浜を売ってしまうのが内心で嫌だったので、そのかわりの不動産物件を、2013年の一月から釈迦力になって探索を始めたわけでした。それが、1000万円以内の物件を探すと言うことだったのです。と言うのも北久里浜は、名義上半分が私の所有になっていて、全体で、2280万円で、値段付けをしていますので、売れれば、1000万円が私の収入になるわけです。なので、別の物件を探していたわけでした。だが、買えなかったので、もともと、内心では売りたくなかったここを、持ち続けるのも、主人の意向を一回立てた上での選択ですから、無理がない形になり、それが一番いいことなのです。下に10畳と9畳の洋間がありますので、一人が、車椅子になっても、もう一人の足が大丈夫なら、ここで、充分に生活ができます。60坪の日当たりの良い庭付きの、木造27.5坪。老人二人が住むのにはぴったりですね。
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副題2、『鬼の居ぬ間の洗濯として、鎌倉でいろいろ、工作がなされていたと思いますが』
先週の火曜日、2013年の2月25日に、BSプレミアムの人気番組『世界街歩き』は、鎌倉がテーマでした。伊藤玄二郎の勢力誇示の番組です。普通は世界が、テーマなのに、突然鎌倉を割り込ませる。水木一郎さんが、前面に出てきていますが、それは、一種のダミーであって、伊藤玄二郎を立てるということが目的です。
それが、先にできていて、それよりも後で、光明寺で収録されたクイズ100人力ができたと思われますが、NHKをこれほど、明瞭に私物化しても恥じないというほど、心理的に乱暴な人たちなのです。
そういう莫大な無駄遣いを、他人にやらせる。そういう彼の独特のやり方を、身を体して判っているのが、彼の周辺に居る男と女です。で、田中愛子女史が、どんなに、甘えん坊で、また、瞬間湯沸かし器であり、かつ、傲慢であるかを証明するエピソードをさらしたのは、別に、失礼でも、何でもありません。あれでも、彼が攻撃して来ている、総被害を、考慮すれば、10万分の1の情報開示でしかないのです。
彼は、あれだけでもびびると思いますよ。と言うのも自分が企画していることが、まったくばれていないという前提で生きているからです。だが、全部裏側が読めていると成ると、相当に危機感を持つでしょう。それが、新たな攻撃を招いています。
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副題3、『尖閣出動が、月曜日にありましたね』
彼、伊藤玄二郎と、彼をサポートする軍団が、企図したのは、公と私的なダブルの攻撃でしたが、その私的な部分での鉄砲玉が、今は、安野夫妻から、前田祝一、清子夫妻へ移動をしています。行動としての直接性が以前より、強くなっています。
ここで、私的な部分と言うのは、・・・・・政治とは、きわめて私的なものをあたかも公的なものであるように見せるのが政治である・・・・・と言う政治のプロフェッショナル向け定義から見れば、即、ニュースに、つながるという意味で、きわめて政治的なものなのです。
私は前報を、金曜日の深夜書きました。その中に、含めるべきこととして、公の政治を、わざと書かなかったのです。その上、次の文章もすぐには書きませんでした。それは、なぜかと言うと、中国の、動向を待っていたのです。
尖閣諸島への中国の艦船の出動がどうなるかを、観察していたからでした。土曜日と、日曜日は、それが、NHKニュース内では、出ませんでした。
が、月曜日にはそれが、出ました。私は北久里浜へ行っていたので、NHKニュースも報道ステーションも見ておりません。だが、ネットニュースで、中国の艦船が出動して、日本船に接近をしてきたという報道を見つけ、なるほどねえと思ったしだいです。
前報で、あげた安野家の坊ちゃんが、海上保安学校と言う、一種の職業高校に入学して、それを、嘘に近い言い方で、「大学付属高校ご入学おめでとう事件」を起こしたのは、その後でも何万回も繰り返される、欺もう(言葉によるだまし・・・・・平易な日本語で言うと、たらしこみなどと呼ばれるもの・・・・・)の、気がついた最初のもののひとつでした。
そして、その裏にいろいろな疑惑があります。それを前報で、書きました。そのことを、25年間気がつきながら我慢をして、外へ開示しなかったのですが、別の側面で、ひどい被害が続いていて、それが、全部、安野夫人の女としての強気すぎる性格から生まれた井戸端会議により、奪われてしまった、私のアジサイ畑を、無かったことにしようとする脅かしであることに、気がつきます。
で、仕方が無くて、正当防衛の一種として、あの経緯を書いたら、突然に、尖閣の国有と言う現象が起こり、それをまた種として、中国の艦船が、尖閣に出動をすることとなりました。
それが、どうしてそうなるかと言うと、あれは、海上保安庁を目立たせる役目があるからです。海上保安庁が立派なものだと国民に知らせる目的が、あるからです。で、安野家の三男が海上保安庁に勤務しているので、安野家は、立派な家だということになり、
後から、この山に引っ越してきた人たちに、「安野家のほうが立派な家なので、それに対立している川崎さんとは、付き合わないようにしなさいね」と言うことに役立てているわけです。
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副題4、『どうして、二日、遅れで、その大騒動化が、起きたのか?』
私は、下にスクロールしてくると出てくる前報、
『私費出版の価格として、鎌倉春秋社は、高いのか安いのか? (政治モノ)△』
2013-06-29 20:21:32 | 政治
を金曜日の深夜に書いたわけですが、その後で、続報を書かないでいて、二日間もあけたのは、中国の艦船の様子を見ていたからです。出動するかしないかを待っていました。それを、NHKがどう報道するかも慎重に観察しようと、待っていたのです。
上の文章は、1万8千字の長さです。それで、関連性のある三つの主題が含まれて居ます。その中で、私費出版の価格と言う小さいテーマを表に出していますが、その中で秘匿をされている、もっとも大きなテーマは、鎌倉雪ノ下に、いる二人の女性、特に安野夫人と言うのを利用して、私の一種の暗殺を狙った結果としてのアジサイ畑欺もう事件があり、
それの詳細を、書き始めた私を、脅かして脅かして、それを書かせない様にさせる為の二つの策略があって、そのひとつが、尖閣の出動だからです。絶対にあるだろうと見ていました。あの前報を書いた限りにはそれがあるはずなのです。で、続報を書かないで、待っていました。
ところが、29日(土)も静かですし、30日(日)も静かです。で、反省したのかな?とうっすらとですが、期待をしていました。(笑)
だが、反省したのかな?などと、文章に書いたらむくれた相手が、ひどいことをやってくるはずで、それは、国家としての日本へ対する皿に大きな侮辱となって、帰ってくるはずで、大変だからと、我慢をしていたのが、土、日、月と、続報を書かなかった理由です。と言うのも、上にタイトルを上げた前報は、1万8千字にもなっていますが、それほどの字数を費やして、書いたとしても、それでも、あれは、言葉不足だったからです。続報を書く必要があるが、尖閣がどうなるかがわからないので、待っていたのでした。
で、月曜日の深夜、重労働をして来て帰宅をして、録画しておいたニュースウォッチも報道ステーションも見る力が無かったのですが。ネットニュースで、やはり尖閣への中国艦船の出動があったと、気がつきます。そして、火曜日の朝8時から、録画しておいた、ニュースウォッチを見たら、第一番目のニュースとして大々的にそれが報道をされていました。
しかし、今回はいつもとは違う新たな部分があって、それを準備するために、二日遅れたのだと理解しています。
彼ら鎌倉エージェントは常に、自分たちに都合が良くなるような企画をします。今回は尖閣を、以前よりさらにフレイムアップをする必要があったのでした。で、4隻の漁船を仕立てて、そこに報道陣と、議員を乗せて尖閣視察をさせると言う脚本を作り出しました。
そこで、報道陣と、議員が現地に到達するまでの、時間がかかったわけですね。お芝居です。鎌倉エージェントが企画したお芝居です。それこそ、大金を使ったお芝居です。それは、なぜかと言うと、
わが家のご近所の安野夫人と言う女性の強気すぎてわがままな性格を利用して、私をじりじりと、追い込み、一種の暗殺に持ち込もうとする瀬島隆三と、その威光または意向を体して、さまざまな企画を、この28年間練りに練って実行する伊藤玄二郎と、彼に協力している、井上ひさし、酒井忠康氏、他、東京に居るエージェントたちが、よってたかって、新しい案を練りだすのですが、
今回は、漁船4隻を繰り出し、それを、中国艦船が追いかけ、それを海上保安庁が追いかけるという、カーチェイスさながらの、ショー化された場面を見せ付けられたわけです。
ただ、目的は、『海上保安庁が素敵です』と言う点にある事は、相変わらずであって、その真実の目的は安野夫人をサポートする点にあります。
どうして、平凡な一女性のために、中国一国が利用されて、この大切な国日本が足蹴にされるかと言うと、裏では、中国とアメリカは通々であって、中国はアメリカから頼まれれば、なんでもいう事を聞くということがあるからです。
アメリカがなぜ、動くかと言うと、アメリカは、日本と、日本人の能力をひどく警戒しています。常に押さえつけておきたいのです。そのために韓国、北朝鮮、中国の三国を利用しまくります。
それが、公の舞台の出来事ですが、
同時進行的に、鎌倉雪の下でも、戦略を行います。そのすべてを私はすでに見破っているわけですが、鎌倉雪ノ下の、出来事を書くと、それが、真実であるがゆえに、私への恫喝を強める必要があって、このように大げさにして、尖閣諸島問題、特に中国艦船の出動が行われます。外交問題を利用するのです。(笑)
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副題5、『突然、文章が消えたので、ますます、私が書いていることが正しいのだと判ります』
ところで、上の副題4の部分を、初稿として書いたら、突然に、全部の文章が消えました。で、ますます、私の書いていることが正しいと判るのですが、
その中で、特に消えたのが、タイミングとして、こういう事でした。
尖閣出動を、フレイムアップをする必要があって、それを起案したのは鎌倉エージェントです。と書いて起案者の名前を挙げていったのです。伊藤玄二郎、井上ひさし、酒井忠康氏などと、彼らに協力する東京のエージェントたち・・・・・と書いたとたんに、それが起きたので、
上の数人には、私のパソコンの中に侵入して文章を消してしまうアプリが配信をされていて、何かのアイコンをクリックするだけで、それが、可能になると考えています。
だから、固有名詞をあげたのは、上の三人なので、この尖閣諸島の中国艦船も、その三人の発案であることが感じられ、さらに、月曜日にフレイムアップするべく、土曜日に報道陣や、議員に対して、現地に向かえと指導した案を案出したのは、その三人である事は確かです。
こういう仕組みに助けられていて、さらに、肉声による罵倒とか、恫喝と言う、肉体的な攻撃を加えてくる、前田祝一(元駒澤大学教授)氏と、前田清子(元國學院大學講師)さんのインテリ度には、疑惑がいっぱいです。よく平気で生きていられるなあと、いつも思っています。
ところで、尖閣の中国艦船出動と、どうして前田夫妻と、安野夫妻が関連があるかについては、ここに初めてご訪問を下さった方には、よくわからないでしょう。で、それをご理解いただくためには、下にスクロールすると出てくる、前報だけでもごらんをいただければ、少し判ると思います。前報は、相当に重要な文章でした。いえ、重要だと、ニュースから、傍証を得て確認した次第です。あれほど、フレイムアップされ、ショー化された尖閣諸島の工房を見れば、どんな人だって、海上保安庁って素敵ですねとなり、このご近所さまでは、『へえーっ。安野家のお坊ちゃまって、海上保安庁勤務なの。えらいわね』と成るでしょう。それが狙いです。
ただし、その裏に、内申書の改ざんとか、試験問題の漏洩(・・・・・これは、初めて語る話ですが・・・・・)さえあった可能性があり、それゆえに、私がそれを書くと、私のパソコンに障害が多々起きるというわけです。書かせたくないと敵側が思っていますから。だけど、大学付属高校ご入学おめでとう事件とか、海猿の4連作とか、その大ヒットの報道などを勘案すると、安野家の三男の海上保安学校への入学には疑惑がいっぱいあって、それ以外に、若尾文子のNHK功労賞受賞など、ありと、あらゆる傍証を、勘案しまくると、その二つ(内申書の改ざんと、試験問題の漏洩)の可能性は大きいのです。
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副題6、『加害者は勝ったと思うので、快感を感じ、したがって、自分のしたことを忘れてしまう。だが、被害者は忘れない』
私にとって、前報は、非常に重要な内容を含んでいるのですが、その中には、3つぐらいの、エピソードが一緒に含まれて居ます。そこを統一するものは、勝ったと思っている人間が放つ、捨て台詞と言うものなのです。
金曜日の夕方に、前田夫妻が放った文言については、今は詳細を書きません。それについて、良い文章が、天から降りてきていないのです。理由は、あまりにも直接的な憎しみの破裂だったので、汚すぎて、今はそれを書きたくないのでしょう。内的な欲求が書くなと言っています。
だが、10年後ぐらいには、読者の皆様にとっても読みやすい、いい文章となって天が頭におろしてくださるでしょう。だが、前田清子さんを見ているうちに、田中愛子さんが、10年前に放った捨て台詞を思い出したのでした。
そちらに重点を移しながら書いたのが前報です。10年前のことなので、私の心は平安に満ちてそれを語ることができるからです。
私は何度も繰り返していますが、「現在の東京圏で生きている限り、すべての相手に対して、平等か、ちょっと上の存在として相手を認識するのがよいですよ」と。ちゃんとそれができている人も居ます。
その上、ビジネス上の会話と、会合には、さらに、別のルールがあります。お金を払う方が大切に扱われるというルールです。
ところが田中愛子さんのそれは、その両方を、100%逸脱していて、私はお客なのに、怒鳴られながら追い出されました。惨めでしたし、田中愛子さんの方は勝利の雄たけびを上げたでしょう。
ところで、こういう場合に、私だって、捨て台詞を放とうと思ったら放てる人間です。だが、そういう事はいたしません。その理由をこれから語りたいと思います。
実は、1998年、ニューヨークで初めて捨て台詞らしきものを放ち、驚くほど効果があることを知りました。だけど、あまりに効果がありすぎて、それを受けた相手(=若い日本人女性)が狂ったので、それ以来、捨て台詞は、放つまいと決意しているのです。
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副題7、『米人女性教授が、日本人が学生を鉄砲玉として使うが・・・・・』
私は、それを自分で言えばいやみに成ると思って、言いたくないのですが、実は種々さまざまなところで、嫉妬の対象となります。または、恐れられる人間となります。それは、実力と、肩書きの間がアンバランスだからです。私がもし東大教授だったら、今起きているような事は、すべて、絶対に起きないでしょう。田中愛子さんも最初から、敬意を示しながら、対応をするはずで、したがって、「川崎さん、150万円しか払わないのなら、50部しかできませんよ」などと言う驚天動地の怒鳴り声を上げるはずは無かったでしょうし。
私が昔、その東大に勤めていたときに、「あなたは将来必ず、東大の教授になれる。ただし、辞めなければの話だけれど」と、上司の教授から言われました。で、辞めないで、ずっと、がんばっていたら、東大か、または、別の大学の教授になっていたかもしれません。私は東大卒ではありませんが、受験勉強をしていないので、頭が壊れていないそうで、「その柔軟さがすばらしい。特に統合する力がある。東大生は、分析するのは得意だが、統合する力が無い」と、教授に言っていただきました。
でも、実際のところ、数年で勤めは辞めて、長い長い専業主婦家業を続けてきたから何の肩書きも無いのです。となると、肩書きに頼っている人間は、馬鹿にします。馬鹿にしていながら、一方で、私が、作品を見せたり、文章を書いたりすると、すごいスピードで辞書も見ないで、英文を書きます。手書きでもパソコンを使っても、みんなの見ている前で、圧倒的なスピードで、文章を書いていきます。だから、相手、特にこの章では、ニューヨークの版画担当の教授は、大きく私を意識してしまいます。
それから、版画なども独特のカラーセンスがあって、アッと、皆さんが言います。これについてのエピソードもいっぱいあります。が、今は省略をしましょう。
そのときに、私に対して、対抗意識を示した教授は、学部長の愛人だから教授をしているといううわさを後で聞く、40代の女性でした。中肉中背で、アメリカに多い肥満体ではなくて、お顔も美人でした。ここで、仮名をアリスとしておきます。フランス系らしい苗字を持つ人なので,そちらも仮名をデューランと当てて置きましょう。
私の方は、別に美人でもないし、10歳も年上のおばちゃんなのに、どうしてか、見事に嫉妬の対象になってしまい、毎週二時間の授業のうちの、最初の15分ぐらいの解説の際に、敵対意識をちらちらと見せ付けられます。いわゆるパワハラの対象になっていきます。
銅版画を教える講座で、23人授業を取っていて、半分が海外から来た学生ですが、中に、日本人が一人居ました。25歳だそうで、京都の私立美大を卒業しています。彼女の方は仮名をアサコとしておきます。どうしてかと言うと、彼女はその後、狂ってしまい、それゆえに、教授が大学を辞めざるを得なくなったからです。
とても、はしっこいタイプで、教授の心を読んで、私につらく当たり始めました。版画の授業は週に一回ですが、こういう技術系の授業は、授業日以外にも、工房で、作業をしますので、プレスと言う版画を摺る機械の使用について、邪魔されて、うんざりする以上の嫌な8週間を送った後に、アサコは行き詰って来ます。
教授がいい加減なので、薬の塩梅を見ていないので、銅版の腐食ができなくなったのです。
教授が用意したのは、1000倍に薄めた、塩化第二鉄と言うものでしたが、私は、自分の腐食液は、自分で用意していて、教授のは使いませんでした。と言うのも、特殊な種類の版画をやって居たので、そんな薄い溶液では、作業が進まないので、非常に濃い原液と言うのを使っていたのです。で、私は大丈夫ですが、アサコは、作業ができなくなりました。
で、他のバットに入っている硝酸の希釈液を使いたいと思ったらしいのですが、それは、銅版には、使ってはいけないことと決められています。で、私に対して、「どうして、銅は、硝酸で腐食したらいけないの?」と聞いてきたので、化学方程式を書いて説明をしました。
ここからが、私の捨て台詞と成ります。アサコの鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見ていると、ずっと、いじめられ妨害を受けていたことへの、絶好の復讐のチャンスだと思われて、続けて、
「これは、中学の段階の化学ですよ」と言ってしまいました。そのせりふには無論のこと、『あなたは、忘れているの、おばかさんねえ』と言う無言のせりふが隠れて居るわけですが、さらに、それを聞いて、フリーズ状態になっているアサコを見ているうちに、つい追い討ちをかけたく成ってしまったのです、それがイタリック太字で書きますが、捨て台詞の類で、しかも効果抜群のものでした。
「私はね。むかし、東大に勤めていたことがあるから、<56歳になった今でも>書けますけれど」
と。
そのせりふが捨て台詞だったゆえんは、東大に勤めていたという事は、事前には、アサコが知らない事実だったからです。仲良しでもない限り、キャリアをうちあける時間など無いですから。アサコは、単に外見から、『普通の熟年おばさんよ』と思っていただけでしょう。また、国際基督教大学と言う学校が、小さいので、いい大学だという事を知らない人間は、日本中で言えば、アサコ以外にも、数多いのです。特に大学紛争で、一回入試が無かった年がありますが、それ以前の評判の高いことと言ったら、東大の学生新聞が、「東大に入るより、ICUに入る方が難しい」と書いたほどだったのですが。
ソニーの現平井社長を含んで、日本中で活躍をして人が多数いるほど、卒業生の人数に比例しては、多数の人材を出している大学です。だが、それを、知っている人間は、そこを受験したいと願う人ぐらいであって、そこを受験したいと願わない人は、その名声を知らないのです。マスプロ大学では無い上に、受験のシステムが、他の大学とは違うので、知る人ぞ知る大学だからです。
京都の、しかも美大の出身のアサコは、国際基督教大学出身の人間が、どれほど、頭がいいか(笑)を、まるで知らなかった模様でした。
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ただ、ここで、きちんと丁寧に書けば、銅を硝酸に溶かす実験は、中学や高校では無かったかもしれません。銅を、酸に溶かす実験としては、中学や高校の化学実験室なら、希釈した硫酸に溶かす実験は、やった可能性があります。それは、急にブルーになるので、生徒を驚かすはずで、効果抜群の実験だからです。硫酸銅溶液は、透明な希釈硫酸を、美しいブルーに瞬間的に、変えるからです。
ただ、化学が、大好きな私ですから、いつどこでも、どういう反応式でも、書けるわけですね。しかも、無機化合物の反応式は、有機化合物やキレートの反応式に比べると、シンプルなのです。で、大学で習うレベルが、そういう複雑な分子式だと思うと、つい、比較して、簡単すぎる銅と硝酸溶液の反応を、「中学のレベルですよ」と、言ってしまったのですが、その部分で、アサコは、すでに、恐怖を感じていたかもしれません。そこへ持ってきて、「私は、昔、東大に勤めていたから、(それほど、頭がいいので)これを、忘れていないのですよ」と言ったから、自分との格差を、突然に、突きつけられたわけです。
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副題9、『失恋の痛手などを、ニューヨークでの一発逆転で晴らそうとする女性たち』
彼女は、京都の私立美大卒ですが、それは、盆地内にあり、文字通りの、井の中の蛙であるという事を示しています。その上、日本人は、普通は、美大から大学院へは進みません。芸大出身者とか、武蔵野美大と、多摩美の出身者で、一種のモラトリアムをかねて、助手兼、大学院学生であるという人は多く見ますが、大学院へ行くという事は、美大の教授になるということであり、その席は、多くは無いので、たいてい大学院へは行かないのです。特に海外にまでは、行かないのです。
どうして、アサコが、ニューヨークの大学院へ入学したかと言うと、将来の教授職を目指しているわけではなくて、将来の草間弥生か、千住博か、杉本博司を目指しているわけですが、それにしては美的センスが足りません。それは、誰の目にもすぐわかる部分です。それでも、一発逆転を狙って、すさまじい意欲は持っているのですが、しかし、裏側が透けて見えるのです。つまり、日本で周辺から愛されなかったということが。
大学時代に、もし男女共学の大学に学んでいると、恋愛の問題が起こります。そこで、相手をゲットできれば、それが、一応の勝利です。だが、カップルを形成できなかったと仮定してみましょう。それでも、普通の人はあきらめて、方向転換をするものです。別の人を探します。または、欲求のランクを下げます。
彼女は、留学の資金を稼ぐために、いったん就職をしたのだそうです。普通の人だと、就職先で、また、新たな出会いがあって、それで、矛を収めたりするのですが、彼女は、がんばっているわけです。(笑)、ただ、スケールが小さいです。将来成功する人間は、それなりの気品とか、香華があるものです。せかせかしすぎています。かわいげが無いです。その上、教授の鉄砲玉として、同胞のしかも、30歳も年上の私を、苛め抜くとは、その性格の汚さに、唖然としてしまい、それ以前の生活が、読めてきてしまいます。『は、はーん。大学時代に、失恋をしましたね。または、教授に疎まれたとか? で、一発逆転勝利を狙っていますね』と、判ってきてしまいます。
これは、今から15年近く前のことで、まだ、日本経済に余裕があった時代で、親が裕福なお嬢さん方が、何らかの逆転を狙って、ニューヨークへ多数きていた時期です。しかし、親元は裕福では無いが、自分が、2,3年働いて資金をためて、ニューヨークへ来たというお嬢さん方もあって、そういう人は、ある程度以上に、すさんでいるというか、きつい性格を示しているというか、であって、日本社会では、うまくいかなかったということも、容易に推察をされるのでした。
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副題10、『ところで、私がどうして、ニューヨークへ行ったのか?』
上にアサコを批判しています。でも、『あなたも、大学院へ入ったのですよね。それって、アサコと同じではありませんか? あなたも日本社会に受け入れてもらっていないので、一発逆転を狙っていたのではないですか?』といわれちゃいそうです。
確かにそういう側面もありました。で、そのように誤解した、知人、友人は多かったでしょう。で、さらに日本美術界では嫌な思いをすることと成ったかもしれません。たとえば、同じ展覧会に、私が100号正方形を出しただけで、突然に怒り出して、いじめ抜いてきた渡辺幸子さんも、口には出さないけれど、パリに一回3ヶ月、ニューヨークに二回も三ヶ月ずつ、修行に行った私をそういう類の抜け駆けをする人間とみなして、警戒心を旺盛に持っていたから、たんに自分より大きなサイズを出しただけで、ずるいと思い、パニックに陥って、気持ちの整理ができず、大人気ないいじめ行動を発してしまったと考えると、腑に落ちます。
だから、ここでは正直に、「15%程度は、そういう部分もありました」といって置きましょう。ただ、85%は違うのです。純粋に長時間使える工房を求めたからです。
私がやっている技法の版画は、ヘイター方式といって、他人に摺ってもらうと、一枚1万円ほど、作業料をとられるほど、複雑な手法を用いる版画で、はじめたら、10時間連続して作業をしないと、三枚程度でも摺ることができないという形式の版画なのです。
で、日本では、そこまで、長時間使える工房がないのです。
ところが、海外だと、芸術家が尊重をされていて、ルールなどを無視して、長時間使える工房が多いのです。それこそ、専門家としての版画家が使いやすい工房が多いのです。それをパリで経験してみて、私は、もう一回海外へ行きたいと願ったのでした。
無論、プレスを買えば、日本でも、できますね。ただ、鎌倉の自宅へは、プレスが重すぎて上がらないのです。
池田万寿夫のサポートをしていた人たちが、ニューヨークから帰国後、私が、結局は自分のプレスを買って、それを、逗子の借りていたマンションに、設置してくれたのですが、一階でも、20mは、車を降りてから歩いて、人間が運ばないと成らない形だったので、皆さんが、往生をしたのです。それを見ているので、鎌倉に持ち上げるのは圧倒的にあきらめたのでした。
分解しても重い部品があるのです。ただ、将来の夢は、幅45センチと言う最小のプレスを買って、小さな版画を摺って暮らすことです。安野夫妻や、前田夫妻から攻撃を受けず、ニュースからも外交からも攻撃を受けなかったら、そういう生活に戻ることができますが、今は無理であって・・・・・
で、パリで、そういう専門家向けの長時間の作業形態が、許されていることを知って、ニューヨークでも、そういう場所があるだろうと、推察し、それに関する情報を日本で集めまくっていました。
ところが、情報がただでは無いというのが、本当で、ニューヨークの美術界について、教えてくれる人が居ないのです。事前にそれを調べるのはとても難しいことでした。ただ、一生懸命努力をしていると、地球堂と言うギャラリーで出会ったアメリカ人が、
Pratt Institute と言うところにあなたの希望に合う工房があるはずですよと、教えてくれたのです。それが、ブルックリンにあるということだけは、彼女から教えてもらいました。
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副題11、『なぜ、私が大学院へ、56歳で入学できたのか?』
ところで、出発直前に、今は某美術館の館長をしている方から、「そこは大学のはずですよ」と言う言葉を聴いたのですが、「もし、そうなら別の工房を探せばいいわ」と言うくらいの軽い感じで、宿だけ、マンハッタン島の、タイムズスクエアの、自宅を持っている日本人のシェアハウスを、借りると決めて、さっとアメリカへ渡ったのでした。卒業証明書とか、成績証明書の類は、まったく準備しないで出かけました。だって、私は美大卒では無いですから、用意しても無駄だろうと思いましたし。
さて、在ニューヨークの日本人はさすがに、Pratt Instituteの事は知っていて、それが、地下鉄のどの駅を降りたらいかれるかを教えてくれました。で、油絵の小品を二つ、版画の小品を、3枚ぐらい持って出かけてみました。
晴れた日で、しかもブルックリンハイツは、綺麗な住宅街で、気持ちがよく、かつ、そこは美しい美大でした。棟と棟の間が、上野の芸大より、はるかに大きな間隔を取ってあって、その間に、現代彫刻が設置してあります。
ここで、挿入ですが、ブルックリンハイツと言うのは、クリントン夫妻のニューヨーク別邸があるほどの高級住宅街でもあるのです。レンタルDVDで『イカと鯨』と言う映画をお借りいただくと、離婚するインテリ夫婦の、妻と、次男が確保する家が、この近辺であって、夫と長男が、移転をする先が、ずっと海抜が、下に下って、行ったブルックリンでも、南側の、住宅が、安い地域であることがわかります。
私はそういう景色を眺めながら、『ああ、やはり、美大だったのだわ。それでは、入学は無理ですね』と思いました。でも、せっかく来たのだから、何かの情報をもらいたいと思って、学生たちに、版画工房はどこに在るのですか?と、質問をして教えてもらいました。で、先に学部棟(1年から4年までの学生が使う)の版画工房へ案内されました。そこらあたりを歩いていると、にぎやかな部屋があって、そこに版画工房の主が居たのです。学生がいっぱい集まる人で、学生たちの、薬品や銅版や道具の管理などを引き受けている紳士で、後に教授へ昇格したと聞いている人の部屋に行き着いたのです。
でね。私はその人に、塩化第二鉄(銅版を腐食させる液)の入手先を教えてもらいました。アメリカは、劇薬の管理が厳しくて、日本ですと住所を書いてはんこを押すと、塩酸や硝酸も買えるのですが(ただし、塩化第二鉄を置いている薬局は無い。それは、やはり、版画専門店でしか買えない)硝酸や塩酸程度でも、薬局では買えません。それはパリで、大体経験済みなので、その人にそれを教えてもらうのは大切なことでした。
で、レンブラントと言う美術系の大卸会社(のちほど、車代7万円を払って、日本人の方に連れて行ってもらうのですが、牧場地帯に、7棟の大倉庫を持っている会社です)を紹介してもらいました。
それだけでも、大助かりなのですが、その人に自分の作品を見せると、「いい作品を作っているね。学部長に紹介をしてあげる」といってくれて、FINE ARTS部門のオフィスへ連れて行ってくれました。
そのときの学部長は上の方で、言及したアリスデューラン(仮名)を気に入って、実力の無いのに、教授職に就けたといわれる陰の実力者(病気だと聞いている)ではなくて、品の良い紳士であって、「ここの工房を使いたいなら、あなたはすでに学部は卒業している模様なので、大学院へ、入学なさったら使えますよ」と教えてくれました。あっけに取られるほど、簡単に入学許可が降りて、大学院の学生となることができたのです。
ラッキーでした。天はみそなわすとは、本当でした。
高校一年生のときに、どうしてか担任の先生に、受験用紙を渡してもらえなくて、AFSの試験を受けることさえできなかった悲しみが、この時点で癒されたのです。苦しいことや、悲しいことがあっても、必ず、神様はどこかで、見守っていて、償ってくださるのです。人生は、どこかで、つじつまが合うようになっているのでした。
マイナスがあっても、どこか別の場所、別の時点で味わうことのできるプラスの経験によって、補償をされるのです。本当にありがたい経験でした。ただし、授業料はお高いです。私立で、しかも美大ですから、高かったです。普通の版画工房を使うより、お高かったと思いますが・・・・・
しかし、好事魔が多しも正しくて、こういうエピソードが内々で、担当教授のアリスデューラー(仮名)にも伝わっていたと思われ、アリスが、最初の講義の日から、過剰に私を警戒していることとなったのです。『できる人間だ。自分が負けるかもしれない』と、彼女が考えていたのは、敏感な私はすぐ察しましたし、他の学生も強く感じたと思われます。で、アサコは、教授への忠誠心を示せば、自分が有利になると考えたのでしょう。それで、いじめて来たというわけです。
以上、副題9から11までが、あさこが、乱暴狼藉を働く前の、状況説明です。それを書いた後で、元へ戻ります。捨て台詞の問題を語るための文章へ戻ります。
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副題12、『黒板の前が、まるで殺人事件の現場状態だった』
その捨て台詞を放ったのは、真昼間のことで、私はその後気分よく、食堂へ向かいます。その日も晴天でした。そして、お昼を食べて帰ってきたのは、
午後1時半ごろでしたが、あたりには誰も居ませんでした。普通の大学院の学生は、こういう時間帯は授業があるので、作業をまだ始めません。だが、私は高価な講座を、二つとっていただけなので、時間に空きがあって、誰も居ない昼間に、作業をしているのでした。しかし、その日に限って異変がありました。
なんと、黒板の前の一番目立つところに、私の腐食液が、床にばら撒かれていたのです。覆水本に帰らずの典型で、私は、そこで、作業がストップします。だが、事は、そういう単純な復讐ではないのです。
塩化第二鉄の水溶液と言うのは、劇薬の一種で、人間の皮膚にかかったら、ただれます。そして、激しい痛みを伴います。銅まで溶かすのですから、人間の肉体なんて簡単に傷つけます。そういう劇薬を、誰かの足にかかってもいいから、床にばら撒くという行為は、最近よくある、学校で、ある生徒が、ナイフで、別の生徒を、グサッと刺したという行為とほとんど同義です。
しかも塩化第二鉄の原液とは、鉄と銅を含んでいて、比重が非常に高くてどろっとしていて、床から、1センチ以上盛り上がっています。銅を溶かすまえは、黄褐色が含まれた赤ですが、銅を腐食させ始めると、どす赤黒くなって、人の血そっくりです。
しかも、2リットルが、ゆかにばらまかれたころ、ちょうど、リフォーム中で、ほこりや泥がいっぱいだったので、それを、巻き込んで、真円にはならず、人型に、広がっていたのでした。
アリスが在校していない日だったので、他の教授を呼んできて、現場を見てもらいました。みんな息を呑んでいました。
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副題13、『アメリカ人の責任の取り方、取らせ方。・・・・・そのリアリティ』
最初の方で、教授が辞めることとなったと、種明かしをしてしまってあります。だが、大学側が公式に、アサコに責任を取らせて退学をさせたり、アリスに懲戒を与えるというような事はしていません。むしろ隠蔽して、このことが無かった事にしたいみたいでした。現場を見た、ある男性教授は、「犬がひっくり返したのでしょう」と言っていましたし。
だけど、若い学生たちの口コミ力がすごいのです。もともと、あまり人気が無かったらしいアリスの授業を、次の学期から取る人間が誰も居なくなったそうです。
狼藉を起こしたのはアサコです。だけど、それはアリスの学級経営がまずいからでした。気に入らない学生をいじめるために、鉄砲玉として、別の学生を使う。そういうアリスの手法が嫌われたのでした。別に大学当局が、「辞任を勧告する」というわけではないのです。ただ、単純に、人気が無い教授は辞職すべきだという暗黙のルールがある。そして、学生が大喜びするような、若くて、実力のある人材へ、後釜が変わりました。そうなると、どんなにコネを使っても復活は無理ですね。
それが、アメリカの人事のリアリティでした。
でも、これ以来、「外見は、羊みたい。あなたって生活色が無いわね」とよく言われる私は、自分が人並みに強いのだと、自覚をすることと成ります。そして、自分の言葉も、人並みか、人並み以上に強いことを自覚して、できるだけ、直接には言葉を出さないように努力し始めます。対面したときには、できるだけ、対等か、相手を少し敬った形を取るように気を使います。徹底的に、そういたします。
それ以前だって、そうだったのです。私は事の未来が読めるので、こういう事を言ったら相手がどう感じるかな?とか、相手が、どういう風な反応を見せるかなと言うことも判るので、たいていは黙っているのです。捨て台詞の類は、絶対に放ちませんでした。
デモね、人間です。会話はほしいですね。だけど、それに結構なレベルで、恵まれるのです、外出先で、電車の中、今は北久里浜の前の家の近所で、そして以前なら、銀座で、または、それに向かう往復で、または、喫茶店やレストランの中で、これはと思った人に話しかけると、必ず素敵な会話が成立するのです。
ただ、ほとんど、その例を語りません。特に最近はです。
このブログの世界では、正当防衛の一種として汚い種ばかり取り上げてしまっていますが、私の周辺は、実のところ、天がもたらす慈愛に囲まれても居るのです。で、私は充分以上に幸せなのです。常に、良いことと悪い事はバランスを取って訪れるからです。
ただし、捨て台詞はろくなことがないと、私は思っています。勝つという事は、負けた人間を、破滅させることがあるのです。アリス・デューラーが職を失ったなんてニューヨークに1999年に、滞在中は、知りませんでしたし、アサコもあれから15年は過ぎていますが、大アーチストになったという評判は聞いていません。ただ、この1999年以降、2000年と、20001年に再び、滞在やら訪問をしていますので、いろいろ後日談を聞く機会があったというわけです。
その夜片付けに九時間も係り、私は、ほとほと、惨めで、泣かんばかりでしたよ。そして、これには後日談が、教授の辞職とは別にあって、それは、きらめくプラタナスと言う一文でまとめています。そこでも、天の恩寵という事を知りました。
ただ、本日はすでに、1万8千字を超えているし、捨て台詞の、真実と言うことに絞って語りたいので、ここで、とめておきます。捨て台詞を放つなど、最低で、最悪のことなのだ。大人のするべきことでは無いと、私が感じているという事を、皆様に告げただけで、終わりたいと思います。
なお、このブログの2010年から、数え始めた伸べ訪問回数は、1691375です。
2013年の、7月1日の深夜に書き始め、5日の早朝に推敲を終える。
雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)