AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

延命せられしもの

2011年10月27日 | ルルイエ異本
秋もやうやう深まってまいりやしたね。
ここ最近は過ごしやすすぎてなんか寝てばかりいたような気がいたします。
へたしたら現世よりも夢の中で過ごした時間の方が長いんじゃねえかと。

ところでみなさんは夢の中で、自分が他の実体、局面に成り代わってたようなことがおありだろうか。
それは、現代ではなく他の時代のものであったり、地球外の実体であったり。
たまに自分の前世が見えたりする人の話を聞くが、それはやはり<第一の門>の向こうで、擬似六角形の台座で詠唱しながら体を揺らす<異形のもの>の導きによるものであるのではないかと、アーカム出身のとある隠秘家の心騒がされる体験談を読んでいて思うのである。

ランドルフ・カーターが、遥か昔にヒューペルボリアで鍛造されたという銀の鍵を用いて、<ウムル・アト=タウィル>が守護する<窮極の門>の彼方にいる己の実体の断片、もしくは局面を垣間見たのだという。
<異形のもの>、すなわち<導くもの>が、揺れるうねりが物質的な音でも人工的な言葉でもない言語でカーターに語りかけた驚愕すべき慄然たる事柄は以下のようなものである。

「<真実の人>は<全にして一なるもの>のもとに進みたり。<真実の人>は<幻影>こそ<唯一無二の現実>にして、<物質>こそ<大いなる詐欺師>なることを学びたり」

人間は三次元の局面を現実と呼び、その多次元の原型という考えを非現実と決めつけているが、実際にはその逆こそ真なのである。
われわれが実体や現実と呼ぶものは影や幻であり、われわれが影や幻と呼ぶものこそ実体であり、現実にほかならないのである。
我が国が誇る怪奇小説家、江戸川乱歩先生の言葉が思い出される。
「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」

ランドルフ・カーターは<窮極の門>を通り抜け、己はあらゆる時代に存在するのであって、カーターとその祖先のすべては人間以前のものであれ、地球以前のものであれ、時間と空間を超越するただ1つの窮極的かつ永遠のカーターの局面にすぎないのだと知る。
意識の一面がたまたま永遠の原型を切断する、その角度によってのみ差異が生じる、幻の投影物にすぎないのだと!


ランドルフ・カーターの時空を超越した様々な局面は以下のようなものがある。

・1692年にセイレムからアーカム背後の丘陵地帯に逃げ込んだあの魔道士江戸万度・カーターの局面。
・2169年に不思議な手段を用いてモンゴル人の群をオーストラリアから撃退する、あのピックマン・カーターの局面。
・原初のヒューペルボリアに棲み、かつてアークトゥルをまわっていた二重星キタミールから飛来した、黒く可塑的な体をもつツァトゥグアを崇拝する、太古の実体の局面。
・遠い祖先にあたる無定形のキタミール星人そのものの局面。
・さらに遠い祖先にあたる超銀河の星ストロンティの生物の局面。
・旧時空連続体に存在する四次元のガス状意識の局面。
・信じられない軌道をもつ暗黒の放射性彗星における未来の植物頭脳の局面。


ランドルフ・カーター氏(キングスポートにて)キャー!キョクメ~ン


そう、お察しの通り、擬似六角形の台座にいる異形のものとは、狂えるアラブ人アブドゥル・アルハザードの禁断の書物『ネクロノミコン』の中では、写字者によって延命せられしものとあらわされ、ユゴス星の甲殻種族が<彼方なるもの>として崇拝し、渦状銀河の薄靄めいた頭脳が表現しようのない印でもって知っている神性・・・・
青森県出身のハードロックバンドが7thアルバムのラスト曲「ダンウィッチの怪」の歌詞の中で繰り返しほのめかしていた、あるいは地球のある種の秘密教団が詠唱する度にその名を連呼していた慄然たる神性の御名・・・・

一にして全、全にして一のもの、ヨグ=ソトホートにほかならないと!




今日の1曲:『ダンウィッチの怪』/ 人間椅子
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